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Date: 11月 18th, 2014
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアの覚悟(その1)

オーディオマニアの覚悟にするか、オーディオマニアとしての覚悟にするか、
そこで迷いながら書き始めている。
タイトルを思いついただけで書き始めた。

オーディオマニアに覚悟が求められるのか、必要であるのか──、
オーディオマニアの覚悟、オーディオマニアとしての覚悟、
そんなこと、覚悟なんて考えるのはオーディオを大袈裟に考え過ぎとする人にとっては、
オーディオマニアの覚悟は、どうでもいいことになる。

オーディオマニアの覚悟とは、どういうものなのか。
まだなんともいえない。

まず浮んだのはグレン・グールドがコンサート・ドロップアウトするとき、覚悟があったのかなかったのか。
覚悟がなければ、コンサート・ドロップアウトはできなかったのではないか。

オーディオマニアの覚悟、なんなのだろうか。

Date: 11月 18th, 2014
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(Good Reproduction・その2)

High Fidelity ReproductionとGood Reproduction、
どんなに言葉でことこまかに定義してもすべての人から同意が得られるわけではない。

あるスピーカーシステムについて、ある人はハイ・フィデリティだと感じ、
私はグッドリプロダクションだと感じることだってある。反対のことだってあるだろう。

例えばタンノイのKingdomというスピーカーシステムがある。
現在のKingdom Royalではなく、1996年にタンノイ創業70周年記念モデルとして登場したKingdomのことだ。

30cm口径同軸型ユニットを中心に、低域を46cm口径のウーファーで、高域をドーム型トゥイーターで拡張した、
実に堂々としたフロアー型システムである。

ここまで大型のシステムとなると、
物量投入型システムが多いアメリカの製品であって、これだけの規模のモノとなると数は少ない。
Kingdomがイギリスのスピーカーシステムとして、
ヴァイタヴォックスの業務用のBass Binを除けば最大規模といえよう。

Kingdomの重量は170kg。外形寸法こそBass Binよりも小さいけれど、Bass Binの重量も170kgと発表されている。
このKingdomは、ハイ・フィデリティなのだろうか。

Kingdomをハイ・フィデリティかグッドリプロダクションかでわけるとすれば、
ハイ・フィデリティとする人が多いかもしれない。
私は、それでもKingdomはやはりグッドリプロダクションのスピーカーシステムだと捉えている。

確かにこの時代のタンノイの他のスピーカーシステムと較べればHigh Fidelityである。
ということはHigher Fidelityではないのか。
ならばKingdomはハイ・フィデリティではないのか。

それでもKingdomは、はっきりとグッドリプロダクションと言い切る。

Date: 11月 17th, 2014
Cate: 所有と存在

所有と存在(その2)

できるもの、できないもの」の(その1)で、音は所有できない、と書いた。
二年前に書いた。
いまもその考えは変らない。

音は所有できない。
所有できるのは、あくまでもオーディオ機器とそれを設置し鳴らす環境でしかない。

オーディオとはオーディオ機器とその環境だと定義すれば、オーディオは所有できることになる。
オーディオとは、つまるところ「音」であるとするならば、オーディオは所有できない。

音楽に関しても同じことはいえる。
SP、LPといったアナログディスク、CD、SACDといったデジタルディスク、
これらを所有することはできる。
お金が許すかぎり、置けるスペースがあるかぎり所有できる。

これらのパッケージメディアを音楽と定義するなら、音楽は所有できるといえる。
アナログディスクは溝の刻まれた円盤でしかない、
デジタルディスクは肉眼では見えないほど小さなピットが無数にある円盤でしかない。

これらを再生するシステムを所有していても、音楽を所有できる、といえるだろうか。

所有できるのは、器である。
LPという器、CDという器、
アンプやプレーヤー、スピーカーといったオーディオ機器という器、
リスニングルームという器。

器だけである。

Date: 11月 17th, 2014
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(RIAAカーヴについて・まず大事なのは、フラットをもってものごとの始まりとす)

ステレオサウンド 61号から63号まで、
池田圭氏による「フラットをもってものごとの始まりとす」という記事が載っている。
dbxの20/20の記事である。

61号は1981年に出ている。
いまから33年前のことである。

そんな以前の池田圭氏のタイトルの意味を考えている。
「フラットをもってものごとの始まりとす」、
ほんとうにそうだと思うからだ。

RIAAカーヴについての論議も、「フラットをもってものごとの始まりとす」でなければならないのに、
実際は多くの人がフラットであることに対して無関心・無頓着であったりする。

確かにメーカー製のスピーカーシステムであるなら、
それも名のとおったメーカーのモノであるなら、おかしな周波数特性はしていない。
カタログに載っている周波数特性グラフをみても、多少のピーク・ディップはあっても、
時代が新しいスピーカーであれば、大きく見れば平坦(フラット)ともいえる。

だがそれを鳴らしているから、自分の部屋で自分の耳に届いている「音」がフラットだという保証はどこにもない。
それにカタログに載っている周波数特性は、出力音圧レベルのグラフであり、
いわばスピーカーの振幅特性を表しているにすぎない。

私的イコライザー考」の(その12)で書いたことを、またくり返しておく。
振幅項(amplitude)と位相項(phase)があり、
それぞれを自乗して加算した値の平方根が周波数特性となる。

つまり振幅項と位相項をそれぞれ自乗して加算した値の平方根、
これをフラットにすることから、ものごとは始まる。

Date: 11月 16th, 2014
Cate: オーディオのプロフェッショナル

こんなスピーカーもあった(その5)

ソニーのCDプレーヤー、CDP777ESDを使っていたことがある。
このCDプレーヤーの電源トランスは、デジタルとアナログで独立していて、リアパネルに取り付けある。
電源トランスが外部に露出するような形で取り付けてある。
もちろん剥き出しの電源トランスではなくシールドケースに収められた状態ではある。

この取り付け方も、ソニーのエンジニアがある問題を解決しようとしての結果であるわけだが、
使いこなす側からみれば、別の問題があることをわからせてくれる。

ステレオサウンドの試聴室で、CDP777ESDを使っていた時に、井上先生がある指示を出された。
そのとおりやってみると、驚くほど音が変化する。

ここでこういうことをやると、これだけ音が変化するのか。
自分で使っているCDP777ESDでもさっそく試してみた。
試してるうちに、こういうふうにしたら、もっといい結果が得られるのではないか、とあることを考えた。
CDP777ESDのリアパネルを加工する必要があったため実験することはなかった。

それから半年ぐらい経ったころ、パイオニアからPD3000というCDプレーヤーが登場した。
PD3000もCDP777ESDと同じように電源トランスがリアパネルに、外部に露出するような形で取り付けてある。

けれどPD3000にはCDP777ESDにはなかった工夫があった。
PD3000の方法は、私が考えていたのと、ほとんど同じだった。

外部に露出している電源トランスに専用の脚を用意する。
さらにリアパネルとはなんらかの緩衝材を介することでフローティングする。
PD3000も同じことを考えていたわけである。

PD3000を見て、同じことを考える人は常にいることを知った。
おそらくパイオニアのエンジニア、私以外にも、同じことを考えていた人はいるだろう。

同時代に同じアイディアを思いつく人は三人はいる、らしい。
そうだと思う。
さらに時代を遡れば、三人程度ではなく、もっと多くの、同じ発想をしていた人たちがいると思ったほうがいい。

この項の(その2)で書いているように、
松ぼっくりをスピーカーシステムのエンクロージュア内に入れてみたら……、と思いついた人がいる。
このアイディアはずっと以前に製品になっている。
その3)でのテクニクスのNFBのアイディアも、過去にいくつもの例があった。

それゆえに、「だからこそ」が大事なのにと思う。
それを怠る者が、プロフェッショナルを騙っている。

Date: 11月 15th, 2014
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

試聴ディスク考(ステレオサウンド別冊・魅力のオーディオブランド101)

1986年、ステレオサウンド創刊20周年記念別冊として、「魅力のオーディオブランド101」が出ている。
その名のとおり、国内外のオーディオブランドを101社紹介した内容。
海外メーカーに関しては菅野沖彦、柳沢功力、山中敬三の三氏による座談会形式だが、
国内メーカーに関しては、取材方法が違っている。

井上卓也、上杉佳郎、菅野沖彦、長島達夫、柳沢功力、山中敬三、
この中から二氏、または三氏がメーカーの試聴室を訪ねての構成となっている。
すべての国内メーカーを訪問しているわけではないが、
アキュフェーズ、アカイ、オーディオテクニカ、デンオン、ダイヤトーン、フォステクス、ケンウッド、
京セラ、ラックス、マランツ、ナカミチ、NEC、オンキョー、パイオニア、サンスイ、ソニー、ティアック、
テクニクス、ビクター、ヤマハのに関しては、
試聴室の写真と試聴機器のラインナップ、それに試聴ディスクが紹介されている。

「魅力のオーディオブランド101」は、この部分だけでも資料としての価値がある、といえる。
ステレオサウンド創刊20周年だから、1986年当時、
国内メーカーがどういうスピーカーシステムで、どういうアンプを使い、
どういうプログラムソースを鳴らしているのかが、その一部とはいえ知ることができる。

このことは少し時間が経ってから眺めるほうが興味深い、と私は感じている。
個人的におもしろいな、と感じたのはダイヤトーンだった。

できれば上記メーカーすべての試聴機器と試聴ディスクについて書き写しておきたいが、
意外と面倒な作業なので、ダイヤトーンだけにしておく。

試聴システムは、オープンリールデッキがアンペックスの440C、
デジタルレコーダーが三菱のX80、CDプレーヤーはフィリップスのLHH2000。
入力系はすべて業務用機器に統一されている。

アンプはパワーアンプがスレッショルドのStasis1である。
すでに製造中止になっているモノを使い、
コントロールアンプは無しで、P&GのPAF3022W(パッシヴフェーダー)でレベルコントロールをしている。

スピーカーシステムはダイヤトーンのDS10000と2S305。

試聴プログラムソースは、
CDがハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団によるマーラーの交響曲第四番、
PCMテープは三菱オリジナル録音のもの、
オープンリールのアンペックス用は、2S305をモニター使用したオリジナルテープ「ティファナ・タクシー」。

このことから見えてくるものは人によって違ってくるかもしれない。
おそらく違うだろう。
こんなことが何の役になるのか、と思う人もいるだろうけど、見えてくるものがはっきりとあることは確かである。

Date: 11月 15th, 2014
Cate: 新製品

新製品(その13)

ステレオサウンド 60号は創刊15周年記念号で、特集はアメリカン・サウンドだった。
瀬川先生が登場された最後のステレオサウンドになった。

4345について、瀬川先生が語られている。
     *
 もちろん、中~高域にかけて、ネットワークやユニットの部分改良があり、全体によくなっているという発表はありますが、それだけではないと思うんです。やはり、あの低音の土台あっての柔らかさだ。自分のうちへ持ち込んでみてびっくりしたんですが、音がすばらしくソフトなんです。実に柔らかくてフワーッとしています。しかしそれは、腰抜けの柔らかさじゃなくて、その中にきちんと芯がある。かなり惚れ込んで聴いています。
 もちろん、まだまだパーフェクトだとは思いません。むしろ、4345まで聴いてみて、改めて、JBLでは鳴らせない音というものが、だんだんぼくの頭の中ではっきりし始めました。
 たとえばイギリスのBBCの流れをくむモニタースピーカーを、いい状態で鳴らしたときに、弦楽四重奏なんかをかけると、鳴った瞬間からウッドの胴体を持った弦の音が突然目の前に出現するけれど、4345では、いきなりそういう感じはなかなか出ないですね。どうしても中に金っ気がまじります。JBL嫌いの人は、昔からそこを非常にオーバーに指摘してきた。それは4345になってずいぶん抑えられたとはいうものの、どうしようもなくちゃんと持っていますね。あそこは越えがたい一線じゃないかという気がする。スピーカーがかなりパーフェクトに近づいてきて初めて、そこのところが見えてきたみたいな……。あるは少しはあばたがえくぼでなくなってきたのかなという気はします。でも、全体としてはやっぱり凄く惚れ込んでいますよ。
     *
ステレオサウンド 58号の記事はもうほとんど記憶していた。
やっぱり4345はいいスピーカーなんだ、PM510はもう目標としなくともいいのかもしれない、と思いながら、
途中まで読んでいた。

けれど、4345まで聴いてみて、改めて、JBLでは鳴らせない音がある、と発言されている。
そしてBBCモニターを引き合いに出されている。
こうも言われている。
「スピーカーがかなりパーフェクトに近づいてきて初めて、そこのところが見えてきたみたいな……。」と。

やはりPM510は必要なのか。
そうなると4345とPM510となるのか。

だが4345は4343ほどカッコよくない。
ステレオサウンド 58号で書かれていたことが浮んでくる。
     *
 ♯4343と並べてみると、ずいぶん大きく、しかもプロポーションのせいもあってか、ややズングリした印象だ。♯4343は、初対面のときからとてもスマートなスピーカーだと感じたが、その印象は今日まで一貫して変らない。その点♯4345は、寸法比(プロポーション)も、またそれよりもいっそう、グリルクロスを外して眺めたときのバッフル面に対するユニットの配置を含めて、♯4343の洗練された優雅さに及ばないと思う。この第一印象が、これから永いあいだに見馴れてゆくことで変ってゆくのかゆかないのか、興味深いところだ。
     *
瀬川先生は4345のプロポーションを見馴れてゆかれたのだろうか。
それについての発言は60号にはなかった。

見馴れてゆくにしろ、4343の「洗練された優雅さ」は4345にはないことは変ってゆかない。
ならば、4343(アルニコ)とPM510ということになるのか。
目標が揺らいでいく……。

Date: 11月 15th, 2014
Cate: ショウ雑感, ジャーナリズム

2014年ショウ雑感(オーディオ・ジャーナリズム・その4)

別項でふれているMAC POWERというMac関係の月刊誌。
MAC POWERはあるときから編集者が誌面に積極的に登場するようになっていった。
ステレオサウンドの、編集者は黒子であれ、とはまさに正反対の編集方針であり、
そのこともMAC POWERを面白く感じる理由になっていたように思う。

MAC POWERでは筆者の記事よりも、編集者の記事の方が興味深いことも少なくなかった。
そのことは編集部も感じていたのかもしれない。
おそらく筆者も感じていたことだろう。
そうやって本が面白くなっていく。
けっこうなことだと思うし、そういう編集方針をオーディオ雑誌に取り入れたら、とも想像していた。

MAC POWERと似たようなことはステレオが以前からやってはいた。
編集部による実験的な試聴記事が毎号数ページ掲載されていた。

だが、それはどうしても内輪ネタといった印象から抜け出ることはなかった。
少なくとも私はそんなふうに感じていた。
MAC POWERにはそういうところが皆無だったとはいわないけれど、内輪ネタには留まっていなかった。
だから面白く読めた。

ステレオサウンドでMAC POWERのように編集者が積極的に誌面に登場するようにはできないか、
それになぜ編集者は黒子でなければならないのか、について考えてもいた。

ある時、ある人から聞いた。
ステレオサウンドがオーディオ評論家を前面に推し出し、編集者を黒子とするのか、
その理由についてである。

ある人は、原田勲氏から直接聞いたこととして、私に話してくれた。
「そういう理由もあったのか……」と思った。

いまここで、その理由については書かない。
いつか書くことになるかもしれないが、いまは書かない。

ある人から聞いたことだけが黒子の理由の全てではないにしても、
こういう考えがあるのなら、編集者にオーディオ・ジャーナリズムは芽生えない、とだけはいっておく。

Date: 11月 15th, 2014
Cate: ショウ雑感, ジャーナリズム

2014年ショウ雑感(オーディオ・ジャーナリズム・その3)

私が在籍していたころのステレオサウンドの編集長は原田勲氏だった。
いまオーディオ評論家になられている黛さんが編集次長だった。
とはいえ、実質的に黛さんが編集長であった。

この時代、原田編集長からいわれていたことは「編集者は黒子だ」ということだった。
これはステレオサウンドという専門雑誌を創刊して20年近く、
つねにオーディオ雑誌としてトップにいつづけてきたことから得たことなのだろう。

あの時代は黒子でよかった、というよりも、黒子であったから、ステレオサウンドはうまくいった。
けれど編集者が黒子でいては、編集者にジャーナリズムは芽生えるのだろうか、といまは思う。

別項「オーディオにおけるジャーナリズム」でも引用している瀬川先生の、ステレオサウンド 50号での発言。
     *
新製品をはじめとするオーディオの最新情報が、創刊号当時にくらべて、一般のオーディオファンのごく身近に氾濫していて、だれもがかんたんに入手できる時代になったということも、これからのオーディオ・ジャーナリズムのありかたを考えるうえで、忘れてはならないと思うんです。つまり初期の時代、あるいは、少し前までは、海外の新製品、そして国産の高級機の新製品などは、東京とか大阪のごく一部の場所でしか一般のユーザーは手にふれることができなかったわけで、したがって「ステレオサウンド」のテストリポートは、現実の新製品知識を仕入れるニュースソースでもありえたわけです。
 ところが現在では、そういった新製品を置いている販売店が、各地に急激にふえたので、ほとんどだれもが、かんたんに目にしたり、手にふれてみたりすることができます。「ステレオサウンド」に紹介されるよりも前に、ユーザーが実際の音を耳にしているということは、けっして珍しくはないわけですね。
 そういう状況になっているから、もちろんこれは「ステレオサウンド」だけの問題ではなくて、オーディオ・ジャーナリズム全体の問題ですけれども、これからの試聴テスト、それから新製品紹介といったものは、より詳細な、より深い内容のものにしないと、読者つまりユーザーから、ソッポを向かれることになりかねないと思うんですよ。
     *
ここでのオーディオ・ジャーナリズムにはオーディオ評論家、オーディオ雑誌の編集者も含まれて、のはずである。
だが実際にはどうだったのか。

試聴という取材の場に立ち会ってはいても取材をしているとはいえない編集者。
黒子でいいのであれば、これでもいい。
むしろ、好都合といえるのか。

だがオーディオ・ジャーナリズムを芽生えさせ育てていくうえで、黒子のままでよかったとはいえない。

Date: 11月 15th, 2014
Cate: 新製品

新製品(その12)

56号から半年後のステレオサウンド 58号。
ここにJBLの4345の記事が載る。
もちろん瀬川先生が書かれている。
試聴記の最後に、こうある。
     *
一応のバランスのとれたところで、プレーヤーを、P3から、別項のマイクロSX8000とSMEの新型3012Rの組合せに代えてみた。これで、アッと驚くような音が得られた。が、そのことはSMEの報告記のほうを併せてご参照頂くことにしよう。
     *
58号の新製品紹介のページには、SMEの3012-Rも登場している。
さっそく読む。
     *
 音が鳴った瞬間の我々一同の顔つきといったらなかった。この欄担当のS君、野次馬として覗きにきていたM君、それに私、三人が、ものをいわずにまず唖然として互いの顔を見合わせた。あまりにも良い音が鳴ってきたからである。
 えもいわれぬ良い雰囲気が漂いはじめる。テストしている、という気分は、あっという間に忘れ去ってゆく。音のひと粒ひと粒が、生きて、聴き手をグンととらえる。といっても、よくある鮮度鮮度したような、いかにも音の粒立ちがいいぞ、とこけおどかすような、あるいは、いかにも音がたくさん、そして前に出てくるぞ、式のきょうび流行りのおしつけがましい下品な音は正反対。キャラキャラと安っぽい音ではなく、しっとり落ちついて、音の支えがしっかりしていて、十分に腰の坐った、案外太い感じの、といって決して図太いのではなく音の実在感の豊かな、混然と溶け合いながら音のひとつひとつの姿が確かに、悠然と姿を現わしてくる、という印象の音がする。しかも、国産のアーム一般のイメージに対して、出てくる音が何となくバタくさいというのは、アンプやスピーカーならわからないでもないが、アームでそういう差が出るのは、どういう理由なのだろうか。むろん、ステンレスまがいの音など少しもしないし、弦楽器の木質の音が確かに聴こえる。ボウイングが手にとるように、ありありと見えてくるようだ。ヴァイオリンの音が、JBLでもこんなに良く鳴るのか、と驚かされる。ということきは、JBLにそういう可能性があったということにもなる。
 S君の提案で、カートリッジを代えてみる。デンオンDL303。あの音が細くなりすぎずほどよい肉付きで鳴ってくる。それならと、こんどはオルトフォンSPUをとりつける。MC30とDL303は、オーディオクラフトのAS4PLヘッドシェルにとりつけてあった。SPUは、オリジナルのGシェルだ。我々一同は、もう十分に楽しくなって、すっかり興に乗っている。次から次と、ほとんど無差別に、誰かがレコードを探し出しては私に渡す。クラシック、ジャズ、フュージョン、録音の新旧にかかわりなく……。
 どのレコードも、実にうまいこと鳴ってくれる。嬉しくなってくる。酒の出てこないのが口惜しいくらい、テストという雰囲気ではなくなっている。ペギー・リーとジョージ・シアリングの1959年のライヴ(ビューティ・アンド・ザ・ビート)が、こんなにたっぷりと、豊かに鳴るのがふしぎに思われてくる。レコードの途中で思わず私が「おい、これがレヴィンソンのアンプの音だと思えるか!」と叫ぶ。レヴィンソンといい、JBLといい、こんなに暖かく豊かでリッチな面を持っていたことを、SMEとマイクロの組合せが教えてくれたことになる。
     *
これを読み、私の目標はまた変更になった。
4345とSMEの3012-R。
このふたつがあれば、スピーカーは一本(1ペア)ですむかもしれない、と。

4343とPM510(スピーカーとスピーカー)が、4345と3012-R(スピーカーとトーンアーム)へと変っていく。
けれど、また半年後のステレオサウンド 60号で迷うことになる。

Date: 11月 15th, 2014
Cate: 新製品

新製品(その11)

そうなると気になってくることがあった。
ステレオサウンド 54号の瀬川先生の4343Bの試聴記の最後にある。
     *
音量を絞り込んだときの音像のクリアネスでは、旧型がわずかによいのではないか。
     *
これが気になってきた。
54号を読んだときにすでに、すこし気になっていたけれど、
それはBタイプの「ふっくら」と引き替えに、ということで納得できていた。

けれどPM510と4343という、一体いつになったら実現できるのかわからないことを夢想しはじめると、
フェライトの4343Bよりもアルニコの4343こそが、私にとって、ということ以上に、
PM510といっしょに使うスピーカーとして、
音量を絞り込んだときの音像のクリアネスのよさは、よりよいのではないか、と。

アマにこの4343はなくなってしまう。買えないわけだ。
だからウーファーの2231Aとミッドバスの2121だけでも、なんとか買っておこうか、と考えたこともある。

4343と4343Bの違いは、ウーファーとミッドバスだけの違いであり、
エンクロージュアもネットワークも同じである。
正確にはレベルコントロールの表示が4343BではdB表示に変更されている。

とにかく数年後に4343Bをなんとか手に入れるとして、
そのときにウーファーとミッドバスをアルニコのユニットに換装する。
そうすれば新品のアルニコの4343を手に入れたのと同じになる。

これも高校生の私には実現できなかったプランである。
こんなことを夢想しながら、あのころはステレオサウンドを読んでいた。

Date: 11月 15th, 2014
Cate: 新製品

新製品(その10)

4343と4343B。
ステレオサウンド 54号の記事を読みながら、目標は4343Bへと変っていった。
いますぐ買えるのであればどちらにするのかはわからないけれど、
早くても数年後であれば、4343Bということになる。

けれど半年後のステレオサウンド 56号。
ここにロジャースのPM510が登場している。
瀬川先生が書かれている、その記事を読んでいて、
やっぱり4343Bではなく4343かも……、と思いはじめていた。

PM510という新製品は、このスピーカーに惚れたということだけではなかった。

瀬川先生はKEFのLS5/1A、それにJBLの4341の両方を鳴らされていた。
4341は4343になり、最後は4345になっている。

私も……、と当時思っていた。
LS5/1Aは入手できない。
そんなところにPM510が出て来た。

PM510と4343。
実はこれが目標であった。

瀬川先生のPM510の試聴記を読めば、ここにも「ふっくら」とした魅力があることが伝わってくる。

同じ「ふっくら」でもPM510と4343Bのそれとでは同じではないことはわかっている。
わかっていても、PM510も目標となると、
そしてPM510と4343の両方を鳴らすのであれば、4343Bよりも4343のほうが、
両者の個性が際立つのではないか、そんなことを想像していた。

どちらもすぐには買えないのに、だ。

Date: 11月 15th, 2014
Cate: スピーカーとのつきあい

emotion

感情はemotion。
emotionは、外(ex)と持ち出す(motion)から成っている。

いまの時代、メール(mail)にeがついてe-mail、EMAILとなり、電子メールのことである。
電子ブックがePubであったりする。

この場合のeは電子のことであり、emotionのe(ex)とは違うのはわかっている。
わかったうえで、オーディオのこと、
スピーカーの鳴らし方について考えると、
ここでのemotionのeは、外(ex)だけでなく、電子でもあるような気がしてくる。
もちろんこじつけである。

別項「理由」の(その20)に、こう書いた。

音楽は「感性的」なもの。オーディオを通して、その「感性的な」音楽を聴くときに、
スピーカーには「感情」を、私は、いまは求めようとしています。

スピーカーは電気・電子によって動くもの。
ゆえにemotionだと思えるし、まさにemotionでもあるといえる。

Date: 11月 14th, 2014
Cate: 素材

羽二重(HUBTAE)とオーディオ(舟を編む)

先日、映画「舟を編む」を観た。
国語辞典をつくる話だ。

辞典をつくっていくことの大変さは、なんとなく想像はしていたけれど、
実際はこれほど大変なことなのか、と知らされた。
校正にしても、雑誌と辞典では回数が大きく違う。

この物語の主人公は、辞書編集部の馬締光也。
国語辞典つくりが佳境になってきたころ、
製紙会社からもちこまれた紙について「ぬめり感がない」というシーンがある。
「ぬめり感?」ととまどう製紙会社の社員に、ある辞書をめくりながらぬめり感を説明する。

良質の辞書を使っている人ならば、辞書に使われている紙が薄く、指に吸いつくように、
けれど数ページがまとまってめくれたりはしないことを思い出されるはず。

辞書に使われている紙は薄い。
厚ければページ数の多い辞書の厚みはさらに増し、使いにくくなる。
薄くて丈夫で、一ページ一ページをきちんとめくれること。

このぬめり感(紙の質感)もまた、辞書のデザインであると気づかされた。

Date: 11月 13th, 2014
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(RIAAカーヴについて・まず大事なのは、聴くこと)

レコード(アナログディスク)は思い入れをこめやすいメディアである。
だが忘れてはならないのは、アナログディスクも工業製品である、ということだ。
大量複製される工業製品であり、工業製品である以上、そこにはなんらかの規格が存在する。

レコード会社が意図的にステレオ以降もRIAA以外のカーヴでレコードをつくっていたとしよう。
だが、レコード会社が録音カーヴについて伏せている以上、
そのステレオLPの再生カーヴはRIAAで、ということになる。

ラッカー盤のカッティング時にカッティング・エンジニアがなんらかの信号処理をすることはすでに書いた。
リミッターをかけることもある。
イコライザーで周波数特性を操作することもある。
つまり、この信号処理の延長でRIAA以外のカーヴを使用した、と私は考える。

RIAAカーヴなのかどうかについて考える時に、レコード会社側に立って考えてみる。
音質的なメリットがあるとして、RIAA以外のカーヴでレコードをつくったとする。
では、そのレコードをどう再生してもらいたいのか。

録音カーヴと逆の特性のカーヴで再生してほしいのであれば、
そのステレオLPのジャケットにその旨を書いておくのではないだろうか。
なんら記載がないということは、仮にRIAA以外のカーヴでつくられたレコードだとしても、
再生カーヴはRIAAで、ということになる。

再生はRIAAカーヴでいいから、録音カーヴについての情報がなにも与えられていない。
そういうことなのではないのか。
カッティング時にイコライザーをいじる。
だが、そのことについての情報は何も与えられない。

どの周波数をどのくらい上げ下げしたのか、
仮にそのことがジャケットに記載されていようと、何になるのか、と思う。
録音カーヴにしても同じことである。

それでも録音カーヴと逆の特性で再生しなければならない、と言い張る人はいる。
そう考えるのならば、そうしたらいいではないか。
だがレコード会社から録音カーヴについて、なんの情報も与えられていなければ、
それはRIAAカーヴで再生することがレコード会社の意図に添う再生であり、
録音カーヴと逆のカーヴで再生することが、レコード会社の制作意図に添う、とはいえない。