Here’s To My Lady(その2)
ビリー・ホリディの名前だけは十代のころから知っていた。
けれどレコードを自分で買って聴いたのはハタチになっていた。
ロジャースのPM510を鳴らしているころだった。
ビリー・ホリディがどういう歌手なのかは、なんとなくぐらいしか知らなかった。
どのディスクを買って聴いたのかも、いまでは正確に思い出せない。
それまで聴いてきた、どんな女性歌手とも違うことだけは聴いていて感じた。
でも、それ以上のこととなると、そこで鳴っていた音では、
ビリー・ホリディがものすごく遠く感じたものだった。
だから愛聴盤となることもなかったし、
それ以上ビリー・ホリディのレコードを買うこともしなかった。
岩崎先生が書かれていたことを体験していたわけだ。
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いくら音のよいといわれるスピーカーで鳴らしても、彼女の、切々とうったえるようなひたむきな恋心は、仲々出てきてはくれないのだった。一九三〇年代の中頃の、やっと不況を脱しようという米国の社会の流れの中で、精一ばい生活する人々に愛されたビリーの歌は、おそらく、その切々たる歌い方で多くの人々の心に人間性を取り戻したのだろう。
打ちひしがれた社会のあとをおそった深い暗い不安の日々だからこそ、多くの人々が人間としての自身を取り戻そうと切実に願ったのだろう。つまりブルースはこの時に多くの人々に愛されるようになったわけだ。
音のよい装置は、高い音から低い音までをスムーズに出さなければならないが一九三〇年代の旧い録音のこのアルバムの貧しい音では、仲々肝心の音の良さが生きてこないどころか、スクラッチノイズをあからさまに出してしまって歌を遠のける。
スピーカーが、いわゆる優れていればいるほど、アンプが新型であればあるほど、このレコードの場合には音の良さとは結びつくことがないようであった。
(「仄かに輝く思いでの一瞬」より)
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「私とJBLの物語」でも、
ビリー・ホリディと音については書かれている。
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ビリー・ホリディの最初のアルバムを中心とした「レディ・ディ」はSP特有の極端なナロウ・レンジだが、その歌の間近に迫る点で、JBL以外では例え英国製品でもまったく歌にならなかったといえる。
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《まったく歌にならなかった》、
ほんとうにそうだった。
だから聴いていてしんどかった。
でもビリー・ホリディのレコードのためだけにJBLを手に入れるだけの余裕は、
ハタチの若造にはなかった。
ステレオサウンドの試聴室にはJBLのスピーカーがある。
でも4344では、それに試聴室という場所でビリー・ホリディを聴きたいとも思わなかった。
ビリー・ホリディを素晴らしいといっている人すべてが、
JBLのスピーカーで聴いているわけではないことはわかっている。
JBL以外のスピーカーで聴いても、ビリー・ホリディの歌の素晴らしさはわかる(はずだ)。
わからないのは、お前がオーディオマニアだからだろう、といわれそうだが、
それでもいい。
ビリー・ホリディは、JBLの高能率のスピーカーでなければ、
私にはその良さが伝わってこない。
「仄かに輝く思いでの一瞬」で、岩崎先生はこうも書かれている。
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「ビリー・ホリディが何年か前に、アンティックばやりの最中、急に流行したりしてその名が誰かれの口に登るようになった時は、少々うとましいほどであった。もっともその底にはビリーの本当の良さが私ほど判ってたまるものか、という一人占めの気持が働いていたのだろうか。なんとうぬぼれの強いことと今は恥ずかしいくらいだ。
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《今は恥ずかしいくらいだ》とあるが、
《ビリーの本当の良さが私ほど判ってたまるものか》は本音だと思う。