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Date: 8月 13th, 2013
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(その2)

10代、20代のころは、とにかく物量を投入したモノに強い魅力を感じていた。
QUADもいい、と感じていた。
けれどそのころの私にとってのQUADに感じる良さは、メインのシステムとして見ていたわけではなく、
物量をおしみなく投入したメインのシステムを所有していたうえでの、
別のシステムとしてのQUADの存在が魅力であった。

DBシステムズのアンプのように、コンパクトで、外観にほとんど気を使わず、
コストを抑えるよう設計されたモノにも感じながらも、
もしDBシステムズのアンプを自分のモノとしたら、
外付けの電源を物量投入のものに改造したりする自分が見えてもいた。

物量が投入されていればいい、というわけではない。
それでいて凝縮されていなければならなかった。

そのころ妄想していたことがある。
私がオーディオに関心をもち始めた1976年には、
AGIのコントロールアンプ511とQUADのパワーアンプ405の組合せが話題になっていた。
そのときは、ただそうなんだぁ、という感じで記事を読んでいた。
数年が経ち、ステレオサウンドに入り、511、405に触れ、中を見ることができるようになると、
以前相性のいいといわれた、このふたつのアンプを、ひとつの筐体にまとめることはできないものだろうか、と。

具体的にいえば、511のシャーシーの中に、405の中身を追加する、ということだ。
スペース的に、決して不可能なことではない。
基板の配置やシールドには配慮が必要になるだろうが、おさめようと思えばできる気がしてくる。

実際にやりはしなかったけど、511の中に511と405を組み込めれば、
なかなか魅力的なプリメインアンプとなるわけだが、
そこで思ったことがある。

そうやって改造した511を、私はプリメインアンプとして認識できるのだろうか、と。
511のデザインを、プリメインアンプのデザインとして認識し直すことができるのだろうか。

Date: 8月 12th, 2013
Cate: アナログディスク再生

一枚のレコード

レコード会社からマスターテープを借り出してきて、
通常のLPよりも厚手のプレスを行ったり、リマスターをすることで高音質を謳うLPが、
複数の会社から登場し始めたのは1980年代からだ。

オーディオマニアとして、高音質盤というのを無視できない。
当時はステレオサウンドにいたこともあって、こういったレコードを聴く機会はめぐまれていた。

すべてのディスクを、
オリジナル盤もしくはレコード会社からその時点で入手できる盤との直接比較を行ったわけではない。
そういったことを行わずとも、首を傾げたくなるレコードが少なからずあった。

あるレーベルの、ブラームスの交響曲のディスクは、全体的に乳白色の膜が張り付いたような、
聴いていてもどかしさを感じる。
この指揮者が、こんな気の抜けたような演奏をするわけがないのに……、
そう感じてしまうほど、変質していた。
でも、アメリカでは、そのレーベルのリマスターは高く評価されていた。

ひどい例は他にもあったけれど、
上記のレコードは、私が好きな指揮者の、好きな作曲家のレコードであっただけに、
悪い印象が、他の盤よりも強く刻まれてしまっている。

このときから10数年後、あるところで偶然、このLPを聴くことがあった。
変っていないのだから、当然なことなのだが、音の印象はそのままだった。
これを高く評価するということは、
そこに刻まれている音楽と完全に乖離したところでの音だけの評価ということになる。

そういう楽しみ方がオーディオにはあることはわかっていても、
少なくとも私は、この盤を出していたレーベルを信じることは絶対にない。

悪い盤ばかりではなかった。
いいな、と思うものもあった。
その中で、いまも強烈に記憶に刻まれているのは、1987年ごろリンから出ていた盤だ。
エーリッヒ・クライバーによるコンセルトヘボウ管弦楽団を指揮したベートーヴェンの第五番だ。
1949年のライヴ録音。

この録音を聴くのも初めてだった。
1949年のライヴ録音だから、優秀録音なわけはないのだが、
そこに刻まれている音楽と一体になった音は、良い録音というべきだろう。

そしてカルロス・クライバーの前には、エーリッヒという父がいたことを意識せざるを得ない、
そういうすごい演奏だった。

リンによるLPから鳴ってきた音も見事だった。
こういうレコードをつくれる会社なんだ、と、それからはリンを信用できるようになった。

口幅ったい言い方になってしまうが、
この会社、すくなくともレコードをつくっている部門は、音楽をわかっている──、
そう感じさせてくれたからこそ、いまも強烈な印象のままなのだ。

Date: 8月 12th, 2013
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(キースモンクスのトーンアーム・その5)

トーンアームは、トーンアームというオーディオ・コンポーネントである。
そうはいっても、トーンアームを、
ほかのコンポーネント、たとえばスピーカーシステム、アンプ、チューナーとまったく同一視できるかといえば、
そうとはいえない性格も持ち合わせている。

トーンアームは、スピーカーユニットに近い。
スピーカーユニットは、フルレンジユニットであれば、
それ単体を床に転がして状態でも鳴らそうとすれば、音は鳴ってくれる。
けれどトゥイーターだと、すくなくともローカットフィルターは最低必要になる。

スピーカーユニットは、他のユニット、ネットワーク、エンクロージュアと組み合わせて、
ひとつのスピーカーシステムを構成する上での部品(パーツ)でもある。

トーンアームも、ターンテーブル、キャビネット、カートリッジと組み合わせて、
アナログプレーヤーシステムを構成する部品(パーツ)である。

その意味でトーンアームはスピーカーユニットに近いといえ、
トーンアームはそれでも半完成品の性格も、さらに持っている。

スピーカーユニットは購入してきて箱から取り出せば、
それでスピーカーユニットとしては完成された製品といえる。

トーンアームは、箱から取り出しただけではトーンアームの形になっていないモノがほとんどだ。
メインウェイトを取り付け、モノによっては針圧調整用のサブウェイトも取り付ける。
SMEならばインサイドフォースキャンセラー用の糸吊りの重りのためのステーを取り付ける。
その上で、重りをセットする。

トーンアームがほかのモノだと、このへんは少し変ってくるけれど、
購入したユーザーがいくつかのパーツを自らの手で取り付けることで、
トーンアームはトーンアームとしての形をとることができる。

その意味で、トーンアームには半完成品の魅力を感じるし、
その半完成品の魅力が、あれこれを考えさせることにも、私の中ではつながっている。

Date: 8月 12th, 2013
Cate: 「本」

オーディオの「本」(その24)

オーディオ雑誌において、スピーカーの傾向をあらわすのに、
音場型と音像型にわける人がいる。
この分け方はスピーカーだけとは限らなかったりするのだが、
音場(おんじょう)ということを考えていけば、これは奇妙な分け方であることにすぐ気づかなければならない。

音場がきちんと再現されているのであれば、音像も再現されている。
また音像がきちんと再現されているのであれば、音場も再現されている。

にも関わらず音場型・音像型という分け方をする人がいまだにいるし、
そのことに疑問を感じない人がいる。
そういう人が書いたのを読むと、音像に対しての捉え方にひどい異和感を感じてしまう。
この人が感じている音像とは、いったいどういう現象なのだろうか、と。

音場型・音像型という分け方、表現をしている人が聴いてるのは、
もしかすると音場(おんじょう)ではなく、音場(おんば)なのではないだろうか。
こうも感じてしまう。

さらにいえば、音場と音場感は似て非なるものだと私は考えている。
そんな私からみれば、音場型・音像型を使う人のいうところの音場型とは、音場感型なのではないのか。

音場型・音像型は、いっけんわかりやすく感じられる。
だが音場の定義、音像の定義をきちんと、その分け方をしている人は、どこかで書いているのだろうか。
音場と音場感の違いについても、書いているのだろうか。

音場(おんじょう)と音場(おんば)があるように、
音場感(おんじょうかん)と音場感(おんばかん)があるようにも思っている。

Date: 8月 11th, 2013
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(キースモンクスのトーンアーム・その4)

audio & design(キースモンクス)のトーンアーム、M9BAが想定しているカートリッジは、
SMEの3009と同じシュアーのV15なのだろうか。

V15 TypeIIIは自重6g、針圧範囲は0.75〜1.25gで、ぴったりだ。
可能性としては、これかもしれない。
仮にそうだとしたら、SMEの3009に対抗する形としてのM9BAということにもなる。

そうやってもういちどM9BAをながめると、
SMEのトーンシーム同様、オーバーハングを調整するためにベース上でアーム本体を前後にスライドできる。
使用カートリッジが定まっていれば、
軽針圧カートリッジ専用ということも考え合わせれば、
SMEのトーンアームの、重りを糸吊りしたタイプのものよりも、
マグネット式のアンチスケーティング機構のほうが有利な面も確かにある。

おそらく、このあたりが答なのかもしれない。
でも、シュアーのV15 TypeIIIというのは、個人的には面白みを感じない。
V15以外のカートリッジであってほしい、という気持がある。

針圧範囲からいくつか候補を挙げていくと、
オルトフォンのVMS20、ゴールドリングのG900SE、エンパイアの4000D/III、
エラックのSTS455E、AKGのP8ES、B&OのMMC6000などがある。
これらには1970年代後半のカートリッジも含まれているから、
M9BAが開発された年代にぴったり合うものとなると限られていく。

M9BAの発表スペックで見逃せないのは、線間容量80pFの項目だ。
M9BAの出力ケーブルをコネクターを介することなく出ている。
割と細目の線で、見るからに低容量のケーブルであることは推察できる。

あえて線間容量を発表していること、しかもその値が80pFと低いことから考えられるのは、
M9BAが想定しているカートリッジの出力インピーダンスは高めのものだということも考えられる。

となるとエラック、オルトフォン、シュアーあたりなのだろうか。

答はどこまでいってもひとつに絞れない。
絞る気もないから、こんなことをあれこれM9BAを手にとりながら考え、
また箱におさめた後でも、細部を思い出しながら考えている。

無駄なことを……、と思う人もいることだろう。
でも、こういうのがけっこう楽しいのだ。
そして気がつくことがいくつか出てくるから、また楽しくなる。

Date: 8月 11th, 2013
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(キースモンクスのトーンアーム・その3)

SMEの3012はオルトフォンのSPUのために設計されたトーンアーム、
3009はシュアーのV15のために設計されたトーンアーム、
オルトフォンのRMG309、RMA309などのトーンアームはSPU用である。

日本のトーンアームには、幅広く、いろいろなカートリッジに適応するよう設計されたモノもあるが、
トーンアームは、あるカートリッジとの組合せを前提とすべきものである。

M9BAは軽針圧カートリッジ用だということはわかる。
けれど、どのカートリッジなのだろうか。
取り付けられるカートリッジ自重は4〜6gとなっているが、
M9BAの箱には大きめのメインウェイトも同根されているから、
もう少し重めのカートリッジでも取り付け可能のはずだ。

だが針圧範囲が0.5〜1.5gとなっている。
スタティックバランスだから、針圧計を用意すれば、1.5g以上の針圧もかけることはできる。
けれどM9BAは、もうひとつの機構によって、針圧の範囲は限られてしまっている。

M9BAは、デッカのトーンアーム、INTERNATIONALと同じように、
マグネット式のアンチスケーティング機構をもつ。
そのためのマグネットは、外からは見えないけれど、インターネットで調べてみると、
このへんに入っているのか、というだいたいの位置はわかる。

この機構の調整はできない。
つまり、このマグネット式のアンチスケーティング機構が、針圧範囲を制限している、ということになる。

デッカのトーンアームも、ワンポイント支持のオイルダンプで、マグネット式のアンチスケーティング。
こう書くと、M9BAはデッカのカートリッジ用として設計されたのかもと思う。
けれど、M9BAの時代のデッカのカートリッジ、MarkVの針圧は2〜3gとなっている。
針先の形状によって針圧範囲は多少違っているが、もっとも軽針圧のMark V/EEでも1.0〜2.0gである。

Mark V/EEという可能性は捨てきれずにいるが、
M9BAは、違うカートリッジ用に設計されたのかも……、という考えも捨てきれない。

となると、いったい、どのメーカーのどのカートリッジなのだろうか。

Date: 8月 11th, 2013
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(キースモンクスのトーンアーム・その2)

取り付けるターンテーブルはないけれど、組み立ててみる。
取扱い説明書は入ってなかったけれど、ずっとアナログディスクの再生をやって、
ステレオサウンドの試聴室でいくつものトーンアームを触ってきているから、困ることはない。

このM9BAにはオイルダンプ用のシリコーンオイルを入れた容器がついている。
もうひとつ容器がついていて、これには水銀がはいっている。

着脱可能なパイプ式のトーンアームには、SMEの3009 SeriesIII、オーディオクラフトのAC3000などがあり、
どちらもパイプの根元のところにコネクターがあり、着脱できるようになっている。
M9BAはメインウェイトまで含めたパイプ全体を交換するタイプである。

この場合、コネクターはどうするのか、という問題が出てくる。
SMEやオーディオクラフトの場合は、
ヘッドシェルのプラグインコネクターが、トーンアーム・パイプを根元まで伸びてきた形だから、
これまでのトーンアームと同じである。
けれどM9BAでは、そうはいかない。

着脱可能なパイプからリード線を出してきて、ベースからもリード線を出して、
両方を接続するという方法では、トーンアームの感度を阻害してしまう。
これを解決するために、M9BAは水銀接点を採用している。

ワンポイント支持なので、ベースの中心にはピボットがあり、このピボットを囲うようにオイルバスがある。
そして周囲に四分割された水銀をいれるようになっていて、
トーンアームからは四本のピンが伸びていて、この水銀の中に浸かるようになっている。

つまりワンポイント支持ではあるけれど、この四本のピンと水銀によっても、
トーンアーム・パイプは支持されていることになる。

水銀は、M9BAでは重要な役割を果している。
そのため、現在ではおそらくPL法にひっかかるため、
同構造のトーンアームをメーカーが販売することは無理である。
それに一度設置してしまうと、引越しの際にはひどく面倒になる。

こういう性格のトーンアームなのだが、見ているとあれこれ想像してしまう。

Date: 8月 11th, 2013
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(キースモンクスのトーンアーム・その1)

先々月、岩崎先生のところからいただいてきたモノには、トーンアームもあった。
東京サウンドの製品が数本、オルトフォンのAS212、それにaudio & designのM9BAもあった。

東京サウンドとオルトフォンのトーンアームは、facebookグループのaudio sharingを通じて、
欲しいといわれる方にお譲りした。
こう書くと、ごく一部の方が誤解されるだろうから念のために書いておくと、
譲っていただいたときに、私を介して、欲しいという方にお譲りすることは了解を得ている。
それに送料だけは着払いという形で負担してもらっているが、それだけである。

でもM9BAだけは、手もとに残した。

audio & designというブランドはきいたことがない、という人も少なくないだろう。
私もブランドだけをきいていたらそうだったけれど、実物を目の前にすれば、
これがキースモンクスのトーンアームだということは、すぐにわかった。

元箱も残っていた。
パーツもすべて揃っている。未使用だということもわかった。

このトーンアーム、M9BAを取り付けられるターンテーブルをいまのところ所有していないけれど、
おもしろそうなトーンアームなので、これだけは私のモノとしたわけだ。

このトーンアームは、いわゆるワンポイント支持のオイルダンプ型である。
パイプはストレートで、シェルは取り外せない。
カートリッジの交換は、パイプごと交換するように、スペアパイプも発売されていた。

M9BAのスペックは全長300mm、実効長229mm、適合カートリッジ重量4〜6g、針圧範囲0.5〜1.5g。
これからわかるように軽針圧カートリッジ用のトーンアームである。

Date: 8月 10th, 2013
Cate: 公理

オーディオの公理(その2)

真空管アンプの音はやわらかくあたたかい──、
これなどはあきらかにおかしなことである。

真空管はトランジスターよりもずっと以前に登場した最初の増幅素子である。
つまりトランジスターが登場する前は、
世の中のアンプはすべて真空管だったわけで、
その時代のアンプの音すべてがやわらかくてあたたかいわけではなかった。

真空管アンプの中にも、あたたかい音もあればそうでない音もあった。
やわらかい音もあればそうでない音もあったわけだ。

よくいわれることだが、
正しくメンテナンスされたマランツのModel 7とModel 2もしくはModel 9の音は、
これらのアンプが真空管だということを知らない人が聴けば、
真空管アンプだとは気がつかないはず。

井上先生が以前から指摘されていたことなので、
ステレオサウンドで読んだ記憶があるという方もおられるだろう。
日本で、真空管アンプの音がやわらかくてあたたかい、という印象が広まってしまったのは、
ラックスのプリメインアンプSQ38FD/IIの音のせいであると。

当時どのメーカーも真空管アンプの製造をやめてしまったあとでも、
ラックスだけは真空管アンプをつくり続けてきた。
セパレートアンプでは他のメーカーもつくってはいたけれど、
プリメインアンプで真空管式のモノは、ラックスのSQ38だけになっていた。

海外にはダイナコのSCA35が1976年くらいまでカタログには残っていた。

日本では真空管アンプといえばラックスだったし、
ラックスを代表する真空管アンプといえば、セパレートアンプもあったけれど、
やはりSQ38FD/IIということになる。

このSQ38FD/IIの音の印象が、
いつしか真空管アンプの音の印象となっていった、ということだった。

Date: 8月 10th, 2013
Cate: チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(ラジオのこと・その3)

もし、このときカセットテープが余っていなくて、
気になっている女性ヴォーカルの日だけしか録音していなかったら、
ケイト・ブッシュの名前は知っていても、聴くことはもしかするとなかったかもしれない。

そう思うと、NHK-FMには感謝している。
私が録音した夕方の番組は、アルバム一枚を流していたような気がする。
曲の紹介も長くはない。

いまFM放送の番組で話す人のことをパーソナリティという。
以前はアナウンサーだった。パーソナリティと呼び方は当時はなかった。
もしかすると民放のFMではあったのかもしれないが、
私がいた熊本で受信できるのはNHK-FMだけだったから、こまかなところはわからない。

それでも、私が録音した番組の人は、パーソナリティでは決してなかった。
パーソナリティと呼ばれる役割ではなかった。

そういえば五味先生が読売新聞社から出た「いい音いい音楽」の中で、
「音楽におしゃべりが多過ぎる」を書かれている。
     *
 FMのAM化が識者により警告されて久しいが、民放はともかく、NHKまでが一向に反省の色のないのはどういうわけか。
 AM化——要するにDJ(ディスクジョッキー)的おしゃべりが多過ぎるのだ。有名人というだけで(音楽に何のかかわりもない)ボクサーや小説家を引っ張り出し、くだらんおしゃべりをさせている「日曜喫茶室」などその最たるものかと思う。
(中略)
 何にせよ、要らざる言葉が多過ぎる。もちろん、なかには有益な話をきかせてくれる人もいるが、そんなのは少ないし、ディスクジョッキーに至っては放送時間の浪費としかいいようがない。おしゃべりならAMにまかせればいい。FMは、いい音の電波なのである。もっと、いい音楽!
     *
「日曜喫茶室」は一度聴いたことがある。
おしゃべりが多かった。FMの音で聴けるAMの番組のようでもあった。

ケイト・ブッシュのファーストアルバム”THE KICK INSIDE”(天使と小悪魔)を放送してくれた、
当時のNHK-FMの番組には「要らざる言葉」はなかった。
音楽を聴かせることを主とした番組であった。

Date: 8月 10th, 2013
Cate: 公理

オーディオの公理(その1)

辞書(大辞林)には公理とは、
真なることを証明する必要がないほど自明の事柄であり、
それを出発点として他の命題を証明する基本的命題、
とある。

オーディオに、果して公理はあるのだろうか。

例えばCD(デジタル)は無機的で冷たい音がする、
アナログディスクはあたたかい音がする、
といったことが、いまもいわれ続けている。

これはオーディオの公理なのだろうか。

同じようなことでは、真空管アンプはやわらかくあたたかい音が特徴というのがある。
これはほんとうにそうなのだろうか。
証明の必要がないほど自明のことなのだろうか。

いまでは以前ほど口にされることは少なくなってきたけれど、
JBLはジャズ向きで、タンノイはクラシック向き、というのがある。
いまはそうではなくなったけれど、昔は、これは公理といえたのだろうか。

こういうことをひとつひとつ挙げていくと、数えきれないほど出てくる。
ターンテーブルは重いほどよい、
トーンアームは長いほどよい、
リニアトラッキング型が、一般的なトーンアームよりも理想に近い、
MC型カートリッジのほうが、その他の発電方式のカートリッジよりも緻密な音がする、
ローインピーダンスのMC型にはトランス、ハイインピーダンスのMC型にはヘッドアンプが向く、
信号ケーブルは短いほどよい、素材の純度は高いほどよい、
ステレオ構成よりモノーラル構成にしたほうがよい、
アルニコマグネットのほうがフェライトマグネットよりも音がよい、
……まだまだあるけれど、このへんにしておこう。

この中に、公理といえるものはあっただろうか。
オーディオに公理といえるものはあるのだろうか。

Date: 8月 10th, 2013
Cate: 音の良さ

音の良さとは(好みの音、嫌いな音・その2)

私の目の前で、かつては嫌いだったグリーンピースをおいしそうに頬張る元同僚を見ながら、
私が考えていたのは、やはりオーディオのこと、音のことだった。

人の感覚の中で、味覚がもっとも早い時期から好みが生まれてくるのではないだろうか。
私は、こういうことを専門的に勉強しているわけではないので、
あくまでも私自身の経験、それに周りの人たちを眺めて感じていることだけにすぎないのだが、
味覚と同時か、その次にくるのが嗅覚であり、
聴覚に関しては、つまり音の好みということに関して当人が目覚めるのは、最後になるのではないだろうか。
もしくは、食べ物の好き嫌いはあっても、音に関しては、意識していない、特にない、という人もいる気がする。

食事は基本的には一日三回、毎日摂る。
生れたばかりのころは母乳で育ち、離乳食を経て、
親と同じものを少しずつ食べるようになっていく。

どこまで真実なのかは私にはわからないけれど、
味覚で最初に目覚めるのは甘さを感じるところだと何かの本で読んだことがある。
だから小さいうちは、甘いものを欲するのだ、と。

子供の頃は好き嫌いがある。
好き嫌いが激しい子供もいる。
私も好き嫌いは激しい方だった。

だからといって、この時期に好きなものばかりを口にしていたら、
味覚の好き嫌いはひどく偏ってしまうのかもしれない。

親が適度に、うまく味の領域を広げるようにしてくれないと、いびつな味覚となってしまうのだろうか。

元同僚が頭を事故で打ち、それ以前は食べられなかったグリーンピースをおいしそうに食べ、
嫌いだったことすら忘れているのは、
味覚の記憶が、どの程度なのかはわからないけれどリセットされたと考えていいだろう。

Date: 8月 10th, 2013
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のスピーカーのこと(その13)

1996年12月に発売になったラジオ技術 1997年1月号には、ある特殊なスピーカーのことが記事になっていた。
記事のタイトルは、
 イギリスからやって来たスピーカの革命児
 〝曲げ振動〟を制御するNXTシステムとは
である。

4ページのインタヴュー記事で、
まず、このNTXシステムを完成させたイギリスのヴェリティ(Verity)研究所であり、
このNTXシステムを普及させるためにつくられた会社、New Transducers Ltd、
この会社の副会長ノーマン・クロッカー、技術担当重役ヘンリー・アズマ両氏が登場する。

記事の最初に登場する図は、
QUAD ESL63の振動板の様子を捉えたもの、
その下にはNTXシステムの振動板の様子を捉えたものが載っている。

ESL63はご存知の通り中高域以上に関しては、
同心円状に電極を配置し、それぞれの電極に異る時間差を与えることで、
疑似的な球面波を実現したものである。

ESL63の図はきれいな波紋ができている。
一方のNTXシステムは、いくつもの山谷がランダムにできている。
しかも山の高さ、谷の深さは均一ではなくバラバラである。

何の説明もなく、この二枚の図を見せられたら、
NTXシステムのほうは、分割振動を捉えたものと勘違いしそうになる。

Date: 8月 10th, 2013
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のスピーカーのこと(その12)

そんなソフトドーム型トゥイーターを、マッキントッシュのXRT20は片チャンネルに24個使っている。
ピストニックモーションこそが全てだ、と考えている人にとっては、
XRT20というスピーカーシステムは、なぜ、こんなふうに設計したのか、理解できないだろうし、
評価の対象にもはいってこないのではなかろうか。

事実、口汚く否定的なことを言う人を知っている。
その人には、その人なりの理想のスピーカー像というのが確固としてあって、
その理想像という基準からみれば、XRT20はどうしようもないスピーカーシステムということになるのだろう。

けれど自分の中にあるスピーカーの理想像だけが、評価の基準として存在しているわけではない。
別項で書いているように、ラジオ技術のトーンアームの評価に、
長岡鉄男氏は、テクニクスのEPA100を基準とすればRS-A1はダメだし、
反対にRS-A1を基準にすればEPA100がダメということになる、と発言されるように、
たったひとつの基準──それは往々にしてひとりよがりに陥りがちである──、
それだけでオーディオを捉えてしまうことの怖さと愚かさを、
XRT20を認めない人は気がついていないのかもしれない。

とにかくXRT20はソフトドーム型トゥイーターを24個使っている。
しかも24個のトゥイーターの配線は、24個すべてが同一条件になるようにはなされていない。

ピストニックモーションの正確さをどこまでも求めるのであれば、
スピーカーユニットを複数個使う場合には、すべてのユニットは並列接続が原則となる。
それもできることならそれぞれのユニットへの配線の長さも等しくしたい、ということになる。

ところがXRT20の24個のトゥイーターは直列と並列接続の両方がなされているし、
インピーダンスを合せるために抵抗も挿入されている。

ソフトドーム型トゥイーターの多数使用ととともに、この点を絡めて、
だからXRT20は……、と否定的なことをいうのは難しいことではない。

けれど、実はここにこそXRT20でゴードン・ガウが実現したかったものが隠れている、
ということに私は1996年12月にやっと気がつくことができた。

Date: 8月 10th, 2013
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のスピーカーのこと(その11)

振動板がピストニックモーションからはずれて、脹らんだり縮んだりするのであれば、
逆のこの現象を積極的に利用すれば、ソフトドーム型は呼吸体のような発音方式になるのではないか、
そんなことを考えたこともある。

そのためには伸縮性に富む柔らかい素材でなければならないし、
実際に振動板と磁気回路との間の空間の空気圧の影響を逆手にとることがそううまく行くとは思えない。
でも、ひとつの可能性として、ソフトドーム型だから、それも口径の小さなトゥイーターであれば、
呼吸体の実現も考えられないことではないはずだ。

私が考えつくことだから、誰かがすでに考えていたのではないか、と調べてみれば、
ビクターのSX3のトゥイーターが、まさにそうだった。
40年も前に出ていたわけだ。

当時のSX3の広告をみれば、このことについて触れてあるし、測定結果も載っている。
だからといって、トゥイーターが受け持つすべての帯域において、
ビクターが広告で謳っているとおりに動作しているわけではない、とも考えられる。
それでも振動板を正確に前後に振動させるというピストニックモーションにだけとらわれることなく、
音を出すということを捉え直したビクターのスピーカー・エンジニアリングは高く評価したい。

そして思うのは、同じドーム型の振動板をもつとはいえ、
ソフトドームとハードドームとでは、振動板そのもののモードを考えると、
まったく同じには捉えることはできないものということである。