妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その1)
カラヤンが亡くなって、約四半世紀が経つ。
カラヤンが残した録音の正確な数は、決してカラヤンの熱心な聴き手ではなかった私には、
おおよその数すら知らない。
それにそう多くのカラヤンのレコードを聴いていたわけでもない。
カラヤンのベートーヴェン全集にしても、すべてを聴いているわけではない。
このことには、やはり五味先生の影響が関係している。
五味先生がカラヤンをどう評価されていたのかについては、いまここではあえて書かない。
五味先生の影響をまったく無しで、カラヤンの演奏を聴けているかについては、
いまでも正直自信が、いささかなかったりする。
そんなカラヤンの、偏った聴き手である私でも、いくつかのディスクに関しては、
カラヤンの素晴らしさを素直に認めている。
私が聴いてきたカラヤンのレコードの数はたかが知れている。
そのたかが知れている数の中から、カラヤンのベストレコードとして私が挙げたいのは、
ワーグナーの「パルジファル」である。
日本にはアンチ・カラヤンの人がいる。
そういう人たちからすればカラヤンのベートーヴェンは……、ということになるし、
おそらくカラヤンのワーグナーに関しても、カラヤンのベートーヴェンと同じ扱いになっていることだろう。
カラヤンの「パルジファル」のレコードが出た時、私は18だった。
若造だった。
「パルジファル」の全曲盤をたやすく買えるわけでもなかった。
五味先生の影響も受けていた私にとって、
カラヤンの「パルジファル」は、狐にとって手の届かない葡萄と同じだったのかもしれない。
カラヤンの「パルジファル」なんて……、と思い込もうとしていた時期が、私にはあった。