複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その19)
O君はダイヤトーンのDS9Zに惚れ込んでいた。
「愛い奴だ」という、DS9Zに対する彼の言葉をきいたことがある。
O君は決してオーディオにのめり込んでいた男ではなかった。
スピーカーを擬人化するなんてことは、彼はまったく知らなかったはず。
その彼が、自然と「愛い奴だ」と口にするということは、DS9Zを擬人化している、とみていいと思う。
その意味でいえば、(その18)でふれたSL600を購入して、
「うちのSL600は日本でいちばんいい音で鳴っている」と平気で口にしてしまう知人よりも、
ずっとスピーカーというモノの本質を見ていたのではないだろうか。
「うちのSL600は日本でいちばんいい音で鳴っている」の知人は、オーディオ歴はO君よりもずっと長い。
オーディオに投じてきた金額もO君とは比較にならないほどである。
一般的には「うちのSL600は日本でいちばんいい音で鳴っている」の知人は、
すごいオーディオマニアということになる。
けれど、彼はスピーカーというモノの本質を見ていたとは思えないところもある。
はっきりとしたことは、私は彼ではないからいえないけれど、
長いつきあいで、そんなふうに感じることが何度かあった。
言葉ではなんとでも語れる……、と。
そんな知人のことはどうでもいいわけで、ここで語りたいのは、私は擬人化して捉えているし、
ここ10年近く、スピーカーシステムは役者だ、と考えるようになってきたことである。