Archive for category ディスク/ブック

Date: 3月 17th, 2019
Cate: ディスク/ブック

THE DREAMING(その5)

早とちりしないでほしいのだが、
ケイト・ブッシュの“THE DREAMING”を聴くのに、アルテックのスピーカーが最適だとは思っていない。

3月6日のaudio wednesdayでの“THE DREAMING”に点数をつけるとすれば、
60点くらいだと自分では思っている。

厳しい点数をつけようとは思っていないし、
“THE DREAMING”をこれまで鳴らしてきての感覚からいえば、
まだまだ、というのが本音である。

アルテックのスピーカーの特質と、
“THE DREAMING”の世界(私が勝手に求めている世界)とには、ズレを感じなくもない。

それでも60点の“THE DREAMING”は、聴いていて楽しかった。
最初から最後の曲まで、数曲飛ばしたけれど、かけていた。

うんざりしたり、退屈する人も出てくるかもしれない、と思いつつも、
鳴らしたいディスクは、こんなふうに鳴らしたい。

鳴らし終って、誰かがぼそっと「かっこよかった」といってくれた。
嬉しい一言である。

ケイト・ブッシュの“THE DREAMING”はを、そういうふうに受け止めてくれたのが嬉しいし、
結局、自慢話、自惚れやろうかよ、といわれても、
3月6日の“THE DREAMING”の音(つまり私が鳴らした音)も、ある程度はかっこよかった、と思っている。

久しぶりに“THE DREAMING”を、ほぼ通しで聴いた。
“THE DREAMING”は愛聴盤だったのかは、いまでもなんともいえないが、
“THE DREAMING”は、私にとって(こんな表現は使いたくないが)青春の一枚だった。

Date: 3月 16th, 2019
Cate: ディスク/ブック

un pugno di stelle

オルネッラ・ヴァノーニ(Ornella Vanoni)というイタリアの女性歌手を知ったのは、
ステレオサウンド 47号掲載の「イタリア音楽の魅力」であった。
黒田恭一、坂清也、河合秀朋(キングレコード第二制作室プロデューサー)三氏の座談会で、
この記事がきっかけで、オルネッラ・ヴァノーニを聴くようになった。
(オルネラ・ヴァノーニが、日本では一般的な表記だが、
黒田先生はオルネッラ・ヴァノーニとされていたので、ここてもそれに倣う。)

といっても熱心に聴いていたとは、とうていいえない聴き方だった。
気まぐれに、レコード店で、ふとオルネッラ・ヴァノーニの名前を思い出しては探し、
その店にたまたまオルネッラ・ヴァノーニのレコードがあったならば手にして、
買おうかどうか迷って買うこともあったし、そうでないこともあった。

2000年をこえたころに、数枚まとめてCDを買ったこともある。
オルネッラ・ヴァノーニは、1934年生れ。

黒田先生はオルネッラ・ヴァノーニがお好きだった。
ステレオサウンド別冊High-Technic Seriesの三冊目、
トゥイーターの号でも、巻末にオルネッラ・ヴァノーニのレコードを、
トゥイーターの比較試聴に向いている、ということで、
それもあくまでもオルネッラ・ヴァノーニが好きだから、ということで挙げられていた。

黒田先生によると、オルネッラ・ヴァノーニは一度も来日していない。
黒田先生はオルネッラ・ヴァノーニのコンサートを聴いてみたい、とも書かれていた。

一度NHKでオルネッラ・ヴァノーニのイタリアでのコンサートを録画したものが放送された。
私は見ていないのだが、そこではオルネッラ・ヴァノーニの歌のところでは、
字幕が省かれていた、そうだ。

そんな NHKのやり方を、黒田先生は、無謀で投げやりで、愛情のない所業とまで、
何かか書かれていたのを読んだ記憶がある。

大好きなオルネッラ・ヴァノーニが、粗雑に扱われていたように感じ、腹が立った、とも。

私は黒田先生ほど、オルネッラ・ヴァノーニの歌を好きにはなれなかった。
それでもふと聴きたくなることはある。

さきほど、特にきっかけらしいことはなかったのに、
そういえばオルネッラ・ヴァノーニは? と思った。
もう亡くなっているのかも……、と思いながら検索してみたら、
なんといまだ現役の歌手である。

2018年2月には新譜も出ている。
“un pugno di stelle“である。
直訳すれば、一握りの星である。

聴いてみたい。
同じイタリアの歌手でも、ミルバとオルネッラ・ヴァノーニとでは歌い方が大きく違う。
ミルバのように熱唱することは、オルネッラ・ヴァノーニはない。
かといって情感を込めて、という歌い方でもない。

だから、私はのめり込んで聴くようにはならなかったともいえるのだが、
それでも聴いてみたい、とおもわせるオルネッラ・ヴァノーニである。

Date: 3月 15th, 2019
Cate: ディスク/ブック

THE DREAMING(その4)

だからといって10cmのフルレンジに戻すのは、
オーディオマニアとして癪である。

それに“THE DREAMING”においても、
スタティックの印象が残っている点を除けば、SL600で聴く方をとる。

それでもSL600をThe Goldで鳴らしたときの音を想像しながら、
“THE DREAMING”を10cmフルレンジで聴いていた。
そこで期待は、どうしても膨らんでいく。

膨らんでいったからこその少々の期待外れなのかも……、と思い込もうとした。
それでも10cmフルレンジの音は、強く耳に残っていた。

もう一度10cmフルレンジにして、徹底的に比較試聴することはしなかった。
あくまでもSL600のままで、10cmフルレンジで感じた良さも鳴らしていきたい。

そこから先は、けっこういろんなことをやった。
ずいぶんと音は変っていった。
けれど、スタティックな印象は,どこかに残っている。

これはもう録音に起因するものだ──、
そう思い込めればシアワセなのだが、10cmフルレンジの音をすでに聴いている。

2019年3月6日、
audio wednesdayではじめてケイト・ブッシュをかけた。
まったく鳴らしてこなかったわけではない。
ピーター・ガブリエルの”Don’t Give Up”は鳴らしている。

”Don’t Give Up”でケイト・ブッシュの歌声は聴いていた。
それ以上、ケイト・ブッシュをかけようとは、まだ思わなかった。

ここにきて、ようやく鳴らしてみようか、という気がおきてきていた。
2018年にはリマスター盤が登場した。

期待は半分という気持で、喫茶茶会記のアルテックで“THE DREAMING”を鳴らした。
そこで鳴っていた音を聴いて、
以前どうしても払拭できなかったスタティックな印象(スタティックなアクセント)が、
もうそこにはまったくといっていいほど感じなかった。

そういえば10cmのフルレンジもアルテックだった。

Date: 3月 15th, 2019
Cate: ディスク/ブック

THE DREAMING(その3)

The Goldを購入したころに鳴らしていたスピーカーは、セレッションのSL600だった。
いくら分解クリーニングをしたとはいえ、いきなりSL600を接ぐ度胸はなかった。

まずはこわれてもいい、と思えるスピーカーを接いで鳴らした。
10cm口径のフルレンジである。
とにかくこのスピーカーで一週間、まったく不安を感じさせない動作と音であれば、
SL600を鳴らそう、と決めた。

凝ったエンクロージュアに入っていたわけではないし、
床に直置きで鳴らした小口径のフルレンジからは、
やっぱり The Goldと思える音が鳴ってきた。

高価でもないフルレンジがよく鳴る。
こんなにも鳴ってくれるのか、と思えるほどに鳴ってくれた。

二時間ほど聴いて、SL600にしたかった。
けれど我慢した。
三日ほど聴いて、ますますSl600にしたかった。
それでも我慢した。

とにかく一週間は様子をみようと決めたのだから。

五日あたりで“THE DREAMING”をかけてみた。
ここでまた驚いた。
こんなふうに鳴るのか、という驚きがあった。

ここでSL600にしようと、そうとうに心が動いた。
もう五日間、安定して鳴っている。

ここでSL600にしても、何の問題も発生しないはず。
それでも我慢して、六日目も“THE DREAMING”を聴いて、
七日目も“THE DREAMING”を聴いて、
ようやく八日目にSL600に接ぎかえた。

期待以上の音でSL600は鳴ってくれた。
数枚のディスクをかけてから、“THE DREAMING”をかける。

こちらの期待は、かなり大きくなっている。
10cmのフルレンジで、あれだけ鳴ってくれたのだから──、という期待があった。

SL600のほうが、10cmフルレンジよりもほぼすべての点でよかった。
けれど“THE DREAMING”では、
10cmフルレンジではスタティックな印象が消えてしまっていたのに、
SL600では残っている。

完全に払拭されていたわけではなかった。
これには少々落ち込んだ。

Date: 3月 15th, 2019
Cate: ディスク/ブック

THE DREAMING(その2)

20代のころ、
私のオーディオはケイト・ブッシュの“THE DREAMING”をどう鳴らすかが、
大きなテーマの一つとして、ずっとあった。

LPが発売されたとき、イギリス盤の他にも日本盤も買っている。
音の点ではイギリス盤なのだが、
どうしても日本語訳が欲しくて、日本盤も買っていた。

イギリス盤の“THE DREAMING”を聴いての不満は、
日本盤で解消されることはなかった(当り前のことだが)。

CDが登場してからも、三枚ほど買っている。
リマスターとか、そういうことではなく、
当時ヨーロッパのCDは入荷時期によってプレス工場が違っていることが多かった。

“THE DREAMING”も最初に買ったCDは西ドイツプレス、
二枚目と三枚目はイギリスプレスだったが、工場が違っていた。

それぞれに音の違いは、確かにある。
それでもスタティックな印象は,常にあった。

ならば、そういうものだと諦められるといいのだが、
オーディオのおもしろい、そして不思議なことは、
意外なところで、そうでない音を聴かせてくれることがある。

“THE DREAMING”に関しても、そういえることがあった。
1985年12月、SUMOのTHE Goldの中古を、秋葉原で見つけた。

欲しい、と思っていたアンプだっただけに、その場で購入を決めた。
とはいえ、THE Gold(にかぎらずボン所る設計のアンプ)は、
故障率200%と冗談めいて語られていた。

そういうアンプだから、The Goldが届いてまずやったことは、
分解して、各部のクリーニングだった。

プリント基板も、パワートランジスターを固定しているネジまで、
クリーニングできるところはすべてやった。
そして組み立てての音出しである。

Date: 3月 10th, 2019
Cate: ディスク/ブック

知識人とは何か(その2)

エドワード・W・サイードの「知識人とは何か」を読み終えたわけではない。

第三章の「専門家とアマチュア」は読み終えている。
この章に、こうある。
     *
 では、知識人にかかる圧力は、今日、どのようなかたちで存在しているのだろうか。そしてそれは、わたしが専門主義(プロフェッショナリズム)と呼んだものとどのようにかかわるのだろうか。ここで論じてみたいのは、知識人の独創性と意志とを脅かすかに思われる四つの圧力である。これら四つの圧力のうち、どれひとつとして特定の社会にしかみられないというものはない。どれも、あらゆる社会に蔓延しているのだが、その蔓延ぶりにもかかわらず、そうした圧力にゆさぶりをかけることはできる。そのようなゆさぶりをかけるもの、それをわたしはアマチュア主義(アマチュアリズム)と呼ぼう。アマチュアリズムとは、専門家のように利益や褒賞によって動かされるのではなく、愛好精神と抑えがたい興味によって衝き動かされ、より大きな俯瞰図を手に入れたり、境界や障害を乗り越えてさまざまなつながりをつけたり、また、特定の専門分野にしばられずに専門職という制限から自由になって観念や価値を追求することをいう。
     *
エドワード・W・サイードのいう四つの圧力については、ここでは引用しない。
ぜひ「知識人とは何か」を手にとってほしい。

ここで考えていきたいのは、サイードのいうところのアマチュア主義についてである。

Date: 3月 10th, 2019
Cate: ディスク/ブック

Cinema Songs(その4)

四時間における変化要素はいくつもある。
アンプやCDプレーヤーのウォーミングアップのこともあるし、
スピーカーに関しても、少々意味あいが違うが、やはりウォーミングアップといえることはある。

特に喫茶茶会記のスピーカーのように、
私を含めて、複数の人が鳴らしているスピーカーでは、
前に鳴らしていた人の癖のようなものを払拭するという意味でも、
ある一定の時間は必要となる。

たいてい18時ごろから音を鳴らしはじめる。
三時間後、21時すぎあたりからの音が、鳴りはじめてきたな、と感じられる音である。

だから最初にかけていたディスクは、21時すぎにもう一度かけるようにしている。
「Cinema Songs」も、もう22時近かったけれど、もう一度鳴らした。

「Cinema Songs」には、
ボーナストラックとして12曲目に「セーラー服と機関銃 Anniversary Version」が収められている。
1981年の、この歌を、当時はそれほどいい歌とは感じてなかった。
ヒットした曲だから、一番の歌詞は記憶していた。

二番、三番の歌詞はそのころはほとんど知らなかった。
二番、三番の歌詞まで、つまり「セーラー服と機関銃」という歌を最後まで聴いたのは、
それほど昔のことではない。

20年ほど前に、薬師丸ひろ子の歌が無性に聴きたくなった。
新品で買ったもの、中古で買ったもの、
薬師丸ひろ子のCDを揃えた。
そのとき初めて「セーラー服と機関銃」を最後まで聴いた。

三番の歌詞、
 スーツケース いっぱいにつめこんだ
 希望という名の重い荷物を
 君は軽々と きっと持ちあげて
 笑顔見せるだろう

ここまで聴いて、いい歌だなぁ、と思った。
三番の、ここのところは聴くだけでなく口ずさむこともある。

重い荷物を、実際の重たさ以上に重たそうにもつ人が少なくない。
そういう人が少なくないように、昨今は特に感じる。

そういう人は笑顔を見せない、しんどそうな顔をする。

Date: 3月 9th, 2019
Cate: ディスク/ブック

Cinema Songs(その3)

黒田先生は、
《薬師丸ひろ子の決して押しつけがましくもならない、楚々とした声と楚々としたうたいぶり》
と以前、ステレオサウンド 80号にそう書かれていた。

先日のaudio wednesdayで最初に鳴ってきた音は、
とうてい楚々とした声とはいい難かった。

こういう時は、きちんとセッティングをやっていき、
そのあいだ「Cinema Songs」を鳴らしつづけていた。

18時くらいに鳴らしはじめ、
なんとか19時くらいには、薬師丸ひろ子らしい特徴が聴きとれる程度にはなっていた。

今回は「Cinema Songs」だった。
毎回、そういうわけではない。
前回はクルレンツィスのマーラーの交響曲第六番だったり、
「THE DIALOGUE」だったりする。

そんなわけでCDプレーヤーのなかに「Cinema Songs」が入っていたから、
19時からの開始にも、そのまま鳴らしつづけた。

毎回こんなことをやっているけれど、その度に思っているのは、
18時から19時までの音の変化は、けっして小さくない。
この一時間の音の変化を聴いていれば──、ということだ。

仕事の関係で19時すぎにならないと来れない人は仕方ないけれど、
早く来られるのであれば、この時間帯の音の変化を聴かないのはもったいない。

鳴り始めの音は、それほどいいわけではない。
そんな音は聴きたくない──、のであれば、仕方ない。
それはそれでいい。

けれど、私がaudio wednesdayで聴き取ってほしい、と思っているのは、
約四時間のなかでの音の変化である。

19時以前に、すべてのセッティングをすませておくことはできる。
けれど毎回、いくつかを残して、四時間のうちに何度か音を変えていっている。
それは音の変化を聴き取ってほしいからである。

Date: 3月 9th, 2019
Cate: ディスク/ブック

Cinema Songs(その2)

薬師丸ひろ子の「Cinema Songs」を、6日のaudio wednesdayでもかけた。

愛聴盤かととわれれば、言葉をちょっと濁すけれど、
薬師丸ひろ子の声を歌を、無性に聴きたくなる時期が私には、これまでにも何度かある。

いまも、聴きたい時期かも、と思っている。

先日のaudio wednesdayでは、「Cinema Songs」から始めた。

喫茶茶会記のアルテックを中心としたシステムを、
私が鳴らすのは毎月第一水曜日の約四時間だけである。

あとは店主の福地さん、
それからイベントで鳴らす(使う)人たちである。

けっこういろんな鳴らされ方をされている、ようだ。
それから音を鳴らすイベントばかりでなく、スピーカーをジャマモノとする人たちもいるから、
毎回、スピーカーの状態は違っている。

ひどい鳴らされ方をされたなぁ、と感じることもある。
結線をして音を出した瞬間に、なんなとなくそれはわかるものだ。

今回は、結線が終ってからの最初の一枚を「Cinema Songs」にした。
特に理由があってのことではなく、なんとなく手が伸びたくらいが理由である。

鳴ってきた薬師丸ひろ子の歌を聴いて、今回もかぁ……、と思っていた。
このときはまだセッティングの作業が残っているから、
椅子に座って聴いているわけではない。

それにアンプもCDプレーヤーも電源を入れたばかりだから、
鳴らしながらセッティングをきちんとしていく。

スピーカーの位置も、それにあわせて少しずつ変えている。
大きく動かすわけではないが、実のところ、毎回スピーカーの置き場所は数cmずつ変えている。

Date: 3月 8th, 2019
Cate: Kate Bush, ディスク/ブック

THE DREAMING(その1)

ケイト・ブッシュのアルバムで、強い印象をうけたのは、
やはりデビューアルバムの“THE KICK INSIDE”、
そして“THE DREAMING”である。

“THE KICK INSIDE”を初めて聴いたのは、FMだった。
衝撃だった。

背中に電気が走った、という表現があるが、
“THE KICK INSIDE”を聴いたときが、まさしくそうだった。

ケイト・ブッシュの四枚目の“THE DREAMING”が出た時、東京で暮していた。
同じころ、バルバラの“Seule”で出ていた。

“THE DREAMING”は、“THE KICK INSIDE”以上に、
“THE KICK INSIDE”とは違った衝撃を受けた。

バルバラの“Seule”とケイト・ブッシュの“THE DREAMING”。
どちらも重く、聴き手のこちらにのしかかってくるような感じも受けた。

ひたひたと何かが迫ってくる、とも感じた。
この二枚が、これから先、愛聴盤になっていくのだろうか、とも思っていた。

東京では独り暮しの始まりでもあった。
そのことも、そう感じたことと無関係ではない、といまでは思う。

“THE DREAMING”は、72トラック録音だといわれた。
36トラックのマルチトラックレコーダーを二台シンクロさせての録音である。
当時としては最大数のトラックだったはずだ。
厳密には同期用にトラックが使われているので、
72トラックすべてに録音されているわけではない。

にしても、すごい録音だと感じた。
“THE DREAMING”が発売になって、どのくらい経っただろうか、
ケイト・ブッシュが精神病院に通っている(入院している)というウワサが出た。

そもありなん、と思える録音であった。
事実は、セラピーに通っていた、ということだった。

これだけの録音を仕上げるのは、そうとうにしんどい作業であったはずだ。
“THE DREAMING”はアナログ録音である。

トラックダウン作業の実際を知りたい、とそのころ思っていた。
“THE DREAMING”は、すごく凝った録音なのは聴けばすぐにわかる。

けれど、これだけのものを作り上げるために、どれだけの作業工程が必要だったのか。
“THE DREAMING”は、どう鳴らしてもスタティックな印象がついてまわる。

もっと躍動的に鳴らないのか──、そう感じてもいた。

Date: 3月 8th, 2019
Cate: ディスク/ブック

知識人とは何か(その1)

買っただけで、ロクに読んでいない本がある。
そんな一冊がエドワード・W・サイードの「知識人とは何か」だ。

「知識人とは何か」を思い出したように読み出した。
理由は、最近のインターネット上でのMQAをめぐる論争(とはいえないけれど)である。

facebookにあった、MQAをほぼ全否定している人がいる、という投稿、
この投稿にはいくつかコメントがついていた。

そのなかに、ある人のコメントがあった。
その人の名前と写真を見た瞬間、またこの人か、と少々うんざりした。
きっと荒れるな、コメント欄が……、そうも思った。

その人とは面識はないし、facebookでもつながっていない。
けれどオーディオの、特にデジタル関係のことが話題になっていると、
この人が登場(私にいわせれば出しゃばってくる)する率が高くなる。

この人がコメントに登場すると、その場で読むのをやめることも少なくない。
今回はMQAのことが話題だったから、最後まで読んだ。

読んでいて、いつものパターンのくり返しだ、と思っていた。
どういう人なのか、詳しく書くのは控えたい。
書けば書くほど、こちらがイヤな気持になるからだ。

それでも、こんなことを書いているのは、
この人は専門家なのか、という疑問が、いつも湧くからだ。

本人はオーディオの、さらにはデジタルの専門家だと自負しているように感じる。
そんな自負が、この人のコメントの端々にあらわれているし、
この人特有の言い方になっている。

私には、逆木 一氏のMQAのほぼ全否定の文章よりも、
この人のコメントのありようのほうが、より根深いものを感じてしまった。

しかも、この人に同調・同意する人も少なくない(この人もMQAほぼ全否定側の人だ)。
もちろん、さまざまな意見があってしかるべきであるのはわかっている。

それでも、この人たちは、自分たちだけは真実がわかっている──、
そう思い込んでいるところが節々に感じられる。

だからこそ、この人とその周辺の人たちは、
論争・議論に勝ち負けを持ち込む。

この人も、逆木 一氏も、専門家なのか、と思う。
そう思うとともに、そういえばと思い出したのが、
サイードの「知識人とは何か」に「専門家とアマチュア」という章があったことだ。

Date: 2月 13th, 2019
Cate: Wilhelm Backhaus, ディスク/ブック

バックハウスのベートーヴェン ピアノ・ソナタ全集

バックハウスは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタを二回録音している。
4月に二回目の録音が、シングルレイヤーのSACDで出る。
(29番のみ二回目の録音は未了のため、一回目のモノーラル録音が使われている)

今年はバックハウス没後50年、デッカ創立90周年ということでの限定発売のようだ。

バックハウスのベートーヴェンがSACDで聴ける日が来るとは、まったく期待していなかった。
私が20代前半のころ、
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集はいくつかあった。
バックハウスのがあったし、
グルダ、アシュケナージ、ブレンデル、シュナーベル、ナットなどの全集があった。

シュナーベルの録音はかなり古い。
ナットの録音は、シュナーベルほど古くはないがモノーラルだった。

ステレオ録音となると、バックハウスによる全集が、
そのころの私には輝いて見えていた。

いつかはバックハウスの全集を……、そう思いつづけていた日がある。
なのに、なぜか買うことはなかった。

もちろんバックハウスのベートーヴェンの後期のソナタに関しては買った。
けれど全集となると、CDではそれほど高価でもなかったにもかかわらず、手が伸びなかった。

今回のSACD全集を逃してしまえば、
バックハウスの演奏でベートーヴェンのソナタをすべて聴くことはなかろう。
今回の最後の機会だとおもっている。

これまで頻繁に聴いてきた、とはいえないが、
それでも20代のころから聴いてきているのが、
バックハウスによるベートーヴェンの後期のソナタである。

それでもひさしく聴いていない。
だからこそおもうところがある。

Date: 1月 22nd, 2019
Cate: ディスク/ブック

CALLAS IN CONCERT THE HOLOGRAM TOUR(その2)

音楽の理解(オーディオマニアとして・その4)」を書いていて、ふと思った。

マリア・カラスのホログラムコンサートでの、
ステージ上のマリア・カラスは、どちらなのだろうか、と。

再現されたマリア・カラスなのか、
出現するマリア・カラスなのか。

そのステージを観て、どう感じるのだろうか。

Date: 1月 14th, 2019
Cate: ディスク/ブック

ブラームス 弦楽六重奏曲第一番 第二番(その2)

ラルキブデッリの録音は、ヴィヴァルテというレーベルから出ている。
このレーベルは、ソニークラシカルのオリジナル楽器専門のレーベルである。
ゆえに中世から古典派あたりまでをおもに録音している。

ヴィヴァルテの、すべての録音のプロデューサーは、ヴォルフ・エリクソンである。

クラシック音楽好きで、録音にも関心が高い人ならば、
ヴォルフ・エリクソンの名前はどこかで見たり聞いてたりしていよう。

ヴォルフ・エリクソンは、テルデック、セオン、そしてヴィヴァルテと、
つねにオリジナル楽器による演奏を録音しつづけてきている。

ラルキブデッリのCDを買ってみようかな、と思ったのも、
それがヴィヴァルテの録音であり、ヴォルフ・エリクソンによる録音だからである。
ただ、(その1)でも書いたように、
ヴィヴァルテからは、ラルキブデッリ以外の録音も当然出ている。

でも、ラルキブデッリを選んだ理由は、いまでははっきりと思い出せないし、
なんとなく選んだのだろうか。

そんな、どこか不純な好奇心から手にしたのが、ラルキブデッリのディスクであり、
モーツァルト、シューベルト、それにブラームスだった。

モーツァルトのディスクから聴いた。
次にシューベルトを聴いた。
日をおいて、ブラームスを聴いた。

ブラームスの弦楽六重奏曲ということだけでなく、
そのジャケットも好みではなかったこともあって、あとにしていた。
どんなジャケットなのかは、検索してみてほしい。

こういうジャケットが嫌い、というより、苦手である。
若いころはそうでもなかったのだが、十数年ほど前から新緑の季節になると、
植物の、その勢いにたじろぐおもいをするようになった。

濃い、というよりも、こちらが歳をとったせいなのであろう、
あまりにも青々しくて(緑が濃すぎて)、なにか植物に侵略されるのではないか、
そんな気分にすらなるし、
ラルキブデッリのブラームスのジャケットも、それに近い。

でも、聴けば、なぜ、このジャケットなのか、も理解できる。
好きにはなれないけれど。

Date: 1月 7th, 2019
Cate: ディスク/ブック

CALLAS IN CONCERT THE HOLOGRAM TOUR(その1)

CALLAS IN CONCERT THE HOLOGRAM TOUR
昨年秋に出たCDであり、
タイトルからわかるように、マリア・カラスのホログラムコンサートのCDである。

BASE HOLOGRAM社の技術によるマリア・カラスのホログラムコンサート。
昨年秋から全世界ツアーが始まっている。

日本でも予定されているそうで、2019年初頭という話だったが、
検索してみても、具体的な日程はどこにもない。

BASE HOLOGRAM社のウェブサイトには、マリア・カラスのページがある。
2月と3月の予定が公開されているが、現時点で日本公演は含まれていない。

日本でほんとうにやるのかどうかも、すこしばかりあやしい気もするけれど、
それにホログラムコンサートでのカラスの歌声は、
EMIに残した録音からカラスの声のみを抽出して、オーケストラとの協演である。

そういうものを観に行く価値はあるのか、と思わないでもないが、
行きたいという気持も、けっこう強い。