Date: 5月 15th, 2015
Cate: モノ
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モノと「モノ」(主従の契り・その1)

用いずば器は美しくならない。器は用いられて美しく、美しくなるが故に人は更にそれを用いる。
人と器と、そこには主従の契りがある。器は、仕えることによって美を増し、主は使うことによって愛を増すのである。
人はそれらのものなくして毎日を過すことができぬ。器具というものは日々の伴侶である。私達の生活を補佐する忠実な友達である。誰もそれに頼りつつ一日を送る。その姿には誠実な美があるのではないか。謙譲な徳が現れているのではないか。
     *
柳宗悦氏の「美学論集」からの引用だ。

《人と器と、そこには主従の契りがある》とある。
人が主であり、器が従である。
器をオーディオに置き換えたとしても、人が主であることに変りはないし、
そのままオーディオを語っているといえる。

それでも言いたいのは、ごく短い期間でいい、
一年とか半年、人が従で器(オーディオ)が主という時間を持ってほしいということ。
できれば若いうちがいい、と思う。

私にはそんな時があった。

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