Archive for category 世代

Date: 10月 12th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(その14)

音は消えていってしまう。
それをマイクロフォンでとらえ電気信号に変換して、テープレコーダーが磁気に変換してテープに記録しないかぎり、
音は消えていく宿命である。

音が電波に変換される。
この電波もまた誰かが受信しないかぎり音にはならないし、
受信されても音に再び変換されるわけだから、ここでも録音しないかぎり消えていく。

エアチェックして記録として残すことについて、少し考えてみたい。
     *
菅野 これも個人によって全く考え方がちがうと思いますね。たとえば、自分があまり関心のないジャンルというものがある。ぼくにとってはFMチューナーがそうです。ぼくはFMチューナーで、レコードに要求するだけの音を聴こうとは思わないんですよ。まあ、そこそこに受信して鳴ってくれればいい。だから大きな期待をもたないわけで、FMチューナーなら、逆に値段の高いものに価値観を見出せないわけです。
 亡くなられた浅野勇先生みたいにテープレコーダーが大好きという方もいる。「もうこのごろレコードは全然聴かないよ、ほこりをかぶっているよ」とおっしゃっていたけれど、そうなると当然レコードプレーヤーに関しては、大きな要求はされないでしょう。やはりテープレコーダーの方によりシビアな要求が出てくるはずですね。
 そのようにジャンルによって物差しが変わるということが全体に言えると同時に、今度はその物差しの変わり方が個人によってまちまちだということになるんじゃないでしょうか。
柳沢 ぼくもやはりFMチューナーは要求度が低いですね。どうせ人のレコードしか聴けないんだから……といった気持ちがある。
瀬川 そうすると、三人のうちでチューナーにあたたかいのはぼくだけだね。ときどき聴きたい番組があって録音してみると、チューナーのグレードの差が露骨に出る。いまは確かにチューナーはどんどんよくなっていますから、昔ほど高いお金を出さなくてもいいチューナーは出てきたけれども、あまり安いチューナーというのは、録音してみるとオヤッということになる。つまり、電波としてその場、その場で聴いているときというのは、クォリティの差がよくわからないんですね。
     *
この座談会はステレオサウンド 59号「ベストバイ・コンポーネント その意味あいをさぐる」からの引用だ。
チューナーの音は、チューナーからの信号をアンプに入力して聴くよりも、
いったん録音してそれを聴く方が、チューナーの差がはっきり出てくる──、
それまでチューナーの聴き比べをやったことはなかった私には、意外な事実であり新鮮な驚きだった。

Date: 10月 11th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(その13)

聴きたいと思ったレコードを自由に買えるのであれば、
レコードによる放送を録音する必要はなかったし、ライヴ録音ものばかりを録音していたことだろう。

それにそれだけの経済的余裕があれば、テープを使いまわしすることもない。
録音したものは、気に入ったものだけでなく、そうでないものも消さずに置いておける。

カセットテープでも本数が増えると収納について悩むけれど、
オープンリールテープは、もっと嵩張る。
そのためにしかたなく消去ということをやっていた人もいるはずだ。

そして消した後に後悔することもあったはずだ。

そのことについて座談会で瀬川先生は語られている。
     *
二年とか四年とかのサイクルなら消してもなんとも思わないけれど、十年経ってあの時消さなければよかったなァというのは必ず出てくる。一度録ったものを、繰り返して聴くということの意味は、そういう所にも出てくるんで、その時になっても、よかったなァと思うのが本物ということですね。
     *
そうだと思うし、さらに二十年、三十年、さらにもっと経つと、ここに変化が出てくる。
このへんのことについても語られている。
     *
 最後に一つ、お話しておきたいのは、この前、「週刊朝日」だったかで明治時代の写真を日本中から集めたことがありましたよね。
 要するに、家の中に眠っている写真を何でもいいから、日本中から集めて。そうしたら、しまっていた人でさえ気がつかなかったようなすばらしい資料がたくさん集まったわけですね。
 今エア・チェックでやっていることって言うのはそれに似ていると思うんですよ。一人一人は何気なく自分が聴きたいから、あるいは、そういう意志もなしに、習慣でテープのボタンを押してしまって、録っちゃったみたいなこともある。これだけFM放送がはんらんしてくると、それぞれ、みんな録る番組が違うと思うんですよ。しかし、どこかにみんな焦点が合っている。これから十年、二十年たって、あるいは五十年くらいたって、かつてこんな番組があったのか、誰かこれ持ってないかなと言うときに、ちゃんと残っていたら、これは大変な資料になると思うんです。
 エア・チェックには楽しさの他に、そうした意義があると思う。そこに、エア・チェックのスゴサみたいなものをぼくは強く感じるわけです。
     *
ここでの瀬川先生の発言は、当時の人よりもいまの人たちのほうが強く実感できているはずだ。

Date: 10月 11th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(その12)

別冊FMfan 10号の特集は創刊10周年記念でもあり、「エア・チェックのすべて」である。

巻頭には五味先生が登場されている。「FMエア・チェック・マニア言行録」と題して、
五味先生のリスニングルーム訪問と五味先生のNHK訪問の二本立てからなっている。

いまでは考えにくいことだろうが、
このころはエアチェック(FM放送)が特集となることもあった時代だ。
それほどエアチェックが盛んだった。

エアチェックとは、本来はプロ用の言葉である。
放送局からの電波が正しく送信されているのかをチェックするから、エアチェックなのである。

それがいつしか一般の人たちが、
家庭で放送されたものをテープ録音することを指す言葉として使われるようになっていった。

いまでこそFM局はいくつもあるが、
1970年代は東京でもNHK FMと東京FMの二局のみだった。
アメリカのような音楽ジャンルの専門局など夢のまた夢として語られている時代だった。

とはいえ、むしろだからこそなのかもしれない、
FM放送を受信して、テープに録音するという行為(エアチェック)を熱心に行っている人の数では、
アメリカ以上に多いのではないか、ともいわれていた。

私も高校生だったころ、エアチェックをやっていた。
私が住んでいた熊本には民放のFM局はなかった。
NHKのみがエアチェックの対象だった。

カセットデッキは一台だけだったこともあって、
バイロイトの放送の録音には挑戦しなかった。
レコードを自由に買えていたわけではないので、もっぱらレコードが放送されたのを録音していた。
そして気に入ればレコードを購入していた。

レコードを買いたくなることもあれば、
録音したものでいいや、と思うものもあるし、
消去して他の録音に使うこともあるのは、多くの人は同じだろう。

エアチェックしたものは、消すことができる。

Date: 10月 9th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(その11)

別冊FMfan 10号(1976年6月発売)に、「われらエア・チェック族」という記事がある。
瀬川先生を司会に、六人の読者による座談会だ。

以前書いているし、瀬川先生のリスニングルームの写真を見ている人は、
左右のスピーカーの中央にアンペックスのAG440B-2が置かれてあったことを記憶されているだろう。

瀬川先生は、このアンペックスのプロ用のオープンリールデッキで、主に何を録られていたのか。
アンペックスは据え置き型だから、これを外に持ち出して……ということは、まず考えられない。
やはりFM放送の録音なのか。

座談会の冒頭で、ひと頃、いっしょうけんめいにエアチェックをやっていたと発言されている。
     *
あとから聴いてみて、これだけは取っておきたいと思うのは、一年に十本あったかどうか、みたいな気がするわけです。だから、ただ録ってみるだけでは受け身な行為にすぎない。そこでただ単にパシッブなままでいるのか、それとも、よりアクティブな楽しみ方を見つけていくのか、恐らく皆さんは、そのステキな方向を見つけた方々だと思いますが、そこにどういう楽しみ方があるのか、話しているうちに、いろんな話題が出てくることと思います。
     *
FM放送の録音は、どうしてもパッシヴな行為に流れがちである。
どんなに音の良いチューナーを用意し、オープンリールデッキ、カセットデッキを揃え、さらにはアンテナにも十分な配慮をする──、
それでも、それだけではアクティヴな行為とは言いがたい。

そこになんらかの、その人なりの楽しみ方があってアクティヴな行為へとなっていくものだろう。

この座談会が行われた1976年は、ステレオサウンド 38号が出た年でもある。
38号にある瀬川先生のリスニングルームには、パイオニアのチューナーExclusive F3がある。
これでFM放送を受信されていたのだろう。

アンテナは……、というと、フィーダーアンテナだと、この座談会で白状されている。
そういえば菅野先生もフィーダーアンテナだということを、何かで読んでいる。

瀬川先生の当時の住居では、このアンテナでもマルチパスは少なく、感度も十分だったそうだ。
弁解にもなるけれども、とことわったうえで、アンテナは理屈通りにはいかないもので、
やってみてよければ、それでいいと発言されている。

Date: 7月 18th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(あるキャンペーンを知って・その5)

その1)で書いたように、あるキャンペーンとは、
ユキムが始めた学割キャンペーンのことである。

この学割を他社はどう見ているのか。

ドイツのウルトラゾーンの輸入元であるタイムロードも、学割キャンペーンを始めた。

ユキムはエラックとオーラオーディオが対象ブランドだった。
タイムロードはウルトラゾーンが対象ブランドである。

facebookにあるウルトラゾーンのページには、
《君たちの年頃に聴いた音楽は後々までずうっとこころに残るもの。だから、始めました。》
とある。

これには、少なからぬ人が頷かれるだろう。
10代のころに聴いた音楽が後々までずうっとこころに残るのであれば、
同じころにきいた「音」も後々までずうっとこころに残る──、
であれば、ユキム、タイムロードの学割キャンペーンは、ずうっと先を見てのキャンペーンなのかもしれない。

Date: 7月 18th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(ジーンズとオーディオ)

別項のためにステレオサウンド 52号の瀬川先生の文章を読み返して、
あのころは特にひっかかる箇所ではなかったところに、いまはひっかかる。

この箇所である。
     *
 70年代に入ってもしばらくは、実り少ない時代が続いたが、そのうちいつともなしに、アメリカで、ヴェトナム戦争後の新しい若い世代たちが、新しい感覚でオーディオ機器開発の意欲を燃やしはじめたことが、いろいろの形で日本にも伝わってきた。ただその新しい世代は、ロックロールからヒッピー文化をくぐり抜けた、いわゆるジーンズ族のカジュアルな世代であるだけに、彼らの作り出す新しい文化は、それがオーディオ製品であっても、かつてのたとえばマランツ7のパネル構成やその仕上げの、どこか抜き差しならない厳格な美しさといったものがほとんど感じられず、そういう製品で育ったわたくしのような世代の人間の目には、どこか粗野にさえ映って、そのまま受け入れる気持にはなりにくい。
     *
ステレオサウンド 45号にマーク・レヴィンソンのインタヴュー記事が載っている。
レヴィンソンはジーンズ姿だった。
スレッショルド、パスラボを設立したネルソン・パスもジーンズをはいているものばかり見ている。
彼らふたりだけではない、ジェームズ・ボンジョルノも当時はジーンズだった。

彼らは、確かに瀬川先生が指摘されているジーンズ族の世代にあたるし、
彼らより上の世代、マランツのソウル・B・マランツ、シドニー・スミス、
マッキントッシュのフランク・マッキントッシュ、ゴードン・ガウ、
この人たちの写真はいずれもスーツ姿だった。

彼らもジーンズは着用していたかもしれないが、
少なくとも取材で写真を撮られるときにはスーツである。

KEFのレイモンド・クックの印象は、つねにスーツである。
彼のジーンズ姿は浮んでこない。

いまの若い世代はジーンズをあまりはかない、とも聞く。
これが日本だけのことなのか、アメリカ、ヨーロッパの若い世代もそうなのか、
確かなことなのかどうかははっりきとしないけれど、
なんとなくそういう傾向があるのかな、という印象はある。

オーディオとジーンズ。これ以上のことは、いまのところ何も書けないけれど、
これからこのことに注意して見ていけば、もう少しなにか興味深いことが見つかるような気もする。

Date: 5月 19th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(あるキャンペーンを知って・その4)

32、65、29、46、49、45、37、29、43、22、36、20、40、38、24。
28、32、25、26、28、46、29、41、29、37、35。

上はコンポーネントステレオの世界 ’77に登場した架空の読者の年齢、
下は’78に登場した架空の読者の年齢設定である(記事の順番通りに並べている)。

若い設定だと、いまは感じる。
当時は当り前のように感じていたのに、である。

いまもしステレオサウンド編集部が、架空の読者の手紙から始まる組合せの別冊をつくったとししよう。
どんな年齢設定になるのかを考えてみると面白い。

Date: 5月 18th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(あるキャンペーンを知って・その3)

一昨日(16日)、中野で開催されていたヘッドフォン祭に行ってきた。
昨年秋に行っていたので、どんな様子かはだいたわかっていたけれど、
それでも今回は一階のエレベーターに乗る前に行列が出来ていた。
最後尾には、それを知らせる看板を持ったスタッフも立っていた。

昨年秋の時には、こんなふうではなかっただけに、少々驚いた(たまたま私が行った時間帯がそうだったのかも)。
今回はフロアーも増えている。それでもなかなかの混みようだった。
昨秋と同じことのくり返すことになるが、若い世代が圧倒的に多い。

このことはわかっていたけれど、今回はインターナショナルオーディオショウの来場者と比較してしまう。
今月初めに見たステレオサウンド・メディアガイドの年齢分布が頭にあったからだ。

インターナショナルオーディオショウの年齢分布は、ステレオサウンド・メディアガイドと一致する。
年齢層が高いし、若い世代は少ない。
ここだけみていると、オーディオは中高年以上が主体の趣味とうつる。
けれどヘッドフォン祭に行くと、その違いに改めて驚く。
来場者の年齢に関係するのかもしれないが、雰囲気が違う。
来ている人たちの楽しんでいる感じは、ヘッドフォン祭が上だ。

この違いは出展者の人たちは、私よりもずっと肌で感じているはずだ。
ステレオサウンドがステレオサウンド・メディアガイドに書かれている方向に邁進するのであれば、
期待できないと思っている出展者もいるのではないか。

今回印象に残ったのはあるメーカーのブースで、
30代と思われる人が、やや興奮気味に「これこそピュアオーディオだ!」と大きな声を出していたことだ。
何が彼を興奮させたのかはわからなかった。
彼の中でヘッドフォンでのオーディオとピュアオーディオは同じなのか、
そこが知りたいと思いつつ会場を後にした。

Date: 5月 2nd, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(あるキャンペーンを知って・その2)

ステレオサウンドの恒例企画となっているベストバイ。
昔は今と違い、評論家の選ぶベストバイコンポーネントだけでなく、
読者の選ぶベストバイコンポーネントも掲載されていた。

このころのステレオサウンドには毎号アンケートハガキがついていた。
ベストバイ特集号のひとつ前の号には、ベストバイコンポーネントの投票ハガキとなる。

ステレオサウンド 47号(1978年夏号)をみてみる。
年齢分布の棒グラフがある。

10〜15才:5%
16〜20才:15.7%
21〜25才:28.9%
26〜30才:29.4%
31〜35才:9.6%
36〜40才:5.7%
41〜45才:3.9%
46〜50才:1.9%
51〜55才:1.1%
56〜60才:0.5%
61才以上:0.2%
無記入:1.2%

この結果をみるかぎり、中心読者は若い世代といえる。
とはいえこの結果はベストバイコンポーネントに投票してきた読者であり、
ステレオサウンドがクライアント用につくったPDFとは調査方法も違うのだから、
このふたつの結果を照らし合せて、どれだけ正確なことがわかるのかはなんともいえない。

それでも若い世代の比率が減ってきていることはいえるのではないか。
47号はいまから37年前のステレオサウンドだから、
全体の約60%をしめる21〜30才の人たちは、いまでは58〜68才ということになり、
2014年の調査結果の年齢分布とほとんど一致している、とみることもできる。

少なくともどちらの結果もステレオサウンドの読者を対象としたものである。
やはり若い世代のオーディオマニアは減っているのか。
ステレオサウンドを読む若い人は減ってきていることだけは確かなようだ。

Date: 5月 2nd, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(あるキャンペーンを知って・その1)

エラック、オラクルの輸入元であるユキムが、学割キャンペーンをやっている。
対象となるブランドはエラックとオーラデザインであり、
高校生以上の学生ならば、指定されたオーディオ販売店では35%の割引がうけられる。
ヨドバシカメラ、ビックカメラなどの量販店では25%の割引+10%のポイント。

オーディオ専門店で買っても量販店で買っても、実質的に定価の65%で購入できるわけだから、
学生にとってはたいへんありがたいキャンペーンである。

しかも通信販売には適用されないというのも、いい点だと思う。
とにかくオーディオ専門店、量販店に足を運ぶ必要があるからだ。

この学割キャンペーンは4月1日から始まっているが、いつまでなのかはユキムサイトには表記されていない。
好評であれば長く続けてくれるのだろうか。
こゆユキムの学割キャンペーンがうまくいけば、同じことを始める輸入元も出てくることだってあろう。

ユキムが、なぜ学割キャンペーンを始めたのか、
その理由はわからない。
若いオーディオマニアが減っている・少ない、とはよく耳にするようになってた。
思うに、これから先細りしていくのを指をくわえてみているわけにはいかない。
少しでも積極的になんらかの手を打とうということなのか。

では、ほんとうに若いオーディオマニアは、昔よりも減っているのだろうか。
そのことを示すなんらかの調査結果がないのかと検索してみた。
そして見つけたのが、ステレオサウンドがクライアント(広告主)用につくったと思われるPDFだ。

このPDFのファイル名をみると、2014年4月の時点の資料と思われる。
この資料の読者プロフィールにある年齢構成比をみると、たしかに若い世代の比率はかなり低い。
30歳未満はわずか5%である。

Date: 1月 30th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(その10)

五味先生はFM放送の録音・再生以外の、どんなオープンリールデッキの使い方をされていたのか。
生録をやられていたとはきいていない。

五味先生はスチューダーのC37を買われるほど、
オープンリールデッキに対して熱心だった。

アナログプレーヤーでいえばC37はEMTの927Dstのような存在である。
五味先生は930stを愛用されていた。
927Dstがあるのもご存知だった。
その音は少なくともステレオサウンド 51号でのオーディオ巡礼で聴かれている。

それでもアナログプレーヤーを927Dstにされることはなかった。
けれどC37にはされている。

927Dstは大きすぎるから、は理由にはならない。
C37を買われているのだから。

五味先生が亡くなられてから一年以上が経ったころ、新潮文庫から「音楽巡礼」が出た。
あとがきに南口重治氏の文章がある。
その冒頭にこう書かれている。
     *
 五味康祐先生が亡くなられてはや一年余月日の過ぎるのは早いものだ。私と五味先生とのおつきあいは大半がオーディオを通してであった。この稿を書くに当たって、五味先生から送られてきた何本かのテープを聴いてみた。存命中はご自慢の器械で名曲のさわりの部分をいつも送って下さったのだが、テープのはじめには必ず「ナンコーさん」と、あの優しい声の呼びかけが入っているのである。その声を聞き、ケンプの演奏するベートーヴェンのピアノソナタ作品109番の第一楽章を聴いていると「どうですか、音の具合は……」といまにも姿を現されそうな気がした。お互いに、もっとオーディオ自慢をしたかったのにと思うと残念でならない。
     *
こういう使い方もされていたのか、と読んで思っていた。

オープンリールとはどこにも書いてないが、カセットテープではまずないはず。
音キチを自称されていた五味先生のことだから、19cmということはないだろう、
2トラック38cmで録音されたテープを南口氏に送られていたのだろうか。

Date: 1月 30th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(その9)

ステレオサウンド 49号の巻末のUsed Component Market(売買欄)に、
アンペックスのAG440B-2が出ていた。
実働250時間、完全オーバーホール、オプションの4トラック再生用ヘッドなどがついている。
希望価格は125万円で、連絡先はステレオサウンド編集部気付になっていた。

このアンペックスは、まちがいなく瀬川先生のアンペックスだと直感した。
欲しい、と思ったけれど、私はまだ16歳。
とうてい無理な金額である。

このころは瀬川先生がアンペックスを購入されたのがいつなのかわからなかった。
けれどその後、古いオーディオ雑誌で瀬川先生のリスニングルームが紹介されているのをみると、
かなり以前から所有されていたことがわかる。

けれど実働250時間ということは、瀬川先生はあまり使われていなかったことになる。

1970年代後半のステレオサウンドには、オープンリールのミュージックテープの広告が載っていた。
2トラック38cmのミュージックテープは一万円をこえていた。

LPはプレスで大量生産が可能だが、ミュージックテープはLPのように簡単に大量生産できるものではない。
基本的にはコピーなのだから。
高価になるのはわかっていた。

それでも魅力的なモノであれば欲しい、と思ったはずなのだが、
食指が動くモノはほとんどなかった。

それでもオープンリールデッキには、オーディオ機器としての魅力があったから、
欲しいと思っていたわけだが、これで録音するものはいったいなにになるのか、とも考えていた。

私は「五味オーディオ教室」でオーディオにどっぷりつかってしまった人間だから、
五味先生と同じように毎年バイロイト音楽祭を録音するようになるのだろうか、
あとはNHK-FMによるライヴ中継なのか。
どちらにしてもFM放送ということになる。

Date: 5月 26th, 2014
Cate: 世代

世代とオーディオ(コンプレッションドライバーの帯)

コーン型、ドーム型ユニットを使ったスピーカーシステムからオーディオをスタートしても、
心には「いつかは大型ホーンとドライバーを組み合わせて……」という気持があった。
マニアならば、一度はホーン型を使うもの、
言い方をかえればホーン型を使いこなしてこそ、一人前のマニアという空気が確実にあった。

そんな空気の実感できたのは私ぐらいの世代が最後なのかもしれない。
いまでは中途半端に頭でっかちの人たちは、ホーン型なんて……、と否定する、
そんな空気を感じることがある。

ここではホーン型なのか、それともダイレクトラジエーター型なのか、
どちらが優れているのかを論じるわけではない。

ここで書きたいのはコンプレッションドライバーの、いわゆる帯のことについて、である。

JBLのドライバーにしろ、アルテック、ガウス、ヴァイタヴォックスなどの海外のドライバーだけでなく、
コーラル、マクソニック、オンキョーなどの国産のドライバー、
アルニコマグネットを採用したドライバーなら、ドライバーの後方に帯がはいっている。
たいていは銀色の帯である。

この帯がなければコンプレッションドライバーは黒い鉄のかたまりであり、
帯がはいっていることで見映えもよくなる。

けれどいうまでもなく、この帯は装飾のための帯ではない。

ダイアフラムがドライバー後方にあるタイプ(バックプレッシャー型)のダイアフラムを交換したことのある人、
もしくはカットモデルを見たことのある人ならば、
この帯が磁気回路のプレートであり、必然的にできるものだということを知っている。

つまりダイアフラムのボイスコイルは、この位置にあるわけで、
外側からボイスコイルの位置がすぐにわかるようになっていて、
ユニットを組み合わせてスピーカーを構築していく人にとって、
この帯はユニットの位置合せの目安にもなっていた。

既製品のスピーカーシステムだけを使っている人にとっては、
こんなことは知っていたからといって役に立つわけではないから、
以前では知らない方が恥ずかしかったのに、
いまでは知らない人の方が時として堂々としていたりする。

Date: 4月 25th, 2014
Cate: 世代

世代とオーディオ(JBL 4301・その12)

一般的にセパレートアンプはプリメインアンプの上位に位置づけされる。
あるメーカーのプリメインアンプのトップ機種とセパレートアンプのトップ機種とでは、まず価格が違う。
当然も音も違うわけで、信用できるメーカーのモノであれば、セパレートアンプの方が、いい音といえる。

それでもセパレートアンプはプリメインアンプよりも、すべての面で音がいい、といえるのだろうか。

瀬川先生がこんなことを書かれている。
JBLのプリメインアンプSA600を初めて聴かれたときのことについて、である。
     *
結局、SA600ではなく、セパレートのSG520+SE400Sが、私の家に収まることになり、さすがにセパレートだけのことはあって、プリメインよりも一段と音の深みと味わいに優れていたが、反面、SA600には、回路が簡潔であるための音の良さもあったように、今になって思う。
(ステレオサウンド別冊「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」巻頭の「いま、いい音のアンプがほしい」より)
     *
これはそうだと思う。
SG520+SE400Sのペアと、SA600を直接比較試聴したことはないけれど、
優れたプリメインアンプであればあるほど、セパレートアンプでは感じとりにくい音の良さがあるものだ。

もっとも瀬川先生がSA600を聴かれた時代はアナログディスクがメインのプログラムソースの時代であった。
CDはまだ登場していない。
つまりフォノイコライザーを必要とするシステムにおいて、の話である。

いまはCDしか聴かないのであれば、コントロールアンプを使わないということも選択できる。
コントロールアンプが不要なのか、それとも必要なのかは、ここで触れると大きく脱線してしまう。
だが、この時代はフォノイコライザーが絶対に必要不可欠であり、
コントロールアンプもまたそうであった時代の話である。

Date: 4月 17th, 2014
Cate: 世代

世代とオーディオ(JBL 4301・その11)

プリ・メイン分離機能がいつから、どのメーカーのどのアンプから始まったのかは正確には知らない。
ただ私がオーディオに興味を持ち始めたころ(1976年)には、この機能をもつアンプが登場していた。
そして、この時代は安価なセパレートアンプも、各メーカーから登場しはじめていた時期でもある。

安価なセパレートアンプは安易なセパレートアンプとも批判されていた。
コントロールアンプとパワーアンプをあわせて10万円程度の製品が登場していた。
こうなると同価格のプリメインアンプと比較して、なんらかのメリットがあるといえるのか。

筐体をひとつにまとめるのとふたつにわけるのとでは、コストのかかり方が違う。
ひとつにまとめた方がコスト的には有利であり、10万円前後の価格であれば、
セパレートアンプよりもプリメインアンプの方が音質的には有利といえる。

つまり安価なセパレートアンプは、ひとつのブームであり、それに乗っかったメーカーが出してきたものだった。

こういう意見を当時の私は読んできていたから、
安価なセパレートアンプにはほとんど興味はなかったし、
安価なセパレートアンプを買うくらいなら、きちんとつくられたプリメインアンプ、
セパレートアンプにするのならば、それなりの予算が用意できてから、と思っていた。

だからプリメインアンプのプリ・メイン分離機能には、当時はいい印象ももてずにいた。
プリ・メイン分離機能は、潔くない面も感じる、と意見もある。
私も当時はそう感じていた。

だが本当にプリ・メイン分離機能は潔くないものなのか。