Date: 10月 11th, 2015
Cate: 世代
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世代とオーディオ(その13)

聴きたいと思ったレコードを自由に買えるのであれば、
レコードによる放送を録音する必要はなかったし、ライヴ録音ものばかりを録音していたことだろう。

それにそれだけの経済的余裕があれば、テープを使いまわしすることもない。
録音したものは、気に入ったものだけでなく、そうでないものも消さずに置いておける。

カセットテープでも本数が増えると収納について悩むけれど、
オープンリールテープは、もっと嵩張る。
そのためにしかたなく消去ということをやっていた人もいるはずだ。

そして消した後に後悔することもあったはずだ。

そのことについて座談会で瀬川先生は語られている。
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二年とか四年とかのサイクルなら消してもなんとも思わないけれど、十年経ってあの時消さなければよかったなァというのは必ず出てくる。一度録ったものを、繰り返して聴くということの意味は、そういう所にも出てくるんで、その時になっても、よかったなァと思うのが本物ということですね。
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そうだと思うし、さらに二十年、三十年、さらにもっと経つと、ここに変化が出てくる。
このへんのことについても語られている。
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 最後に一つ、お話しておきたいのは、この前、「週刊朝日」だったかで明治時代の写真を日本中から集めたことがありましたよね。
 要するに、家の中に眠っている写真を何でもいいから、日本中から集めて。そうしたら、しまっていた人でさえ気がつかなかったようなすばらしい資料がたくさん集まったわけですね。
 今エア・チェックでやっていることって言うのはそれに似ていると思うんですよ。一人一人は何気なく自分が聴きたいから、あるいは、そういう意志もなしに、習慣でテープのボタンを押してしまって、録っちゃったみたいなこともある。これだけFM放送がはんらんしてくると、それぞれ、みんな録る番組が違うと思うんですよ。しかし、どこかにみんな焦点が合っている。これから十年、二十年たって、あるいは五十年くらいたって、かつてこんな番組があったのか、誰かこれ持ってないかなと言うときに、ちゃんと残っていたら、これは大変な資料になると思うんです。
 エア・チェックには楽しさの他に、そうした意義があると思う。そこに、エア・チェックのスゴサみたいなものをぼくは強く感じるわけです。
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ここでの瀬川先生の発言は、当時の人よりもいまの人たちのほうが強く実感できているはずだ。

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