音楽をオーディオで聴くということ(その5)
音楽を聴くことで浄化される──、
そんなことが昔からいわれ続けてきている。
心の汚れが、魂の汚れが、
音楽によって洗い流される──、
たとえそれが音楽を聴いている一時であっても、たしかにそうであることがある。
けれど、その汚れは、どこへ行くのか。
そんなことを考えてしまう。
現実の汚れと、心の汚れをいっしょくたにしているだけだろうか。
心の汚れが洗い流された、といっても、現実に汚れが目に見えるわけではない。
そんな汚れは、なにものにも影響を与えない──、
そういいきれるだけの自信がない。
何を汚しているのか。
結局のところ、自分自身の音を汚している──、
そんな気がしてならない。
オーディオマニアは音楽を聴いていない、
音ばかり気にしている、音ばかりいじっている──、
そんなことを、オーディオに無関心の人からいわれることがある。
満足を知らないのか──。
そうなのかもしれない。
そういう人もいよう。
けれど音楽を聴いて浄化されると感じている人のなかには、
浄化されることで、
自分自身の音を汚していることに気づいている人がいるのかもしれない。
だから、その汚れを洗い流さなければならない──、
そのおもいが、音に執着させているのかもしれない。