うつ・し、うつ・す(BLUE:Tokyo 1968-1972・その1)
「BLUE:Tokyo 1968-1972」。
先日(5月30日)が最終日だった「野上眞宏 写真展」ではなく、
今回の「BLUE:Tokyo 1968-1972」は、野上さんの写真集のことである。
6月1日、OSIRISから発売になった。
リンク先には、鋤田正義、細野晴臣、松本隆、三氏の推薦文がある。
松本隆氏の推薦文の冒頭に、《ぼくらはみんな星だった》とある。
私は、この「星」に反応してしまった。
1999年末、仕事を辞めて2000年5月の終りまで、
ほぼひきこもりに近い状態でaudio sharingを作っていた。
公開したのは2000年8月。
その一ヵ月前に中島みゆきの「地上の星」(CDシングル)が出て、
11月に「地上の星」が収録されているアルバム「短篇集」が出た。
それまで「地上の星」は聴いたことがなかった。
テレビをもっていれば、「地上の星」、「ヘッドライト・テールライト」が、
NHKの「プロジェクトX」で使われていた、そこで耳にしていただろうが、それはなかった。
「短篇集」で初めて聴いた。
それから何度くり返し聴いただろうか。
聴くたびに「星」、それも「地上の星」の意味するところをおもった。
受け止め方は、人それぞれだろう。
「地上の星」があれば、空に輝く星もある。
audio sharingでの作業は、私にとっての「地上の星」を照らすことだったんだなぁ、
と中島みゆきの「地上の星」を聴くたびに思っていた。
それは「うつ・す」作業でもあったなぁ、といまは思う。
そんなことは、読む人にとってはどうでもいいこであって、
野上さんの写真集「BLUE:Tokyo 1968-1972」を見て思ったのは、
プロの写真家の「うつ・す」ことについて、である。
写真家としてプロフェッショナルであるか、そうでないかの違いを、
はっきりと感じさせることのひとつに気づいた。