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Date: 5月 19th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(あるキャンペーンを知って・その4)

32、65、29、46、49、45、37、29、43、22、36、20、40、38、24。
28、32、25、26、28、46、29、41、29、37、35。

上はコンポーネントステレオの世界 ’77に登場した架空の読者の年齢、
下は’78に登場した架空の読者の年齢設定である(記事の順番通りに並べている)。

若い設定だと、いまは感じる。
当時は当り前のように感じていたのに、である。

いまもしステレオサウンド編集部が、架空の読者の手紙から始まる組合せの別冊をつくったとししよう。
どんな年齢設定になるのかを考えてみると面白い。

Date: 5月 19th, 2015
Cate: pure audio

ピュアオーディオという表現(その1)

いまではホームシアターというようになっているが、
以前はAV(エーブイ)、オーディオ・ヴィジュアルと呼んでいた。

VHD、レーザーディスクといったビデオディスクの登場、テレビの大型化、
その他のもろもろのことにより盛り上ってきて、
オーディオ(音だけの世界)に、映像(ヴィジュアル)が加わり、
新しい趣味としてとりあげられるようになっていった1980年代。

ちょうどそのころ私はステレオサウンドにいた。
私が働きはじめたころ、まだサウンドボーイがあった。
これが休刊になり、1983年秋、ステレオサウンド/テープサウンド別冊として、AV ’83が出た。
そして1983年12月号を創刊号とするHiViが登場する。

ピュアオーディオ(pure audio)といわれるようになってきたのは、そのころからである。

これまで音だけのオーディオに親しんできた・取り組んできたオーディオマニアの中には、
AVに対して、ある種の拒否に近い反応を示す人もいた。
AVに熱心な人たちは、そういう人たちに対して、こんなことをいっていた。

本来音楽は音と映像がいっしょであった。
それが技術的な問題で音だけになってしまったわけで、
コンサートに行けば視覚的・聴覚的、その両方で音楽を楽しむ。
だからAVこそが、本来の音楽の楽しみ方であり、
音だけのオーディオは、いわば片輪の楽しみ方でしかない、と。

大輪ねそんなことがいわれていた。

ピュアオーディオは、これに対する反論として生れてきたように、私は認識している。

Date: 5月 19th, 2015
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(余談・KT120のこと・その1)

「五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか」について書いていると、
いま五極管シングルアンプを作るとなったら、どんなアンプにするかも考えている。

いわゆるラジオ球を使って小さくまとめるのもいいけれど、
もし作るのでなあれば、しっかりと使えるアンプとしたい、という気持もある。

となると出力もある程度は欲しい。
300Bシングルアンプが約8Wだから、それよりも大きな出力としたい。
20W程度あれば、私の場合、十分である。

それからいくつかの条件がある。
あまり高価な球、入手がめんどうなモノは避ける。
それから出力管の寿命は長い方がいい。

他にも細かな条件はいくつかあるが、それらを勘案して選ぶとなると、Tung-SolのKT120となる。
マッキントッシュのMC275、マイケルソン&オースチンのTVA1、ジャディスのJA80などに使われたKT88、
それでもいいじゃないかと思うけれど、
あくまでも私個人の印象で裏付けは特にないのだが、どうもKT88という球は寿命が短いような気がする。

いま入手できるKT88はそうではないのかもしれないが、
以前のKT88に対する印象は、私の場合、そうである。

KT120という型番からもわかるように、KT88のプレート損失43Wをこえる60Wのビーム管である。
最大定格での動作時にはA級シングルで25Wの出力が得られる。
KT120の上にKT150という球もあるけれど、こちらは形が気にくわないので、
私にとってはKT120ということになる。

このKT120という球を、私は五極管接続で使う。

Date: 5月 19th, 2015
Cate: audio wednesday

第53回audio sharing例会のお知らせ(井上卓也氏を語る)

6月のaudio sharing例会は、3日(水曜日)です。

2003年にステレオサウンドから「マランツのすべて」が出た。
このムックに「私とマランツ」というページがあり、細谷信二さんが書かれている。
ここに井上先生のことが出てくる。
     *
マランツのアンプに対する憧憬は、より身近なものになり、同時にすぐにでも手に入れたい、と思うようになった。だが、当時でも、マランツ#7とModel 2の組合せは高価で、パワーアンプをModel 8Bにしても手が出ない。
「マランツ#7の本当の良さは、弦楽器の艶やかさと声の潤いにあるんだ。ただね、中古だからコンディションによっては音像がボケていたり、甘すぎる音の#7もあるよ。低音の締まりの良さや量感、パワーの噴け上がりだったら、#7Tの方が良いだろう」と言ってくれたのは井上さんだ。ぼくは、この言葉を信じた。
(中略)
ジャズともポップスともいえるヴォーカルをよく菊陽になり、マランツのソリッドステートアンプModel 15の中高域の硬さが気になってきた。そんな時に、また先輩の声が聞こえてきた。
「JBLのC34って、C40よりもきちんと低域のホーンロードが掛かっているシステムだろう。だから、プリアンプはソリッドステートでいいけど、パワーアンプは出力トランスをもっている管球式の方が、きっと制動の効いた良い中低音になるよ」と井上さん。
     *
細谷さんは、ダイナコのMarkIIIを入手されている。
まだまだマランツのModel 8BもModel 2も高価だったからだ。

私は、この細谷さんの文章を読んで、井上先生らしい、と思っていた。

時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 5月 19th, 2015
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(その4)

五極管シングルアンプをステレオ仕様で作ることを考えてみよう。
出力管は、いわゆるラジオ球と呼ばれるモノから、
もう少し出力が欲しければ6L6系列の球でもいい。
入手簡単だし、価格も真空管のブランドにこだわらなければ安価である。

だからインターネットでみかけた6L6のシングルアンプを初心者にすすめるのはわからないわけではない。
けれど6L6を出力段に使ったとして、どうするのか。

三極管ならば三極管として使う以外の方法はないが、
五極管は五極管接続の他に、UL接続、三極管接続がある。

私の勝手な想像だが、おそらく6L6系列の球でシングルアンプは、
三極管接続のような気がする。
五極管をわざわざ三極管接続にすることによるメリットは、
オーバーオールのNFBなしでも問題が特に生じない、ということだろう。
五極管接続のまま、出力トランスを含めたオーバーオールでのNFBをかけないと、
一般的にダンピングのきかいな低音になりがちである。
伊藤先生もいわれているが、五極管の場合、適切なNFBをかけることが必要となる。

三極管接続であれば、NFBなしでもいける。
同じ球であっても、五極管接続、UL接続、三極管接続では音が違ってくる。
どの接続の音をとるのかは人によって違ってくる。

ただ私は、五極管の三極管接続はやらない。
お好きな人はやればいいし、そのことを否定はしないが、
私自身は五極管を使っているのだから、五極管接続かUL接続ということになる。

初心者だったころから三極管接続に対して、なぜこんなことをするのだろうかという疑問があった。
なにかすっきりしないものを感じていた。
それから数年後、伊藤先生にいわれたことがある。
「三極管接続にはするな」と。

伊藤先生もそうなのか、とすっきりした。

Date: 5月 19th, 2015
Cate: 4343, JBL, 組合せ

4343の組合せ(その2)

「コンポーネントステレオの世界 ’77」の取材は1976年10月ごろ行われていることが、
岩崎先生によるエレクトロボイスSentryVの組合せの記事(222ページ)でわかる。

4343はステレオサウンド 41号の新製品紹介のページに登場しているから
黒田先生はまだ4343を購入されていない。
同じJBLの4320を鳴らされていた時期である。

架空の読者である金井さんがよく聴くレコードとして挙げられている三枚は、
ベーム指揮のコシ・ファン・トゥッテ、カラヤン指揮のオテロとボエームで、
レーベルはドイツ・グラモフォン、EMI、デッカとあえて違うようにしてある。

ベームのコシ・ファン・トゥッテは三種のレコードが出ている。
ここではドイツ・グラモフォン盤なので、ウィーンフィルハーモニーとのライヴ録音である。

カラヤンのとオテロは、再録音をよく行っていたカラヤンではあるが、
旧録音(デッカ)から10年ほどでの再録音である。
交響曲や管弦楽ならばこのくらいのスパンでの再録音はあっても、
オテロはいうまでもなくオペラである。
オペラで、このスパンの短さはほとんど例がない。

カラヤンの旧録音のオテロについて、
黒田先生は「録音のあとでカラヤンはしくじったと思ったのではないのか」と推測されている。
(ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’76」より)

これらのレコードを用意しての、組合せの取材である。
しかもスピーカーは最初から4343に固定してある。

これは井上先生とレポーターの坂清也氏、ふたりによるある種のワナのようにも思えてくる。
もちろん、いま読む、とである。
黒田先生への用意周到なワナである。

黒田先生は前年の「コンポーネントステレオの世界 ’76」巻頭の、
シンポジウム「オーディオシステムにおける音の音楽的意味あいをさぐる」で、
岡先生、瀬川先生とともに4343の前身である4341を聴かれている。

Date: 5月 19th, 2015
Cate: 対称性

対称性(その2)

アクースティック蓄音器は、100年以上前にエジソンがその原型を発明した時点から、
対称性が確保されていたというか、対称性により動作が成り立っていた。

朝顔と呼ばれるホーンがマイクロフォンであり、
針先に振動を伝え蝋管に音溝をカッティングしていく。
これが録音であり、再生はその逆である。

ホーンは音の入口でもあり、音の出口でもある。
それが蓄音器に電気が加わることで、
マイクロフォンとスピーカーが別個のものになっていく。
ここで対称性は崩れていった。
少なくともそう見える。

そう見えるから、対称性が崩れた、と前回書いた。
書いておきながら、少し考えてもいた。
ほんとうに対称性は崩れていったのか、
それとも何かに変っていったのかもしれない、と。

そうだとすれば、対称性が変化していった先にあるのは、なんなのか。
オーディオにおいて、そのひとつはデザインだと考えている。

Date: 5月 18th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(あるキャンペーンを知って・その3)

一昨日(16日)、中野で開催されていたヘッドフォン祭に行ってきた。
昨年秋に行っていたので、どんな様子かはだいたわかっていたけれど、
それでも今回は一階のエレベーターに乗る前に行列が出来ていた。
最後尾には、それを知らせる看板を持ったスタッフも立っていた。

昨年秋の時には、こんなふうではなかっただけに、少々驚いた(たまたま私が行った時間帯がそうだったのかも)。
今回はフロアーも増えている。それでもなかなかの混みようだった。
昨秋と同じことのくり返すことになるが、若い世代が圧倒的に多い。

このことはわかっていたけれど、今回はインターナショナルオーディオショウの来場者と比較してしまう。
今月初めに見たステレオサウンド・メディアガイドの年齢分布が頭にあったからだ。

インターナショナルオーディオショウの年齢分布は、ステレオサウンド・メディアガイドと一致する。
年齢層が高いし、若い世代は少ない。
ここだけみていると、オーディオは中高年以上が主体の趣味とうつる。
けれどヘッドフォン祭に行くと、その違いに改めて驚く。
来場者の年齢に関係するのかもしれないが、雰囲気が違う。
来ている人たちの楽しんでいる感じは、ヘッドフォン祭が上だ。

この違いは出展者の人たちは、私よりもずっと肌で感じているはずだ。
ステレオサウンドがステレオサウンド・メディアガイドに書かれている方向に邁進するのであれば、
期待できないと思っている出展者もいるのではないか。

今回印象に残ったのはあるメーカーのブースで、
30代と思われる人が、やや興奮気味に「これこそピュアオーディオだ!」と大きな声を出していたことだ。
何が彼を興奮させたのかはわからなかった。
彼の中でヘッドフォンでのオーディオとピュアオーディオは同じなのか、
そこが知りたいと思いつつ会場を後にした。

Date: 5月 18th, 2015
Cate: audio wednesday

第53回audio sharing例会のお知らせ(井上卓也氏を語る)

6月のaudio sharing例会は、3日(水曜日)です。

3月に井上先生の著作集がステレオサウンドから発売になった。
そのこともあってだろう、インターネットで井上先生のことが話題になっているのをみて、
井上先生のイメージは、こんなふうなのかと思った。

その中でひとつ気になったことがあった。
具体的には書かないが、肝心なところでの認識不足とでも言おうか、こまかなことであっても、
それとこれと混同してしまうと、井上先生が書かれていたことを正しく読んだことにはならない。

そういったことも含めて、井上先生のことを語っていく。

時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 5月 17th, 2015
Cate: 組合せ

4343の組合せ(その1)

4343の組合せ。
これだけで私の頭の中にはあれこれ浮んでくる。

最初に浮ぶのはステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’77」での、
ふたつの組合せである。
ひとつは井上先生によるもの、もうひとつは瀬川先生によるもの。

井上先生の組合せは、コントロールアンプがAGIの511、パワーアンプがマランツのModel 510M、
カートリッジはピカリングのXSV/3000、ターンテーブルはビクターのTT101、トーンアームはビクターのUA7045。

この組合せはオペラ好きの架空の読者からの手紙に応えて、というもの。
この記事を読んだときは気づかなかった。
この井上先生の組合せは、おぶざーとして参加された黒田先生に対する、
いわばプレゼンテーションである。

ここでの架空の読者、金井康雄氏はヨーロッパのおぺハウスで毎年オペラをきかれてるという設定。
記事は井上先生と金井さんとの対話を中心にまとめられている。

この記事を読んだ中学二年のとき、
まだ架空の読者だということは知らなかったから、
ステレオサウンドの読者はレベルが高いなんだなぁ、と感心するとともに、
少しばかり驚いてもいた。

スピーカーは4343に固定で、まずパワーアンプを複数機種聴いていく。
そこでの金井さんの音についての印象の的確なこと、
それにはオペラのレコードに対する聴き方の心得方も感心しながら読んでいた。

Date: 5月 16th, 2015
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(オーディオと黒・その1)

岩崎先生の「私のサンスイ観」を読んでいて、サンスイのプリメインアンプAU111から、
アンプのブラックパネルが始まっている可能性に気づいた。
     *
 三題ばなしのテーマではないけれど、どうも「サンスイ」というと「トランス」「黒(ブラック)パネルのアンプ」というイメージが、オーディオ・ファンの脳裏に浮かぶ。それから続いて連鎖反応的に出てくるのが、米国のマッキントッシュの名だ。
 同じように黒いパネルの、重厚きわまりないアンプは一流中の一流ブランドとして知られ、個性的な風格は世界中のオーディオ製品中にあっても、もっとも強烈なるオリジナリティをもって受け止められているはずだ。このマッキントッシュの前にあってはさすがにサンスイの名もかすみそうに誰しもが感じるだろう。
 ところがである。なんと「黒(ブラック)パネル」はサンスイ・ブランドの方が早いのだ! アンプにおける個性的なブラックパネルは、サンスイのAU111において一九六五年に日本市場に製品として出た。
 マッキントッシュは上半分が黒、下半分がゴールドのパネルのC24に変え、一九六八年になって初めて真黒なパネルのC26が米国でデビューするから、先がけること3年である。マッキントッシュはモノーラル時代はゴールドパネルであった。
     *
AU111は1965年8月発売である。
同じ年の3月にJBLと総代理店契約を結び、輸入を開始している。

JBLのプリメインアンプSA600もこの年に登場している。
このSA600のパワーアップヴァージョンのSA660は、1968年の登場。
ここでフロントパネルがブラックに変更される。
マッキントッシュのC26とほぼ同時期である。

記憶をたどってもAU111以前にブラックパネルのアンプがあったとは思い出せない。
日本だけではない、アメリカのアンプでもC26、SA660以前に、
何かあっただろうかと思い出そうとしているが思い浮ばない。

AU111が、ブラックパネルの元祖だと謳っていたことは知っていた。
でも日本においてのことだと、勝手に思い込んでいた。

AU111以前にアメリカ、ヨーロッパでブラックパネルのアンプは存在していたのだろうか。

Date: 5月 15th, 2015
Cate: モノ

モノと「モノ」(主従の契り・その1)

用いずば器は美しくならない。器は用いられて美しく、美しくなるが故に人は更にそれを用いる。
人と器と、そこには主従の契りがある。器は、仕えることによって美を増し、主は使うことによって愛を増すのである。
人はそれらのものなくして毎日を過すことができぬ。器具というものは日々の伴侶である。私達の生活を補佐する忠実な友達である。誰もそれに頼りつつ一日を送る。その姿には誠実な美があるのではないか。謙譲な徳が現れているのではないか。
     *
柳宗悦氏の「美学論集」からの引用だ。

《人と器と、そこには主従の契りがある》とある。
人が主であり、器が従である。
器をオーディオに置き換えたとしても、人が主であることに変りはないし、
そのままオーディオを語っているといえる。

それでも言いたいのは、ごく短い期間でいい、
一年とか半年、人が従で器(オーディオ)が主という時間を持ってほしいということ。
できれば若いうちがいい、と思う。

私にはそんな時があった。

Date: 5月 15th, 2015
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その4)

私がステレオサウンドで働いていたとき、
細谷信二、傅信幸、小林貢、朝沼予史宏の四氏に対しては、さん付けで呼んでいた。
細谷さん、傅さん、小林さん、朝沼さんの場合は本名の沼田さん、と呼んでいた。

なぜなのか、といまごろ考えている。
この方たちとは約12ほど年が違う。
このときこの方たちは30代だった。
若手のオーディオ評論家と呼ばれていた。

若手だからという理由だけで、先生ではなく、さん付けで呼んでいたとは思わない。

私はデザイナーの川崎和男氏を、川崎先生と呼んでいる。
川崎先生は1949年生れだから、14歳違う。
川崎先生と、細谷さん、傅さん、小林さん、朝沼さんは同世代といえる。
傅さんは1951年、細谷さんは1949年生れだったと記憶している。

年齢的なことで先生と呼ばなかったわけではない。
では、なぜなのか。
2008年からブログを書きながら、つねに思っていたことだった。

デザイナーでありオーディオマニアである田中一光氏を先生と呼べなかった理由と、
デザイナーでありオーディオマニアである川崎和男氏を川崎先生と呼ぶ理由となんなのか。

田中一光氏と川崎先生における違い、
川崎先生と同世代のオーディオ評論家と川崎先生における違い、
このふたつの違いは、まったく別の性格の違いなのか、それとも同じ、もしくは近いといえる違いなのか。

いまははっきりと答が出ている。

人は人から学ぶ。
そうやって学んだことを自分のあとに続く世代・人たちにつたえられるか。
結局は、そういうことである。

私は先生と呼んでいる人たちから少なからぬことを、大切なことを学んできた。
いまも学んでいる、といえる。
そうやって学んできたもの・ことのすべてを、ということは無理にしても、
いくつかは私のあとに続いてくれる人たちに伝えていきたいし、伝えていくことはできる。

五味先生の文章から学んできたことを、
そしていまも読み返して学んでいることを、私は誰かにきっと伝えていく、
私から学んでいけるだけのもの・ことは提供していこうと心掛けている。

五味先生だけではない、瀬川先生、岩崎先生、
他にも私が先生と呼んでいる人たちから学んできたもの・ことを、
自分だけのものに留めておかずに、出し惜しみなどせずに伝えていく。

つまり、私が先生と特定の人たちをそう呼ぶのは、
そのことをやっていく(できる)という自負の表明なのだ。

私が田中一光氏、吉田秀和氏、手塚治虫氏を先生と呼ばない(呼べない)理由は、ここにある。
影響を受け、学んできた、といえる。
けれど、オーディオのことのように、そのことをうまく伝えていける自信のなさが、
先生と呼べないことにつながっている。

Date: 5月 15th, 2015
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その3)

小学校低学年のころ、夢中になってテレビ放送をみていたウルトラマン、仮面ライダー。
そういった空想上のヒーロー、それも超人としてのヒーローではなく、
生身の人間としてのヒーローとして夢中になったのは、ブラック・ジャックだった。

手塚治虫による無免許医ブラック・ジャックには憧れていた。
少年チャンピオンに連載がはじまったブラック・ジャックは初回から読んでいた。
1973年だから10歳だった。

ブラック・ジャックがどういう男なのか、
そのころはまだ表面的には捉えていなかったのかもしれないが、
子供心にブラック・ジャックはかっこいい存在だった。

大人になったら、ブラック・ジャックのように生きたい、と思ってもいた。
医者になりたいと思っていたわけではない。
ただブラック・ジャックという生き方を大人になったらできたらいいなぁ、という憧れからだったのか。

ブラック・ジャック以前にも手塚治虫のマンガはよく読んでいた。
いまも昔ほどではないが、読み返している。

つまり、オーディオに興味を持ちはじめる以前の私にとって、
もっとも強い影響を与えていたのは手塚治虫といえた。

その手塚治虫を、手塚治虫氏と書くわけでもないし、先生と呼ぶわけでもない。
手塚治虫と呼び捨てにしている。なぜだろう、と自分でも不思議に思ったことがある。

先生と呼ぶ人、氏をつける人、呼び捨てにする人、
私の中でどういう基準、理由があって、そうしているのか。
このブログを書くようになって゛そのことを考えていた。

Date: 5月 14th, 2015
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その2)

五味先生、岩崎先生、瀬川先生、菅野先生と呼んでいながらも、
音楽評論家となると私が先生と呼ぶのは、黒田恭一氏だけである。

音楽評論家はオーディオ評論家よりも多くの人がいる。
黒田先生と呼ぶのであれば、吉田秀和氏も吉田先生と呼ぶべきなのかも……、と何度も思った。
けれど、文章では吉田秀和氏と書くし、親しい人と話していて吉田秀和氏の話題になったとき、
どう呼んでいるかといえば、吉田秀和と敬称はつけない。

おそらく、というか間違いなく吉田秀和氏は音楽評論で仕事をしている人たちからは、
吉田先生と呼ばれることが多いはずである。

吉田秀和氏の功績の大きさ、書かれたものの多さと質の高さ。
吉田先生と呼ぶことに異を唱える人はごく少数であろう。
それでもなぜか素直に吉田先生と書けない、呼べない。

吉田秀和氏と面識がないのは理由にはならない。
私は五味先生と岩崎先生とも会ったことがない。けれど素直に先生と書いているし呼んでいる。

デザイナーの田中一光氏も同じである。
先生と呼びたい、書きたい気持はもっているけれど、
やはり先生とは書けずに、田中一光氏と書いてしまう。
ここが吉田秀和氏と違うところである。

だから田中一光氏を、田中先生と呼べる人が羨ましく思える。
田中一光氏はステレオサウンドのロゴをデザインされているし、
ステレオサウンドのデザインにも関係されている。
それにオーディオマニアである。

田中先生と呼びたい気持は強いけれど、
デザインについて専門的なことを学んでこなかった私が、先生と呼んでいいのか、と思ってしまうからだ。
だからいまも田中一光氏と書いている。