妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その2)
赤と青、と対照的なジャケットなのが、
クナッパーツブッシュの「パルジファル」とカラヤンの「パルジファル」である。
「パルジファル」の名盤といえば、このころまではずっとクナッパーツブッシュ盤だった。
他にもいくつかの「パルジファル」のレコードはあっても、
とにかく日本では「パルジファル」といえば、
バイロイトでのクナッパーツブッシュが唯一無二的存在として扱われてきた。
五味先生も、
《クナッパーツブッシュのワグナーは、フルトヴェングラーとともにワグネリアンには最高のものというのが定説だが、
クナッパーツブッシュ最晩年の録音によるこのフィリップス盤はまことに厄介なレコードで、じつのところ拙宅でもうまく鳴ってくれない。空前絶後の演奏なのはわかるが、時々、マイクセッティングがわるいとしか想えぬ鳴り方をする箇所がある。》
と書かれている。
やっぱり「パルジファル」は、とにかくクナッパーツブッシュ盤を最初に聴こう、と思っていた。
そういうクナッパーツブッシュ盤の輝きは、カラヤン盤が登場した時でも、いささかも衰えてはいなかった。
ワグネリアンと自称する人、そう呼ばれる人にとって、カラヤンの「パルジファル」はどう映ったのだろうか。
クナッパーツブッシュとカラヤンは、どちらが優れた指揮者であるとか、
どちらが優れたワーグナー指揮者であるとか、そういったことを抜きにして語れば、
カラヤンはスマートであり、クナッパーツブッシュはそうではない、といえる。
カラヤンの「パルジファル」とクナッパーツブッシュの「パルジファル」もまた、そういえる。