Archive for category スピーカーとのつきあい

Date: 9月 13th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その15)

O君の部屋にダイヤトーンのDS9Zが鳴っていたのをみて、思い出したことがある。

ステレオサウンドの取材でDS9Zを鳴らす日があった。
前述の試聴が早く終ったため、
それに翌日は休日出勤ということもあったので、
その日のうちにO君とふたりでDS9Zをセットして翌日の準備をした。

準備が終り、DS9Zから音を出す。
意外に、いい音が鳴ってきた。
そこで、O君が、試聴室隣の倉庫にあったマッキントッシュのMC2500で鳴らしてもいいですか、という。

そのころ、彼はMC2500(ブラックパネル)をすでに購入していた。

私の好みからすればDS9ZにMC2500の組合せは、あまりピンとくるものがないけれど、
試しに、と鳴らしてみた。
せっかく鳴らしたので、細かなところをチューニングしてみた。
その時、鳴らしていたのはピーター・ガブリエルの「So」の三曲目、
ケイト・ブッシュも参加している”Don’t Give Up” だった。

ほとんど、この曲ばかり聴いて、チューニングを追い込んでいった。
何かをする、そしてまた聴く。
うまくいったら、ふたりで、おーっとと喜び、さらに、と別のところに手を加える。

MC2500も充分暖まってきたし、DS9Zも鳴らし続けてきたことで鳴りもあきらかに変ってきた。
こうなると、こちらものってくる。

この日の音が、どれだけ良くなったかは、O君の翌日の出勤時刻が表している。

Date: 8月 14th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その14)

ダイヤトーンのDS1000は面白いスピーカーシステムであったし、
きわめて冷静なスピーカーシステムでもあった。

ステレオサウンドで働いていたから、井上先生の鳴らすDS1000の音が聴けた、
聴けたからDS1000の面白さを知ることができたわけだから、
こんなことを書くのは矛盾がなきにしもあらずなのはわかっているが、
ステレオサウンドで働いていなければDS1000を買っていたかもしれない。

ステレオサウンドでDS1000は聴ける──、
それがあったから買わなかったわけで、つまりDS1000に愛着、思い入れ的な感情はもてなかった。

もっともステレオサウンドにいなければ井上先生が鳴らすDS1000の音は聴けなかったわけだから、
結局買わなかった……、のかもしれない。

当時住んでいた部屋が、それでも倍くらいの広さがあれば買っていたと思う。
物理的にDS1000をサブスピーカーとして置けるだけの余裕がなかったことも、理由として大きい。
DS1000の、ずっと小型版がでないものか、と思っていた。

DS9Zが出た。
小型の2ウェイで、正面からみれば台形のエンクロージュアである。
これならばサイズ的にも置ける。
買おうかな、と考えていたら、先に編集部のO君に買われてしまった。

O君は、私が買おうとしていたのを知っていたから、こっそり買っていた。
彼が購入後、しばらくして編集部のS君とふたりでO君の部屋に押しかけたときに、知った。

彼はマッキントッシュのMC2500(ブラックパネル)で、鳴らしていた。
愛着を持って鳴らしていたのを聴いて、私はDS9Zの購入をやめた。

先を越されたということも多少はあったけれど、
私はDS9Zを愛着をもって鳴らそうとはしていなかったことに気づかされたからである。

Date: 8月 14th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その13)

ダイヤトーンのDS1000に関しては、擬人化で語ろうという気はなかったことに、
しばらくして気がついた。

DS1000の一般的な評価は、
私がステレオサウンドの試聴室で井上先生によって鳴らされた音で高く評価していたのとは少し様相が違っていた。
井上先生によって鳴らされるDS1000の音に驚いていたけれど、
オーディオ店での決していいとはいえない環境ではどう鳴るのかは容易に想像できたし、
DS1000を最低限鳴らせるだけの使いこなしのテクニックを持っている人も、そう多くはなかったのだから、
当然とはいえ、DS1000の真価を伝えられないもどかしれも感じていた。

どんなスピーカーであっても、それを鳴らすという行為は、
鳴らす人間が試されていることであるわけだが、その点において、DS1000は特にシビアだった。
その意味では、若いスピーカーシステムといえる。

スピーカーシステムが、鳴らし手よりも年上であれば、
鳴らし手の未熟さも、まあ大目にみてやろう的なふところの深さみたいなものに助けられる、
そういった面も確かにあるけれど、
DS1000には、それがまったくなかった。
だから、よけいに鳴らし方がシビアだった。

でも、そのシビアさは人によっては、快感につながっていく。
これだけやれば、それが間違っていない方向であれば、音は確実にいい方向へと向っていく。

いろいろなもの・ことを吸収していく年齢のころに、DS1000が登場した。
だからこそ、DS1000は、よりつよく面白いスピーカーシステムだと感じていた。

自分のレベルを容赦なく見せつけるDS1000に対しては、擬人化で捉えようという意識はまったくなかった。
こういうスピーカーシステムが、若いときにあったことを幸運だと思っている。

Date: 7月 15th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その12)

ヤマハのNS1000Mも、ダイヤトーンのDS1000も、
どちらも国産のブックシェルフ型スピーカーシステムとして、高性能の実現を目指したものといえる。
けれどNS1000MとDS1000のあいだには約10年が経過している。

あえていえばNS1000Mの高性能は静特性であり、
DS10000の高性能は動特性ということになる。
これは、あくまでも誇張した言い方ではある。

でも、このふたつの価格もサイズも構成もよく似たブックシェルフ型スピーカーシステムを、
私はステレオサウンドの試聴室で何度も聴く機会があった。

NS1000Mは、このスピーカーが世に登場した時は先端の音だったのかもしれないが、
私が1980年代に聴いた時には、こなれた、実にいい音だった。
尖ったところが、うまくぐあいに丸くなってはきているけれど、
それでももともとは尖った性格のスピーカーだっただけに、
最初から柔らかな音を特徴とするスピーカーとは、また違った趣のあるこなれた音だった。

NS1000Mは、こんなにいいスピーカーだったのか、と認識を新たにした。

その点、DS1000は違っていた。
尖っている、といえばそういえなくもないが、NS1000Mの尖っている、とは少し違う意味をもつ。
非常に優秀なスピーカーシステムではあるものの、
その優秀さには、懐の深さがいくぶん足りない、とでもいおうか、
すくなくともスピーカーシステム以前のシステムの不備を、ここまではっきり出さなくても……、
と感じる性格が、DS1000にはあった。

そのくらい大目にみるよ、的な大らかさは欠けていた。

Date: 7月 14th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その11)

ダイヤトーンのDS1000に、「高性能」ということを感じたのか。
それは、まず音にある。
それは、井上先生によって鳴らされたダイヤトーンのDS1000の音にあった。

その音を聴いた後で、DS1000に関する技術資料を読めば、
高性能の追求が、変ってきたことがわかる。

アンプにおいては、AGIの511の登場によりスルーレイトという、
それまであまり耳にしたり目にしたりすることのなかった測定項目が注目を浴びるようになった。
そしてマッティ・オタラ博士によるTIM歪の発見と発生メカニズムについての発表があったりして、
アンプの性能の追求は、それまでの静特性の追求から動特性の追求へと移行していった、といっていいだろう。

AGI・511はハイスピードアンプの代名詞のようでもあった。
とはいえ、AGIの登場の数年前からOTTO(三洋電機のオーディオ・ブランド)は、
広告でスルーレイトという技術用語がこれから注目されるだろう、といったことを謳っていた。

アンプにおいては、NFBの功罪を含めて、
動特性が静特性よりも重要視されることになっていったわけだ。

この動きは当然スピーカー、スピーカーシステムの開発にも波及していく。
けれどアンプとほぼ同時期とはならず、数年の遅れが必要であった。

Date: 7月 14th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その10)

ヤマハのNS1000Mは、私がオーディオに興味を持ち始めた時にはすでに定評のあるスピーカーシステムであった。
スウェーデンの国営放送局に正式モニターとして納入された、ということは広告で知っていた。

NS1000Mの登場は1974年だから、
おそらくこのときはスコーカー、トゥイーターにベリリウムを振動板として採用した、
高性能なブックシェルフ型というイメージがあったと思う。

けれど私がNS1000Mを実際に聴いた時には、
ロングセラーの、いいスピーカーシステムであっても、
高性能というイメージを、私は受けることはなかった。

その点、ダイヤトーンのDS1000の登場は、
はっきりと高性能スピーカーが登場した、という印象がとにかく強かった。
しかもフロアー型ではなく、ブックシェルフ型で、価格も109000円(1本)だった。

ダイヤトーンのスピーカーシステムは、DS505から、それまでのスピーカーシステムとは変った。
DS505の次にDS503が出て、フロアー型のDS5000が登場した。
DS5000が登場した時には、ステレオサウンドにいた。
このDS50000がステレオサウンドに搬入されたときのことは割と憶えている。
それだけ、搬入前から話題になっていた。

DS5000を、井上先生が鳴らしたときの音は格別なものを感じた。
とはいえ、DS5000には感じなかった「高性能」ということを、
その後に登場したDS1000には強く感じとっていた。

Date: 7月 14th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その9)

10代、20代のときは、私もスピーカーの擬人化をよくやっていた。
とくに20(ハタチ)前後の時は、そうだった。

そういうときはおもしろいもので、
擬人化がうまくできないスピーカーシステムには対してはあまり、というか、ほとんど関心がなかった。
それに擬人化も、女性に譬えられるスピーカーシステムに関心があったし、
惚れ込むスピーカーシステムも、そうだった。

それがいつしか薄れていった。
擬人化という捉え方をしなくなっていった。
当時は、擬人化をしなくなっていた自分に気づいていなかった。

この時期は、ふり返ってみると、
スピーカーシステムにできるだけ忠実な変換器としての性能を、
それまでよりも強く求めるようになっていたことに気づく。

それはちょうどダイヤトーンのDS1000が出たころ、
井上先生の使いこなしによる音の変化・整えられ方に強く影響を受けていたころと重なっていく。

ダイヤトーンのDS1000は型番からもわかるように、
ヤマハのロングセラー・モデルであるNS1000Mをターゲットにしている。
どちらも3ウェイのブックシェルフ型、しかし開発年代は違う。

DS1000はダイヤトーンがダイヤトーンなりにスピーカーの動作を解析していった結果の、
あの時期の集大成ともいえる面ももっていた。

それだけにDS1000は、鳴らし方の難しいスピーカーシステムでもあった。

Date: 5月 21st, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その8)

スピーカーは変換器であって、できるだけ忠実な変換器であることを目指さなければならない──。
それは確かにそうなのだが、現実のスピーカーシステムというのは、
最新のスピーカーシステムであっても、どこまで忠実な変換器かという尺度に立てば、
私は、ここで考え込んでしまう。

つまり忠実な変換器にはまだまだ遠いレベルに、いまのスピーカーシステムでも、そのところにいる。

忠実な変換器は、スピーカーのあるべき姿である。
だから、それを追い求める行為は間違っているわけではないのだけれど、
冷静に現時点でのスピーカーシステムを眺めている(聴いてみる)と、
あるべき姿よりも、現時点でのスピーカーシステムのありのままの姿を受け入れるのも、
スピーカーシステムのつきあい方であり、鳴らし方でもあるはずだと思う。

あくまでもあるべき姿(忠実な変換器)でなくては……、という人には、
スピーカーの擬人化はとうてい受け入れられないことになろう。
でも、ありのままのスピーカーの姿を受け入れようと思えば、
スピーカーの擬人化も、ひとつの考え方としてあり、のはずだ。

そう思えば、ステレオサウンド 65号掲載の上杉先生のウェストミンスター導入記が、
すくなくとも「気持悪いものを感じる」ということにはならないのではなかろうか。

Date: 5月 20th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その7)

タンノイ・ウェストミンスターの導入記を、上杉先生がステレオサウンド 65号に寄せられている。
「私のかたわらにウェストミンスターのいる夜」というサブタイトルがつけられているこの記事に対して、
ある読者から「こういう擬人化は気持悪いものを感じる」という意見もあった。

スピーカーを人にたとえることに対してまったく関心のない人、反感を覚える人もまたいる。
スピーカーはあくまでも電気信号を振動板の動きに買えて空気を振動させる変換器であって、
あくまでも変換器としての性能、良し悪しで評価すべきであって……、という意見がある。

スピーカーは変換器である。
けれど忠実な変換器と呼べるだろうか。
そう思いながらも、その不思議な変換器は、時に驚くほど細かな音の差を聴かせてくれる。

スピーカーシステムの物理特性は、昔からすればずいぶんと向上しているものの、
アンプと比較すれば、まだまだである。
歪率、周波数特性といった基本的な物理特性においても、
アンプの物理特性からみれば時代遅れともいえるレベルにも関わらず、
ほとんど物理特性的にはこれ以上大きな改善は望めないと思えるアンプの音の違いをきちんと鳴らし分ける。
それだけでなく使いこなしでの音の変化も鳴らし分けるのだから、
オーディオ界ではよく知られている、ある笑い話があるわけだ。

瀬川先生の著書を読まれた方ならばすぐに、ああ、あのことかと思われるだろう。
     *
 スピーカーの研究では、かつて世界的に最高権威のひとり、といわれたH・F・オルソン博士(「音響工学」をはじめとして音響学に貢献する著書が多い)が日本を訪れたとき、日本のオーディオ関係者のひとりが、冗談めかしてこうたずねた。
「オルソン先生、ここ数年の間に、レコードやテープの録音・再生やアンプに関しては飛躍的な発展をしているのに、スピーカーぱかりは、数十年来、目立った進歩をしていませんが、何か画期的なアイデアはないもんでしょうか」
 するとオルソン博士、澄ましてこう言ったそうだ。
「しかし、あなたの言われる〝たいしたことのない〟スピーカーを使って、アンプやレコードの良し意しが、はっきり聴き分けられるじゃありませんか?」
 これには、質問した人も大笑いでカブトを脱いだ、という話。
 むろん、この返事はアメリカ人一流のジョークで包まれている。けれど、なるほど、オルソン博士の言うように、私たちは、現在の不完全なスピーカーを使ってさえ、ごく高級な二台のアンプの微妙な音色の差を確実に聴き分けている。スピーカーがどんなに安ものでも、アンプをグレードアップすれば、それだけ良い音質で鳴る。
     *
現代の、物理特性が以前よりは向上したスピーカーシステムにおいて、ということでだけでなく、
以前のスピーカーシステムにおいても、
オルソン博士の、この話の時代のスピーカーはずいぶん以前のことであるにも関わらず、
音の聴き分けが可能だったし、音の聴き分けはスピーカーがなければできない、ということである。

Date: 5月 18th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その6)

オーディオのコンポーネントの中で、特にスピーカーシステムは擬人化されて語られることがある。
昔からあったし、いまもある。

オーディオをやっているのは女性よりも圧倒的に男性が多いこともあってなのだろうが、
スピーカーシステムの擬人化は、女性としての擬人化であることもまた多い。
ステレオサウンドにおいて、そう語られることが幾度かあった。

例えば黒田先生はJBLの4344のことを、4343のお姉さんと表現されている(ステレオサウンド 62号)。
菅野先生もそれまでのJBLの3ウェイのシステムというメインとなるスピーカーをもちながら、
新たにマッキントッシュのXRT20を迎え入れられてから、
これらふたつのスピーカーを女性にたとえられている。

黒田先生による擬人化と菅野先生による擬人化は、まったく同じというわけではない。
黒田先生の場合、
もし4344が4343よりもやんちゃな音の性格だったとしたら、4343の弟と表現されたはず。
4344という、4343の後継機の音の性格が、黒田先生にとってお姉さんと呼ぶにふさわしかったからである。

菅野先生の場合は、音楽を聴いていく人生の伴侶としてのスピーカーの擬人化だから、
女性、つまり妻としてたとえられたわけであり、
仮に菅野先生が男性ではなく女性だったとしたら、伴侶という意味ではスピーカーを男性にたとえられたであろう。
ここでの女性としての擬人化は、それぞれのスピーカーシステムの音が女性的であるとか、
そういった意味とはニュアンスが異る。

ところが上杉先生の場合は、はっきりとした女性としての擬人化で、
自宅で鳴らされているスピーカーシステムについて語られている。

Date: 5月 14th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その5)

私はというと、ずっと若いころは、ストイックであることがかっこいいことであると強く思い込んでいたから、
スピーカーシステムは一組にかぎる。
ほんとうに惚れ込んだスピーカーシステムを鳴らしきることこそ……、そんなふうに思っていたこともある。

もちろん複数のスピーカーシステムを持ちたい、鳴らしたいという気持もあって、
でもあくまでもストイックで、そして理想主義であらねば、などと思っていたものだから、
複数のスピーカーシステムを鳴らしたいのであれば、
スピーカーの数だけ部屋を用意する。
とにかくひとつの空間には一組のスピーカーシステム、と決め込んでいた。

そんな若いときの私でも、
複数のスピーカーシステムを持っていたことがある。
メインのスピーカーシステムに対して、サブのスピーカーシステムとして、であった。
ロジャースのLS3/5Aを持っていた。

でも結局、そのころ住んでいた住空間では、LS3/5Aを満足に鳴らす環境は整えられなかった。
サブスピーカーなのだから……、という気持はあっても、
実際にLS3/5Aの音を聴くと、サブスピーカーとは思えなくなってくる。

そうなるとアンプもLS3/5A用に用意して……、そんなことを考えやっていくには、
若いころの私の経済力では無理があった、ともいえるし、
あまりにもメインのシステムに熱をいれすぎていた。

欲しいという友人に結局譲ってしまった。

後悔は譲った後にするから後悔なのだが、
やっぱりLS3/5Aは場所的に邪魔になるわけではなかったのだから、
持っておけばよかった、といまでもすこし思わないわけではない。

そんなことはあっても基本的にスピーカーシステムは一組だったけれど、
歳を重ねていけば考え方・捉え方も、音の聴き方も、その他のことも変っていく。
変っていかないところもあるけれど、スピーカーシステムの数については、
私の場合、変っていった。
と同時にスピーカーの存在をどう捉えるかも変っていった。

Date: 5月 14th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その4)

いまスピーカーシステムを二組以上所有して、しかも鳴らしている人はどのくらいの割合なのだろうか。

同じ空間に二組以上のスピーカーシステムをおけば、相互に影響が出る。
ある一組のスピーカーシステムを鳴らしている時、
そのスピーカーシステム以外のスピーカーシステムは音を出していないわけだが、
いろいろな面で、出ている音に対して影響を与えている。

これに関しては以前から言われていたことであり、
だからひとつの部屋には一組のスピーカーシステム、
複数のスピーカーシステムを鳴らしたいのであれば、
スピーカーシステムの数だけの部屋を用意する、という人もいないわけではない。

それができるだけの人はそう多くはないだろうけれど、
それだけのことができる人でも、ほんとうに気に入ったスピーカーシステムが一組あれば、
それでいい、という人もいる。

というより、そういう人は、きっと他のスピーカーに浮気したくない、という気持が強いのかもしれない。
あるひとつのスピーカーシステムに、オーディオの情熱をすべて捧げる。
そのスピーカーと同じだけの能力をもつ他のスピーカーもいらないし、
サブ用のスピーカーすらいらない。

とにかく惚れ込んだスピーカーとだけ、と一途な人はけっして少なくない、と私は思っている。
こういう人は、スピーカーを音楽を聴いていく人生における、
いわば配偶者としてスピーカーをとらえているからこそなのかもしれない。

Date: 4月 3rd, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その3)

私がいまここに書いている例は、
あくまでもオーディオ雑誌に掲載された記事を読んでのものでしかない。

全国のオーディオマニアの方々がどういうシステムかというかを調査したデータがあるわけでもなし、
オーディオ雑誌の記事にしてもすべてに目を通しているわけでもなく、
あくまでも私が読んだ(目を通した)記事の中で、
記憶に残っている全体的なイメージのことでしかないのはわかっている。

それでもアルテックとタンノイのスピーカーを同居させている人は少ないと感じているし、
それ以上にふたつ以上のスピーカーしを同居させている人の多くは、
そのひとつがJBLであることが多いと感じていて、
それがなぜなのかを、考えてしまっている。

Date: 3月 31st, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい
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複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その2)

JBLとタンノイの、ふたつのフラッグシップモデルを手に入れて鳴らす、ということは、
時代によってパラゴンがスタジオモニター・シリーズの4350(もしくは4343)に変化していく。

タンノイもそれにともない変化していく──、と書きたいところだが、
オートグラフはイギリス本国での生産をやめ輸入元ティアックによるライセンス生産に切り替り、
アーデン、バークレイなどの、いわゆるABCシリーズが主力機種としてラインナップされていた時期があるため、
4350(4343)と同居するタンノイは、やはりオートグラフ(もしくはGRF)だった、ともいえよう。

こんなことを書きながら、ふと思ってしまったのは、
アルテックとJBLを同居させる人も、少なからずいたような気がしている。
ジャズの好きな人が、アメリカの西海岸の、ルーツを辿れば同じところに辿り着くふたつのブランド、
アルテックとJBLのスピーカーシステムを手に入れて鳴らす──、
そんな写真(記事)を読んだような記憶が、私のどこかにある。

もしかすると私の記憶違いなのかもしれない。
でもたしかに見た(読んだ)記憶もある。
(ステレオサウンド 38号の岩崎先生のリスニングルームの記事を除いて、である)

記憶違いだとしても、アルテックとJBLの同居はあってもおかしくはないし、
このふたつのブランドの同居は、JBLとタンノイの同居とはまた違う領域の広がりを見せてくれる。

でもアルテックとタンノイを同居させていた人は、いたんだろうか、と思ってしまう。
JBLとタンノイ、JBLとアルテックがあれば、
アルテックとタンノイの同居があっても不思議ではない。

アルテックでジャズを聴き、タンノイでクラシックを聴く。
アルテックの中から604を搭載したモデルを選択すれば、
アメリカ、イギリスの同軸型ユニットによるスピーカーシステムを同居させることになり、
これはこれで非常に面白い試みとも思えるのだが、
なぜか、アルテックとタンノイの同居という写真を見た記憶がほとんどない。
(こちらは瀬川先生が一時期やられていたことはあるけれど……)。

このへんになるとすこし記憶に自信がもてない。
どこか、都合のよいように記憶違いを自ら起している──、
そんなふうに思いながらも、複数のスピーカーを同居させている例の多くには、
JBLが片方の主役であることが多かったのではなかろうか。

Date: 3月 30th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その1)

以前はスピーカーシステムを二組以上所有・鳴らされている人は割と多かった印象がある。

ひとつのパターンとしてはジャズはJBLのスピーカーシステムで、クラシックはタンノイのスピーカーシステムで、
というスピーカーシステムの使い分けがあり、
これはひとつのスタンダードのようにもなりつつあったように思っている。

一口にJBLとタンノイといってもラインナップはどちらも豊富なほうだから、
いくつかの組合せがある。
JBLのほうはパラゴンやオリンパスといったコンシューマー用モデル、
タンノイはオートグラフやGRFといったモデル。
パラゴンとオートグラフ、この大型スピーカーシステムの両方を所有されている方は、
ある時期の日本では珍しくはなかった、といえた。

オートグラフはコーナー型だから左右の両脇に設置され、
そのあいだにパラゴンが置かれているリスニングルームの写真は、何度か見たことがある。

1970年代、クラシック向きのスピーカー、ジャズ向きのスピーカーという言い方がなされてきた。
JBLのスピーカーはジャズ向きであり、タンノイはクラシック向き、
このふたつのスピーカーメーカーのフラッグシップモデルの両方を手に入れるのは、
それだけで大変なことであり、ひとつの部屋に収めることができるのも、また大変なことである。

その意味では、ひとつの憧れの象徴として、
パラゴンとオートグラフの同居があったのかもしれない。