Date: 1月 21st, 2015
Cate: オーディオの「美」
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オーディオの「美」(美の淵)

絶望の淵とか死の淵などという。
絶望の淵に追いやられる、死の淵に立たされる、ともいう。

幸いなことに、私はまだ死の淵、絶望の淵に立たされたり追いつめられてはいない。

オーディオは美の淵なのだろうか、とふと思った。

よくオーディオは泥沼だ、といわれる。
いまもそうなのかはよく知らないが、昔はよくいわれていたし書かれてもいた。
その泥沼に喜んで身を沈めていくのがオーディオマニアである、とも。

この項へのコメントを、川崎先生からfacebookにいただいた。
「オーディオの美ではなく、オーディオはすでに美であるべき!」とあった。

オーディオは美であるべきなのに、それを泥沼とも表現する。
泥沼は泥沼である。もがけばもがくなど深みにはまっていく。そして抜け出せなくなる。

けれど、この泥沼はオーディオマニアと自認する人、まわりからそう呼ばれる人にとっては、
案外と居心地のよいところもあるのかもしれない。

でも、それでも泥沼は泥沼である……。

こんなことを考えていた。
そして、この泥沼の淵は美の淵なのだろうか、とも考えた。

いまのところは、美の淵という言葉を思いついただけである。
この美の淵に、オーディオは聴き手を導いてくれるのか。

なにもはっきりとしたことは、まだ書けずにいる。
それでも、美の淵について考えていこう、と思っている。

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