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Date: 7月 6th, 2019
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(亀倉雄策氏のこと)

「長岡鉄男の日本オーディオ史 1950〜82」の42ページに、
《亀倉雄策、本格コンポ》とある。

長岡鉄男氏が、長岡鉄男というペンネームを使っていない時代、
《メーカー訪問、名曲喫茶訪問もふった、ステレオ・ユーザー・インタビューもやった》時代、
50人ぐらいの人のところに訪問されている。

三十人ほどの名を挙げられて、短いコメントがついている。
オーディオマニアとして知られている人が数人、そこにはある。

《藤井康男、龍角散社長、特注アルバトロスの無指向性システム》、
《荻昌弘、特注巨大コンポ》、
《柳家小三治、LE−8Tを使った本格的コンポ》などとある。

柳家小三治氏のLE8Tを使ったシステムを、本格コンポとはせずに、
本格的コンポとされているのに対し、亀倉雄策氏のは本格コンポ、である。

どんなシステムだったのか、詳細はわからないが、
当時の柳家小三治氏のシステムよりも、マニアックなものだったのか。

デザイナーの亀倉雄策氏はオーディオマニアだったのか。

Date: 7月 5th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(その5)

AXIOM 150を鳴らすアンプ、MA7900には、5バンドのトーンコントロールがついている。
ふだんアルテックのスピーカーを鳴らす際には、パスしている。
まったく使わないというわけでもないが、ほとんどは使わずに鳴らしている。

でも今回はついている機能は、使わなければもったいないという感覚で、
慎重にいじる帯域もあれば、
かなり大胆にいじった帯域もある。

とはいってもトーンコントロールをいじっていた時間は一分ほどである。
もっと時間をかけてこまかくやっていけば、もっといい感触が得られたかもしれないが、
わりといい感じにまとまってくれたと思う。

どの帯域をどの程度動かしたかについて書いたところで、
条件が変れば、何の参考にもならないから省かせていただく。

大事なことは、どういう音にしたいのかという心象をしっかりと持った上でいじる、ということ。
ここでの心象とは、鳴らす音楽に対する「想像と解釈」からなる。

このあたりで、スピーカーもカセットデッキも調子を取り戻しつつある感じの音になってきた。
もうみんな黙って聴いている。

60代が一人、50代も一人、ぎりぎり20代が二人、
四人が黙って聴いていた。

音も変ってきたこともあるし、
耳のピントが合ってきた(なれてきた)ということもあろう。

ここまで来て、ひとつだけ細工をした。
TC-K555ESXでは片手がすぐにやれることである。
元に戻すのも片手でできることである。

それでも、このちょっとした細工による音の変化は、みなびっくりしていた。
TC-K555ESXは簡単にできるが、ほかのメーカーのデッキ、
ソニーのデッキでも時期の違うモデルになると、そうはいかないかもしれない。

けれど、どこのデッキであっても、ここでやったことは応用できるし、
そこでの音の変化は、今回の音の変化と同じ傾向をもつはず。

Date: 7月 4th, 2019
Cate: background...

background…(ポール・モーリアとDitton 66・余談)

その6)を書いたのがほぼ二年前。
(その7)以降を書くことを忘れているわけではない。

でも今回は(その7)ではなく、余談として、である。

ユニバーサルミュージックはメジャーレーベルで、
MQA-CDに積極的である。
今年の秋、また新譜が発売になる。

そこにポール・モーリアもMQA-CDで発売される予定である。
ポール・モーリアだけでなく、
いわゆるイージーリスニングと呼ばれていた音楽の代表的なものも出る。

ポール・モーリアをMQA-CDで出して、意味があるの? と思われるかもしれない。
でも日本フォノグラムが、当時ポール・モーリアのLPを、メタル原盤を輸入して発売していた。

それにずっと以前には、
ポール・モーリアのLPが試聴レコードとして使われていたこともある。

ポール・モーリアのMQA-CDなんて意味がない──、なんていいたくない。
積極的に聴いてみたいと思っているし、
できるならばセレッションのDittonシリーズのスピーカー、
Ditton 66かDitton 25で聴いてみたい、とも思う。

Date: 7月 4th, 2019
Cate: 公理

オーディオの公理(その8)

2017年秋だったか、
どこかのメーカーがBluetooth対応のスピーカーを発表していた。
アンプ内蔵なのは当然だが、このメーカーは真空管を採用していた。

そして「真空管でなければ出せない音がある」、
そんなことを謳っていた。

そういえばその数ヵ月後に、管球王国でも同じようなタイトルの記事を載せていた。

だが「真空管でなければ出せない音がある」は、
「真空管では出せない音がある」といっているのと同じである。

記事として充実させ、読んで面白い記事にするためには、
「真空管では出せない音がある」ことにも触れていく必要がある、と私は思う。

管球王国での、実際の記事がどんなふうだったのかは知らない。
でも、管球王国という雑誌名と、これまでの記事からして、そこまで踏み込んだ内容とは思えない。

「真空管でなければ出せない音がある」というのは、公理なのか。
公理といえば、そうかも……、とは私も思う。

真空管とトランジスターとでは、そこに使われている材料・材質、
構造がまるで異る能動素子である。

どれだけ回路を極めようと、この二つの能動素子が同じ音を出すということは、
まず考えられない。
その意味では、「真空管でなければ出せない音がある」は公理なのか。

これが公理になってくるのだとしたら、
「真空管では出せない音がある」も公理になってくるのではないか。

そういえば、公理は英語ではaxiomである。
昨晩audio wednesdayで鳴らしたグッドマンのスピーカーの型番には、
axiomがつく。

Date: 7月 4th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(その4)

中学生だったころ、
ラジカセとの距離は近かった。
どのくらいかといえば、手を伸ばせばラジカセがそうさできるところに置いて鳴らしていた。
1mも離れていない。

そんな至近距離で聴いていた。
これは音量の問題というよりも、
少しでも多くの音を聴き取りたい──、
そう思っての、この距離の近さである。

音量をあげて、少し距離をとればいいじゃないか、といわれそうだが、
私が持っていたラジカセで、ほどよく鳴ってくれる音量と兼合いも関係してのことだ。

そのことを思いだしたから、
来られた方に、AXIOM 150の正面1mくらい床に直接坐ってもらって聴いてもらった。

AXIOM 150は中型くらいのフロアー型エンクロージュアにおさめられていて、
ユニットの位置(高さ)は、
ちょうど床に坐ったくらいが、耳の位置とユニットの位置とが合ってくる。

こうやって聴いていると、
中学時代のラジカセで聴いていたころの感覚がよみがえってくるような気さえする。

私が持っていたラジカセはフルレンジ一発だった。
トゥイーターはなかった。

喫茶茶会記の店主、福地さんにも、こうやって聴いてもらった。
喫茶茶会記の「店主日記」に、昨晩のことを書かれている。

Date: 7月 4th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(その3)

セッティングが終り、まずグラシェラ・スサーナを鳴らした。
グッドマンのAXIOM 150はしばらく鳴らしていなかったのだろう、
そんな感じのする音でもあった。

AXIOM 150は30cm口径のダブルコーンのフルレンジ型ユニット。
優に四十年以上前のスピーカーである。
五十年といってもいいだろう。

そういうスピーカーユニットなので、ワイドレンジなわけがない。
ほどよくナロウレンジの音が鳴ってくる。

カセットデッキのTC-K555ESXも、頻繁には使っていない、
つまり電源を入れていなかったのかもしれない。

とにかくしばらく鳴らし続けていた。
音は、それだけで変ってくる。

AXIOM 150でモノーラルで音を鳴らしながら、
アルテックのシステムのセッティングをしていた。

今回のテーマを思いついたときには、
ずっとAXIOM 150でモノーラルでだけ鳴らそうと考えていたけれど、
その後、喫茶茶会記の店主の福地さんが、
ソニーのラジカセ(ステレオの2ウェイ)を用意してくれた。

ならばアルテックも鳴らそうと考えを改めた。
とにかくそんなふうにして音を鳴らしていた。

ミュージックテープはステレオ録音である。
スピーカーは一本。
なのでアンプでモノーラルにして鳴らしている。

こういう鳴らし方だから、ヴォーカルのみ、といいたくなる鳴り方だ。
ヴォーカルの後方で、いろんな楽器が鳴っているけれど、
モノーラルゆえに際立つことはほとんどない。

聴いていて、そうだそうだ、ラジカセで、モノーラルで聴いたいたグラシェラ・スサーナは、
こうだった、と思い出していた。
同時に、あのころラジカセとは距離が、近かったことも思い出した。

Date: 7月 4th, 2019
Cate: ディスク/ブック

Musical Illusions and Phantom Words(補足)

“Musical Illusions and Phantom Words”に関係してくる内容のサイトがある。
Illusory sound texture reveals multi-second statistical completion in auditory scene analysis”である。

聴覚の錯覚のデモが、いくつも公開されている。

Date: 7月 4th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(その2)

私が参加する側だったから、今回のaudio wednesdayにはさほど興味を抱かない。
いまさらカセットテープ? と思うだろうし、
カセットテープだけに音源を限定してしまうと、
同じ曲ばかり聴くことになる。

おまけに梅雨でもある。
来る人は少ないだろうな、と思っていた。
(実際少なかった)

だったらゆるーいセッティングもありかな、と考えたこともある。
セッティングするのは楽しいが、
終ってからセッティングのバラしていくのは、時には面倒だ、と感じることもある。

ゆるーいセッティングは、だから通常の喫茶茶会記のセッティングということである。
そうすれば片づけも楽になる。

でも、それはカセットテープだから……、と私自身が侮っているわけで、
おそらくaudio wednesdayでカセットテープを鳴らすのは今回が最初で最後だから、
やっぱりセッティングはきちんとしようと思い直していた。

いつもと同じセッティングをしていたら、愛知から来てくれている常連のHさんの顔が見えた。
カセットテープだし、Hさんはぎりぎり20代で、カセットテープ世代ではないから、
今回は来ないだろうな、と勝手に思い込んでいた。

なので「今日カセットテープだよ」といってしまった。
Hさんは三本のミュージックテープを競ってきてくれた。

ジョン・デンバー、サイモン&ガーファンクル、安全地帯の三本である。
これで九本。

それから常連のTさん(Hさんと同世代)は、
FMをエアチェックしたテープをもってきてくれた。

すべて歌ものである。

Date: 7月 4th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(その1)

昨晩のaudio wednesdayは、ラジカセ的音出しがテーマだった。
プログラムソースはカセットテープのみ。
CDは一度も鳴らさなかった。

きっかけは、先月のaudio wednesdayで、
喫茶茶会記に、グッドマンの AXIOM 150をおさめたスピーカーが一基戻っていたことだった。

そういえば、以前、
B&Wの小型スピーカーが鳴らされていたころにあった記憶がよみがえってきた。

一本だけである。
モノーラルでしか鳴らせない。

けれどラジカセ的な音出しならば、むしろ、このほうが面白い、と思った。
喫茶茶会記には、ソニーのTC-K555ESXがある。

カセットテープを、一度余興で鳴らそう、と考えていた。
結局、これまでは時間がなくて鳴らすことなく終っていた。

今回は趣向をかえて、
スピーカー一本による、カセットテープのモノーラル再生をやろう、と、
先月のaudio wednesdayが始まる前から決めていた。

けれど、どのくらいの人が関心を持ってくれるか。
それにかけるソースが、どのくらい集まるのか。

私が持っているのは、グラシェラ・スサーナのミュージックテープ六本だけ。
常連の人たちだって、CD、アナログディスクはもっていても、
カセットテープとなると、持っていない可能性が高い。

そんな予想をしていたから、最初はゆるーく鳴らすのもいいかな、と考えていた。

Date: 7月 4th, 2019
Cate: ディスク/ブック

Musical Illusions and Phantom Words

Musical Illusions and Phantom Words”。
火曜日の夜に見つけた本である。

翻訳版は出ていない。
今後、出版されるのかどうかはわからない。

著者のDiana Deutsch(ダイアナ・ドイチュ)について、私は何も知らないが、
聴覚の錯覚について半世紀ほど研究・追求されている人らしい。

書名からして、興味深い。
おそらく読めば、ほんとうに興味深い内容なのだろう。
それに出版社がオックスフォードだから、いいかげんな内容ではないはずだ。

火曜日夜に、facebookでシェアした。
私自身は、まだ買うかどうか決めかねていた。

昨晩のaudio wednesdayで、常連のHさんが、
「あの本、Kindle版を買いました」といわれた。

早い! と思った。
Kindleは、知らない単語をクリックすると訳が表示される。
英語に堪能な人ならば、そんな機能は必要としないだろうが、
確かにkindleの、この機能はありかだい。

それに紙の本よりも安い。

Hさんによると、まだ序文のところでも、非常に興味深い内容らしい。

Date: 7月 4th, 2019
Cate: audio wednesday

第103回audio wednesdayのお知らせ

8月のaudio wednesdayは、7日。
テーマは未定でも、音出しの予定。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時からです。

Date: 7月 4th, 2019
Cate: 五味康祐

音楽をオーディオで聴くということ(その5)

音楽を聴くことで浄化される──、
そんなことが昔からいわれ続けてきている。

心の汚れが、魂の汚れが、
音楽によって洗い流される──、
たとえそれが音楽を聴いている一時であっても、たしかにそうであることがある。

けれど、その汚れは、どこへ行くのか。
そんなことを考えてしまう。

現実の汚れと、心の汚れをいっしょくたにしているだけだろうか。

心の汚れが洗い流された、といっても、現実に汚れが目に見えるわけではない。
そんな汚れは、なにものにも影響を与えない──、
そういいきれるだけの自信がない。

何を汚しているのか。
結局のところ、自分自身の音を汚している──、
そんな気がしてならない。

オーディオマニアは音楽を聴いていない、
音ばかり気にしている、音ばかりいじっている──、
そんなことを、オーディオに無関心の人からいわれることがある。

満足を知らないのか──。
そうなのかもしれない。
そういう人もいよう。

けれど音楽を聴いて浄化されると感じている人のなかには、
浄化されることで、
自分自身の音を汚していることに気づいている人がいるのかもしれない。

だから、その汚れを洗い流さなければならない──、
そのおもいが、音に執着させているのかもしれない。

Date: 7月 4th, 2019
Cate: 五味康祐

音楽をオーディオで聴くということ(その4)

割り箸が環境破壊につながる──、
そんなことが声高にいわれるようになったのは、平成になってからのことだったか。

割り箸が熱帯雨林を破壊している──、
そんな報道もあったと記憶している。

けれど反論もすぐに読んだ記憶がある。
割り箸は間伐材から生産されるから──、というものだった。

割り箸は環境破壊──、
そのことがいつしかひろまって、
飲食店では割り箸をやめるところが増えてきたし、
自分専用の箸(マイ箸)を持ち歩く人もあらわれだした。

マイ箸は使い捨てにはしない。
けれど使えば箸は汚れる。
汚れをおとすために洗わなければならない。

水と洗剤が必要になる。
割り箸では捨てればいいので水は必要としない。

マイ箸では、余分な水を必要とする。
これは環境負荷を増していないのか。

さらに洗剤と洗い流された汚れによる環境負荷はどうなのか。

割り箸は焼却される。
二酸化炭素が発生する。
これも環境負荷である。

どちらが環境負荷は大きいのか。
そんな疑問もわいてくる。

何がいいたいのか、
洗い流した汚れは、自然に消えてなくなるわけではない、ということだ。

目の前から、汚れは消えていくからといって、
汚れは、別の何かを汚している。
そのことをいいたいだけである。

Date: 7月 3rd, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その23)

300Bのプッシュプルアンプの前に作る予定の6F6のプッシュプルアンプは、
本番(300Bのアンプ)のために試しておきたいことがあるからでもある。

昨晩の「オーディオの楽しみ方(つくる・その42)」、
ここでの自作の電源コードの一工夫は、そのまま真空管アンプの内部配線にも使える。

大袈裟、大掛りでもよければ、出力管を含めてヒーターの定電流点火にしたいところだが、
すでに書いているように、ここでの300Bのアンプでは、そこまでするつもりはまったくない。

それでもヒーター(フィラメント)の点火の仕方は、
試したことのない方にとっては想像以上の音の変化だと思う。

真空管アンプ内部には、信号ラインの他に、
電源系も高電圧・小電流の直流、低電圧・大電流の交流とがある。

ここをどう処理するのか。
配線テクニックの腕のみせどころとなるわけだが、
それよりも、周囲のケーブルに影響を与えない、
周囲のケーブルからの影響を受けにくいような方式を採用すべきである。

今回の自作の電源コードの構造は、ずっと以前から試そうと考えていた。
自作の電源コードのヒントは、中学生時代に読んだ技術書の中にあった。

こういう手法があるのか、と思ったし、
オーディオ機器はなぜ採用しないのか、とも疑問に思っていた。

システムコンポーネントの組合せの自由度の高さを、
その方式は少しばかり損うことになる場合もある。

それでもメリットは大きい。
とはいえ、私もずっと頭のなかにあるだけで、手を動かして試してはこなかった。

それを思い出したようにいまごろ実践したのは、いくつか理由がある。

Date: 7月 2nd, 2019
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その42)

自作の電源コードに使用したのは、それほど高価なケーブルではない。
というよりも安価なケーブルである。

なので高純度を誇るケーブルでもないし、
特殊な構造をもつモノでもない。

ごく一般的なケーブルで、一工夫しているだけである。
その一工夫は、周囲のケーブル(電源・信号含めて)に影響を与えない、
影響を受けないを目的としたものだ。

もちろんまったく影響を与えない、受けないわけではないが、
理屈からいっても与えにくい、受けにくいようになっているはずだ。

「手放せない存在になってしまった」といってくれた人のところに、
自作の電源コードは行っている。

いろんなところに持ち歩いて、試されているようである。
先日も、その話をきいた。

とある個人宅に持ち込んだ、とのこと。
たいていのところはラックの裏は、
信号ケーブル、電源コードが複数本ずつあり、
すっきりとしているところのほうが少ないのかもしれない。

そのお宅もぐちゃぐちゃの状態であった。
にも関らず、自作の電源コードは、期待通りの音を出してくれた、とのこと。

オーディオアクセサリーにありがちなのは、
自分のシステムでは非常に効果的で、
冷静に聴いても音を良くしてくれていると自信をもっていえても、
環境の違うところに持っていき試してみると、あれっ? ということは少なくない。

「手放せない存在になってしまった」といってくれた人も、
そういう体験をこれまでにいくつもしてきたそうだ。

特にケーブルはそういう傾向が強い、と私は思っている。
にも関らず、自作の電源コードは、
これまで試してどこででも期待通りの音を出してくれる──、
そのことに感心してくれていた。

電源コードの意図・目的については、まったく話していなかった。
にも関らず、そういう話をしてくれた。