Author Archive

Date: 4月 10th, 2017
Cate: ディスク/ブック

「ガラスの靴」

安岡章太郎氏の小説は、なにひとつ読んでいない。
いまごろ気づいたわけではない。
小説以外のものはいくつか読んでいるし、
インタヴューもいくつか読んでいる。

けれど小説は読むこと(手にとること)はなかった。

世の中には多くの小説家がいて、
どれか一冊でも読んだことのある小説家よりも、
一冊も読んだことのない小説家の方が多いという人はかなりいると思う。

なぜ、いまになって……、と自分でも不思議に思う。
けれど、急に読みたくなった。

何を読むか。
出世作といわれ、三つある処女作のひとつである「ガラスの靴」を選んだ。
「ガラスの靴」という小説があることだけは知っていた。

でも、「ガラスの靴」ということばのもつ響きが、
なんともある種の古くささを、いまでは感じさせていて、手にとることはなかった。

今日買ってきたばかりで、これから読むところだ。
少なからぬ人がそうであるように、私もあとがきを最初に読む。

「ガラスの靴」(講談社文芸文庫)の巻末には、
「作者から読者へ」という、いわばあとがきといえるものがある。
     *
 この発見、というか自己認識は、私としては初めて知った面白いあそびであった。それまでの私は、小説といえば出来るだけ現実から遠い世界を描くべきであり、現実の自己からは隔離した架空の〝自己〟を設定して、彼によって架空の自己主張を展開すべきものだと考えていた。なぜこんな奇妙な小説理論(?)を作り上げたか、それについて説明している余裕はいまはない。ただ、反現実主義の思考は、戦時下に育った青年にとってはそんなに奇異なものではなく、かなり一般的に認められる傾向ではなかったろうか。ところで、この自己認識というあそびを覚えると私は、それまでの反現実主義の小説論は馬鹿ばかしいものに思われてきた。実際、小説を書くためにわざわざ架空の自己など設定しなくとも、自己というのはそれ自体が〝架空〟と見えるほど奥深いものであって、それを探ることは生じっかな小説を書くことよりも、もっとずっと小説的な作業ではないか。
     *
安岡章太郎氏をオーディオマニアといっていいのかどうかはよくわからない。
けれど、レコード(録音物)で音楽を聴くことに無関心だったわけではない。
強い関心をもたれていた、と思っている。

どういうシステムだったのかは知っている。
そのこととつながっていく気がしている。

それに、このことは別項「評論家は何も生み出さないのか」とも関係してくるだろう。

Date: 4月 9th, 2017
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(購入後という視点・その7)

現在の話ではなく、昔のことだ。
私が熱心にステレオサウンドを読んでいたころのことだ。

ステレオサウンドのライバル誌は、どれだったのか。
同じ季刊誌であった別冊FM fan、オーディオアクセサリーだったのかといえば、
そうではなく、月刊誌のスイングジャーナルであった。

ステレオサウンドはオーディオ雑誌、
スイングジャーナルはジャズの雑誌であり、
同じジャンルの雑誌とはいえない面もあるけれど、
オーディオのことだけに絞っても、スイングジャーナルがライバルてあった、といえる。

おそらくスイングジャーナル編集部も、
ステレオサウンドをライバルとみていたであろう。

ステレオサウンドとスイングジャーナルは、違う。
上に挙げたこと以外にも違いはある。

私がいちばん違うと感じていたのは、読者との関係である。
そのころのスイングジャーナルには、「読者の頁」というのがあった。

交歓室、バンド・スタンド、SJアンテナ、私も評論家、なんじゃもんじゃ博士、質問室、
売買交換室から構成されたページであった。
10数ページあった。

ステレオサウンドには、この手のページは、ほとんどなかった。
オーディオ機器の売買欄はあったけれど、
それ以外の、読者の感想、意見、提案などを語れるページはなかった。

私は「読者の頁」のように読者が積極的に関われる記事があるのを、
毎号、必ずしも必要とは考えていない。
むしろ、当時、読者だったころは必要ない、とも思っていたし、
ステレオサウンドの編集に携わっていたころも、そう考えていた。

けれど、いまになって「読者の頁」について考えている。

Date: 4月 9th, 2017
Cate: 欲する

何を欲しているのか(その23)

その22)で終りのつもりだった。
なので、この(その23)は蛇足のようなもの。

「グレン・グールドのピアノしか聴かない」、
そう言葉にしてしまう人は、
グレン・グールドによって演奏されたバッハ、ベートーヴェン、モーツァルト、ブラームスなど、
つまりは音楽を欲しているのではなく、
グレン・グールドによってなされた演奏を、
知的アクセサリーのようなものとして欲しているだけなのかもしれない。

私に似合うのは、グレン・グールドだけ──、
いいかえると、そういうことのような気もする。
「グレン・グールド」のところを、他の固有名詞に置き換えてみる。

有名ブランドに置き換える。
「聴かない」を「身につけない」に置き換える。
はっきりとしてくる。

ただ、特定の音楽を知的アクセサリーとして扱うことは、
己をデコレーションしていくだけでしかない。
デザインしていくことではなく、そこから離れていくだけだ。

Date: 4月 8th, 2017
Cate: オーディオ評論

評論家は何も生み出さないのか(その1)

先日、facebookでのコメントに、
批評家は何も生み出さない──、といった趣旨のことが書かれてあった。

このことは昔からいわれていることでもある。
批評家(評論家)は、他人がつくったものを批評するだけ。
批評家は、だから作家ではない、と。

確かにそうとはいえる。

小説を、詩を、歌を、音楽を……、
文化面だけでなく自動車やスピーカーやアンプといったハードウェア、
ほぼすべての分野に批評家・評論家と呼ばれている人たちがいて、
何かを書いたり発言している。

批評家・評論家(ここではあえて区別はしない)の書いたものは、
一応彼らが生み出したものといえなくはないが、
もちろんここでの、「何も生み出さない」という意味とは違うといえばそうである。

でも、ほんとうにそうだろうか、と思うわけだ。
ここではオーディオ、音楽の批評家・評論家が何も生み出さないのかについてだけ書く。

現在のオーディオ評論家と呼ばれている人たちについてはあまり知らないが、
私が先生と呼んでいる人たちは、実のところ、いくつかのオーディオ機器を生み出している。

生み出している、とまでいえないとしてもかなり深く携わっている例をいくつも知っている。
その中にはかなりベストセラーになったモデルもあるし、
そのメーカー独自の技術と呼ばれているものもある。

公になっていれば具体的に挙げるのだが、ここでは控えておく。

とはいえ、そういうのは例外だろう、といわれれば、そうかもしれない。
事実、いまオーディオ評論家と呼ばれている人たちが、そういうことをやっているとは聞かない。

Date: 4月 7th, 2017
Cate: 所有と存在

所有と存在(その11)

どちらが正しいという類のことではない──、
そう書いておきながら、私自身が毎日こうやって書いているのは、
正しい答を求めての行為なのか、と自問するわけだが、
少なくとも、この項で問うていることについては、
正しい答ではなく、完璧な答を求めて──といえる。

正しい答ではなく完璧な答。
こう書いてしまうと、よけいに何を言っているのか、と思われそうだが、
正しい答とはいわば客観的な答なのではないだろうか。

そんな答を求めているわけではない。
あくまでも主観的な答であり、
その答は己が心底納得できるのであれば、それは私にとって完璧な答であり、
その完璧な答と、いま思えたことが、十年後も二十年後も納得できるのであれば、
私にとっての完璧な答であり、それでいいと思っているのだから、
世間一般の「完璧な」からイメージされるのと違い、
あくまでも主観的な、徹底した主観的な答としての完璧な答。

それがあればいい。
自恃とはそういうことだろう。

Date: 4月 6th, 2017
Cate: 再生音

実写映画を望む気持と再生音(その2)

明日(4月7日)、攻殻機動隊のハリウッド製作の実写版「GHOST IN THE SHELL」が公開になる。

観に行く予定である。
字幕版を、と当初は思っていた。
けれど先日、吹替え版のキャストが発表になり、
吹替え版を観たい、と思うようになっている。

どちらも観るであろう。
でも、どちらを最初に観ようか、とけっこう真剣に悩んでいる。
こんなこと、いままでの映画では考えもしなかった。

私にとって映画館で観る洋画は、字幕が当り前である。
いままで映画館で吹替え版は観たことがない。

それでも昔テレビがあった生活のころ、
日曜洋画劇場や金曜ロードショーなどでは、当然だけれど吹替え版となる。

家庭で小さいな画面では吹替え版というのが、習慣のようになっていた。

映画ではなくドラマはどうかというと、
音声多重放送などなかった時代から、テレビで海外ドラマは吹替え版で見ている。
吹替え版に馴染んでしまった、そのころの海外ドラマを、
いまHuluなどで字幕版でみると、違和感がある。

とはいえ最初から字幕版でみている海外ドラマに違和感はない。

それでも洋画を映画館で吹替え版で、とは一度も思ったことがないのに、
今回の「hGHOST IN THE SHELL」だけは、吹替え版を先に観ようか、と思う。

そのとき、なんらかの違和感があるのだろうか。

Date: 4月 6th, 2017
Cate: audio wednesday

ショールーム訪問(その3)

松田聖子の歌でいちばん聴いているのは「ボン・ボヤージュ」だ。
この曲があるのを、Kさんがaudio wednesdayでかけられるまで知らなかった。

どんな内容の歌なのかはインターネットで検索すればすぐに表示される。
恋人の初めてのお泊りの歌詞である。

喫茶茶会記でのaudio wednesdayで、何度となく「ボン・ボヤージュ」を聴いて、
どうでもいい歌詞だな、と思わないわけではなかった。

私一人だけがそう思っていたわけではなかった。

Kさんは昨日も「ボン・ボヤージュ」だった。
「ボン・ボヤージュ」でハーマンインターナショナルのショールームでの試聴ははじまり、
最後にかけたのも「ボン・ボヤージュ」だった。

電源はあらかじめ入れられていても、音を鳴られていたわけではないようで、
ウォームアップの時間は、やはり必要だった。

最初に鳴った「ボン・ボヤージュ」と最後に鳴らした「ボン・ボヤージュ」は同じ音ではない。

ハーマンインターナショナルの女性のスタッフも、
「ボン・ボヤージュ」は初めて聴かれたようだった。

最後に「ボン・ボヤージュ」の歌詞についての感想を述べられた。
ここでは書かないが、そういう受けとめ方は、我ら三人にはまったくなくて、
とても新鮮に感じた。

女性で母親という立場での「ボン・ボヤージュ」の聴き方。
今回得られたもので、いちばん大きいものといえる。

Date: 4月 6th, 2017
Cate: audio wednesday

ショールーム訪問(その2)

デジタル信号の伝送には、有線と無線とがある。
良質のケーブルを使っての有線接続が、
どんな規格の無線接続よりも音質は優れている、と一刀両断する人は、いる。

いまのところ、確かにそうであろうが、
これからは先はわからない。

同じソースを、ディスク、USB、有線接続、無線接続と試聴して、
本来ならば音の印象を述べるべきであるが、
今回はBluetoothのことなどまったく考えてもいなくて、
マークレビンソンのD/Aコンバーターを前にして、急に試してみたくなったので、
いいわけがましいが、厳密な試聴をしての印象ではない。

それでも、これだけの音で鳴るのか、というきが第一印象だった。
簡単に接続でき、iPhoneそのものが音源であると同時に、リモコン的でもある。

こんなに簡単に(安易に)、これだけの音が鳴るのか、と思うはずだ。
もちろん気になる点もあった。

これから改善されていくのかどうか、どこに問題があるのかは、
今回の試聴だけはなんともいえないが、
あなどれないな、というのが正直な感想である。

ハーマンインターナショナルのショールームの音は、まだまだと感じた。
以前知人宅で DD66000のセッティングをいくつか試した印象からすれば、
相当によくなるはずなのに……、と思うけれど、楽しい一時間半が過せた。

得るものがあった。

Date: 4月 6th, 2017
Cate: audio wednesday

ショールーム訪問(その1)

昨日のaudio wednesdayは、実は二部構成だった。
喫茶茶会記での19時からの回の前に、
常連のAさんとKさんの三人で、
六本木ミッドタウンにあるハーマンインターナショナルのショールームに行っていた。

メーカー、輸入元のショールームに行って音を聴くのはひさしぶりである。

ハーマンインターナショナルのショールームは、ハーマンストアの奥にある。
ハーマンストアが出来たばかりの頃、行っている。
ショールームには入らなかったが、意外に狭いな、とその時思っていた。

そんなこともあって、さほど期待していたわけでもなかった。
それでもJBLのフラッグシップモデルDD67000と、
マークレビンソンのフルシステムというのは、やはり聴いておきたい。

特にインターナショナルオーディオショウに、
ハーマンインターナショナルが出展しなくなっているのだから。

ショールームの予約はAさんがやってくれた。
時間は一時間。
ハーマンインターナショナルのスタッフが立ち会われる。

通常はオーディオに詳しい方なのだそうだが、昨日はたまたま休まれているとのことで、
女性のスタッフだった。

マークレビンソンのプレーヤーシステムは、各種フォーマットに対応している。
Kさんは持参されたCDを聴かれた。
AさんはCD、SACD、それからUSBを聴かれた。
私は、というと、CDは持ってきていたが、Bluetoothに対応しているとのことで、
こういうシステムで、いったいどの程度のクォリティで鳴るのか、
その興味の方がまさり、CDは聴かずに、iPhoneに入れているソースを聴いた。

iPhoneに入れているとはいえ、圧縮はしておらず、すべてAIFFでリッピングしたものだ。
マークレビンソンのD/Aコンバーターのン指揮はすんなりいった。
拍子抜けするくらい簡単である。

肝心なのは音である。

Date: 4月 6th, 2017
Cate: audio wednesday

第76回audio wednesdayのお知らせ(新アンプで鳴らす)

5月のaudio wednesdayは3日。
昨晩は喫茶茶会記のアンプ(マッキントッシュMA2275)の故障のため、
岩野氏製作のパワーアンプと、MA2275のプリアンプ部のみを使って鳴らした。

写真で見るよりもコンパクトなアンプだった。
音については、比較対象となるアンプがなかったのと、
いつもと違うセッティング(通常の喫茶茶会記のセッティング)だったため、
正確な音の把握はできていないし、
このアンプで商売をされているわけではなさそうだから、ここでそのアンプの音の詳細を書くつもりはない。

結局、MA2275は修理は行わず、新しいアンプへ入れ替えるとのこと。
MA2275は同じ個所がこれまでにも何度か故障していたらしい。
これは、MA2275に共通することなのか、
それとも喫茶茶会記にある個体だけの問題なのかははっきりとしない。

新しいアンプは、同じマッキントッシュのMA7900である。
2014年に登場しているから、新製品というわけではない。
MA2275が型番からわかるようにMC275のプリメインアンプ版といえそうなアンプに対し、
MA7900はトランジスターで、出力も二倍以上に増している。

機能面でもMCカートリッジ用のヘッドアンプ、
D/Aコンバーターも搭載している。
トーンコントロールもMA2275は2バンドだったが、5バンドになっている。
バランス入力も持ち、MA2275同様、プリ・パワーを分離できる。

デジタル入力はUSBも備えているし、
同軸・光入力では16ビット、24ビット、サンプリング周波数は32kHzから96kHzまで、
USBでは32ビット、192kHzまで対応している。

内蔵D/Aコンバーターの実力がどの程度なのかは知らないが、
audio wednesdayをやっていくうえで、これらの機能は有用である。

5月のaudio wednesdayは、まずMA7900の音とMA7900というアンプを楽しもう、と思う。

Date: 4月 5th, 2017
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(長岡鉄男氏とpost-truth・その3)

思いついたこととは、オーディオ評論家がオーディオ店店主だったら……である。

オーディオの専門家であるオーディオ評論家。
オーディオ店店主としての知識、経験、知恵などは持ち合わせている。

商売の腕は、人によって違うだろう。
うまくやっていけそうな人、どうにも苦手とする人……、
勝手に想像してみる。

店に客が多く集まっても、モノが売れるとは必ずしもいえないし、
客があまり来ず閑散としているようでも繁盛していることだってある。

想像するに、長岡鉄男氏はオーディオ店店主であっても、繁盛させたのではなかろうか。

私が通っていた熊本市内のオーディオ店の店主が言っていた。
1980年のころだ。

オーディオ評論家でSクラスは長岡鉄男氏ひとり、
Aクラスが菅野沖彦氏と瀬川冬樹氏のふたり、
他の人たちはBクラス、Cクラスにランクされている、と。

このランクづけを行っているのは、そのオーディオ店店主ではなく、
オーディオ業界、もっといえば国内メーカーということだった。
さらにいえば、おそらく営業関係者によるランクづけであろう。

さらにランクによってギャラの違いにまで、具体的な数字を挙げていた。
どこまで事実なのかははっきりしないが、大きくはズレていないはずだ。

そのころの私にとって瀬川先生よりも長岡鉄男氏がランクが上ということがすぐには信じられなかった。
でも、国内メーカーの売れ筋の製品にどれだけの影響力を持っているかということならば、
確かに瀬川先生、菅野先生よりも長岡鉄男氏が上にランクされるのは理解できた。

Date: 4月 5th, 2017
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(長岡鉄男氏とpost-truth・その2)

(その1)、(その2)……、と書き続けていくつもりはなかったけれど、
ふと思いついたことがあって、(その2)としている。

以前、オーディオ関係者と話していた。
なぜ、こんなにオーディオ界がひどくなったのか、ということになった。
その人は、まず第一にオーディオ店が挙げられる、といわれた。

仕事柄、全国のオーディオ店のかなりの数、行かれている。
ユーザーのところにも訪問されている。
オーディオ店店主とユーザーとの関係も見てこられている。
音も聴かれている。

そのうえでの発言である。
もちろんすべてのオーディオ店が……、ということではない。
けれどひどいところが多い。

そのことは多くの人が薄々感じていることかもしれない。
私もそう感じていたから、その実感のこもったことばをしっかり受けとめた。

だからといって、ここでオーディオ店批判をしていこうとは考えていない。
オーディオ界を悪くしている販売店もあれば、そうでない販売店もあるし、
良くする方向にもっていこうとしている販売店だってあるに違いない。

それからそれぞれの地域にそれぞれの事情といえることはあろう。
東京の販売店と小さな地方の販売店とでは、ずいぶんと環境は違うし、
それによって事情も違ってくるはず。
一概には語れないところがあるし、ユーザー(客側)からみた評価は、また違う。

私が熊本にいたころ、よく通っていた熊本市内のオーディオ店は、
ここでも書いているように瀬川先生を定期的に招かれていた。

私にとっては、それだけで、いいオーディオ店だった。
けれどステレオサウンドで働くようになって、
そのオーディオ店の業界内での評価(というより評判)を聞いて驚いた。
ひどい評判だったからだ。

このことはよくあることだ。
ユーザーからの評価と業界内での評価は、大きく違っていることが意外に多い、ということだ。
ここでのユーザーとは、販売店の客だけではない、
オーディオ雑誌を読んでいる人も含めてのことだ。

Date: 4月 4th, 2017
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(長岡鉄男氏とpost-truth・その1)

598のスピーカーについて書くことは、
長岡鉄男氏についても書くことになっていく。

昨年末にpost-truthについて、少しだけ書いた。
客観的な事実や真実が重視されない時代を意味する形容詞「ポスト真実」ということだ。

長岡鉄男氏の1980年代のやりかた、
つまりスピーカー、アンプを構成するパーツの重量をはかることは、
客観的な事実を書いているわけである。

音の表現。
長岡鉄男氏が、反応の速い音と感じたとしても、
すべての人が反応が速い音と感じると限らない。
感覚量であるからだ。

それは冷たい音、暖かい音といった音の温度感についてもいえる。
ある人が冷たい音と感じても、別の人はそうは感じないことはたびたびある。

こんな例は挙げきれないほどある。
一方、アンプのツマミの重量、ウーファーユニットのマグネットの重量は、
すべての人に対して客観的事実である。
重い、軽いは人によって違ってこようが、
ツマミの重量がこれだけ、マグネットの重量はこれだけ、というのは、
すべての人にとって同じであり、人によって500gが600gになるということは絶対にない。

オーディオにおける客観的な事実といえることといえば、
実のところ、こういったことぐらいである。

客観的な事実の提示、といえば、確かに長岡鉄男氏はそういうことになる。
その意味では、客観的な事実や真実が重視されない時代を意味する形容詞「ポスト真実」ではない。
けれど……、と考えてしまう。

ツマミやマグネットの重量、
他の個所に関しても重量が、音は無関係だとはいわない。
確かに関係はある。

しかも何度も書くが、重量は誰にとっても同じであり、客観的な事実ではある。
が、それは重視されること、それも他の要素よりも重視されることだろうか。

飛躍しているといわれそうだが、
長岡鉄男氏の、このやり方は、本人は意識されていなかったであろうが、
post-truthの先どりだったのではないだろうか。
そんな気がしている。

Date: 4月 4th, 2017
Cate: オーディオの「美」

人工知能が聴く音とは……(その2)

iPhoneにインストールしているGoogleアプリが、
「3月のライオンに興味のある方に」とカードを提示する。

すべてをクリックするわけではないが、いくつかはクリックする。
クリックした先で、また別のリンク先をクリックする。

そうやって今日、興味深い記事を見つけた。
二年前の記事だ。
タイトルは『羽生善治「コンピュータ将棋により人間が培った美意識変わる」』。
ぜひ読んでほしい。

オーディオのことはもちろん出てこないが、
オーディオの将来と聴き手の美意識について示唆的であり、考えさせられる。

後半のところだけ引用しておく。
     *
──より将棋を深められると。いいことばかりですか。
 
「いや、どうしても相容れられない部分もあると思います。人間の思考の一番の特長は、読みの省略です。無駄と思われる膨大な手を感覚的に捨てることで、短時間に最善手を見出していく。その中で死角や盲点が生まれるのは、人間が培ってきた美的センスに合わないからですが、コンピュータ的思考を取り入れていくと、その美意識が崩れていくことになる。それが本当にいいことなのかどうか。全く間違った方向に導かれてしまう危険性も孕んでいます」
 
──長い年月をかけて醸成されてきた日本人の美意識が問われている。
 
「変わっていくと思います。今まではこの形が綺麗だとか歪だと思われていた感覚が、変わっていく……」
     *
同じことはオーディオにもいえよう。

それから《人間の思考の一番の特長は、読みの省略》、
これはそのままオーディオのチューニングにおいてもそうである。

Date: 4月 4th, 2017
Cate: audio wednesday

第75回audio wednesdayのお知らせ(自作アンプを聴く)

4月5日のaudio wednesdayは「結線というテーマ」を予定していたが、
喫茶茶会記のアンプ(マッキントッシュのMA2275)が故障、
音無しでやる予定だったが、代りのアンプが届いた、とのこと。

写真だけで、詳細はあえてきかなかった。
写真には両側にヒートシンクをもつパワーアンプと、
その上にパッシヴアッテネーターらしきモノが写っていた。

岩野製アンプ、とのことだ。
製作者であろう岩野氏がどういう人なのか、まったく知らない。
あえてインターネットでも検索しなかった。

まったく情報のないままに、その岩野製アンプを聴いてみたいからだ。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。