Date: 10月 25th, 2013
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(続余談・ベイヤー DT440 Edition2007)

「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」が出た1978年でのDT440の価格は14800円。
ベイヤーのラインナップではいちばん安価なヘッドフォンだったし、
高価なヘッドフォンはこの当時もいくつかあった。

それにDT440は瀬川先生が書かれているように、
《ユニット背面の放射状のパターンなどみると、決して洗練されているとは言えず見た目にはいかにも野暮ったい》
外観だった。およそ高級ヘッドフォンとはいえない、見た目の印象だ。

それから30年が経過して、DT440 Edition2007になっているわけだが、
DT440の放射状のパターンはなくなっている。野暮ったさはなくなっているが、
高級ヘッドフォンという趣は感じないし、買う前から予想していたことでもあるのだが、
ドイツで製造しているわけではないようだ。

現在のベイヤーのラインナップで、より上級機はドイツ製を謳っているモノがある。
DT440 Edition2007はオープンプライスになっているが、実質30年前の定価とほぼ同じである。

そんなこともあって、ほとんど期待せずにiMacのヘッドフォン端子に接いでみた。
きちんとしたヘッドフォンアンプで鳴らしたわけではない。
おそらく中国で製造しているであろう、普及価格帯のヘッドフォン。

鳴ってきた音を聴いて、まず私が思っていたのは930stの帯域バランスと同じだ、ということだった。

瀬川先生がステレオサウンド 55号で書かれている文章そのものの帯域バランスがここにあった。
     *
中音域から低音にかけて、ふっくらと豊かで、これほど低音の量感というものを確かに聴かせてくれた音は、今回これを除いてほかに一機種もなかった。しいていえばその低音はいくぶんしまり不足。その上で豊かに鳴るのだから、乱暴に聴けば中〜高音域がめり込んでしまったように聴こえかねないが、しかし明らかにそうでないことが、聴き続けるうちにはっきりしてくる。
     *
もちろん930stの音そのものがDT440 Edition2007で聴けるわけではない。
だが、少なくとも930stの美点ともいえる、瀬川先生が書かれているとおりの帯域バランスは聴ける。

Date: 10月 25th, 2013
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(余談・ベイヤー DT440 Edition2007)

30年以上前ならばEMTの930stをオーディオ店で見たり、聴くこともできたであろうが、
いまはその機会も少なくなっている、と思う。

ここで930stのことをいくら書いたところで、
930stに関心をもってくれても聴くことがなかなかかなわないのは時代の成り行きとはいえ、
残念なことだし、さびしくもあり、もったいない感じもする。

中古を専門に扱っているところに行けば、930stはあることにはある。
けれど、それがどの程度のコンディションかといえば、はっきりとしたことは何も言えない。
いいコンディションの930stにあたるかどうかは、運次第ともいえる。

完全整備と謳っているところは少ないないけれど、
私はほとんど、この謳い文句は信用していない。
店主の人柄がいいから、といって、そこで扱っている930stのクォリティが保証されるわけでもない。

結局、自分の目で判断できなければ、ということになる。

それでも930stの音がどういう音なのか、
その良さを、なにか別のモノで聴くことはできないのか──。

いまから三年前、iMacで使うヘッドフォンを探していた。
ちょうどそのころ、瀬川先生の文章を集中的に入力作業していたころで、
しかもステレオサウンド別冊の「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」にとりかかっていた。

iMacで使うものだから、高価なものでなくてもいいし、日常使いとして適当なヘッドフォンがあればいい、
という気持で探しに来ていた。
たまたま目についたのが、ベイヤーのDT440 Edition2007だった。

価格も手頃だし、「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」で瀬川先生が購入されていたことを知っていたから、
試聴もせずに、これに決めた。

Date: 10月 24th, 2013
Cate: アナログディスク再生

「言葉」にとらわれて(トーンアームのこと・その3)

ワンポイントサポートというから、
頭の中だけで考えていると、一点支持ということに気を取られてしまいがちなる。

たしかにレコードの盤面にカートリッジを降ろしていなければワンポイント(一点支持)である。
だが実際に動作は、レコードの音溝にカートリッジの針先を落す。

この状態では、つまりは一点支持ではなく二点支持になっている。
一点はトーンアームの回転支軸の先端が鋭いピボット、
もう一点はカンチレバーの先端についているダイアモンドの針先である。

どちらも先端が尖っている形状をしている。
カートリッジの針先は音溝をトレースするわけだから、先端が下を向き、
トーンアーム回転支軸のピボットは上を向いている。

つまりは、カートリッジを含むトーンアームパイプは、
この二点によって支持されている、と見るべきだし、考えるべきものである。

Date: 10月 24th, 2013
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(購入を決めたきっかけ・その9)

これも衝動買いといえば、そうなるのかもしれない。

衝動買いとは、パッとひと目見て気に入り、その場で買ってしまうことだとすれば、
私の930stに関することは、13歳のころから、このプレーヤーが音楽を聴いていく上では必要だ、
いつかは930stと思い続けてきたわけだから、いわゆる衝動買いとはすこし違うのかもしれない。

でも、買えるかもしれない、とわずかでもそうおもえた時に、
ごく短時間で買う! と決意して買ってしまうのも、衝動買いかもしれない。

21で930stは、分不相応といわれればそうであろう。
でも、13のときからずっと思い続けてきたプレーヤーである。
そのプレーヤーを手に入れるチャンスであれば、なんといわれようと買うしかない。

それでもOさん、Nさん、Sさんたちの「買いなよ」が後押しになっていたし、
ノアの野田社長のおかげでもある。

ロジャースのPM510を買った時もそうだった。
PM510はペアで88万円していた。
そのPM510を20までに買えたのは、輸入元の山田さんのおかげである。

山田さんは、瀬川先生のステレオサウンド 56号のPM510の文章に登場する山田さんである。
山田さんがいなければ、私はPM510を買えなかったかもしれない。

惚れ込んだオーディオ機器を買う、ということは、私の場合、誰かのおかげである。
山田さんがいてくれたし、野田社長がいてくれて、
私はなんとかPM510、101 Limitedを自分のモノとすることができた。

縁があったからこそである。
よすがも、縁と書く。
だから縁が必要だったのだろう。

Date: 10月 24th, 2013
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(購入を決めたきっかけ・その8)

EMTの930stというプレーヤーは、私にとっては特別な意味をもつプレーヤーでもある。
ただ単に音のよい、信頼できるプレーヤーということだけではなく、
五味先生の「五味オーディオ教室」からオーディオの世界にのめり込んでいった私にとって、
五味先生が、誠実な響きとされていたからだ。
     *
どんな古い録音のレコードもそこに刻まれた音は、驚嘆すべき誠実さで鳴らす、「音楽として」「美しく」である。あまりそれがあざやかなのでチクオンキ的と私は言ったのだが、つまりは、「音楽として美しく」鳴らすのこそは、オーディオの唯一無二のあり方ではなかったか? そう反省して、あらためてEMTに私は感心した。
     *
オーディオの世界に足を踏み入れようとしていた13の中学生にとって、
この文章の意味は重かったし、大事なことだということはわかっていた。

音と音楽の境界ははなはだ曖昧である。
音楽を聴いているのか、音を聴いているのか、
とはよくいわれることである。

そういう危険なところがあるのは「五味オーディオ教室」を読めばわかる。
わかるからこそ、
《「音楽として美しく」鳴らすのこそは、オーディオの唯一無二のあり方ではなかったか?》
これをよすがとした。

930stがあれば、どこかで踏みとどまれるかもしれない。
そういう意味で、特別なプレーヤーが930stであり、
その色違いの101 Limited見てわずかのあいだにを買う! と決意して、
私のところに、この特別な意味をもつプレーヤーが来ることになった。

Date: 10月 24th, 2013
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(購入を決めたきっかけ・その7)

EMTの930stは河村電気研究所が取り扱っている時に生産中止になっている。
そのあとEMTがバーコに買収され、輸入元がエレクトリに移ってから再生産が一度なされている。
そのときの価格がいくらだったのか記憶にない。

930stの1980年での価格は本体が1258000円、専用のサスペンション930-900が295000円。
930stは930-900込みでのパフォーマンスの高さだから、1553000円ということになる。
1981年には930stの価格は1399000円になっている。

101 Limitedが登場した1984年までにいくらになっていたのか正確には記憶していない。
このころのステレオサウンドには河村電気研究所の広告も載っていない。
載っていたとしても価格は掲載されないことが多かったから、いまのところ調べようがない。

EMTのプレーヤーの価格は不思議なところがあって、
1975年の時点では、930stは980000円、927Dstは1300000円だった。
930stと927Dstの価格差は小さいものだった。
サイズの違い、出てくる音の凄さの違いは大きいものであったにもかかわらず、である。

それがいつしか927Dstは2580000円になり、3500000円、最終的には450万円を超えていたときいている。
1975年の価格から三倍以上になっているのにくらべると、930stの価格の上昇はそれほどでもないのだが、
それでも150万円は150万円の重みがあることには変りはない。

「買います」といったものの、
支払い能力があやしい者には売れない、といわれればそれまでである。
そういわれるかと思った。ことわられるかも、とも思っていたけれど、
ノアの野田社長は、あっさりと「いいよ」といってくださった。

もう撤回はできない。

Date: 10月 24th, 2013
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(購入を決めたきっかけ・その6)

少年とは、私のこと。18でステレオサウンドで働くようになったので、少年ということだった。
このときいたNさんも、同姓の人がサウンドボーイ編集部にいたので、Jr.(ジュニア)と呼ばれていた。
私も、Nさんと呼ぶことはなくて、ずっとジュニアさんといっていた。

当時のステレオサウンド編集部は、そういう雰囲気があった。
いまは、おそらくそんなことはないと思う。

「少年、これ買えよ」

私だって支払えるだけの経済力があれば、欲しい。
EMTの930stは、五味先生も愛用されていたし、瀬川先生も927Dstにされるまで使われていた。
買えるものならば、いますぐ欲しいプレーヤーだった。

けれどトーレンスの101 Limitedは150万円だった。
21歳の若造が買える金額ではない。
そうでなくてとも、ロジャースのPM510を買ってから一年ほどしか経っていなかった。
余裕は、まったくなかった。

Oさんの「少年、これ買えよ」に続いて、
NさんもSさんも「買いなよ」と、簡単にいってくれる。

このとき930stは製造中止だといわれていた。
101 Limitedにしても、型番が示すように101台の限定である。
この機会をのがしたら、新品の930stを手に入れることは難しくなる。

無理なのはわかっている。
でも、これしかない、とおもったら、「買います」といっていた。

Date: 10月 23rd, 2013
Cate: ワーグナー, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その3)

クナッパーツブッシュのバイロイトでの「パルジファル」は1962年、
カラヤンのベルリンフィルハーモニーとの「パルジファル」は1979〜1980年にかけての録音。
つまり約20年の隔たりがある。

この20年の隔たりだけが理由とはいえないほど、カラヤン盤はスマートである。
これはカラヤンという指揮者とクナッパーツブッシュという指揮者の風貌もそうであるし、
オーケストラに関してもそういえるところがある。
さらに歌手にもいえる。

クナッパーツブッシュ盤でのグルネマンツはハンス・ホッター、カラヤン盤ではクルト・モル、
クナッパーツブッシュ盤でのアンフォルタスはジョージ・ロンドン、カラヤン盤ではジョゼ・ヴァン・ダム、
クナッパーツブッシュ盤でのクリングゾールはグスタフ・ナイトリンガー、
カラヤン盤ではジークムント・ニムスゲルン、
いずれもカラヤン盤の方がその歌唱もスマートである。

録音に関しても同じことがいえる。
1962年のライヴ録音、しかもバイロイト祝祭劇場でのクナッパーツブッシュ盤よりも、
デジタルによって録音されたカラヤン盤の方が、精妙でスマートである。

そして、この精妙さ、スマートさが、カラヤン盤においては、
往々にして精神性が稀薄という評価につながっていくようでもある。

Date: 10月 23rd, 2013
Cate: 数字

100という数字(その5)

いまスピーカーシステムは、高性能化している、といわれる。
たしかに周波素特性は低域、高域の両端に伸びているし、
しかもただ伸びているだけでなく、一部のスピーカーシステムでは、
以前では考えられなかったほど平坦な周波数特性も実現している。

なにも周波数特性だけではない。
パルスを使った測定で明らかになる累積スペクトラムでも、
見事としか、他にいいようのないくらいに高性能化しているモノもある。

その意味では、はっきりとスピーカーシステムは、高性能化している──、
私もそう思っているし、そういうことがある。

けれどスピーカーはカートリッジと同様、変換器である。
変換器の性能として語られるのは、周波数特性、歪率……といった項目だけでいいのだろうか。

変換器としての重要な項目は、変換効率なのではないだろうか。

真空管からトランジスターへと移行して、大出力が実現し得やすくなっている。
そのこともあって、スピーカーの変換効率は、他の項目を優先するために犠牲になってきている。

周波数特性と変換効率は、今のところ両立し難い。
変換効率を高くしていけば、周波数特性は狭くなる傾向にある。
周波数特性をワイドレンジにしようとすれば、変換効率を犠牲にすることにつながっていく。

アンプのパワーが、実質的には制限なしに得られる状況では、
スピーカーの変換効率は優先順位として下にきてしまうのは、仕方ないことになってしまう。

だが、スピーカーは、あくまでも変換器であり、
変換器にとって、変換効率の高さはどういうことを指すのだろうか。

Date: 10月 22nd, 2013
Cate: ワーグナー, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その2)

赤と青、と対照的なジャケットなのが、
クナッパーツブッシュの「パルジファル」とカラヤンの「パルジファル」である。

「パルジファル」の名盤といえば、このころまではずっとクナッパーツブッシュ盤だった。
他にもいくつかの「パルジファル」のレコードはあっても、
とにかく日本では「パルジファル」といえば、
バイロイトでのクナッパーツブッシュが唯一無二的存在として扱われてきた。

五味先生も、
《クナッパーツブッシュのワグナーは、フルトヴェングラーとともにワグネリアンには最高のものというのが定説だが、
クナッパーツブッシュ最晩年の録音によるこのフィリップス盤はまことに厄介なレコードで、じつのところ拙宅でもうまく鳴ってくれない。空前絶後の演奏なのはわかるが、時々、マイクセッティングがわるいとしか想えぬ鳴り方をする箇所がある。》
と書かれている。

やっぱり「パルジファル」は、とにかくクナッパーツブッシュ盤を最初に聴こう、と思っていた。

そういうクナッパーツブッシュ盤の輝きは、カラヤン盤が登場した時でも、いささかも衰えてはいなかった。
ワグネリアンと自称する人、そう呼ばれる人にとって、カラヤンの「パルジファル」はどう映ったのだろうか。

クナッパーツブッシュとカラヤンは、どちらが優れた指揮者であるとか、
どちらが優れたワーグナー指揮者であるとか、そういったことを抜きにして語れば、
カラヤンはスマートであり、クナッパーツブッシュはそうではない、といえる。

カラヤンの「パルジファル」とクナッパーツブッシュの「パルジファル」もまた、そういえる。

Date: 10月 22nd, 2013
Cate: ワーグナー, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その1)

カラヤンが亡くなって、約四半世紀が経つ。
カラヤンが残した録音の正確な数は、決してカラヤンの熱心な聴き手ではなかった私には、
おおよその数すら知らない。

それにそう多くのカラヤンのレコードを聴いていたわけでもない。
カラヤンのベートーヴェン全集にしても、すべてを聴いているわけではない。

このことには、やはり五味先生の影響が関係している。
五味先生がカラヤンをどう評価されていたのかについては、いまここではあえて書かない。

五味先生の影響をまったく無しで、カラヤンの演奏を聴けているかについては、
いまでも正直自信が、いささかなかったりする。

そんなカラヤンの、偏った聴き手である私でも、いくつかのディスクに関しては、
カラヤンの素晴らしさを素直に認めている。

私が聴いてきたカラヤンのレコードの数はたかが知れている。
そのたかが知れている数の中から、カラヤンのベストレコードとして私が挙げたいのは、
ワーグナーの「パルジファル」である。

日本にはアンチ・カラヤンの人がいる。
そういう人たちからすればカラヤンのベートーヴェンは……、ということになるし、
おそらくカラヤンのワーグナーに関しても、カラヤンのベートーヴェンと同じ扱いになっていることだろう。

カラヤンの「パルジファル」のレコードが出た時、私は18だった。
若造だった。
「パルジファル」の全曲盤をたやすく買えるわけでもなかった。
五味先生の影響も受けていた私にとって、
カラヤンの「パルジファル」は、狐にとって手の届かない葡萄と同じだったのかもしれない。

カラヤンの「パルジファル」なんて……、と思い込もうとしていた時期が、私にはあった。

Date: 10月 22nd, 2013
Cate: 岡俊雄

岡俊雄氏のこと(その5)

バーナード・ベレンソンの「ルネッサンスのイタリア画家」も、
黒田先生が書かれている、この部分に関係してくる。
     *
 そのときをきっかけに、ときおりお招きをうけて、藤沢の岡さんのお宅にうかがうようになった。岡さんのお宅にうかがうのは、いつだって、スリリングなことであった。いまもなお岡さんのお宅にうかがうと、かならず、驚きをポケットにしまっておいとますることになる。岡さんは、仰々しいこと、もっともらしいことを嫌悪なさるので、いつでもさりげなくではあったが、実に多くのことを教えて下さった。おそらく、ご自身、大変なご苦労のすえさがしあてられたにちがいない参考文献を、なにげなくみせて下さったりした。すかさずその本のタイトルと出版社をメモさせていただいたことが、これまでに何度あったことか。
     *
世の中には、実にもったいぶる人が少なからずいる。
そういう人は、何事に関してももったいぶる。
もったいぶることが、賢いことだとでも思っているのかどうかはわからないけれど、
もったいぶることにつきまとういやらしさを、そういう人はまったく感じていないのだろうか。

岡先生は、そういう人ではないことは、
書かれているものを読んでいれば伝わってくるし、
黒田先生の文章からもはっきりと読みとれる。

岡先生は「マイクログルーヴからデジタルへ」の中でも書かれているし、
ステレオサウンド連載のクラシック・・ベスト・レコードの中でも、
オペラについての経験量の不足と、不勉強であることを度々書かれている。

これをそのまま信じていた人もいるだろうが、
岡先生の「不勉強」は、岡先生の律義さ・誠実さである。
これに関するところも黒田先生の文章から引用しておく。
     *
 岡さんのすばらしさ、そして岡俊雄氏のすごさは、ここにある。岡さんは、いかなる場合にも、しったかぶりをしない。しらないことはしらないという。ご自分が「不勉強」と思えば「不勉強」と書く。その律義さというか頑固さが、岡さんを、さらに犯さんの本をつらぬいている。この本を読んでのすがすがしさ、さわやかさ、気持のよさは、そういう岡さんの頑固さによる。そして、このすがすがしさ、さわやかさ、気持のよさは、岡さんに直接おめにかかっているときにいつでも感じるものである。
     *
岡先生が「不勉強」と思われているゆえの「不勉強」であり、
クラシック・・ベスト・レコードをずっと読んできた読者ならば、
岡先生のどこが「不勉強」なのかと思われてきたはずだ。

Date: 10月 21st, 2013
Cate: 岡俊雄

岡俊雄氏のこと(その4)

岡先生とはどういうひとだったのか。
黒田先生の文章からいくつかひろってみよう。
     *
 あるとき、岡さんのお宅で、バーナード・ベレンソンの「ルネッサンスのイタリア画家」という本をみせていただいていた。その本のことはしってはいたが、実物をみるのははじめてであった。いい本であった。ほしいと思ったが昭和三六年にでている本であるから、手に入れるためには古本屋を丹念にみてまわる必要があった。それから数日して、岡さんから電話をもらった。高田馬場のさる古本屋に、新本同様の状態のベレンソンの本があると、ぼくに教えて下さるための電話であった。さっそく出かけて買ってきたのはいうまでもない。値段も思いのほか安かった。岡さんという人はそういう人である。ご自身も好奇心が旺盛であるから、他人の好奇心に対しても理解が深い。
 しかし、そのベレンソンの本のときは、ぼくが雑事にまぎれて古本屋まわりをできないでいるうちに、岡さんに先を越されて、岡さんの親切に感謝し、岡さんの熱意に感激しながらも、恥しかった。岡さんのすごさをあらためて思わないではいられなかった。
     *
岡先生は1916年、黒田先生は1938年の生れであるから、
22の歳の開きがあり、親子ほどの、といってもくらいである。

しかも岡先生は神奈川・藤沢にお住まいだった。
黒田先生は東京・東中野だから、高田馬場まではわずかな距離である。
藤沢と高田馬場はけっこう離れている。

にもかかわらず、岡先生は、ご自身はすでに所有されているベレンソンの本を、
黒田先生のために古本屋まわりをされている。
それも数日しか経っていないのに。

黒田先生が「恥しかった」と書かれるのも、わかる。
「岡さんのすごさをあらためて思わないではいられなかった」と書かれたのも、よくわかる。

Date: 10月 21st, 2013
Cate: アナログディスク再生

「言葉」にとらわれて(トーンアームのこと・その2)

古くからあるワンポイントサポートのトーンアームは、
いまも現役のトーンアームに採用されることが多い。

それたけこの方式のメリットが多いということでもあるわけだが、
ワンポイントサポートの良さを活かすには、
トーンアームのバランスは、いわゆる前後方向はもちろん、左右方向(ラテラルバランス)もきちんととらなければ、
ワンポイントサポートは構造上、カートリッジに左右の傾きが生じてしまい、
左右チャンネルのアンバランスが起るだけでなく、クロストークが増えてしまう。

簡単な構造だからといって、使い方までもが簡単なわけではない。
だからといって、特に調整が困難なわけでもない。
どういう構造になっていて、その構造ゆえのメリット、デメリットを把握していれば、
どの点に注意して調整しなければならないか、はすぐに理解できるだろうし、
これが理解できなければ、ワンポイントサポートのトーンアームに手を出すのは、少し待った方がいい。

もちろん先に手を出して、実際に使いながら理解していく、という手もある。

オーディオクラフトのトーンアームは、
瀬川先生が高い評価をされていたこと、ステレオサウンドの“State of the Art”賞にも選ばれていること、
アームパイプをいくつも用意して、カートリッジへの適合性に十分配慮されているところ、
さらにはオーディオクラフトから出ていたOF1というアダプターを介さずに、
ダイレクトにオルトフォンのSPUを取り付けられるようにシェルの部分が加工されたストレートパイプまで出すなど、
マニア心がわかっているラインナップなど、
一度は使ってみたいトーンアームの代表格になっていた。

だがラテラルバランスの調整でつまずくのか、
うまく調整できずにいた人も少なくなかった、ともきいている。

Date: 10月 21st, 2013
Cate: 岡俊雄

岡俊雄氏のこと(その3)

黒田先生の文章は、岡先生の人柄をじつよにく伝えてくれている。

ステレオサウンド 60号が出た時には、私はまだ読者だった。
岡先生の「マイクログルーヴからデジタルへ」は、
ラジオ技術を読んでいたから出版されることは知っていたし、
ステレオサウンド 60号とほぼ同時期くらいに買って読んでいた。

もちろんそれまでのステレオサウンド(41号からだが)も全号読んでいたので、
なんとなくではあったけれど、岡俊雄という人が、どんな感じの人なのかは私なりにイメージしていた。

会ったことのない人を、いわば勝手にイメージしていた者が、
ステレオサウンド 60号の黒田先生の文章を読んだわけである。

こういう人だったのか……、と読みながらおもっていた。
でも、読みとれていたことは、若さゆえもの未熟さもあって、少なかった、と後で気づく。

ステレオサウンドで働くようになって、岡先生とお会いする機会があった。
岡先生のお宅にも何度か伺っている。
岡先生の連載、クラシック・・ベスト・レコードも担当するようになった。

それまで文字だけでしか知らなかった岡俊雄という人のことを、
より知ることができる機会が増えたわけだ。

そして、いまステレオサウンド 60号の黒田先生の、岡先生について書かれた文章を読むと、
これほど岡先生の人柄を伝えてくれる文章は、他に読んだことがない、といえるし、
黒田先生の文章が伝えてくれることに嘘偽りはまったくない、ともいえる。

岡先生とは、まさにそういう人だった。