オーディオと青の関係(名曲喫茶・その1)
「日本のベートーヴェン」で五味先生が書かれいてることが、
ハタチごろに読んだときよりも、こころに沁みてくる。
*
ぼくらは名曲喫茶では、ベートーヴェンのごく一部の作品しか聴けなかったにせよ、すぐれたそれは演奏家に恵まれた時代であり、しばしばすぐれた演奏がその曲を傑作にする。すぐれた演奏の音楽は、言葉よりはるかに多く正確な意味を語ってくれるのである。
憾むことはなかった。メニューを持って近寄って来る髪の美しい少女に、一杯のコーヒーを注文するとき鳴っていたヘ長調の『ロマンス』は、ぼくと少女の心性に調べを与えてくれ、紺のスカートで去って行くうしろ姿からもうぼくは目を閉じていればよかった。あとはフリッツ・クライスラーの弾く『ロマンス』が、少女とぼくの気持ちを、終尾楽章の顫音まで秘めやかに空間に展開してくれる。なんという恵まれた青春だったろう。
*
戦前の名曲喫茶のことである。
いまも東京には、いくつかの名曲喫茶がある。
そのうちの半分くらいには行っている。
戦前──昭和のはじめと、
戦後──昭和のおわり近くとでは、名曲喫茶もちがっていて当然であろう。
《なんという恵まれた青春》だろうと、うらやましくおもう。
戦前の名曲喫茶よりも、いまの名曲喫茶のほうが、装置もいいに決っている。
いまはステレオもモノーラルも聴ける。
戦前の名曲喫茶ではモノーラルだけである。
それにレコードの数も、いまの名曲喫茶のほうが圧倒的に多い。
コーヒーだって、いまのほうが美味しいだろう。
なのに《なんという恵まれた青春》だろうと、
体験できなかった私は、読み返すたびに、
いや、もう読み返す必要もないくらいに何度も読んできているから、
思い出すだけで、うらやましくおもう。