Date: 10月 25th, 2018
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現代日本歌曲選集 日本の心を唄う

菅野先生の「音楽と確実に結びつくオーディオの喜び」の全文である。
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「レコード芸術の原点からの発言」と題されたこの欄には必ずしも適当ではないかもしれぬが、私が制作したレコードで、あまりにも印象強く感動的であった録音について書かせていただきたいと思う。それは、この三月に録音した歌のレコードである。私が今までに制作してきたレコードは全て器楽曲ばかりであって、歌のレコードは皆無といってよい。昔、会社務めをしていた頃は、仕事の選り好みができず、歌を録音する機会もあったが、自分で独立してレコード制作を始めてからは、一枚も歌のレコードをつくった事がないのである。決して歌が嫌いだというのではない。ただ、私の身近に録音したいという意欲の起きる声楽家がいないというだけの事かもしれぬ。それにもう一つ、私は制作するならば日本の歌曲のレコードをつくりたかったという気持も強い。器楽とちがって、歌はあまりにも直接的に人間的でありすぎる。だから、私はどうしても、日本人が外国語で歌う歌に心底から聴き入ることができないのである。
 それやこれやで、今まで、歌のレコードを制作する機会がないままに過ぎてしまったのだが、この三月に録音したレコードというのは、日本の声楽界の大家、柳兼子先生の日本の歌曲集である。幸いにも私は、今から七〜八年前に、柳先生の演奏会を聴かせていただいたことがあり、そのとき、既に七十歳をはるかに越えた先生の歌の表現の深さに大きな感動をおぼえた記憶がある。先生は今年五月で八十三歳になられるが、高齢の先生の歌をお弟子さんたちが集まってレコードとして残したいというお話があり、その録音のご依頼を受けたのが、このレコード制作のきっかけとなった。
 私は、即座に、過去の先生の演奏会での感激を思い出し、録音のご依頼をお受けするだけではなく、このレコードを、プライベート・レコードとしてではなく、広く一般の方々にも聴いていただくべく、オーディオ・ラボから発売する形にしたいと考えた。先生のLPが一枚もないことは不思議と思えるほどだが、一八九二年生まれの先生のことを知る若いレコード制作者もそういないのかもしれないし、たいへん失礼ながら八十三歳というご高齢からして、業界ではレコード録音ということは夢にも考えられなかったのかもしれぬ。かくいう私とて、もし、あの時、先生のリサイタルを聴いていなかったら、進んでレコードを制作発売しようという気にはなれなかったろうと思う。ふとした偶然に、先生のリサイタルに足を運んだ幸運に感謝したものである。
 当初、録音は二月に予定されたのだが、冬の風邪を召され、一ヶ月録音予定を遅らせたが、先生は全快とまでいかないが、歌いましょうということになった。録音当日までの私の不安と期待は大変複雑なものであったが、朝の十時半頃、録音を開始した途端、私は期待の満たされた喜びに大きく胸をふくらませたのであった。LP一枚分、実に二十八曲もの歌を、先生は一回で録音されてしまった。それも、勿論、立ちっぱなしで……。伴奏ピアノは私が最も敬愛する小林道夫氏にお願いしたが、先生にはもっと日頃馴れたパートナーがおられただろうけれど、私としては、どうしても小林氏に弾いていただきたかったのであった。信時潔の歌曲集「沙羅」、「古歌二十五首」より五曲、「静夜思」、高田三郎の啄木短歌集八曲、弘田龍太郎の四部曲「春声」、そして、杉山長谷夫の、「苗や苗」と「金魚や」という曲目であったが、こんなにまで深い音楽を録音したことはかつてないといってもよいものであった。
 先生にしてみれば、八十三歳というご高齢を我々が口にすることはきっとご迷惑にちがいないと思うけれど、人間の生命の常識からして、これは驚異的なことで奇蹟といってよいほどのことであるし、それにもまして、その年輪ゆえに蓄えられた表現の味わい深さと、その肉体的条件にいささかも影響を受けないほどに鍛え込まれた技と、その努力のもたらした芸術の重味を思うとき、やはり、八十三歳の先生が歌われたという事実は忘れられるべきではない重要なことに思えるのである。先生の偉大な人格を思うとき、私は、ただただ頭が下がるのみであるが、レコードが出来上がるまでのテスト盤を技術的な立場から何度も聴くうちに、その音楽の魅力は私の中でますます大きく深いものになったことにも驚きを禁じ得ない。ジャケットに収まってレコードが市場へ出ていくまでに、私たち制作者は、音楽的内容の立場を離れ、テープ録音とレコード製造技術の見地から何回音を聴くかわからないが、正直なところ、多くの場合、製品が出来上がる頃には中味の音楽に飽きているという経験をよくする。それほど何回もオーディオ的な耳でチェックを重ねるものである。ところが、この先生のレコードの場合、その度毎に音楽の魅力が高まって、ふと気がつくと、自分は音のチェックをしていたはずなのに、いつしかそれを忘れ、深々と音楽に聴き入り、肝心のチェック事項を忘れてしまっているという有様なのであった。
 レコードをつくっている我々がそんなことをいってはいけないのだが、素晴らしいレコードというものは、音そのものの不満や、雑音などはどうでもよくなってしまうものであることを、これほど強く認識させられたこともないのであった。そして、意を強くしたことは、オーディオの仕事をしている私の講演会などに集まって下さる方々のほとんどが、ダイナミック・レンジやひずみ率や周波数特性に関心を持つマニアが多いのに、そうした機会にこのレコードのテスト盤をお聴かせしてみて、多くの方々が感動して下さったことである。オーディオ的なプログラム・ソースとしては決してデモンストレーション効果を持ったものではないし、ここにあるのは音楽そのものの魅力だけであるはずなのだ。やはりオーディオは音楽と確実に結びついているという喜びを味わったのであった。ひたすら、先生の歌の世界を、伴奏ピアノのソノリティで生かし、歪めることなくスピーカーから伝えたいと心がけて録音したのだが、人によっては、ピアノが大き過ぎるといわれたし、歌もピアノも距離感が遠過ぎるともいわれた。しかし、私としては、それらの意見には全く動かされることはない。先生の発声には、これ以上、マイクが近くても遠くても、その真価を伝えることはできないと思うし、ピアノのバランスやニュアンスの再現も、これらの歌曲のピアノ・パートの重要性からして、決して近すぎることも、大き過ぎることもないと信じている。つまり、私としては、かなり自分が満足のいく録音になったと思っているわけだ。LP両面で二十八曲の名唱、とりわけ「沙羅」の〝鴉〟〝占ふと〟〝静夜思〟に聴かれる感動の深さに酔いしれているのである。
 それにしても、レコードと再生装置の関係は重要だ。私の部屋にある数種の装置で聴いてみると、そのニュアンスの何と異なることか……。ある装置は、もうたまらないほど艶っぽく歌ってくれるのだ。〝占ふと、云ふにあらねど、梳(くしけづ)るわが黒髪の、常(いつ)になうときわけがたく、なにがなし、心みだるる……〟そして、別の装置は無残に、その冷たく無機的でヒステリックな性格が、その心のひだをおおいかくしてしまう。〝不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて、空に吸はれし十五の心〟。装置の音は、この人声の、心の微妙なニュアンスを伝えるべく、血の通った音でなければならぬのだ。この啄木の詩のように端々しく、やさしくなくてはならないし、「沙羅」の〝鴉〟のように凄みを持ち、柳兼子先生のその歌のごとく毅然としていなければならぬものだと思う。
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菅野先生による柳兼子氏の録音は、オーディオ・ラボから三枚出ていた。
現在、オクタヴィア・レコードからCDとして発売されている。

11月7日のaudio wednesdayで、かける。

1975年の録音で、それほど売れるディスクとは思えない。
けれど、いまも入手できるのは、それだけでありがたい、とおもう。
それでも、欲深いもので、オーディオ・ラボの菅野録音の多くがSACDで出ているのに、
これは通常のCDだけなのか、と、やはり思ってしまう。

SACDで出してくれ、とまではいわないが、DSDで配信してほしい。

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