複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その8)
スピーカーは変換器であって、できるだけ忠実な変換器であることを目指さなければならない──。
それは確かにそうなのだが、現実のスピーカーシステムというのは、
最新のスピーカーシステムであっても、どこまで忠実な変換器かという尺度に立てば、
私は、ここで考え込んでしまう。
つまり忠実な変換器にはまだまだ遠いレベルに、いまのスピーカーシステムでも、そのところにいる。
忠実な変換器は、スピーカーのあるべき姿である。
だから、それを追い求める行為は間違っているわけではないのだけれど、
冷静に現時点でのスピーカーシステムを眺めている(聴いてみる)と、
あるべき姿よりも、現時点でのスピーカーシステムのありのままの姿を受け入れるのも、
スピーカーシステムのつきあい方であり、鳴らし方でもあるはずだと思う。
あくまでもあるべき姿(忠実な変換器)でなくては……、という人には、
スピーカーの擬人化はとうてい受け入れられないことになろう。
でも、ありのままのスピーカーの姿を受け入れようと思えば、
スピーカーの擬人化も、ひとつの考え方としてあり、のはずだ。
そう思えば、ステレオサウンド 65号掲載の上杉先生のウェストミンスター導入記が、
すくなくとも「気持悪いものを感じる」ということにはならないのではなかろうか。