ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その2)
五味先生、岩崎先生、瀬川先生、菅野先生と呼んでいながらも、
音楽評論家となると私が先生と呼ぶのは、黒田恭一氏だけである。
音楽評論家はオーディオ評論家よりも多くの人がいる。
黒田先生と呼ぶのであれば、吉田秀和氏も吉田先生と呼ぶべきなのかも……、と何度も思った。
けれど、文章では吉田秀和氏と書くし、親しい人と話していて吉田秀和氏の話題になったとき、
どう呼んでいるかといえば、吉田秀和と敬称はつけない。
おそらく、というか間違いなく吉田秀和氏は音楽評論で仕事をしている人たちからは、
吉田先生と呼ばれることが多いはずである。
吉田秀和氏の功績の大きさ、書かれたものの多さと質の高さ。
吉田先生と呼ぶことに異を唱える人はごく少数であろう。
それでもなぜか素直に吉田先生と書けない、呼べない。
吉田秀和氏と面識がないのは理由にはならない。
私は五味先生と岩崎先生とも会ったことがない。けれど素直に先生と書いているし呼んでいる。
デザイナーの田中一光氏も同じである。
先生と呼びたい、書きたい気持はもっているけれど、
やはり先生とは書けずに、田中一光氏と書いてしまう。
ここが吉田秀和氏と違うところである。
だから田中一光氏を、田中先生と呼べる人が羨ましく思える。
田中一光氏はステレオサウンドのロゴをデザインされているし、
ステレオサウンドのデザインにも関係されている。
それにオーディオマニアである。
田中先生と呼びたい気持は強いけれど、
デザインについて専門的なことを学んでこなかった私が、先生と呼んでいいのか、と思ってしまうからだ。
だからいまも田中一光氏と書いている。