チューナー・デザイン考(ラジオのこと・その3)
もし、このときカセットテープが余っていなくて、
気になっている女性ヴォーカルの日だけしか録音していなかったら、
ケイト・ブッシュの名前は知っていても、聴くことはもしかするとなかったかもしれない。
そう思うと、NHK-FMには感謝している。
私が録音した夕方の番組は、アルバム一枚を流していたような気がする。
曲の紹介も長くはない。
いまFM放送の番組で話す人のことをパーソナリティという。
以前はアナウンサーだった。パーソナリティと呼び方は当時はなかった。
もしかすると民放のFMではあったのかもしれないが、
私がいた熊本で受信できるのはNHK-FMだけだったから、こまかなところはわからない。
それでも、私が録音した番組の人は、パーソナリティでは決してなかった。
パーソナリティと呼ばれる役割ではなかった。
そういえば五味先生が読売新聞社から出た「いい音いい音楽」の中で、
「音楽におしゃべりが多過ぎる」を書かれている。
*
FMのAM化が識者により警告されて久しいが、民放はともかく、NHKまでが一向に反省の色のないのはどういうわけか。
AM化——要するにDJ(ディスクジョッキー)的おしゃべりが多過ぎるのだ。有名人というだけで(音楽に何のかかわりもない)ボクサーや小説家を引っ張り出し、くだらんおしゃべりをさせている「日曜喫茶室」などその最たるものかと思う。
(中略)
何にせよ、要らざる言葉が多過ぎる。もちろん、なかには有益な話をきかせてくれる人もいるが、そんなのは少ないし、ディスクジョッキーに至っては放送時間の浪費としかいいようがない。おしゃべりならAMにまかせればいい。FMは、いい音の電波なのである。もっと、いい音楽!
*
「日曜喫茶室」は一度聴いたことがある。
おしゃべりが多かった。FMの音で聴けるAMの番組のようでもあった。
ケイト・ブッシュのファーストアルバム”THE KICK INSIDE”(天使と小悪魔)を放送してくれた、
当時のNHK-FMの番組には「要らざる言葉」はなかった。
音楽を聴かせることを主とした番組であった。