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Date: 6月 7th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

ネットワークの試み(その9)

昨晩(6月6日)のaudio wednesdayでは、
最初の音出しからスロープ6dBの直列型ネットワークを使った。

5月のaudio wednesdayのテーマ「ネットワークの試み」では、
6dBの並列型と直列型、両方の音を聴いてもらうために、
バラックでの実験(音出し)だった。

今回は木のベースにコイル、コンデンサー、抵抗を固定、配線し仕上げている。
前回までは喫茶茶会記常用のスピーカーケーブルが、
カナレのスターカッド構造なのを利用して、
四芯構造を利用しての、いわゆるバイワイアリング接続していた。

そのままにしたほうが、今回の変更による音の違いははっきりするわけだが、
何度も作り直すのが面倒に思えて、
もう一組、カナレの同じケーブルを購入してきて、
ウーファー、ドライバー、トゥイーター、
すべて独立したスターカッド構造のスピーカーケーブルになっている。

つまりトライワイアリングにしている。

昨晩は16時くらいから準備にとりかかっていたが、
そのうちの大半はネットワーク作りだった。
使用した部品そのものは5月に使っているものである。

数枚ディスクを鳴らしたあとに、今回のテーマであるアート・ブレイキーの「Moanin’」を鳴らす。
悪くない感じの音ではあったし、おっ、と感じるところもあったが、
どうもピアノの鳴り方が、イメージにあるものと若干違っているようにも感じた。

とはいえ前回「Moanin’」をきちんとしたシステムで聴いたのは、ずいぶん前である。
けれど、鳴らし終ってから、聴かれていた人が「ピアノの音の印象が……」とのことだった。

それで、もう数枚ディスクを鳴らした後に試すことを、すぐさまやってみた。
ものの数分で終る作業である。

もう一度「Moanin’」をかける。
もう冒頭の音からして違う。
イメージにあるピアノの音で、鳴りはじめた。

Date: 6月 7th, 2018
Cate: audio wednesday

第90回audio wednesdayのお知らせ(ホーン周りの見直し)

7月のaudio wednesdayは、4日。

ここで書いておかないと、ついつい先延ばしになってしまうので、
次回の予定としては、アルテックのホーンとドライバー周りの設置を、
これまでのやり方とは大きく変更する。

試みたかった方法は、東急ハンズで無理といわれたのであきらめて、
少し変更してやる予定。

JBLの075の設置も、これに応じて変更となる。
ウーファー、ホーン+ドライバー、トゥイーターをインライン配置にする(つもりだ)。

ただ塗装が面倒だな、と思っているところ。
喫茶茶会記のエンクロージュアは、艶消しの黒。
同じ艶消しの黒にするか、それとも色も変えてみようか、
そんなことも考えている。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時開始です。

Date: 6月 6th, 2018
Cate:

オーディオと青の関係(名曲喫茶・その5)

西新宿の小さな店で始まった珈琲屋は、繁盛した。
映画館のピカデリーの隣に、そのころラオックスのビルがあった。
そこの二階に、もっと大きな店舗も展開していた。

店主のMさんは、私が通いはじめたころは、
そちらの店(こちらが本店になっていた)に立たれていることが多く、
西新宿の店(西口店)は、30代くらいのHさん(男性)、20代なかごろのKさん(女性)のふたりだった。
どちらかが休みのときには、Mさんが来られていた、と記憶している。

けっこうな回数通っていたけれど、Mさんの淹れるコーヒーを味わえたのは、そう多くない。
もっぱらHさん、Kさんの淹れてくれるコーヒーが私にとっての、
新宿珈琲屋の味となっている。

Mさんの珈琲の味は、別格といえた。
Oさんの話では、豆も淹れ方もそのままに、
東京で名の知れた喫茶店の味を再現してくれた、とのこと。

Hさんの淹れるコーヒーもおいしかった。
他の店で飲むコーヒーよりも、私にはずっとおいしく感じられた。
ただ上には上がいる、ということだった。

新宿珈琲屋では、HさんかKさんの淹れるコーヒーのどちらかだった。
どちらが淹れるかは、カウンター席のどこに座るかでほほ決っていた。
カウンターの中にいるHさんとKさん、どちらが座った席に近いか、ということだった。

それがいつしかほとんどKさんが淹れてくれるようになった。

Date: 6月 5th, 2018
Cate: 数字

300(その9)

テープスピードの違いによる音の変化。
38cm/secの剛から、76cm/secの柔。

こんなことを思われる人はいないだろうが、
テープスピードが38cm/secよりも遅くなったら、もっと剛の音になるかといえば、
もちろんそんなことはない。

カセットテープの音を、私は以前、ふわふわして、どこか頼りない、
不安定さを感じる──、そんなふうに書いた。

2トラック38cm/secからすると、
カセットテープは、この狭いテープ幅で4トラック、
テープスピードもそうとうに遅い。

それが9.5cm/secのオープンリール(4トラック)になると、
音は安定の方向を示しはじめる。

19cm/sec(4トラック)になれば、さらにしっかりとしていき、
同じテープスピードであっても2トラックになれば、トラック幅が約二倍になり、
このへんからようやくオープンリールテープらしい音を聴かせてくれるようになる。

カセットテープも、私が知る以前の音は、もっと頼りない感じの音だった(ときいている)。
カセットテープとデッキは、日本のオーディオメーカーが、ほぼ極限まで進歩させてきた、といえる。

メタルテープで、各社の代表的なカセットデッキでの音は、
4トラック19cm/secのオープンリールの存在をおびやかしそうなくらいのクォリティでもあった。

オープンリールの音は、だから2トラック19cm/secから、といえる。
その19cm/secから倍の38cm/secになると、オープンリールの音のひとつの極点なのかもしれない。

より安定して、確かに剛と表現したくなる音を特徴とする。
それがさらに倍の76cm/secとなると、柔となるというのは、実に興味深い。

4トラック19cm/ces以下の音は、どこか頼りなくふわふわしている。
剛とはいえない音であるが、でもそれは柔といえる音では決してない。

Date: 6月 5th, 2018
Cate: audio wednesday

第89回audio wednesdayのお知らせ(Moanin’)

明日(6月6日)はaudio wednesdayなのだが、どうも雨のようである。
梅雨入りしそうである。

ジトッとしたなかでの、アート・ブレイキーの「Moanin’」。
重く鈍い音が、最初は鳴ってきそうである。

5月のaudio wednesdayでは、
ドライバーに取り付けていたCRのリード線が断線していたため、
これまでずっと付けっぱなしだったCR方法は外していた。

今日、秋葉原に行って、部品を購入してきた。
今回は取り付けての音出しとなる。

それ以外の部品も少し購入した。
といっても高価なモノでもないし、小さなモノである。
これでネットワークに試す予定である。
少なからぬ変化はあるだろうが、結果はどちらにころぶかはなんともいえない。

それ以外にももうひとつ実験のためのものも持っていく。
スピーカーを正面から見ただけでは、どこも変っていない範囲内での実験である。

これらがうまくいけば、「Moanin’」が気持良く鳴ってくれるはずだ。
とにかく今回のaudio wednesdayは「Moanin’」を、
気持良く聴きたい、というのが私のわがままである。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 6月 4th, 2018
Cate: 憶音

憶音という、ひとつの仮説(氷点下の三ツ矢サイダー)

その2)で、「氷点下の三ツ矢サイダー」のことを書いた。
四年前のことである。

当時山梨のセブン・イレブンのレジ横の専用ケースで冷やされていた。
それ以降、山梨に夏に行くことはなかったし、都内のセブン・イレブンで見かけたことはなかった。

今日、新宿・歌舞伎町を歩いていたら、自動販売機で「氷点下の三ツ矢サイダー」が売られていた。
VR ZONE SHINJUKUの建物の裏に設置されていた自動販売機の一台で売られていた。

自動販売機から取り出したら、すぐに開蓋して飲んでください、と注意書きがある。
製品の性質上、買ってすぐに飲むものである。

四年前とまったく同じとは感じなかったけれど、
確かに「氷点下の三ツ矢サイダー」であった。

Date: 6月 4th, 2018
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(音の品位・その6)

ステレオサウンド 54号の特集に登場したスピーカーシステムで、
音の品位に関して、瀬川先生と菅野先生の意見が食い違っている機種は、他にもある。

エレクトロボイスのInterface:AIIIとInterface:DIIにおいては、
瀬川先生はInterface:DIIの方を高く評価され、
Interface:AIIIに関しては力に品位が伴っていない、と。

一方菅野先生は、どちらのエレクトロボイスも評価されている。
Interface:AIIIの力に品がないとは聴こえなかった、といわれている。

グルンディッヒのProfessional BOX 2500も、
エレクトロボイスの二機種、どちらも私は聴く機会がなかった。

なのではっきりしたことはいえないのだが、
もし新品に近い状態の、これらのスピーカーシステムを聴くことがあったとしたら、
音の品位に関しては、瀬川先生寄りのところに、私の印象はあるのではないか、と思う。

これが音の品位ではなく、音の品質ということだったら、
あまり食い違いは起こらないずだ。
なのに品位ということになると、ここに挙げた機種以外にも微妙な違いが感じられる。

それでいて、たとえばスペンドールのBCII。
54号には登場していないが、この素敵なスピーカーに関しては、
菅野先生も瀬川先生も、音の品位に関しては一致している。

あまり古いスピーカーばかりに例に挙げても、
イメージがまったく涌かない、という人も少なくないだろう。

ならばB&Wの800シリーズはどうだろうか。
ステレオサウンドでも高い評価を得ている。
優秀なスピーカーの代表格のようにもいわれている。

私も、優秀なスピーカーだとは思っている。
けれど、このスピーカーの音には、品位があるのだろうか、と思うことがある。

Date: 6月 3rd, 2018
Cate: 「うつ・」

うつ・し、うつ・す(BLUE:Tokyo 1968-1972・その2)

ナルシシズムがかけらもないという人は、ほんとうにいるのだろうか──、
と思っているくらいだから、
「あの人はナルシシストだから」というようなことはいいたくない。

それでも、どうにも我慢できないことはやはりあって、
敬遠してしまう人は、やっぱりいる。

写真撮影を仕事としている人は、ゴマンといる。
人物写真をメインに撮る人も多い。

写真撮影を仕事としているということは、写真を撮ることに関してはプロフェッショナルなわけだ。
写真撮影の技術──、
プロはこうやって撮るんだ、と知ったのは、
ステレオサウンドで、そういう場に立ち合うことになってからだ。
知らなかったとはいえ、こんなにも気を使うのかと驚いた。

プロの写真撮影の技術を、初めて垣間見たわけだ。
そういった写真撮影の技術をしっかりと身につけている人は、プロではある。

写真撮影のプロフェッショナルではある。
でも、その人たちのすべてが、プロフェッショナルの写真家なのか、というと、
そうとは思ってこなかった。

撮影技術はあるのに……、と感じる写真がある。
これまで、そう感じてしまう正体がはっきりと掴めていなかった。

ここにきて、やっと私なりに、その正体の断片が掴めた、と感じている。
BLUE:Tokyo 1968-1972」と、ある写真とが同時期に重なったからである。

「BLUE:Tokyo 1968-1972」に収められている写真(ポートレイト)、
別の人による、ある写真(ポートレイト)、
後者から、とても強いナルシシズムを感じてしまった。

Date: 6月 3rd, 2018
Cate: 真空管アンプ

真空管バッファーという附録(その5)

「快音!真空管サウンドに癒される」の附録の真空管ハーモナイザーも、
間違いなくカソードフォロワーのはず。
写真からもわかるように、双三極管一本を左右チャンネルに振り分けて使用している。

つまりは増幅度1の真空管バッファーである。
それを音楽之友社は真空管ハーモナイザーと謳っている。

この真空管ハーモナイザーという名称は、音楽之友社によるものなのか、
それともラックスによるものなのか、
そこのところは「快音!真空管サウンドに癒される」を買っていないのではっきりしないが、
とにかく真空管バッファーではなく、今回のキットは真空管ハーモナイザーである。

ハーモナイザー(harmonizer)は、大辞林には載っていない。
ハーモナイゼーション(harmonization)は、調和、調整、協調、とある。
ということは、ハーモナイザーは調和、調整、協調させるもの、となる。

調和にしても協調しても、
あるモノもしくは人と別モノもしくは人とを結びつかせるわけだから、
ハーモナイザーは仲介者でもあるわけだ。

そういう意味での真空管ハーモナイザーなのかどうかは、
くり返すが「快音!真空管サウンドに癒される」は買っていないので確認しようはない。
「快音」ともあるし、「癒される」ともあるから、あたらずとも遠からずか。

バッファー(buffer)とは、緩衝器である。
緩衝とは、二つの物の間に起る衝突や衝撃をやわらげること、もしくはその物、と辞書にはある。

二つの物・人の間にはいるのはハーモナイザーもバッファーも同じだが、
そこでの役割は同じなわけではない。

Date: 6月 3rd, 2018
Cate: 「うつ・」

うつ・し、うつ・す(BLUE:Tokyo 1968-1972・その1)

「BLUE:Tokyo 1968-1972」。
先日(5月30日)が最終日だった「野上眞宏 写真展」ではなく、
今回の「BLUE:Tokyo 1968-1972」は、野上さんの写真集のことである。
6月1日、OSIRISから発売になった。

リンク先には、鋤田正義、細野晴臣、松本隆、三氏の推薦文がある。
松本隆氏の推薦文の冒頭に、《ぼくらはみんな星だった》とある。

私は、この「星」に反応してしまった。
1999年末、仕事を辞めて2000年5月の終りまで、
ほぼひきこもりに近い状態でaudio sharingを作っていた。

公開したのは2000年8月。
その一ヵ月前に中島みゆきの「地上の星」(CDシングル)が出て、
11月に「地上の星」が収録されているアルバム「短篇集」が出た。

それまで「地上の星」は聴いたことがなかった。
テレビをもっていれば、「地上の星」、「ヘッドライト・テールライト」が、
NHKの「プロジェクトX」で使われていた、そこで耳にしていただろうが、それはなかった。

「短篇集」で初めて聴いた。
それから何度くり返し聴いただろうか。
聴くたびに「星」、それも「地上の星」の意味するところをおもった。

受け止め方は、人それぞれだろう。
「地上の星」があれば、空に輝く星もある。

audio sharingでの作業は、私にとっての「地上の星」を照らすことだったんだなぁ、
と中島みゆきの「地上の星」を聴くたびに思っていた。
それは「うつ・す」作業でもあったなぁ、といまは思う。

そんなことは、読む人にとってはどうでもいいこであって、
野上さんの写真集「BLUE:Tokyo 1968-1972」を見て思ったのは、
プロの写真家の「うつ・す」ことについて、である。

写真家としてプロフェッショナルであるか、そうでないかの違いを、
はっきりと感じさせることのひとつに気づいた。

Date: 6月 3rd, 2018
Cate: ディスク/ブック

Here’s To My Lady(その2)

ビリー・ホリディの名前だけは十代のころから知っていた。
けれどレコードを自分で買って聴いたのはハタチになっていた。

ロジャースのPM510を鳴らしているころだった。
ビリー・ホリディがどういう歌手なのかは、なんとなくぐらいしか知らなかった。
どのディスクを買って聴いたのかも、いまでは正確に思い出せない。

それまで聴いてきた、どんな女性歌手とも違うことだけは聴いていて感じた。
でも、それ以上のこととなると、そこで鳴っていた音では、
ビリー・ホリディがものすごく遠く感じたものだった。

だから愛聴盤となることもなかったし、
それ以上ビリー・ホリディのレコードを買うこともしなかった。

岩崎先生が書かれていたことを体験していたわけだ。
     *
 いくら音のよいといわれるスピーカーで鳴らしても、彼女の、切々とうったえるようなひたむきな恋心は、仲々出てきてはくれないのだった。一九三〇年代の中頃の、やっと不況を脱しようという米国の社会の流れの中で、精一ばい生活する人々に愛されたビリーの歌は、おそらく、その切々たる歌い方で多くの人々の心に人間性を取り戻したのだろう。
 打ちひしがれた社会のあとをおそった深い暗い不安の日々だからこそ、多くの人々が人間としての自身を取り戻そうと切実に願ったのだろう。つまりブルースはこの時に多くの人々に愛されるようになったわけだ。
 音のよい装置は、高い音から低い音までをスムーズに出さなければならないが一九三〇年代の旧い録音のこのアルバムの貧しい音では、仲々肝心の音の良さが生きてこないどころか、スクラッチノイズをあからさまに出してしまって歌を遠のける。
 スピーカーが、いわゆる優れていればいるほど、アンプが新型であればあるほど、このレコードの場合には音の良さとは結びつくことがないようであった。
(「仄かに輝く思いでの一瞬」より)
     *
「私とJBLの物語」でも、
ビリー・ホリディと音については書かれている。
     *
ビリー・ホリディの最初のアルバムを中心とした「レディ・ディ」はSP特有の極端なナロウ・レンジだが、その歌の間近に迫る点で、JBL以外では例え英国製品でもまったく歌にならなかったといえる。
     *
《まったく歌にならなかった》、
ほんとうにそうだった。
だから聴いていてしんどかった。

でもビリー・ホリディのレコードのためだけにJBLを手に入れるだけの余裕は、
ハタチの若造にはなかった。

ステレオサウンドの試聴室にはJBLのスピーカーがある。
でも4344では、それに試聴室という場所でビリー・ホリディを聴きたいとも思わなかった。

ビリー・ホリディを素晴らしいといっている人すべてが、
JBLのスピーカーで聴いているわけではないことはわかっている。

JBL以外のスピーカーで聴いても、ビリー・ホリディの歌の素晴らしさはわかる(はずだ)。
わからないのは、お前がオーディオマニアだからだろう、といわれそうだが、
それでもいい。

ビリー・ホリディは、JBLの高能率のスピーカーでなければ、
私にはその良さが伝わってこない。

「仄かに輝く思いでの一瞬」で、岩崎先生はこうも書かれている。
     *
「ビリー・ホリディが何年か前に、アンティックばやりの最中、急に流行したりしてその名が誰かれの口に登るようになった時は、少々うとましいほどであった。もっともその底にはビリーの本当の良さが私ほど判ってたまるものか、という一人占めの気持が働いていたのだろうか。なんとうぬぼれの強いことと今は恥ずかしいくらいだ。
     *
《今は恥ずかしいくらいだ》とあるが、
《ビリーの本当の良さが私ほど判ってたまるものか》は本音だと思う。

Date: 6月 2nd, 2018
Cate: ディスク/ブック

Here’s To My Lady(その1)

Here’s To My Lady。
1979年のローズマリー・クルーニーの「ビリー・ホリディに捧ぐ」である。

ステレオサウンド 51号掲載の「わがジャズ・レコード評」で、
安原顕氏が取り上げられている。
     *
ホリディの愛唱曲ばかりを歌ったレコードはこれまでにも数多く出ているが、結局はメロディやテンポをくずした、一種鬼気迫るようなエモーションを表出した、ホリディ独自のあのにがい歌の印象があまりにも強烈なために、聴き手であるわれわれは、たとえそれがホリディとは対極の歌唱だとしても、他の歌手の表現ではどうしてもあきたりないものを感じてしまうケースが多かったが、今度のこのクルーニーの歌唱は、表面的にはホリディとは正反対のアプローチのようにみえながら、深部ではホリディの歌心と通底しているという不思議な魅力をもっている。
 とくに「Lover Man」や「Don’t Explain」等でみせる彼女の歌唱は、ポップス・シンガーとかジャズ・シンガーといったようなジャンルを超えた、まさに今年51歳のクルーニーでしか表現し得ないような、強くて深い説得力でわれわれに迫ってくる(しつこいようだが先の村上君とこのレコードについて話した折、ホリディきちがいの彼は、断じてこのクルーニー盤は認められないといっていたけれど、ぼくはそれほどホリディきちがいではないし、なんのかんのといってみても最終的にヴォーカルの行き着くところは、こうした一見単純で素直な歌唱法だろうとぼく自身は思っている)。
     *
「先の村上君」とは、村上春樹氏のこと。
51号のころ、「風の歌を聴け」で、第22回群像新人賞受賞している。

村上春樹氏と安原顕氏、ふたりの「ビリー・ホリディに捧ぐ」の評価の大きな違い。
ことばをかえれば、ホリディきちがいかそうでないかの違い。

51号を読んだ当時は、それがどこからくるものなのか、まったくわからなかった。
村上春樹という名前も、私は51号で初めて知ったくらいで、
どういう人なのか、どんなスピーカーで聴いてきた人なのか、まったく知らなかった。

安原顕氏についても、ステレオサウンドの筆者の一人、ということ以上は知らなかった。

いまなら、村上春樹氏はJBLで、ビリー・ホリディを聴かれていたからではないのか──、
そうおもう。

Date: 6月 2nd, 2018
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(音の品位・その5)

(その4)までで引用してきたステレオサウンド 60号での試聴は、
個別の試聴ではなく全員での試聴である。
瀬川先生も菅野先生も、同席されての試聴である。

音の品位は、なにもスピーカーについてのみいえるのではなく、
アンプについても、カートリッジに関しても、他のオーディオ機器であってもいえる。
けれど、もっとも感覚的に捉えられるのは、やはりスピーカーである。

60号の一年半前にステレオサウンドは、スピーカーの試聴を行っている。
54号である。
この時の試聴は、黒田恭一、菅野沖彦、瀬川冬樹の三氏によるものだが、
個別試聴である。
試聴レコードも三氏で違うし、
スピーカーを鳴らすオーディオ機器(プレーヤー、カートリッジ、アンプ)も三氏皆違う。

それに試聴方法も違っている。
スピーカーだから、そのセッティングが重要になるわけだが、
ここも微妙に違っている。

そのうえで、特集の鼎談を読むわけだが、
ここでも音の品位について、菅野先生と瀬川先生とでは、
完全に一致しているわけではない。

たとえばグルンディッヒのProfessional BOX 2500。
     *
菅野 私は、瀬川さんがこのスピーカーに、まあ9点はびっくりしましたが、8点くらいつけるのはよくわかる気がします。瀬川さんは、あるところ非常にハードに厳しいけれど、あるところすごく甘いところがあるように思う。徹底してどちらかにいってしまう。
瀬川 ……(苦笑)。
菅野 引っかかると徹底的にハードを追求し、引っかからないと徹底的にハードを無視してソフトに行くという、そういう性癖がある(笑い)。
 このグルンディッヒはひっかかってきたひとつだと想うのです。まず音が非常に電蓄的ですね。先ほど古いとおっしゃったが、まさにその通りでノスタルジーは感じます。しかし、今日の水準で聴くと、クォリティ面で、特にユニット自体の品位があまり高くないことが露呈してくる。
瀬川 そうですか? 品位は高いと思いますけれど……
菅野 それは全体としてでしょう。バランスはそれなりにとれていると思いますが、たとえば低域は、なかなか重厚といえば重厚だが、よく聴くとボコボコですよ。
瀬川 私が鳴らすとボコボコいわないんてすよ。
     *
編集部によると、Professional BOX 2500での三氏が鳴らす音に、
それほど大きな違いはなかった、とあるが、
三氏がそれぞれに指摘している長所、短所は、同席していて納得がいくともある。

Professional BOX 2500は、60号でのマッキントッシュのXRT20とは反対に、
菅野先生は品位がない、と感じ、瀬川先生は品位があると感じられた例である。

Date: 6月 1st, 2018
Cate: 数字

300(その8)

ステレオサウンド 44号の音楽欄、
「東芝EMIの〈プロ・ユース〉シリーズとTBMの〈プロフェッショナル・サウンド〉シリーズを試聴記」
という記事を、井上先生が書かれている。

プロ・ユースシリーズ五枚、
プロフェッショナル・サウンドシリーズ三枚のレコードについて、
それぞれ紹介されていて、
TBMの「MARI」についての文章のなかに、
テープスピードの違いによる音について書かれている。
     *
一般的に、38センチを剛とすれば、76センチは、むしろ柔である。テープらしいガッチリとして引締まり、パワフルな音が2トラック38センチの音の特長だが、76センチとなると、低域は豊かに伸びやかであり、中域以上も滑らかで、より細やかでナチュラルになるのが普通である。
     *
これはかなり意外だった。
44号は1977年に出ている。
このころの私は38cm/secの音も、まだ聴いていない。

76cm/secは、38cm/secの倍である。
つまり剛の二倍である。

剛(ごう→五)の二倍は柔(十)、
たしかにそうだな、と高校生だったにも関らずオヤジギャグ的なことも思っていた。

マッキントッシュの一連のシリーズもそうではないか。
300WのMC2300が、ちょうど38cm/secのテープスピードの音にあたる。
600WのMC2600が、76cm/secの音である。

井上先生が76cm/secの音について書かれていることは、
そのままMC2600の音にあてはまる。
《低域は豊かに伸びやかであり、中域以上も滑らかで、より細やかでナチュラル》、
MC2300からMC2500を経てのMC2600への音の変化も、まさにこれである。

Date: 6月 1st, 2018
Cate: 数字

300(その7)

300WのMC2300は、500WのMC2500になり、
MC2500のブラックパネル(内部も改良されている)、
さらに600WのMC2600にまで発展していった。

パワーアンプとしても、MC2300よりもMC2500、
MC2500のシルバーパネルよりもブラックパネル、
そしてMC2600と優秀になっていっている。

MC2600はMC2500の系譜にあたる音(アンプ)である。
MC2300とMC2500(シルバー)、
MC2500(シルバー)とMC2500(ブラック)、
MC2500(ブラック)とMC2600の比較試聴はしているが、
MC2300とMC2600とは比較試聴したことはない。

その機会があったとしても、印象は大きくは変ってこない、と思う。
MC2300から始まった、このシリーズはパワーを増すごとにしなやかさに身につけている。
柔軟になってきた、ともいえる。

こんなふうに書いてきて気づくのは、オープンリールデッキのテープスピードのことである。
一般的に19cm/sec、38cm/sec、76cm/secがある。
76cm/secの音を聴いたことがある人は、ごくわずかだろう。
私もない。

19cm/secと38cm/secは何度も聴いているし、
このふたつのテープスピードによる音の違いも、まったく知らないわけではない。

19cm/secから38cm/secになったときの音から、
38cm/secから76cm/secになった音を想像すると、見当はずれになるようだ。

井上先生は、38cm/secの音を剛とすれば、
76cm/secの音は柔である、と表現されている。