Date: 5月 27th, 2013
Cate: 広告

広告の変遷(ソニーのこと・その3)

今日、一冊の本がゆうパックで届いた。
金曜日の夜おそく、日本の古本屋というサイトを通して注文した本である。

1975年に出た本で、「ヴァイオリン」という。著者は無量塔藏六(むらたぞうろく)氏。
岩波新書(青版)921である。
すでに絶版になっている。

この本を知ったのも、ソニーのSS-G7の広告である。
中島平太郎氏が椅子に腰かけている写真とともに中島氏による文章が載っている。
このパターンで、SS-G7の広告はいくつかある。
それだけこのころのソニーにとってSS-G7の存在は、自信作であり大きかったのだろう。
私が見た、そのうちのひとつに「ヴァイオリン」のことが書かれてあった。

そういえば、この広告、読んだ記憶がある。
本が紹介されていたことだけはなんとなく憶えていて、
当時、読もうと思っていたのに、いつしか忘れてしまっていた。

もうずいぶん忘れていたわけだ。
それを金曜日に、ある作業をしていて、偶然、SS-G7の、その広告を見つけ注文した次第である。

あの頃の広告には、ときどきではあったけれど、こんなふうに本やレコードについて書かれていることもあった。
例えばパイオニアのExclusiveの広告で、
ガーシュインの自演ピアノロールによるラプソディ・イン・ブルーのレコードのこともを知った。

マゼールとクリーヴランド管弦楽団による、この録音は1976年に行われている。
ガーシュインは1937年に世を去っているから、残されたピアノロールとの共演による。

広告で自社製品の良さをアピールするのは当然であっても、
こんなふうに本やレコードもいっしょに紹介されていると、ずいぶん印象も変るし、
なにより記憶に残る。少なくとも私はそうだ。

Date: 5月 26th, 2013
Cate: 調整

オーディオ機器の調整のこと(その4)

マランツの管球式パワーアンプで出力管(EL34)を交換したら、
ACバランス、DCバランスとともに出力管それぞれのバイアスの調整が必要となる。

マッキントッシュの管球式パワーアンプで出力管(MC275ならばKT88)を交換しても、
ACバランス、DCバランス、出力管のバイアスの調整は不必要である。
なのだが、私は五味先生の、この文章をおもいだす。
     *
 もちろん、真空管にも泣き所はある。寿命の短いことなどその筆頭だろうと思う。さらに悪いことに、一度、真空管を挿し替えればかならず音は変わるものだ。出力管の場合、とくにこの憾みは深い。どんなに、真空管を替えることで私は泣いてきたか。いま聴いているMC二七五にしても、茄子と私たちが呼んでいるあの真空管——KT88を新品と挿し替えるたびに音は変わっている。したがって、より満足な音を取戻すため——あるいは新しい魅力を引出すために——スペアの茄子を十六本、つぎつぎ挿し替えたことがあった。ヒアリング・テストの場合と同じで、ペアで挿し替えては数枚のレコードをかけなおし、試聴するわけになる。大変な手間である。愚妻など、しまいには呆れ果てて笑っているが、音の美はこういう手間と夥しい時間を私たちから奪うのだ。ついでに無駄も要求する。
 挿し替えてようやく気に入った四本を決定したとき、残る十二本の茄子は新品とはいえ、スペアとは名のみのもので二度と使う気にはならない。したがって納屋にほうり込んだままとなる。KT88、今一本、いくらするだろう。
 思えば、馬鹿にならない無駄遣いで、恐らくトランジスターならこういうことはない。挿し替えても別に音は変わらないじゃありませんか、などと愚妻はホザいていたが、変わらないのを誰よりも願っているのは当の私だ。
 だが違う。
 倍音のふくらみが違う。どうかすれば低音がまるで違う。少々神経過敏とは自分でも思いながら、そういう茄子をつぎつぎ挿し替えて耳を澄まし、オーディオの醍醐味とは、ついにこうした倍音の微妙な差異を聴き分ける瞬間にあるのではなかろうかと想い到った。数年前のことである。
     *
KT88を買ってきて差し替えれば、MC275は何の問題もなく動作する。
けれど音が、それまでとまったく同じかというと、そんなことはありえない。

音が変らなければ、五味先生だってKT88を必要な本数(四本)だけ購入すればすむ。
なのにその四倍の本数を買ってきて、差し替えては音を聴かれていたわけだ。

十六本のKT88の中から四本を選び音を聴くわけだが、
同じ四本でも、どのKT88をLチャンネルの上側にもってきて、どれをペアにするのか。
Rチャンネルの上側にはどれを選ぶのか。そしてペアにするのはどのKT88なのか。

十六本のKT88の組合せの数を計算してみたらいい。
その音を聴いて判断していく作業──、これも「調整」である。

Date: 5月 26th, 2013
Cate: 調整

オーディオ機器の調整のこと(その3)

マランツの管球式パワーアンプには、出力管のバイアス調整用の半固定抵抗があり、
そのためのメーターもつけられている。
Model 2では出力管のバイアスだけでなく、ACバランス、DCバランスの調整用にメーターの切替スイッチがあり、
メーターのまわりに三つの半固定抵抗用のシャフトが配置されている。
スイッチを切り替え、メーターの針の振れを見ながら、
マイナスドライバーで半固定抵抗をまわしていく。

この設計方針を親切という人もいれば、
なまじメーターで簡単にバイアス、ACバランス、DCバランスが確認できるだけに、
神経質になってしまい、常に調整したくなる……。
だから、ないほうが精神衛生上はいい、とおもう人もいる。

マッキントッシュの管球式パワーアンプは、というと、
別格的存在のMC3500の除けば、MC30、MC60、MC225、MC240、MC275のどれにもメーターはついていない。
MC30とMC60はハムバランサーがついているが、それ以降のモデルはハムバランサーも省かれている。

出力管のバイアス調整もACバランス、DCバランスの調整機構もない。
マランツの管球式パワーアンプ同様、固定バイアスのプッシュプルという回路構成にも関わらず、
マッキントッシュのアンプ(MC3500を除く)には、ユーザーに調整させることを要求していない。

これはマッキントッシュ独自のユニティカップルド回路ということも関係しているが、
それだけではなく、マッキントッシュとマランツというふたつの会社の、
アンプという製品にたいする考え方の違いによるものが大きいといえよう。

だからといって、いわゆる「調整」が、
マッキントッシュの管球式パワーアンプではまったくいらないといえるわけではない。

Date: 5月 26th, 2013
Cate: 調整

オーディオ機器の調整のこと(その2)

SMEのトーンアームをつかっている人すべてが、ラテラルバランスをしっかりとっているとは限らない。
ラテラルバランスなんて、プレーヤー自体の水平がとれていれば音には関係ない、という人がいる、
SMEのトーンアームはラテラルバランスをしっかりとらなければならない、という人もいる。

どちらが正しいことをいっているのだろうか、と思う人もいることだろう。

私は、SMEのトーンアーム(ナイフエッジのモノ)はラテラルバランスをとる必要がある、とする。

ラテラルバランスの調整の必要性に疑問を持っている人は、
あえてラテラルバランスを大きく崩した状態にして、その音を聴いてみればいい。

あまり音が変らない、ほとんど変らない、まったくといっていいほど音は変らない、
というのであれば、それはラテラルバランスの調整が不必要ということではなく、
その人にとって、ラテラルバランスの調整以前に調整しなければならないことがいくつもある、
ということである。

つまりほかの部分の調整不備、システム全体がうまく鳴っていないため、
ラテラルバランスによる音の差がはっきりと音として現れていないということである。
まず、このことを自覚すべきである。

Date: 5月 25th, 2013
Cate: 調整

オーディオ機器の調整のこと(その1)

オーディオ機器の中には、使い手に調整することを求めるモノがある。
たとえば真空管アンプで出力管のバイアス調整、それからトーンアームの調整などがある。

トーンアームのゼロバランスをまずとって、それから針圧を印加する。
ここまでは音を聴くためにどうしても必要なことであるから、誰しもがやること。

けれど、真空管アンプのバイアス調整は、メーカー出荷時に合せてあるというものの、
使っているうちにずれてくることもあるし、出力管が切れて新品と交換したならば調整する必要がある。
出力管の本数が多ければそれだけ手間となるし、
アンプの設計次第ではうまくバイアスを合せることが難しい場合もある。

オーディオマニアとしては、精神衛生上的にもできるだけぴたっとバイアス電流の値を合せておきたい。
少しでもずれていると、人にもよるけれど、一度気になると捕われてしまうことにもなる。

些細なことといえば些細なことでもある。
それがいったい音にどれだけ影響しているのか、を冷静に考えれば、吹っ切れそうな気もしなくはない……。

トーンアームの例でいえば、これと似たことにSMEのラテラルバランスがある。
Series V登場以降、SMEのトーンアームすべてがナイフエッジというわけではなくなったが、
SMEのトーンアームといえばナイフエッジであり、このナイフエッジゆえにラテラルバランスをとる必要がある。

Date: 5月 24th, 2013
Cate: 素朴

素朴な音、素朴な組合せ(その23)

フィリップスのスピーカーの輸入元は、1970年代はオルトフォンの輸入元でもあったオーディオニックスである。
そのオーディオニックスが1971年ごろにオーディオ雑誌に伍していた広告に、
「ヨーロッパ・サウンドの歴史を築きあげてきた」というキャッチコピーとともに、
フィリップスのスピーカーが、イタリアのスカラ座、パリの王室劇場、ニューヨークのアメリカンホール、
日本の日生劇場で使われている、とも書かれていた。

フィリップスの、どのスピーカーシステムが使われていたのか、詳細までは書いてなかった。
広告からは、それぞれのホールでモニター用として使われていたとあるから、
オーディオニックスが当時輸入していたコンシューマー用のシステムではなく、
プロ用のスピーカーシステムが別に存在していたのかもしれない。

何がどう使われていたのかよりも私が興味を惹かれたのは、
「ヨーロッパ・サウンドの歴史を築きあげてきた」というキャッチコピーだった。

オーディオニックスの広告のとおり、
フィリップスのスピーカーが「ヨーロッパ・サウンドを築きあげてきた」のかどうかはなんともいえない。
けれど、素朴の「素」という漢字には、
より糸にする前のもとの繊維、つまり蚕から引き出した絹の原糸、というところからきており、
人の手によって何かを後から加えたり結合させたりする前の素(もと)となるもの、という意味がある。

「ヨーロッパ・サウンドを築きあげてきた」──、
オーディオニックスがこのキャッチコピーとともに紹介していたのは、
フィリップスのフルレンジユニットだけを搭載したシステムだった。

この広告に携わった人が、どこまで深く考えていたのかはわからないし、
広告だから、こんなふうに書いていることもわかっていながらも、
たしかにそうだな、と納得していた。

Date: 5月 23rd, 2013
Cate: 「オーディオ」考

オーディオとは……(その1)

感覚の再現だとおもっている。
すくなくともこれまでずっとオーディオを通して音楽を聴く行為についてあれこれおもい考えてきて、
いまはそうおもっている。

感覚の再現の「感覚」は、
作曲家の、演奏家の、録音に携わった人たちのそれである。

Date: 5月 22nd, 2013
Cate: 日本の音

日本のオーディオ、日本の音(その25)

ある時「SIDE by SIDE」のことを話題にしたことがある。
A面のベーゼンドルファーとB面のスタインウェイの音色が、うまくその違いが出てくれるのかどうか、
そんなことを喋っていたら「そんなこと気にします?」といわれてしまった。

私は「気にする」と答え、楽器の音色の再現性は重視している。
けれど、一方にはそれほど重視しない、気にかけない聴き方をしている人もいることになる。

もうどこで読んだのか、いつごろ読んだのかも定かではないから、
細部に関しても曖昧なところがあるけれど、ある楽器演奏者がこんなことをいっていたのを憶えている。
「ぼくには絶対音感はないけれど、絶対音色感は、絶対音感を持っている人よりも高いものをもっている」と。
これだけを自信をもっていえる、とも。

昨年1月、「ピアノマニア」という映画について書いた。
この映画は全国上映はやらなかった。先月やっとDVDとして発売された。

この映画の主役はスタインウェイの調律師、シュテファン・クニュップファー。
著名なピアニストも何人か登場する。
そのなかのひとり、ピエール=ロラン・エマールの「フーガの技法」の録音が焦点となり映画は進んでいく。
ピエール=ロラン・エマールが「フーガの技法」でシュテファン・クニュップファーに要求することは、
かなり厳しいものだった。
「ピアノマニア」を観ていて、そこまで要求するのか、それに応えるのか、とおもっていたほどだ。

それがどういうものだったのかは、ぜひDVDを購入して確認していただきたいのだが、
この「ピアノマニア」から伝わってくることのひとつは、ピアノの音色に対する要求の厳しさである。
ピエール=ロラン・エマールが求めた「音色」が「フーガの技法」でどれだけ実現されているのか、
それは、ドイツ・グラモフォンから出ているCDを聴いて確認してほしい。
ピエール=ロラン・エマールが求めた「音色」はひとつではない。

「絶対音色感」というものが、録音の「場」においてだけでなく、
再生の「場」においても、非常に高いレベルで要求されているわけで、
それは「SIDE by SIDE」におけるA面とB面の、ベーゼンドルファーとスタインウェイの音色の違いよりも、
同じピアノでのことだけに、もっとシビアともいえる。

Date: 5月 22nd, 2013
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(その6)

LS3/5Aに使われているスピーカーユニットは、ウーファー、トゥイーターともにKEF製で、
型番はB110とT27である。

KEFがいつごろ、これらのユニットの製造をやめたのかは知らない。
でも少なからぬ時間が経過している。

LS3/5Aの復刻にあたって、まっさきに問題となったのはスピーカーユニットをどうするかであったろう。
エンクロージュアやネットワークは、LS3/5AはBBCモニターであるから、厳密に規格が定められている。
これをクリアーするのも、意外に大変らしいのだが、
それでもスピーカーユニットの問題に比べれば、比較的小さなことである。

かなりの数のLS3/5Aをつくることになり、スペア分も含めて、
KEFにB110とT27の再生産を、仮に依頼したとしよう。
KEFが製造を引き受けてくれるかどうかもなんともいえないし、
仮に再生産してくれたとしても、当時のクォリティそのままで、ということになるのかどうかは、
正直なんともいえない。

設計図面は残っているはずだから、それを元に再生産されても、
製造中止になって少なからぬ時間があるわけで、
その間に工場も変化していても不思議ではない。
当時のユニットを生産していたラインがそのままあると限らないし、
そのころの製造スタッフも入れ替わっていることだろう。

これがドイツだったすると、再生産にも期待がもてるのだが、
イギリスとなると、そのへんなんともいえない。

再生産することで、以前のモノよりも質が悪くなることもあるし、良くなることもある。
良くなればそれはそれでいいことなのだが、
あくまでもLS3/5Aの復刻ということに関しては、良くなることを素直に歓迎できない面もある。

Date: 5月 21st, 2013
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(その5)

台湾はそれほど大きな国ではないけれど、中国は広い。
その広い国にはいくつもの、数えきれないほどの製造会社があるだろうし、
それぞれの製造レベルには大きな差があっても不思議ではない。

非常に高い製造技術をもつところもあれば、まったくそうではないところあるはず。
ここではそうでないところに関してではなく、
あるレベル以上の製造技術をもつところを前提として書いていく。

BBCモニターのLS3/5Aは、いまでも日本では人気の高いスピーカーシステムであり、
ロジャース・ブランドでもチャートウェル・ブランドでも、それぞれ復刻モデルが出ている。
これらの復刻モデルはいずれも中国で製造されている。
スピーカーユニットもエンクロージュアも、そうだときいている。

写真でまず復刻モデルを見た時に、
ここまでそっくりに作れるものなのか、と正直驚いた。
あるオーディオ店でロジャース・ブランドとチャートウェル・ブランド、
両方の復刻モデルが並んでいたのを見て、改めて感心した。

どちらもモデルが醸し出している雰囲気は、明らかにLS3/5Aのものだった。
ここまでのコピー技術があるのか、と思う。

自分たちで開発設計したモデルでなくとも、
オリジナルモデルがあれば、ここまでそっくりに作れるのを見て、
長島先生が話された、LSIのコピーのことを思い出す。

こうなってくると、「オリジナル」という意味について、
いままで以上に広く深く考えていかなければならない。

Date: 5月 21st, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その8)

スピーカーは変換器であって、できるだけ忠実な変換器であることを目指さなければならない──。
それは確かにそうなのだが、現実のスピーカーシステムというのは、
最新のスピーカーシステムであっても、どこまで忠実な変換器かという尺度に立てば、
私は、ここで考え込んでしまう。

つまり忠実な変換器にはまだまだ遠いレベルに、いまのスピーカーシステムでも、そのところにいる。

忠実な変換器は、スピーカーのあるべき姿である。
だから、それを追い求める行為は間違っているわけではないのだけれど、
冷静に現時点でのスピーカーシステムを眺めている(聴いてみる)と、
あるべき姿よりも、現時点でのスピーカーシステムのありのままの姿を受け入れるのも、
スピーカーシステムのつきあい方であり、鳴らし方でもあるはずだと思う。

あくまでもあるべき姿(忠実な変換器)でなくては……、という人には、
スピーカーの擬人化はとうてい受け入れられないことになろう。
でも、ありのままのスピーカーの姿を受け入れようと思えば、
スピーカーの擬人化も、ひとつの考え方としてあり、のはずだ。

そう思えば、ステレオサウンド 65号掲載の上杉先生のウェストミンスター導入記が、
すくなくとも「気持悪いものを感じる」ということにはならないのではなかろうか。

Date: 5月 20th, 2013
Cate: audio wednesday

岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代(audio sharing例会について)

今日、「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」のaudio sharing例会の告知へのコメントをいただいた。

今日、30代のオーディオ好きの方と会って、アナログディスク再生についてあれこれ話していた。

今日いただいたコメントには「誰でも参加できるのでしょうか?」とあった。
今日会った若い人は「敷居が高そうに思えて……」ということだった。

audio sharing例会は、四谷三丁目の喫茶茶会記にまでお越しいただければ、
どなたでも参加できますし、一度来ていただければ、決して敷居は高くない、と思っていただけるはずです。

毎月第一水曜日の夜、時間があったらふらっと寄って参加していただけるように、
これからもしたいと思っています。

6月5日、「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」、お待ちしております。

Date: 5月 20th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その7)

タンノイ・ウェストミンスターの導入記を、上杉先生がステレオサウンド 65号に寄せられている。
「私のかたわらにウェストミンスターのいる夜」というサブタイトルがつけられているこの記事に対して、
ある読者から「こういう擬人化は気持悪いものを感じる」という意見もあった。

スピーカーを人にたとえることに対してまったく関心のない人、反感を覚える人もまたいる。
スピーカーはあくまでも電気信号を振動板の動きに買えて空気を振動させる変換器であって、
あくまでも変換器としての性能、良し悪しで評価すべきであって……、という意見がある。

スピーカーは変換器である。
けれど忠実な変換器と呼べるだろうか。
そう思いながらも、その不思議な変換器は、時に驚くほど細かな音の差を聴かせてくれる。

スピーカーシステムの物理特性は、昔からすればずいぶんと向上しているものの、
アンプと比較すれば、まだまだである。
歪率、周波数特性といった基本的な物理特性においても、
アンプの物理特性からみれば時代遅れともいえるレベルにも関わらず、
ほとんど物理特性的にはこれ以上大きな改善は望めないと思えるアンプの音の違いをきちんと鳴らし分ける。
それだけでなく使いこなしでの音の変化も鳴らし分けるのだから、
オーディオ界ではよく知られている、ある笑い話があるわけだ。

瀬川先生の著書を読まれた方ならばすぐに、ああ、あのことかと思われるだろう。
     *
 スピーカーの研究では、かつて世界的に最高権威のひとり、といわれたH・F・オルソン博士(「音響工学」をはじめとして音響学に貢献する著書が多い)が日本を訪れたとき、日本のオーディオ関係者のひとりが、冗談めかしてこうたずねた。
「オルソン先生、ここ数年の間に、レコードやテープの録音・再生やアンプに関しては飛躍的な発展をしているのに、スピーカーぱかりは、数十年来、目立った進歩をしていませんが、何か画期的なアイデアはないもんでしょうか」
 するとオルソン博士、澄ましてこう言ったそうだ。
「しかし、あなたの言われる〝たいしたことのない〟スピーカーを使って、アンプやレコードの良し意しが、はっきり聴き分けられるじゃありませんか?」
 これには、質問した人も大笑いでカブトを脱いだ、という話。
 むろん、この返事はアメリカ人一流のジョークで包まれている。けれど、なるほど、オルソン博士の言うように、私たちは、現在の不完全なスピーカーを使ってさえ、ごく高級な二台のアンプの微妙な音色の差を確実に聴き分けている。スピーカーがどんなに安ものでも、アンプをグレードアップすれば、それだけ良い音質で鳴る。
     *
現代の、物理特性が以前よりは向上したスピーカーシステムにおいて、ということでだけでなく、
以前のスピーカーシステムにおいても、
オルソン博士の、この話の時代のスピーカーはずいぶん以前のことであるにも関わらず、
音の聴き分けが可能だったし、音の聴き分けはスピーカーがなければできない、ということである。

Date: 5月 19th, 2013
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(その4)

1985年ごろだったと記憶しているが、長島先生がこんなことを話してくれた。

たしか台湾のメーカーだといわれた。
彼らは海外の、自分たちよりも技術レベル高い会社のLSIやICをそっくりコピーしてしまう、と。
その方法は実際のLSIを極薄にスライスして内部がどういうつくりになっているのかを見た上で、
そっくりそのまま、どこも変えずに自分たちで作ってしまうのだとか。

たとえばあるメーカーが、そのメーカー独自のノウハウでやっていることも、
なぜ、そんなことをしているのかに関係なく、それに関しても同じに、とにかく作る。
そのコピーの技術は非常に高いし、いずれ彼らの技術力は高くなっていくだろう、と。

開発・設計の技術は未熟でも、
実物があればそれをバラして同じモノを作れる技術は持っている、というわけだ。
もちろん最初から本物そっくりにコピーできたわけではないのだろうが、
それすらも短期間で回路図・設計図がなくとも同じにコピーできる技術を高めていく。

いま自転車の世界でも同じことが行われている、ときく。
アメリカやヨーロッパのメーカーが研究開発費を投じて、
カーボンを使った新しいフレームやホイールを完成させる。

すると台湾や中国のメーカーはすぐさまそれら実物を手に入れて、
カーボンを固定しているエポキシ樹脂を溶かして、カーボンをどのように積層しているのか、バラしていき、
アメリカ、ヨーロッパのメーカーが苦労して開発したノウハウをそのままコピーしていく。
より安価な製品としてしまう、らしい。

そういうこともあってなのだろうか、
いまアメリカ、ヨーロッパのフレームメーカーでは、安価なカーボンフレームに関しては、
台湾、中国で製造していることが常識となっている。
開発設計を本国で行って、製造だけを台湾、中国で行うのならばまだしも、
中には台湾、中国の製造メーカーが開発したフレームで、
自社の製品としてふさわしいレベルのモノがあればそのまま買い取ってしまう、という話もある。

LSIをスライスしてそっくりコピーする技術を1980年代にもっていたのであれば、
自転車のカーボンフレームをそっくりコピーするくらい簡単なことなのだろう。

Date: 5月 19th, 2013
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(その3)

ジムテックが作っていたのはスピーカーシステムばかりではない。
管球式のコントロールアンプとパワーアンプ、それにMM型カートリッジも作っていた。

コントロールアンプのM1はアンペックスのオープンリールデッキAG440のエレクトロニクス部に似ている。
パワーアンプのM100SLはシャーシーのつくりだけでなく、トランスのカバーなど、
明らかにマッキントッシュの管球式パワーアンプの意匠そのままである。
型番は憶えていないが、マランツのModel 500に似たパワーアンプもあったはず。

カートリッジのV-III、V-II ProfessionalはシュアーのM75そっくりである。

ジムテックの技術力がどの程度なのかは、知らない。知る機会もなかった。
実物を見たこともないし、ステレオサウンドでも22号で#1000が取り上げられているだけだ。
私の手もとに22号にはないので、どういう評価だったのかはなんともいえないけれど、
なんとなく想像はつく。

それにしても、と思う。
カートリッジからコントロールアンプ、パワーアンプ、スピーカーシステムまでラインナップとして揃える。
なのにすべて、高い評価を得たモノからの「無断借用」である。

たしかに日本のオーディオの黎明期には、
海外製品をコピーすること(マネ)からスタートしたメーカーはいくつもあった。
ジムテックも、それらのメーカーと同じじゃないか、と思われるかもしれない。

何かに追従するのは日本のメーカーの悪い癖とも、よくいわれていた。
アメリカでマークレビンソンのJC2が登場し話題になった時、
日本のメーカーからいっせいに薄型シャーシーのコントロールアンプがいくつも登場した。

598のスピーカーシステムにしても、その傾向は確かにある。

それでもジムテックのやり方は、
1970年代という、日本のオーディオブームのただ中でこういうことをしてしまうということ、
岩崎先生が指摘されているように自主性・主体性の、あまりな欠如が問題である。