Author Archive

Date: 5月 29th, 2018
Cate: 真空管アンプ

真空管バッファーという附録(その2)

D38uは、audio wednesdayを行っている喫茶茶会記で使っているCDプレーヤーでもある。
真空管バッファー経由の音も何度も聴いている。
けれどaudio wednesdayでは、鳴らす音量との関係もあって、
パスした状態(solid stateポジション)で鳴らすことが多かった。

時々思い出したようにvacuum tubeポジションにすることもあったし、
搭載されている真空管を、店主の福地さんが別途購入した真空管に交換したこともある。

solid stateポジションとvacuum tubeポジション、
どちらの音がいいのかを判断するよりも、一種のトーンコントロールとして楽しんだ方がいい。

vacuum tubeポジションにすれば、ECC82のカソードフォロワーを一段よけいに、
信号が経由することになる。

余分なものは極力排除すべし、という考えの人からすれば、
そんなよけいなものを挿入するなんて……、ということになろうが、
目くじらをたてることだろうか、と思う。

使う人がいいと感じる方を選べばいいし、
かける曲、かける音量によっては、同じ人でも判断が逆になることだって往々にしてある。
レバースイッチひとつで簡単に切り替えられるものは、楽しんだ方がいい。

ECC82は双三極管だから、一本の真空管に二つのユニットが入っている。
カソードフォロワーのみという回路だから、
D38uではそれぞれのユニットを左右チャンネルに振り分けている。

ということは、セパレーション特性は若干劣化しているはずだ。
かといってECC82を二本使い、左右チャンネルで独立させれば、
ユニットひとつ分遊ばせることになる。

並列接続にするという方法もあるし、
一段増幅のカソードフォロワー出力という構成にする方法もある。
ただし後者では位相は反転することになる。

真空管がもう一本増えればコストはアップする。
どちらを選択するのか。
コストの制約のある実際の製品では、私も一本使用を選択するだろう。

ただ私は真空管のカソードフォロワーは好きではない。
やはりプレート側から出力をとりたい。
となると一段増幅では位相が反転する。
ならばvacuum tubeポジションにする際に、
デジタル信号処理で反転させておけば、トータルでは正相になる。

Date: 5月 29th, 2018
Cate: 真空管アンプ

真空管バッファーという附録(その1)

CDプレーヤーが登場してしばらくしたころ、
CDプレーヤーのアナログ出力段は貧弱なものだから、
一般的なライン入力よりも高インピーダンスで受けた方が、好結果が得られる──、
そんなことが一部でいわれるようになり、
実際の製品でもCD入力にバッファーを設け入力インピーダンスを高くしたモノもあった。

さらには高域の周波数特性を1dBか2dBほど下げているアンプも出てきたし、
アマチュアのあいだで流行り出し、メーカーも製品化したモノでは、ライントランスがある。

それらが落ち着いて数年後、ラジオ技術に新忠篤氏が、
おもしろい真空管アンプを発表された。
ウェスターン・エレクトリックの直熱三極管101シリーズを使った単段アンプである。
出力にはトランスがあり、101シリーズの増幅率からすると、
アンプ全体のゲインはあまりない。いわば真空管バッファー的なアンプである。

それ以前にも真空管の音で、CDの音を聴きやすくしようという試みはあった。
けれど新忠篤氏の、この単段アンプはより積極的に真空管、
それもウェスターン・エレクトリックの直熱三極管の持ち味を利用しているところが、
個人的にひじょうにおもしろい、と感じた。

フィラメントの点火方法などいくつか疑問に感じるところはあっても、
全体の構成として、小出力管といえる101シリーズをもってきた点は、
当時の私には思いつかなかったことである。

この新忠篤氏発表の単段アンプのころが、これら手法のひとつのピークだったように、
個人的には感じている。
もっとも個人的関心が強く影響しての、ひとつの感じ方にすぎないのはわかっている。

そんなふうに感じていたから、ラックスからD38uが登場したときは、
まだ続いていたんだ、と驚きと呆れが半分綯交ぜでもあった。

D38uのフロントパネルにはレバースイッチがあり、
これでvacuum tubeとsolid stateが切り替えられる。

vacuum tubeを選択すると、
通常のアナログ出力段のあとに真空管(ECC82)のバッファーが挿入された音を聴くことになる。

Date: 5月 29th, 2018
Cate: 数字

300(その6)

C27は、コントロールアンプとして必要な機能を、
最小限といってもいいトランジスターの使用数で実現している。

MC2300は、開発当時としては大出力であり最高出力といえる300Wの実現のため、
その時代のアメリカの製品らしく、惜しみなく物量を投入した結果のトランジスターの使用数である。

まったく対照的な設計思想といえるアンプが、
同じメーカーから登場しているわけだ。
それだけに音の傾向も、大きく違う。

私がMC2300の音を聴いたころには、
他のメーカーからも300W級のハイパワーアンプは登場していた。
MC2300を聴く前に、それらのアンプのいくつかを聴いている。

それでもMC2300の音は、衝撃だった。
暴力的といいかえてもいいように感じた。

300Wというスペック的には同じパワーであっても、
瀬川先生が書かれているとおりに、
《その底力のある充実したサウンドは、並の300W級が色あせるほどの凄みを感じさせる》。

MC2500の500Wは、その点、ソフィスティケートされている。
アンプとしても、MC2300よりもずっと優秀になっている。

よほどの低能率のスピーカーと組み合わせるのであれば、
500Wという出力の大きさが活きてこようが、
90数dBクラスのスピーカーであれば、
300Wと500Wの違いは感覚的には感じとりにくいどころか、
むしろMC2300の300Wのほうが、音と対峙する世界といえるほどに衝撃的である。

MC2300とMC2500、
SAEのMark 2500とMark 2600、
どちらにおいても、300Wのほうに、私は惹かれてきた。

Date: 5月 29th, 2018
Cate: 数字

300(その5)

真空管時代からアンプメーカーであったマッキントッシュでも、
それだけ歴史が長いだけに、真空管アンプよりも半導体アンプの数が多い。

すべてのマッキントッシュのアンプを聴いているわけではないが、
数あるマッキントッシュの半導体アンプのなかで、
いまも欲しいと思うのは、コントロールアンプならばC27、
パワーアンプならばMC2300の二機種である。

といってもC27とMC2300を組み合わせて鳴らそうとは、まったく思っていない。
コントロールアンプ単体としてC27に、
パワーアンプ単体としてMC2300に、それぞれに違う魅力を感じている。

C27はパネルフェイスと型番からわかるようにC26の改良型ともいえる。
C28の改良型のC29が登場したためだろうか、C27はあまり注目されてこなかったように感じている。

《現代アンプの純度とは異なった、井戸水の自然さを感じさせる音だ》
井上先生が、ステレオサウンド 47号に書かれている。
この簡潔な文章のとおりの音がする。

マッキントッシュらしからぬみずみずしい音がする。
C27は、アンプ部(片チャンネル)のトランジスターの数は八石である。
イコライザーアンプ、トーンコントロールつきのラインアンプ合せての八石である。

トランジスターの数が少ないから、シンプル・イズ・ベストでみずみずしい音が聴ける──、
などとは思っていないが、1978年登場のアンプとしては、思い切った回路構成といえる。

MC2300は、そういうわけにはいかない。
回路図を見ていないのではっきりしたことはいえないが、
出力段のパワートランジスターの数だけで八石を上回ってそうである。

MC2300の音は、まったくみずみずしくない。

Date: 5月 28th, 2018
Cate:

オーディオと青の関係(名曲喫茶・その2)

少女とある。
でも、いまの若い人が思い浮べる少女と、
五味先生の文章に登場してくる少女とは、ずいぶんちがってきたように思う。

私が思い浮べる少女と、ここでの少女とが、どれだけ近いのか違うのか。
誰にもわからない。

ただ、いまの若い人が思い浮べる少女よりは、ずっと近いように勝手に思っているだけだ。

髪の美しい少女とある。
髪の長さについては書かれてない。
だから勝手に、これも想像する。
きっと長いんだろうなぁ、と。

といってもとても長いわけではなく、肩に少しかかるくらいか、
肩が少し隠れるくらいか、そのくらいの長さの髪の美しい少女をおもう。

《紺のスカートで去って行くうしろ姿》もおもう。

そうやっておもうところで、
結局は、これまで出逢ってきた少女を思い出しているだけなことに気づく。
私だけだろうか。

それも私自身が少年だったころ、想いを寄せていた少女の姿なのだ。
だからよけいにうらやましくおもう。

いまある名曲喫茶は、昭和とともに歳をとっていったように感じる。
若い人が、そこで働いていたとしても、そんなふうには感じられない。

それでも、ひとつだけ近いことが私にもあった。

Date: 5月 28th, 2018
Cate:

オーディオと青の関係(名曲喫茶・その1)

「日本のベートーヴェン」で五味先生が書かれいてることが、
ハタチごろに読んだときよりも、こころに沁みてくる。
     *
 ぼくらは名曲喫茶では、ベートーヴェンのごく一部の作品しか聴けなかったにせよ、すぐれたそれは演奏家に恵まれた時代であり、しばしばすぐれた演奏がその曲を傑作にする。すぐれた演奏の音楽は、言葉よりはるかに多く正確な意味を語ってくれるのである。
 憾むことはなかった。メニューを持って近寄って来る髪の美しい少女に、一杯のコーヒーを注文するとき鳴っていたヘ長調の『ロマンス』は、ぼくと少女の心性に調べを与えてくれ、紺のスカートで去って行くうしろ姿からもうぼくは目を閉じていればよかった。あとはフリッツ・クライスラーの弾く『ロマンス』が、少女とぼくの気持ちを、終尾楽章の顫音まで秘めやかに空間に展開してくれる。なんという恵まれた青春だったろう。
     *
戦前の名曲喫茶のことである。
いまも東京には、いくつかの名曲喫茶がある。
そのうちの半分くらいには行っている。

戦前──昭和のはじめと、
戦後──昭和のおわり近くとでは、名曲喫茶もちがっていて当然であろう。

《なんという恵まれた青春》だろうと、うらやましくおもう。

戦前の名曲喫茶よりも、いまの名曲喫茶のほうが、装置もいいに決っている。
いまはステレオもモノーラルも聴ける。
戦前の名曲喫茶ではモノーラルだけである。
それにレコードの数も、いまの名曲喫茶のほうが圧倒的に多い。

コーヒーだって、いまのほうが美味しいだろう。
なのに《なんという恵まれた青春》だろうと、
体験できなかった私は、読み返すたびに、
いや、もう読み返す必要もないくらいに何度も読んできているから、
思い出すだけで、うらやましくおもう。

Date: 5月 28th, 2018
Cate: 数字

300(その4)

アキュフェーズのM60は、M100になり出力は500Wに、
マッキントッシュのMC2300もMC2500になり、出力は500Wに、
SAEのMark 2500は2600になり、400Wへとなっていった。

ラックスのM6000は、出力180WのM4000がM4000Aになったけれど、
なぜかM6000Aは発表されず製造中止。

300W超えのパワーアンプは、いくつか登場してきた。
ローテルのRB5000(500W)、ソニーのTA-N9(450W)、テクニクスSE-A1(350W)、
アムクロンのM600(600W)、GASのGODZiLLA AB(350W)、マランツのSm1000(400W)、
フェイズリニアの700SII(360W)、D500SII(505W)、SUMOのThe Power(400W)などである。

そうなってくると出力300Wという数字も、特別な数字ではなくなってくるわけだが、
たとえばSAEのMark 2500とMark 2600。
音で選ぶなら、Mark 2500である。

外観は型番表記の2500と2600ぐらいの違いしかないが、
内部をみると、まず電源トランスがEIコア(2500)とトロイダルコア(2600)の違いがある。
260も初期のモデルはEIコアである。
基本的なコンストラクションは同じでも、細部までまったく同じでもない。

回路は2500も2600も同じはずで、
それでも出力が100W増したのは、もともと電源部に余裕があったため──、
そんな説明もされていたが、音が変らずに出力だけアップというわけにはいかなかった。

他のメーカーのアンプとの比較では、MArk 2500もMark 2600も、
ほぼ同じ音のアンプということになるけれど、
2500と2600を比較すれば、わずかとはいえ音に違いはあって、
私はMark 2500の方をとる。

こうなってくると、私のなかでは400Wという出力が、妙に中途半端なところに位置づけされる。
瀬川先生は出力の増大は、できれば2倍、最低でも1.4倍にならないと、
パワーの余裕は感じとりにくいといわれていた。

300Wの1.4倍は420W。
Mark 2600の400Wはぎりぎりの値でもある。
その点、マッキントッシュのMC2300は、2500になって500Wになっている。
1.66倍である。

ではMC2300とMC2500だったら、MC2500を選ぶかというと、
オーディオはそこが微妙であって難しい。

以前書いているので、理由は省くが、私はMC2300に魅力を感じる。
もちろんパワーアンプとして優秀なのはMC2500なのはわかっていても、だ。

Date: 5月 27th, 2018
Cate: 数字

300(その3)

当時のステレオサウンドのパワーアンプのリファレンスは、
マランツのModel 510Mである。

このパワーアンプの出力は256W。
250Wでもなく260Wでもなく、256Wという数字。

このくらいの値になると、そのへんの違いが聴感上わかるかというと無理であろう。
それに256Wと300Wのアンプがあって、
回路構成、コンストラクション、使用パーツも同じというアンプが仮にあったとしても、
出力の余裕が、どれだけ聴きとれるかはなんともいえない。

それに300Wという出力がほんとうに必要なのか。
SAEのMark 2500を常用されていた瀬川先生は、
ステレオサウンド 43号に《日頃鳴らす音量は0・3W以下》と書かれている。

このころのスピーカーの出力音圧レベルは90dB以下は低能率といわれていた。
93dBでも低い、といわれがちであった。
4343がカタログ上では93dB/W/m、タンノイのArdenが91dB/W/mだった。
それでもいまの平均的な出力音圧レベルよりは高い。

いまならば300Wくらいは必要という人も増えているだろうが、
当時は300Wという値は、ほんの一瞬のピークのためのものでもあった。

その、ほんの一瞬のピークも、すべての人が求めていたわけではなく、
割合としてはそう多くはなかったはずだ。

それはスーパーカーの300km/hというスピードとて同じことだろう。
カウンタックが仮に300km/h出せたとしても、いったいどこで出せるのか。

ならば、カウンタックの実際の最高速度が300km/hを切っていたとしても、
それに近い速度は出せたはずであって、たいした差はないと思う。
それでもやはり300という数字のもつ魅力というか、
単なる数字であって、そこまで出せる人なんてほんのわずかしかいないのはわかっていても、
カウンタックの速度にしても、アンプの出力にしても、
どちらもパワーであるかぎり、ロマンのようなものを感じてしまう。

Date: 5月 27th, 2018
Cate: 数字

300(その2)

そんな中学生のころ、時速100kmというのは、
高速道路でのスピードであって、
アンプの出力が100Wというのも、同じ感覚として受け止めていた。

時速200kmというのは、当時体験したことはなかった。
初めて新幹線に乗ったのは数年後だし、
いくら高速道路とはいえ時速200kmまで出す人はいなかった。

これとリンクするように、200Wの出力はさらなる大出力という領域に感じていたし、
その上の300W(300km)ともなると、最高出力(最高速度)という感覚であった。

地上で最も速いスピードとしての300km/h、
アンプで最も大出力といえる300W。
当時は、誇張なくそんな感じだった。

セパレートアンプともなると100Wの出力はそう少なくはなかった。
200Wになると、やはり数は減る。
300Wの出力ともなると、1977年でもそう多くはなかった。

300Wが珍しくなくなりつつあったけれど、
まだまだそれほど多くのアンプがあったわけではない。

アキュフェーズのM60(300W)、エトーンのExcellent Power Amp(1000W)、
ラックスのM6000(300W)、サンスイのBA5000(300W)、マッキントッシュのMC2300(300W)、
SAEのMark 2500(300W)ぐらいである。

エトーンのExcellent Power Ampは、
高さ170cmの19インチラックに収められたモノーラル管球式OTLアンプで、
重量は98kgで、消費電力は無信号時で800W(一台)、
価格は3,900,000円(一台)という規格外の製品で、A級動作でも300Wの出力をもつ。

これを別にすれば、300Wは上限の出力だった。

Date: 5月 27th, 2018
Cate: オーディオ評論

評論家は何も生み出さないのか(その7)

メーカーの人の中には、
オーディオ評論家を徹底的に軽蔑している人がいる。

古くからのメーカーで、オーディオ評論家とのつきあいがながいところよりも、
新しいメーカーのほうに、そういう人はより多いように感じている。

確かに軽蔑されても仕方ない──、と私だって思う。
軽蔑されても、そのメーカーに利用価値があれば、
心の奥底ではどう思っていようが、オーディオ評論家とつきあっていくのかもしれない。

けれど、そういうメーカーのなかには、利用価値すらないと思っている人たちがいる。
だからオーディオ評論家には、まったく頼らない。

そういうメーカーが日本でも登場してきている。
そういうメーカーは、いまオーディオ評論家と名乗っている人たちにはまったく連絡をとらないので、
そういうメーカーが登場していることに、
いまのオーディオ評論家たちは気づいていないのかもしれない。

オーディオ評論家を軽蔑する人たちは、なにもメーカーだけにいるわけではない。
オーディオマニアのなかにも、昔からいる。

オーディオ評論家のいうことなんてあてにならない。
そんなのをあてにするようなオーディオマニアは、
自分の耳、感性に自信がないから、他人の耳、感性に頼ろうとする──、
そんなことも、昔からいわれ続けている。

オーディオ評論家には、オーディオ評論家(職能家)とオーディオ評論家(商売屋)がいる。
私は、ここにはしっかりと線を引いているが、
オーディオ評論家を軽蔑する人のなかには、
どちらもいっしょと受け止めている人もいるように感じているし、
オーディオ評論家(職能家)のいうことを信じているオーディオマニアも、
軽蔑・侮蔑の対象なのだろう。

おそらく私も、そう見られている、であろう。
そう思われようがまったく気にならないのだが、
ひとついっておきたいのは、人に憧れることはないのか、である。

Date: 5月 27th, 2018
Cate: 数字

300(その1)

私にとって、スーパーカーの代名詞といえば、
ランボルギーニのカウンタックである。

中学生のころに盛り上っていたスーパーカーブーム。
ホンモノを見たい、と思ったのはカウンタックだった。

カウンタックを初めて見たのは、
走っているところを見たのは、東京に来てからだった。

知人で、車にまったくうとい男がいる。
私より10くらい若い。
知人は、ランボルギーニのクルマをみかけると「カウンタックだ」という。

笑い話だけれど、知人にとってもカウンタックは、どうも特別な存在のようである。

カウンタックは、いまでも憧れのクルマであり、東京にいると年に一回くらいは、
いまでも見かけることがある。

カウンタックが、いまでも特別な存在なのは、
そのデザインだけではなく、最高速度が300kmだということもある。

クルマに詳しくない私は、ずいぶん後になってカウンタックは300km出ないことを知るわけだが、
それでもカウンタックと300という数字は切り離せない。

中学二年のころ、オーディオに夢中になった。
オーディオの世界で、300という数字は、パワーアンプの出力にすぐに結びつく。

当時は100Wを超えると大出力という感じだった。
100Wを超える出力のプリメインアンプも、そう多くはなかった。

アキュフェーズのE202(100W)、ラックスのL100(110W)、パイオニアのSA9900(110W)、
ローテルのRA1412(110W)、サンスイのAU1000(110W)、AU1100(110W)、AU20000(170W)、
トリオのKA9300(120W)、ビクターのJA-S20(120W)、
ヤマハのCA1000III(100W)、CA2000(120W)、マランツのModel 1250(130W)、
このくらいである。

このころ200機種近いプリメインアンプがあって、そのうちのこれくらいである。
マッキントッシュのMA6100も70Wだった時代である。

Date: 5月 26th, 2018
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(いつまでも初心者なのか・その2)

その分野に関するすべてのことを知っているような人であっても、
その分野に入ってきたばかりの人が話すことから教わる・学ぶことは、確かにある。

子供のいうことからも教わる・学ぶこともある。
それゆえ初心者と、自らのことをいう──、
そのことも承知している。

それであっても……、だ。
そのことと初心者と名乗ることは、別のことのはずだ。

初心者とことわっておくことで、
逃げるところを用意しているだけではないのか。
そんなふうにも思えてくる「初心者ですよ」の使い方が、
SNSの普及とともに目につくようになってきている。

そんな年老いたオーディオマニアを見て、若い人がオーディオの世界に興味をもつだろうか、
入ってくるだろうか。

Date: 5月 26th, 2018
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(いつまでも初心者なのか・その1)

オーディオだけに限らないのだが、
その趣味のキャリアが長くても、己のことを「初心者ですよ」という人がいる。

そんな人を「謙虚な人だ」と思う人もいるだろうが、
私などは、「いつまで初心者でいるつもりですか」と訊きかえしたくなる。

実際にはそんてことはしないし、
おそらく「初心者ですよ」という言葉には、
「初心を忘れないようにしています」が込められているのはわかっている。

それでも、「いつまで初心者でいるつもりですか」といいたくなるのは、
初心を忘れていないベテランもいるし、
初心をとっくに忘れてしまった(キャリアの長い)初心者もいるからだ。

忘れないよう心がける初心とは、
オーディオに真剣に取り組もうと決心したときの純粋な気持のはずだ。

ならばいつまでも初心者と名乗っているわけにはいかない──、
私はそう考えるオーディオマニアだ。

Date: 5月 26th, 2018
Cate:

ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(余談)

(その2)へのfacebookでのコメントに、
ヤフオク!にLS5/1Aが出品されている、とあった。

KEFのLS5/1Aではなく、BBCモニターのLS5/1Aが出ていた。
ただ出品されているLS5/1Aは、付属アンプがどうもないみたいだ。

スタンドもついている。
けれど肝心の専用アンプがない。
もちろん専用アンプがなくとも、音は鳴る。
けれど(その2)に書いているように、専用アンプの高域補正がなければ、
中域より上がなだらかにロールオフしていく周波数特性である。

瀬川先生も、付属アンプで鳴らすよりも、
トランジスターアンプで鳴らすようになって本領を発揮してきた、と書かれているから、
付属アンプにこだわる必要はない。

それでも瀬川先生は付属アンプでの音を聴かれた上で、
高域補正が行われていることをわかったうえで、別のアンプで鳴らされているわけだから、
トーンコントロールで、そのへんはうまく処理されていたはずだ。

わかっている人が鳴らすのであれば、アンプがなくともかまわない、といえるが、
初めてLS5/1Aに接する人は、やはり付属アンプで鳴らす音を一度は聴いておいてほしい、と思う。
それが、ひとつの基準となる音なのだから。

私がLS5/1を手離した理由のひとつは、
ウーファーのボイスコイルの断線がある。

私が20年ほど前に鳴らしていた時点でも、製造されてから30年、
いまなら50年ほどが経過している。

スピーカーユニットのトラブル発生のリスクも考えておいたほうがいい。
ウーファーが断線しても、同じユニットを探して出して……、と考える人もいるだろう。
グッドマンのCB129Bという型番、38cm口径のウーファーである。

当時はインターネットなかった。
探すことはしなかった。
仮にCB129Bが入手できたとしても、実はそのままでは交換できない。

LS5/1(A)は、バッフル板の横幅をぎりぎりまで狭めているため、
ウーファーフレームの両サイドを垂直にカットしている。
この加工ができなければ、CB129Bを入手できても無駄になる。

他にもいくつか書いておきたいことがあるが省略しよう。
とにかくLS5/1Aは古いスピーカーである。

入札している人は、そのへんのことを分った上なのだろうか、とつい思ってしまう。

Date: 5月 25th, 2018
Cate:

ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その2)

セレッションのDitton 25もKEFのLS5/1A、
どちらもHF1300を二発使っている。
縦方向に二本並べて配置している。

Ditton 25のウーファーとトゥイーター(HF1300)とのクロスオーバー周波数は2kHz、
LS5/1Aは1.75kHzと発表されている。
どちらも同じくらいの値だ。

HF1300を使っている他のスピーカー、
Ditton 15は2.5kHz、B&WのDM2は2.5kHz、DM4は4kHzとなっている。
スペンドールのBCIIとBCIIIは3kHz。

Ditton 25とLS5/1Aが、他よりも若干低いのは、二本使用ということも関係してだろう。
ただ二本使うことで、高域にいくにしたがって定位への影響も懸念される。

Ditton 25はだからだろう、9kHz以上は別のユニットに受け持たせている。
LS5/1Aは2ウェイだから、どうしているかというと、
上下に配置されている上側のHF1300については、3kHzからロールオフさせている。
そのためトータルの周波数特性は高域がなだらかに減衰していくため、
専用のパワーアンプ(EL34のプッシュプル)には、高域補正回路が組み込まれている。

LS5/1Aの定位は、確かにいい。
私が一時期鳴らしていたのはLS5/1だったが、その定位の良さには、
良いことを知っていても驚かされた。

瀬川先生は、ステレオサウンド 29号にLS5/1Aの定位の良さについて書かれている。
     *
 LS5/1Aのもうひとつの大きな特徴は、山中氏も指摘している音像定位の良さである。いま、わたくしの家ではこのスピーカーを左右の壁面いっぱいに、約4メートルの間隔を開いて置いているが、二つのスピーカーの中央から外れた位置に坐っても、左右4メートルの幅に並ぶ音像の定位にあまり変化が内。そして完全な中央で聴けば、わたくしの最も望んでいるシャープな音像の定位──ソロイストが中央にぴたりと収まり、オーケストラはあくまで広く、そして楽器と楽器の距離感や音場の広がりや奥行きまでが感じられる──あのステレオのプレゼンスが、一見ソフトフォーカスのように柔らかでありながら正確なピントを結んで眼前に現出する。
     *
井上先生も、同じことを38号で書かれている。
《このシステムは比較的近い距離で聴くと、驚くほどのステレオフォニックな空間とシャープな定位感が得られる特徴があり、このシステムを選択したこと自体が、瀬川氏のオーディオのありかたを示すものと考えられる》

これはほんとうにそのとおりの鳴り方であって、
私は六畳間で鳴らしていた。
長辺方向にスピーカーを置くわけだから、かなりスピーカーとの距離は近い。

LS5/1は当然だがLS5/1Aよりも古い。
私のLS5/1は1960年前後に造られたモノ。
その30年後に、追体験していた。