Date: 6月 2nd, 2018
Cate: ディスク/ブック
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Here’s To My Lady(その1)

Here’s To My Lady。
1979年のローズマリー・クルーニーの「ビリー・ホリディに捧ぐ」である。

ステレオサウンド 51号掲載の「わがジャズ・レコード評」で、
安原顕氏が取り上げられている。
     *
ホリディの愛唱曲ばかりを歌ったレコードはこれまでにも数多く出ているが、結局はメロディやテンポをくずした、一種鬼気迫るようなエモーションを表出した、ホリディ独自のあのにがい歌の印象があまりにも強烈なために、聴き手であるわれわれは、たとえそれがホリディとは対極の歌唱だとしても、他の歌手の表現ではどうしてもあきたりないものを感じてしまうケースが多かったが、今度のこのクルーニーの歌唱は、表面的にはホリディとは正反対のアプローチのようにみえながら、深部ではホリディの歌心と通底しているという不思議な魅力をもっている。
 とくに「Lover Man」や「Don’t Explain」等でみせる彼女の歌唱は、ポップス・シンガーとかジャズ・シンガーといったようなジャンルを超えた、まさに今年51歳のクルーニーでしか表現し得ないような、強くて深い説得力でわれわれに迫ってくる(しつこいようだが先の村上君とこのレコードについて話した折、ホリディきちがいの彼は、断じてこのクルーニー盤は認められないといっていたけれど、ぼくはそれほどホリディきちがいではないし、なんのかんのといってみても最終的にヴォーカルの行き着くところは、こうした一見単純で素直な歌唱法だろうとぼく自身は思っている)。
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「先の村上君」とは、村上春樹氏のこと。
51号のころ、「風の歌を聴け」で、第22回群像新人賞受賞している。

村上春樹氏と安原顕氏、ふたりの「ビリー・ホリディに捧ぐ」の評価の大きな違い。
ことばをかえれば、ホリディきちがいかそうでないかの違い。

51号を読んだ当時は、それがどこからくるものなのか、まったくわからなかった。
村上春樹という名前も、私は51号で初めて知ったくらいで、
どういう人なのか、どんなスピーカーで聴いてきた人なのか、まったく知らなかった。

安原顕氏についても、ステレオサウンドの筆者の一人、ということ以上は知らなかった。

いまなら、村上春樹氏はJBLで、ビリー・ホリディを聴かれていたからではないのか──、
そうおもう。

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