Date: 10月 20th, 2013
Cate: 岡俊雄

岡俊雄氏のこと(その2)

ステレオサウンド 60号、
このころのステレオサウンドには黒田先生の連載「さらに聴きとるものとの対話を」があった。

60号は1981年9月に出ている。このころラジオ技術社から岡先生の本が出た。
本のタイトルは「マイクログルーヴからデジタルへ/優秀録音ディスク30年史上巻)だった。

黒田先生は60号の「さらに聴きとるものとの対話を」で、この本のこと、
そして岡先生のことを書かれている。
むしろ岡先生のことを書かれている、といってもよい。

黒田先生自身も書かれている。
     *
ここでのさしあたっての目的は、岡さんについて書くことではなく、岡さんの本について書くことである。それを承知の上で、岡さんのことをえんえんと書いてきたのは、ほかでもない、その本の魅力を書こうとしたら、どうしても著者の人間としての魅力から書きはじめなければならないと感じたからであった。
     *
岡俊雄という人が、どんな人だったのかよく知らない、という人はいまでは少なくない、と思う。
そういう人はもちろん、そういう人たちよりも上の世代で、
岡先生の書かれたものをその時代その時代で読んできた人も、
ステレオサウンド 60号の黒田先生の文章はぜひとも読んでもらいたい、と思っている。

黒田先生も書かれているように、岡先生は
「自己顕示欲などというあざといものは、薬にしたくもない。岡さんはいまの世にあってはめずらしいシャイな人」
だから、ステレオサウンドに書かれたものだけからは、岡先生の人間としての魅力はやや掴みにくいところもある。

Date: 10月 20th, 2013
Cate: アナログディスク再生

「言葉」にとらわれて(トーンアームのこと・その1)

トーンアームの回転支軸にはいくつかの方式があり、その中にワンポイントサポートがある。
日本語にすれば一点支持型ということになる。

構造としてはもっとも単純にできるのが、このワンポイントサポートであり、
構成部品が少ないということは、それだけ精度も出しやすく、共振する箇所もそれだけ少なくなる。

ワンポイントサポートは昔からある。
有名なところではグレイ(のちのマイクロトラック)の206という、
ごついつくりのトーンアームがある。
重針圧カートリッジ専用(オルトフォンSPU専用といってもいいだろう)のトーンアームで、
カートリッジを頻繁に交換する設計にはなっていない。

私も短いあいだだったが所有していたことがある。
SMEのトーンアームのスマートさとは正反対の、この武骨なトーンアームはまず重い。
この重さが、きちんと調整をしたのちに聴くと、
この音にはこれだけの重量が必要なのか、とそんなことを思いたくなるほど、
見た目通りの、腰の坐りのよい音を鳴らしてくれる。

日本製でよく知られるのはオーディオクラフトの製品である。
瀬川先生が自家用としても使われていた、このトーンアームは、
最初の垢抜けない外観から、少しずつ世代(改良)を重ねるごとに、よくなっていった。
SMEと比較してしまうと、まだまだ、といいたいところは残っていたけれど、
最初のAC300からすれば、ずいぶん洗練されたといっていい。

それだけでなくユニバーサルトーンアームとしての改良も加えられていった。
オーディオクラフトでは、AC3000MCのころから、システムトーンアームと呼ぶようになっていた。

Date: 10月 20th, 2013
Cate: 岡俊雄

岡俊雄氏のこと(その1)

私がインターネットに接続し使い始めたのは1997年。
このころはまだ検索が、いまほどのレベルに達していなかった。
いくつかの検索サイトを使っても、探しているサイトになかなかたどり着けなかったし、
なぜ、このキーワードで検索して、検索結果の順位を見ては、おかしいだろう、と思うことはしばしばあった。

それはGoogleが登場するまで、あまり改善されなかったように感じていた。

Googleによる検索が完璧とはまだまだいえないし、改善してほしいところはあるものの、
その検索結果は感心することもある。

インターネットがあるところまで普及したおかげで、
1997年とは比較にならないほど、多くの情報が得られるようになった。
調べものをするときも、本を開く時間よりもインターネットに接続している時間の方が長くなっている。
本は、しかも所有していない本に関しては、
その本自体を探しにいかなければならない。

自分が求めている情報が、どの本に載っているのかがはっきりしていればまだいい。
けれど、たいていはどの本に載っているのか、まずそのことをから探していかなければならない。

だから、ほんとうに楽になった、と思えることが多くなっている。

しかもいまでは必ずしもパソコン(Mac)の前に坐る必要もなくなってきている。
iPhoneやiPadで検索する時間が増えてきている。
外出先からでもすぐに検索できる。
オーディオに関する情報も1997年とは比較にならないほど多くのことが、
インターネットにはいまではある。

しかも検索してもわからないことでも、
twitter、facebookなどのSNSで質問すれば、的確な答・情報が返ってくることもある。

それが当り前のことのようにおもえてきて、
このことのほんとうの有難みをつい忘れそうにもなる。
そして、もうひとつおもうのは、いま岡先生が生きておられたら、
インターネットをもっとも積極的に使われていたはず、ということだ。

Date: 10月 19th, 2013
Cate: 「オーディオ」考

なぜオーディオマニアなのか、について(その4)

(その1)にこう書いた。

癒されたいから、この音楽を聴く、
元気になりたいから、そういう音楽を聴く、
そういった、ある種のはっきりとした目的意識をもって、
音楽家にはっきりと求めるものを意識して──

ここでの「ある種のはっきりとした目的意識」は、はっきりとしているだけに限定的でもある。
限定的な聴き方をしてしまうと、
聴きのがしてしまう「何か」がおきるし、それが大きくなってしまう怖れが常にある。

だから私は音楽を聴くという行為に関しては、
「ある種のはっきりとした目的意識」は極力持たないようにしている。

とはいうものの、必ずしも音楽を聴くという行為について、
まったく目的意識をもっていない、かというとそうとも言い切れない。

ここでの「音楽を聴く」には、オーディオの存在がつねにある。
コンサート会場に行っての音楽を聴くではなく、オーディオを通しての音楽を聴くわけで、
オーディオという媒介するモノに対しては、態度が違ってくるからだ。

この点において、オーディオマニアだと自覚してしまうのだ。

Date: 10月 19th, 2013
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(購入を決めたきっかけ・その5)

HiVi(このときはまだサウンドボーイ)編集長のOさんは、
以前は930stを、そして937Dstにされた人だから、
そして非常に凝り性の人ということもあって、EMTのプレーヤーに関しては非常に詳しい。

Nさんは、ステレオサウンドの編集後記を丹念に読んできた人ならば思い出されることとと思うが、
瀬川先生の927Dstを譲ってもらった人である。
私はNさんの部屋によく行っては音を聴かせてもらうとともに、
瀬川先生のモノだった927Dstを見て触れていた。

SさんはEMTのプレーヤーは所有されていなかったけれど、
EMTのプレーヤーの良さは認めている人だった。

こういう人たちがオーディオ談義をしていたところにトーレンスの101 Limitedは届いたものだから、
すぐに開梱され、EMTの930stと同じなのか、それとも違いがあるのかがチェックされていった。

この日、ステレオサウンド編集部に来た101 Limitedは、シリアルナンバー102番だったモノ。
サンプル用として二台の101 Limitedがはいってきて、
一台はシリアルナンバー101番、つまり101 Limitedのシリアルナンバーは101から始まっている。

シリアルナンバー102番の101 Limitedは、930stとブランド名が違うこと、
デッキ部分の塗装が金色になっていること、トーンアームのパイプの塗装が違うこと、
そういう違い以外はなく、930stそのものだという、いわばオスミツキがもらえた。

ノアの野田さんは、それを聞いて満足げだったようにみえた。

そして、その次にOさんの口から出て来たのは、
「少年、これ買えよ」だった。

Date: 10月 19th, 2013
Cate: 「スピーカー」論

トーキー用スピーカーとは(その2)

トーキー用のスピーカーとは、いったいどういうものなのか。
このことについて考えていくことのはじまりとなったのは、
ステレオサウンド 46号に掲載された広告であった。

シーメンスのスピーカーの輸入元であった關本の広告にはこうあった。
     *
「お気づきですか……足音」
映画における足音。
これは意外とむずかしいものです。
M.ブランドとE.M.セイントの〝波止場〟での1シーン。
会話に聞き入っていると聞こえない足音。
しかしサウンド・トラックには、ちゃんと録音されているのです。
足音の録音が、録音技術者のウデの見せどころであるように、
トーキー・サウンド・システムのスピーカの設計者にとっても同じこと。
しかしこの音、目立ってはならない音ですから、
はりあいこそありませんが、映画にはつきもの。
全体のムードにかかせないものです。
シーメンスには、この縁の下の力もち的足音に取組んで数十年。
映画〝F1〟におけるツインカム
フラット12の、
あのバカでかいエクゾースト・ノートを、より迫力あるものに、
しかし足音はさりげなく……。
この、大と小を一手に引き受けようと生まれてきた、
シーメンスのオイロダインやコアキシャルたち。
これぞ頑固なドイツ人の熱き情熱。
     *
同じ動作原理のスピーカーであっても、
家庭用スピーカーで聴くものといえば、ほぼすべて音楽といえる。
音楽といっても幅広いとはいえ、音楽であることには違いない。

中には音楽よりも自然音の再生だったり、鉄道の音、自衛隊の演習の音などだったりしたとしても、
そういう人だって音楽を鳴らすことが主目的であり、そのことをスピーカーに求めているはず。

Date: 10月 19th, 2013
Cate: ショウ雑感

2013年ショウ雑感(その6)

オーディオショウ・オーディオフェア、メーカーのショールームに行こうと思う理由は同じこともあれば、
人によって微妙に違っているところもあるのが当然だろう。

ほとんどの人が、音を聴くため、というのがいちばんの理由になることだろう。
その音が、必ずしも万全の音で鳴っているとは限らない──、
どころか、むしろいい状態で鳴っていることが少なかったりするとすれば、
オーディオマニアにとって、ショウ(フェア)、ショールームに行く理由が薄れてしまう。

しかも、そこには多くの人が来ているのだから、
人気のあるブースでは人が集まり、万全でない状態の音はさらにそうでなくなっていく。

オーディオフェア時代でも、少しでもいい環境をということで、
晴海見本市会場近くのホテルを別に借りて、そこで試聴会を開いているメーカー、輸入商社もあった。
とはいえ、ここらのホテルの部屋はお世辞にも広いとはいえなかった。

この動きが、
のちの輸入オーディオショウ(現インターナショナルオーディオショウ)へとつながっていっているように思う。

輸入オーディオショウは最初のころは九段下のホテルだった。
そしていまは有楽町の国際フォーラムが会場となっている。

オーディオフェアのころからすれば、ずいぶんと条件は良くなっている。
それでもリスニングルームとして設計された部屋ではないし、
それぞれのブースには多くの人が入って、電源環境もいいとはいえないだろう。

まだまだ、というところは残しているものの、良くなっている。

Date: 10月 19th, 2013
Cate: フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(その5)

音像に関して、自分でも少し気にしすぎではないかと思うくらい気になる時はすごく気になる。
四六時中そうではなくて、あまり気にならなくなるときもある。
けれど、どちらかといえば、気になる(気にする)方だと思う。

なぜ気になるのか、と自問すれば、
これは別項「EMT 930stのこと」でも書いているように、
再生音に関して、できるだけ不安定さをなくしていきたいと思っていることと深く関係しているようだ。

とにかく音楽に没頭したい、
音のことを気にせずに没頭するために、まず私が求めているのは音の安定なのだ、と気がついた。
音の安定があるからこそ、こまやかな音の表現は可能になるし、
脆い、儚げとでも表現したくなるような音を、腫れ物に触るように愛でる趣味は、基本的には私にはない。
そんな音を、繊細な音だと曲解・誤解することも、もうない。

そんな音を愛でていくのもオーディオの趣味のありかたとして理解はできても、
そういう音では、私が聴きたい音楽を鳴らすことはできない、とわかっているし、
そんな音を愛でることと、繊細な音とすることとは同じことで決してない。

見せかけだけの、上っ面だけの繊細さは、私はいらない。
だから音の安定を求めてやまない。

Date: 10月 19th, 2013
Cate: audio wednesday

第34回audio sharing例会のお知らせ(瀬川冬樹氏のこと・再掲)

11月のaudio sharing例会は6日(水曜日)である。
翌7日は、瀬川先生の命日であり、33回忌となる。

だから、前日6日のaudio sharing例会では、
私が所有している瀬川先生の未発表原稿(未完原稿)、
デザインのスケッチ画、かなり若いころに書かれたある記事のプロットといえるメモ、
瀬川先生が考えられていたオーディオ雑誌の、いわば企画書ともいえるメモ、
その他のメモなどを持っていく。

これらはいずれきちんとスキャンして公開していくつもりだが、
原稿、メモ、スケッチそのものを公開するのは、この日(11月6日)だけである。

時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 10月 18th, 2013
Cate: ショウ雑感

2013年ショウ雑感(その5)

晴海で行われていたころのオーディオフェアは一週間ほどの期間だったし、
会場も広く人もほんとうに多かった。

来場者が多いのはあらかじめわかっていたことではあったけれど、
オーディオに関する催物で、これほど人が集まるのか、と、
数カ月前までの田舎では想像できない人出の多さに嬉しさを感じながらも、
人が半分くらいだったらいいのに……、とも思っていた。

とにかくはじめてのオーディオフェアだった。
それまではオーディオ雑誌の記事を読むだけだったオーディオフェアに来ている。
前年までステレオサウンドからは、オーディオフェアの増刊号を二回出していた。
二冊とも購入していた。
一冊まるごとオーディオフェアだから、オーディオ雑誌の記事よりもずっと写真も文章も多い。
一回のオーディオフェアで一冊の増刊ができていたのが、当時のオーディオフェアだった。

もしかすると元気になられて、
瀬川先生がオーデックスのブースでロジャースのPM510の試聴をやられるかもしれない──、
そんな期待ももって会場に着き、歩きまわっていた。

Date: 10月 18th, 2013
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(購入を決めたきっかけ・その4)

トーレンスのPrestigeが悪いプレーヤーでないことは、当時からわかってはいた。
頭では、Prestigeにはこういう良さがある、Rederenceにはない良さもある──、
そんなふうにPrestigeの良さを積極的にさがそうとしていた。

そうやって自分を納得させようとしていたわけだ。
なぜそんなことをしていたのかというと、SMEの3012-R Special用のターンテーブルとして、
Prestigeに決めよう(といってもすぐに買える金額ではないから目標にしようという意味が強い)としていた。

他にないではないか、これしかないのだから……、
そんなふうに自分自身をなんとか納得させようとしていた……。

そのトーレンスから、今度は101周年記念モデルとして、
EMTの930stのトーレンス・ヴァージョン、101 Limitedが出た。

このころのトーレンスの輸入元はノアだった。
そのノアの野田社長が、ある晩、編集部に101 Limitedを持ってこられた。
なぜ昼ではなく、夜だったのかはもう忘れてしまった。
101 Limitedをすこしでも早く誰かに見せたかったからなのかもしれない。

その晩、編集部には私の他にHiVi編集長のOさん、ステレオサウンド編集部のSさんとNさんがいた。
仕事をしていたわけではなかったはずだ。
オーディオ談義をしていたところに、101 Limitedが現れたのだ。

Date: 10月 18th, 2013
Cate: 「スピーカー」論

トーキー用スピーカーとは(その1)

いまでも高値で売買されているウェスターン・エレクトリックのスピーカーは、
トーキー用として開発されて実際に劇場で使われてきた。

アメリカにウェスターン・エレクトリックがあれば、
ドイツにはクラングフィルム(シーメンス)があり、
イギリスにはロンドン・ウェストレックスがあった。

映画用のスピーカーと書かずに、トーキー用とするのは、
アンプとの関係性において違いがあるからである。

いまでは大出力アンプといえば、いったいどのぐらいの出力より上をいうのだろうか。
いまや100Wの出力は大出力(ハイパワー)とはいわない。
200Wでも300Wでも、いわないのではないだろうか。
500Wを超えると、さすがに大出力という感じがしてくるし、
1000Wを超えると、大出力(ハイパワー)! ということになる。

これだけの出力が得られる時代だから、
スピーカーの能率は、昔ほど重要視はされなくなっている。
高い音圧が必要ならば、耐入力とリニアリティに優れたスピーカーを、
大出力のパワーアンプで駆動すればいいからだ。

だがトーキー時代には、アンプは真空管によるもので、出力は10Wあれば大出力だったこともある。
一桁の出力のアンプもあった時代だ。

この時代のスピーカーには、だから高い能率(出力音圧レベル)が求められる。
10W程度のアンプでも、劇場いっぱいに満足できる音を出さなければならないのだから。

トーキー用スピーカーは、だから大型で能率が高い。
100dB/W/mを超えるモノばかりである。

Date: 10月 17th, 2013
Cate: オーディオのプロフェッショナル

こんなスピーカーもあった(その3)

ステレオサウンド 57号にテクニカルノートという連載がある。
前号から始まった企画である。
57号では長島先生がマッティ・オタラにTIM歪、NFBのことについてインタヴューされている。
その他に、編集部によるテクニクスとビクター、サンスイのエンジニアへのインタヴューも載っている。

57号のテクニカルノートは、いずれもNFBに関する内容である。

このころ、テクニクスはリニアフィードバック、
ビクターはピュアNFB、サンスイはスーパーフィードバックという技術をそれぞれ開発して、
NFBという古くからの技術を、当時の現代技術によって見直している。

これらの詳細については、ここでの話とは関係ないが、
それでもここで話題にしているのは、テクニクスのインタヴューの中に、
ここでのことと関係しているエピソードが出てきていて、
それを読んだ時(1980年)、エンジニアとはそういうものなのだと感心したからである。

その部分を引用しておく。
     *
──リニアフィードバック(LFB)回路はテクニクスのオリジナルですか。
テクニクス これにはエピソードがあるんです。私どもに28歳の若い技術者がおりまして、あるとき彼が、もう裸特性の追求にも行きづまりがきたということで、このLFBのアイデアを出したんです。それでは彼のアイデアでやってみようということで、ちょうどSE−A5を出来ていたので急きょA5にこのLFBを搭載したわけです。そうしたら、クォリティが俄然上ったんですね。価格は安いけれどもA3のクォリティが得られたということで、一応満足したわけです。それで、一応特許関係を出そうということで調べたんですが、出るわ出るわ、そういう関連の特許が山ほど出てきたんです。アンプに詳しい数人の方からも、それに似た回路は二十数年前にもあったよ、というお話を伺いました。
 担当者にしてみれば、そういうベースなしにたどり着いたわけですから、「やった」と思ったんでしょうね。ところが、そういうわけで「ショボン」としてしまいました。
 確かに、20年ほど前の真空管アンプ時代に、無限大フィードバックの手法があります。しかし、実現はしなかったようです。クリップした時に発振してしまうので、みんなおやめになったようですね。
 ですから、オリジナリティがあるかといわれたら、基本的にはありません。しかし、アイデアはいただきましたが、実現したのはテクニクスの技術です。単にPFBを初段にかければいいというわけにはいきません。実現させるためのテクニックがいるのです。
     *
この事例はテクニクスに限ったことではないはずだ。
どのメーカーでも同じのはずであり、プロのエンジニアとして当然のこととしてなすべきことなのだから。

だが、そうでない人がいることを、
ステレオサウンド 57号を読んだ時からずいぶん経ってから知った。

Date: 10月 17th, 2013
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(購入を決めたきっかけ・その3)

トーレンスのPrestigeを、Referenceと同シリーズのプレーヤーとして見るから、
そう思って(がっかり)しまったわけで、
Prestigeというターンテーブルシステムを、そういう先入観なしに冷静に捉えれば、
この時期のトーレンスの主力モデルであったTD12、TD226、TD127といったプレーヤーに、
Referenceの開発で得られたさまざまなことをフィードバックした上級機として見るべきものである。

そういう視点でとらえれば、Prestigeにがっかりすることはない。

でも、これはあくまでも頭のなかで冷静に捉えようとしてのことでしかなく、
一度でもReferenceの素晴らしいパフォーマンスに接した者にとっては、
そんなことはどうでもいいこと、ということになってしまう。

私は熊本のオーディオ店で、Referenceの音を初めて聴いた。
このときの音は、瀬川先生が鳴らされた音であった。
最後にかけられたコリン・デイヴィス指揮のストラヴィンスキーの火の鳥における「凄さ」は、
陳腐な表現で申しわけないが、ほんとうに凄かった。
そして、このときの瀬川先生が私が会えた最後の瀬川先生でもあったから、
Referenceの印象は、ますます強くなっていた。

そんなReferenceと比較してしまう私が悪いわけであって、
Prestigeが悪いプレーヤーということではない。

Date: 10月 16th, 2013
Cate: オーディオのプロフェッショナル

こんなスピーカーもあった(その2)

昔、日本のスピーカーに、松ぼっくりをエンクロージュア内部に取り付けたスピーカーシステムがあった。
そのことは以前書いている。

今日、twitterを見ていたら、
道端に落ちている松ぼっくりを見て、同じようにエンクロージュア内の音の拡散に有効なのではないか、
とひらめいた、というツイートを目に留まった。

その人は炭化した松ぼっくりがいいのではないか、ということも書かれていた。
炭化した松ぼっくりは実際に売られていて、簡単に入手できる、とのこと。

このツイートをした人は、松ぼっくりを入れたスピーカーが、
過去に存在していたことを全く知らなかった人で、それでも松ぼっくりの形状を見ていて、
ひらめいた、ということだった。

この人はオーディオのアマチュアの方である。
つまりオーディオで収入を得ている人ではない、という意味でのアマチュアという表現である。

松ぼっくりを入れたスピーカーが存在していたのは、ずっと昔である。
私が井上先生から、その話をきいたのがすでに30年近く前のことで、
その時点で、井上先生は、昔はなぁ、といわれていたから、そうとうに前のことである。

人はこんなふうに同じことを発想することがある。
まったく何のつながりもない人が、同じことを発想する。

オーディオのアマチュアだからこそ、松ぼっくりを見てひらめいて、
まだ実際には試されていないけれども、
もし結果が良かったから、またツイートされるのかもしれない。
他にも同じことを考えている日とがいても不思議ではない。
その人も結果がよければブログなり、ウェブサイトで書かれるかもしれない。

こういうことができるのは(許されるのは)、アマチュアだからである。

これがメーカーのエンジニアならば、そうはいかない。
彼らはオーディオで収入を得ている、いわばプロフェッショナルである。

そのプロフェッショナルが、ここでの例と同じようにあることを発想したとしよう。
それが純然たる、その人自身の発明、発想であっても、
過去に同じ例がなかったのか、調べる義務がメーカーのエンジニアにはある。