所有と存在(その11)
どちらが正しいという類のことではない──、
そう書いておきながら、私自身が毎日こうやって書いているのは、
正しい答を求めての行為なのか、と自問するわけだが、
少なくとも、この項で問うていることについては、
正しい答ではなく、完璧な答を求めて──といえる。
正しい答ではなく完璧な答。
こう書いてしまうと、よけいに何を言っているのか、と思われそうだが、
正しい答とはいわば客観的な答なのではないだろうか。
そんな答を求めているわけではない。
あくまでも主観的な答であり、
その答は己が心底納得できるのであれば、それは私にとって完璧な答であり、
その完璧な答と、いま思えたことが、十年後も二十年後も納得できるのであれば、
私にとっての完璧な答であり、それでいいと思っているのだから、
世間一般の「完璧な」からイメージされるのと違い、
あくまでも主観的な、徹底した主観的な答としての完璧な答。
それがあればいい。
自恃とはそういうことだろう。