オーディオ評論家は読者の代表なのか(その6)

ステレオサウンド 2号の表2の文章は原田勲氏が書かれたものだとしよう。
ほかの人による可能性は低い。

この文章の最後に、
《本誌が「聴」の世界をひらく
眼による水先案内となれば幸いです》
とある。

本誌とはいうまでもなくステレオサウンドのことである。
つまりステレオサウンドが眼による水先案内となることを、
ステレオサウンドを創刊した原田勲氏は、このとき考えていた(目指していた)ことになる。

ステレオサウンド 2号の表2にこう書いてあるのだから、
これがステレオサウンド創刊時の編集方針といっていい。

水先案内とは、目的地に導くことである。

2013年の、ステレオサウンド編集長の新年の挨拶にあった
《素晴らしい音楽を理想の音で奏でたい、演奏家の魂が聴こえるオーディオ製品を世に広く知らせたい》
という編集方針と、
《「聴」の世界をひらく眼による水先案内となれば幸い》という編集方針は、果して同じことなのだろうか。

何も大きくズレているわけではないが、同じとは私には思えない。

けれど現ステレオサウンド編集長は、創刊以来変らぬ編集方針として、
《素晴らしい音楽を理想の音で奏でたい、演奏家の魂が聴こえるオーディオ製品を世に広く知らせたい》
と書いている。

微妙に変ってきているとしか思えない。

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