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Date: 6月 17th, 2018
Cate: ショウ雑感

2018年ショウ雑感(その3)

2017年ショウ雑感(その4)」で、
オーディオテクニカが、二週間前のヘッドフォン祭かのようなブースづくりだったことに、
がっかりしたことを書いた。

それをオーディオテクニカの人が読んでくれていたわけではないだろうが、
今年のOTOTENのオーディオテクニカのブースは、違っていた。

私がオーディオテクニカのブースに入ったのは、カートリッジの試聴(デモ)が始まる寸前だった。
技術者(と思う)の方によるVM型の簡単な説明から始まった。

ブースにいる人には、カートリッジのカタログが手渡されていた。
座っている人は、ほぼみな持っていた。
後から入ってきた立っている人にも、スタッフの方が手渡していた。

私も立っていた一人なのだが、私のとなりの人には渡していても、
私には声すらかけてくれなかった。

説明は、カタログを開いてのものでもあった。
ローコストのモデルから、同じVM型カートリッジであっても、針先が違う、
その説明から始まった。

このショウ雑感でヤマハのプレゼンテーションのソツのなさ、
進行の見事さを何度か書いている。
オーディオテクニカのプレゼンテーションは、そこまではいっていなかった。
けれどOTOTENでは、今回のようにカートリッジをメインにやってほしい。

晴海で開催されていたオーディオフェアの全盛時代からすると、
いまのオーディオショウの規模は小さくなっているが、
その分、ショウの数は増えている。

ヘッドフォン祭、アナログオーディオショウがあって、
OTOTEN、インターナショナルオーディオショウがある。

複数のショウに出展するところもある。
オーディオテクニカがそうだし、テクニクスもOTOTENとインターナショナルオーディオショウに出る。

来場者の都合もある。
どれかひとつのオーディオショウにしか来れない人もいる。
その都合を考慮すると、同じ内容で──、と出展社は考えるのかもしれない。
そこは出展社次第である。

私は、それぞれのショウの色に合った出展であってほしい、と思っている。

Date: 6月 17th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その12)

この項を書くにあたってステレオサウンド 207号を買ったのは、
柳沢功力氏の試聴記をきちんと読むためよりも、
小野寺弘滋氏の試聴記と読み比べるためであった。

読み比べて、柳沢氏と小野寺氏は「同じ音」を聴いていることを確認できた。
同じ試聴室で、一緒に試聴しているのだから、同じ音を聴いていて当然だろう、
何をバカなことを……、と思われる人もいようが、
一緒に音を聴いたとしても、「同じ音」を聴いているとは思えない人がいる。

どちらかの聴き方のレベルがそうとうに低い場合に、そうなることがある。
少なくとも207号での試聴では、そんなことはなく、
柳沢功力氏と小野寺弘滋氏はほぼ「同じ音」を聴いている。
そのうえでの、それぞれの解釈が、それぞれの試聴記である。

ほぼ「同じ音」を聴いても解釈が違うからこそ、
複数の試聴記が載るおもしろさがある。

聴き方も解釈も同じであったら、試聴記はひとつでいい。

それに活字では、音をどこまで読者に伝えられるのか。
昔から難問である。
完全に伝えられるわけがない。

ならば十分に伝えられるのか。
それもまたあやしい。
ここにも試聴記がひとつでなく、複数の意味がある。

私が熱心に読んでいた時代のステレオサウンドは、
ほぼ同じ世代の人たちが中心だった。

菅野先生、山中先生、長島先生は1932年生れだし、
井上先生は1931年、瀬川先生は1935年、岩崎先生は1928年である。

いまはかなりの歳の差がある。
柳沢功力氏と小野寺弘滋氏は、親子に近いぐらいの歳の差のはずだ。

これを私はおもしろい要素として捉えるが、
ネガティヴな要素として捉える人もいるようだ。
これも読み手側の解釈である。

Date: 6月 17th, 2018
Cate: 変化・進化・純化

変化・進化・純化(その6)

自分のことは案外わからないもの、といわれている。
そうだ、と思うし、では、他人(ひと)のことがわかるのかというと、
それだって甚だあやしいものだ。

変っていかない人は、誰ひとりとしていない。
みんな変っていく。

古い知人のことを、友人からきく。
変っていったなぁ、とも思うし、相変らずだなぁ、とも思う。

古い知人が進化していると思わない。
けれど、ある意味、純化していっているのかもしれない、とふと思う。

Date: 6月 17th, 2018
Cate: plain sounding high thinking

オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる(その2)

《オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる》
オーディオの行きつく渕を覗き込んでしまったからこそ、なのか。

Date: 6月 17th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その11)

特集の企画を考える。
207号だと、二号前の特集ベストバイで高い評価を得ているスピーカーシステムの試聴である。
この時点で、207号で試聴するスピーカーは自動的に決定する。

それらのスピーカーを、どう試聴するのかを考える。
グループ分けするのかしないのか。
誰に聴いてもらうのか。
そんなことを決めていく。

今回は三つのグループに分けられていて、
もっとも高価なスピーカーのグループを、柳沢功力氏と小野寺弘滋氏が試聴することになっている。

ということは、もうこの時点で、どういう試聴記が二人から上ってくるのか、
キャリアがあって、編集長というポストに就いている者ならば、予想できていて当然だ。

新製品を含む試聴であれば予想できないところもあるが、
207号のスピーカーシステムはベストバイの上位機種ばかりである。
すでに最低でも一回、多いモノは数回の試聴が、ステレオサウンドの試聴室で行われている。

そういう状況での試聴記である。

筆者からあがってきた原稿は、まず担当編集者が目を通す。
それから編集長も目を通す。
校正も含めると、数回は柳沢功力氏のYGアコースティクスのHailey 1.2の試聴記を読む。

編集長だけでなく、その下で働く編集者全員が数回は読む。
そうやって誌面に載る。

染谷編集長を始め、誰も柳沢功力氏の試聴記を問題あり、とは思わなかったはずだ。
だから207号に試聴記として載っている。

にも関らず《ステサンとして本位でなかった》というのは、おかしい。
さらに《これからこのようなことがないように対策します》、
この「対策」が、どうにもひっかかる。

いったいどういう「対策」をこれからのステレオサウンド編集部はやるというのか、
そして、これらの発言が、柳沢功力氏に対して失礼なことだとは、
染谷編集長は思っていないのか。

Date: 6月 17th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その10)

avcat氏のツイートをもう一度読み返していちばん驚くのは、
avcat氏がステレオサウンドの染谷編集長に謝罪を求めたのではなく、
アナログオーディオフェアの会場で、
染谷編集長の方からavcat氏に声をかけてきての謝罪だった、ということだ。

そのavcat氏のツイートには、
《ステサンとして本位でなかった旨の思いを聴けて》とある。

avcat氏がどういう人なのかまったく知らないが、
ウソのツイートをするようには思えない。

だとすると、avcat氏の207号の柳沢功力氏のYGアコースティクスの試聴記に対するツイートを、
染谷編集長が読んでいて、編集長自らの判断でavcat氏に謝罪した、ということになる。
そのうえでの《これからこのようなことがないように対策します》なのか。

染谷一氏が、いつからステレオサウンド編集部で働くようになったのかは、
バックナンバーの奥付を一冊一冊見ていけばわかることだけど、面倒なのでやらない。
編集長になる前に十年程度のキャリアを積んでいた、としよう。
編集長になったのが2011年。

ステレオサウンドの編集に携わるようになって20年ほどのキャリアはある、とみていいだろう。
当然、それ以前はステレオサウンドの読者であったわけだ。

ほぼ間違いなく染谷一氏は私よりも下の世代だから、
染谷氏がステレオサウンドを読みはじめたころには、柳沢功力氏はレギュラー筆者であった。

ステレオサウンドでのキャリア・プラス・読者であった時代、
それだけの年月、柳沢功力氏の文章を読んできて、
20年程度、ステレオサウンドで仕事をしてきているわけだ。

ならば柳沢功力氏が、どういうオーディオ評論家なのかは、熟知していて当然である。
にも関らず、《ステサンとして本位でなかった旨の思い》をavcat氏に伝え、
《これからこのようなことがないように対策します》と言ったのか。

Date: 6月 17th, 2018
Cate: ショウ雑感

2018年ショウ雑感(その2)

ほんとうにひさしぶりに聴いた「Hotel California」のLP(アメリカ盤)の音。
「Hotel California」だけをポンと聴かされても判断はほとんどできないが、
その前に数枚、やはり聴いたことのあるLPが鳴っていたので、
まったく判断がつかない状況というわけでもないが、
あくまでも参考程度と思っている。

それでも、こんなふうに「Hotel California」がかけられるのは、有難い。

「Hotel California」のLPだけが昔のまま。
アナログプレーヤーもコントロールアンプ、パワーアンプ、スピーカーシステム、
それにケーブル類も含めて、いまの時代のモノである。

まず感じたのは、なんと滑らかなんだろう、だった。
このことは「Hotel California」の前に聴いたディスクでも感じたことだった。

あの時代もマークレビンソンのアンプとJBLのスピーカーシステムという組合せは、
何度も聴いていた。
あのころ「Hotel California」を聴いたのは、その組合せではなかったけれど、
スピーカーはJBLだった。

その滑らかさ故か、以前ほど乾いた音には感じなかった。
乾いていないわけではないが、どことなく乾き具合が違う。

当時のLPだから、マスタリングの違いではない。
この二年の間にいくつか聴いた「Hotel California」のリマスタリング盤の音のことを、
聴き終ってから考えた。

あのころ聴いた「Hotel California」のLPの音と、ずいぶんイメージが違い、
マスタリングのせいなのか、とも思いがちになるが、
もちろんそれがないわけではないし、けっこう大きな比率なのだろうが、
アンプとスピーカー、ケーブルだけを、あの時代のモノにして聴けば、
実のところ、それほど大きな違いでもないのかも……、
そんな気がしないわけでもなかった。

試聴環境が違いすぎるので、ほんとうのところはなんともいえない。

Date: 6月 17th, 2018
Cate: 「ルードウィヒ・B」

「ルードウィヒ・B」(ジャズ喫茶の描写・その1)

手塚治虫の「人間昆虫記」の浮塵化の章(1)の冒頭。
黒人ミュージシャンの演奏シーンで始まる。

それを独り聴いている蟻川というアナーキスト。

「人間昆虫記」を読んだのは高校生だったか。
この時は気づかなかったが、このシーンは、ジャズ喫茶を描いている。

レコードやスピーカーが描かれているわけではないが、
確かにジャズ喫茶である。1970年ごろのジャズ喫茶なのだろう。

気づいたのはハタチすぎて、もう一度「人間昆虫記」を読んだときだった。

Date: 6月 16th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その9)

2011年6月発売のステレオサウンド 179号の誌面に「オーディスト」という言葉が使われた。
別項『「オーディスト」という言葉に対して』で書いたように、
ステレオサウンドの読者をaudist(オーディスト、聴覚障害者差別主義者)と呼ぶことに、
私は強い異和感を覚えた。

現在のステレオサウンド編集長の染谷一氏は178号から、である。
179号は二冊目の、染谷編集長のステレオサウンドである。

染谷編集長は、この件に関しては沈黙である。
私は染谷編集長に謝罪を要求もしないし、
謝罪するもしないのも、染谷編集長が決めることであり、
ずっとこの件に関してだんまりを決め込んでいるのも、染谷編集長の選択なのだろう。
なかなか図太い神経の持主のようだ。

その染谷編集長が、今回の件では、すばやく謝罪しているのに、正直驚いている。

もし私がステレオサウンドの編集長であったなら、
山口孝氏の原稿に出てきたオーディストの意味を調べもせずに使ったとはいえ、
audist(オーディスト、聴覚障害者差別主義者)と、
ステレオサウンドの読者をそう呼んだことは悔やんだろうし、なんらかの謝罪文を載せる。

一方で、今回のYGアコースティクスの件で謝罪したりは絶対にしない。
しかもavcat氏のツイートにあるように《これからこのようなことがないように対策します》と、
染谷編集長が言ったのならば、大きな問題だと思う。

ほんとうに染谷編集長は《これからこのようなことがないように対策します》と言ったのだろうか。
おそらく、この件に関しても染谷編集長はだんまりだろうから、
染谷編集長が《これからこのようなことがないように対策します》と言ったという前提で書いていく。

Date: 6月 16th, 2018
Cate: Jazz Spirit

ジャズ喫茶が生んだもの(番外)

ジャズ喫茶と、日本でのJBL、アルテックの人気の高さは、けっして無関係ではない。
私は、そう思っている。

今日、OTOTENに行ったことは別項に書いた通り。
B1フロアーで「オーディオ10年の歩み」を買って帰った。
日本オーディオ協会が1997年に発行したもので、中島平太郎氏が編集委員長をつとめられている。

定価は8,000円なのだが、もう20年以上前の、いわば売れ残りという扱いなのだろう、
1,000円(税込み)だった。

この本の第八章、「ホール/スタジアムにおける音響装置」のなかに、こうあった。
     *
 1966年のビートルズの来日は劇場(PA)音響技術の展開について画期的なものになった。当時の演奏会場としては客席数3,000を超えるせのはなく、ましてや1万人を収容して音楽を演奏し観客を満足させることができる施設は横浜市の文化体育館ぐらいであった。
 ビートルズの公演回数は5ステージで諸経費を考慮すると1万人以上を収容できる会場を手当てできないと成立しない公算であった。その結果日本武道館に白羽の矢が立ち、同館の承諾を得、公演が実現した。音響はヒビノ(株)が担当し、センターに組まれた舞台の真上に八方に向けてクラスターが吊られた。スピーカーはJBLの2ウェイであった。
     *
ビートルズの日本公演でのスピーカーはJBLだった。
私は初めて知る事実だった。

当時、ビートルズの公演に来ていた人たちのどのぐらいがそのことを知っていたのか、定かではない。
おそらくほとんどの人が知らずにいたことだろう。

それでも、その音はしっかりと耳に残っていたのではないのか。
このことも日本でのJBLの人気の高さに、まったく関係していない、とは思えないのだ。

Date: 6月 16th, 2018
Cate: ショウ雑感

2018年ショウ雑感(その1)

今日からOTOTENである。
昨年から会場が国際フォーラムに移っている。

なんとなくの感じでしかないのだが、今年は昨年よりも入場者が多かったようだ。
昨年はあいにくの雨だった。
今年も梅雨入りしているから、どんよりした天気ではあった。
いまのところ降られていない。

天気がどのくらい来場者数に影響するのかは知らないが、
とにかく来場者は多い、と感じた。

私は、富士フイルムのφ(ファイ)が目的だった。

その音は──、と書きたいところだが、
多くの人が、同じ目的だったのか、満員で聴けなかった。
入場制限があるので、φが気になっている人は、時間の余裕が、今日以上に明日は必要だろう。

4月に別項で「Hotel California」について書いた。
当時発売されたアナログディスクで、その音をいま一度確認したい、と思っていた。

インターナショナルオーディオショウには出展しない(できなくなった)ハーマンインターナショナル。
OTOTENにはブースがある。

ちょうどブースに入ったとき、JBLの4367が鳴っていた。
マークレビンソンのフルシステムでの音出しで、
アナログプレーヤーのNo.515での数枚のアナログディスク聴いた後での、
イーグルスの「Hotel California」がかけられた。

機器を操作し説明されていたスタッフの方が、当時購入されたLP、
それも輸入盤である。つまりアメリカ盤である。

初期プレスではないだろうけど、発売それほど経たずに購入したLP、とのことだった。

Date: 6月 15th, 2018
Cate: デザイン

表紙というデザイン(テクニクスのSL1000Rの場合)

やはりanalog誌の表紙も、テクニクスのSL1000Rだった。
5月発売の管球王国、
6月になってからステレオサウンド、無線と実験、
すべて表紙はSL1000RかSP10Rだった。

どの表紙がいちばん良かったか。
やはりステレオサウンドでしょう、という人が多いのかもしれないが、
私は、あえて順位をつけるなら、analogである。

写真として優れていたから、という理由ではない。
ターンテーブルシートを装着した状態の写真であったからだ。

管球王国の表紙もターンテーブルシートは装着されているが、
アナログディスクが載った状態なので、ターンテーブルシートの存在はほぼ感じない。

SP10R、SL1000Rが発表されたときから感じていたのは、
なぜターンテーブルシートを外した写真ばかりなのか、だった。
ターンテーブルシートは単体での写真だった。

どの写真も真鍮製のプラッターを露出させたままだった。
ターンテーブルシートがなく、
真鍮製のプラッターの上にじかにアナログディスクを置くのが、
テクニクスの推奨する聴き方だとすれば理解できるが、どうもそうではない。

なのに、どのオーディオ雑誌もゴム製のターンテーブルシートを無視している。
ステレオサウンド 207号では表紙だけでなく、
三浦孝仁氏の紹介記事中での写真でもターンテーブルシートは無視されている。

アルミ製のベースの色と真鍮製の色とのコントラストを強調したいのか、
それにしてもくどいし、そればかり見せられても……、と思っていた。

なぜ実使用のスタイルではないのか。
そう思ってきた人は少なくないはずだ。

analogだけはターンテーブルシートを無視していなかった。

Date: 6月 15th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その8)

試聴記とは、聴いた音の解釈であるべきだし、
単なる印象記であっては、読む側からするとまったくつまらない。

オーディオ評論家(職能家、商売屋どちらであっても)であるのなら、
レベルの高低はあろうが、どう解釈したかが読む側に伝わってこなければ、
素人の印象記と同じでしかない。

だからこそ試聴記は、一人の場合もあるが、二人もしくはそれ以上の場合もあるわけだ。
今回のステレオサウンドの特集では、
49モデルのスピーカーシステムを三つのグループに、価格で分けている。

ペア価格が420,000円から1,300,000円のスピーカーシステムのグループを、
さらに80万円以下と80万円超とに分け、前者を山本浩司氏、後者を和田博巳氏が担当。

ペア価格が1,440,000円から2,800,000円のグループを、傅信幸氏と三浦孝仁氏が、
それ以上の2,970,000円から5,980,000円のグループを、柳沢功力氏と小野寺弘滋氏が担当。

山本氏と和田氏は、だから単独試聴である。
山本氏と和田氏の、試聴器材(アンプやCDプレーヤーなど)は同じだ。
だからもしかすると、山本氏と和田氏は、もともと一緒の試聴を行う予定だったのが、
スケジュールの都合で、別々に行うことになったのかもしれない。

傅氏、三浦氏担当が17モデル、柳沢氏、小野寺氏担当が12モデル、
計19モデルは、二人分の試聴記が載っている。

207号掲載の試聴記が、それぞれの解釈といえるかどうについては、ここでは触れない。
ここでのテーマからは逸れてしまうからで、
私はそれもいいかもと思うけれど、ここでもっとも書きたいことが後回しになってしまうのは避けたい。

ステレオサウンドだけに限らない、
オーディオ雑誌では、試聴記は一人のこともあるが、二人以上のことのほうが多い。

Date: 6月 14th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その7)

avcat氏の一連のツイートを読んだ上で、
ステレオサウンド 207号掲載のYGアコースティクスのHailey 1.2の試聴記を読んだ。

柳沢功力氏と小野寺弘滋氏。
試聴方法のページでわかるのは、ふたり合同試聴であったこと、
柳沢功力氏が前方の椅子、小野寺弘滋氏が後方に椅子に座っての試聴である。

前後位置の違いはあっても、ほぼ同じ音を、
柳沢氏も小野寺氏も聴いていた、といえる試聴環境だ。

そのうえでふたりの試聴記を読み比べてほしい。
このためだけに207号を買ってきた。

avcat氏のツイートを読めば、柳沢氏の評価(試聴記)に、
そうとう不満があるように、私は感じた。

けれど、柳沢氏、小野寺氏は、同じ音についての、
その人なりの表現での試聴記だと感じたし、
このふたりの試聴記が、
まったく別の音(別のスピーカー)について語っているとは思えないし、
特に問題のある試聴記でもない。

Hailey 1.2の試聴記が問題というのなら、
JBLの4367WXの、傅信幸氏の試聴記のほうが、問題になるのではないか、と思う。

Hailey 1.2の試聴記で、
ステレオサウンドの染谷編集長が《これからこのようなことがないように対策します》と、
YGユーザーにほんとうに謝罪したのであれば、JBLユーザーも謝罪を要求してもいいだろうし、
染谷編集長はそれに応じるべきだと思うが、
そもそもHailey 1.2の試聴記が問題だと思わない私は、
謝罪をする必要はなかった、と考えるし、謝罪すべきではなかった、といっておく。

Date: 6月 13th, 2018
Cate: plain sounding high thinking

オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる(その1)

《オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる》
瀬川先生が五味先生の「天の聲」の書評で、そう書かれていた。