複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その21)
私は早い時期からスピーカーを擬人化してとらえていた。
ステレオサウンドで働くようになってからのある一時期、あえて擬人化しない捉え方を意識的にするようにしていた。
そして、いまは、というと擬人化して捉えるようになっている。
とはいえ、その擬人化に変化がある。
役者として捉えるようになってきた。
役者には主役もいれば、いわば脇役とよばれる人もいる。
主役ばかりでは映画もドラマも成りたたない。
アカデミー賞には、主演男優賞、主演女優賞もあれば、助演男優賞、助演女優賞もある。
主役だけが映画・ドラマの中で光っているわけではない。
光っていても、主役の力だけではない。
スピーカーも同じだと最近思うようになってきた。
部屋にひとつのスピーカーシステム。
それが理想的な鳴らし方のように、昔は思っていた。
かなり長いこと、そう思ってきた。
けれど菅野先生のリスニングルームに行き、その音をきいたことのある人ならば、
あの空間に、都合三つのシステムがある。
どれも見事に鳴っている。
菅野先生の音を聴いていて、あのスピーカーがあそこになければ……、といったことは一度も思ったことがない。
私がスピーカーを擬人化の延長として役者として捉えるようになったのは、
菅野先生の音を聴いたからである。