オイロダインを楽しむ会(その3)
1月20日に行ってきたオーディオ・ノートの試聴室での「オイロダインを楽しむ会」。
私が特に印象に残っているのは、音よりもオーディオ・ノートの社屋の綺麗さである。
とにかくすみずみまで掃除が行き届いている。
塵一つ落ちていない、この表現がぴったりくる。
しかも床も磨かれている。
とにかく感心した。
こういう環境で、オーディオ・ノートの製品は開発されうまれてくるのか、と。
1月20日に行ってきたオーディオ・ノートの試聴室での「オイロダインを楽しむ会」。
私が特に印象に残っているのは、音よりもオーディオ・ノートの社屋の綺麗さである。
とにかくすみずみまで掃除が行き届いている。
塵一つ落ちていない、この表現がぴったりくる。
しかも床も磨かれている。
とにかく感心した。
こういう環境で、オーディオ・ノートの製品は開発されうまれてくるのか、と。
2月7日のaudio wednesday (next decade) – 第一夜のスピーカーシステムは、
サウンドラボのコンデンサー型スピーカー、745で確定である。
サウンドラボのコンデンサー型スピーカーは、1980年代後半、聴いている。
当時の輸入元は大場商事(現・太陽インターナショナル)だった。
かなり大型のコンデンサー型なのだが、能率はかなり低かった、と記憶している。
あれからほぼ四十年、かわらずサウンドラボはコンデンサー型スピーカーをつくり続けている。
少しは能率は高くなっているのか。
実をいうと、すでにサウンドラボの現行モデルは、17日に聴いている。
予想していた以上に、能率が低かった。
ここまで低かったのか──、とあらためて感じていた。
同時に、パワーアンプをどうするか。そのことも考えていた。
ステレオサウンド 229号の特集、ベストバイのパワーアンプのところをながめていても、
これで鳴らしてみたい、と思えるアンプがなかった。
仮にあったとしても、そのアンプを用意できるかといえば、まず無理だろう。
以前、別項で書いているが、2018年1月、杉並区の中央図書館の視聴覚室で、
オクタヴィア・レコードの江崎友淑氏による講演会「菅野録音の神髄」が行われた。
スピーカーシステムはB&OのBeoLab 90、
SACDプレーヤー、コントロールアンプはアキュフェーズのフラッグシップモデルが用意されていた。
これらの器材についての説明があった。
エレクトリとハーマンインターナショナルに依頼したところ、ことわられた、
もしくは有償だったら貸し出せる、ということだったそうだ。
そんなふうになってしまったのかと思った。
そんな世知辛い世の中なのだ。
何を用意できるのか。何を用意したいのか。
これが一致するとは限らない。
17日にサウンドラボの音を聴きながら、あのアンプならば──、と思い浮べていたのは、
クレルのKMA200である。A級200Wのモノーラルアンプである。
それも初期型のKMA200が用意できれば、その組合せは個人的にも聴いてみたい。
KMA200を持っている人がいる。
2月7日の第一夜は、サウンドラボの大型コンデンサー型スピーカーを、
クレルのKMA200(初期型)で鳴らす。
鳴らす場は、野口晴哉記念音楽室となりの和室である。
開始時間は19時。終了時間は22時。
開場は18時から。
野口晴哉記念音楽室の住所は、
東京都狛江市元和泉2-14-3。
最寄り駅は小田急線の狛江駅。
参加費として2500円いただく(ワンドリンク付き)。
昨日、オーディオ・ノートの試聴室で行われた「オイロダインを楽しむ会」に行ってきた。
久しぶりに聴くオイロダインだった。
昨日は雨が降っていて寒かった。
そのせいだろうが、私が行った回は六人だけだった。
オイロダインの音は、なかなか聴く機会がない、と思う。
六人のうち、初めてオイロダインを聴くという人も、きっといたはずだ。
オイロダインが、どう鳴っていたのかについては書かないが、今回ひとつ気づいたことがあった。
これまで数回、オイロダインを聴く機会はあったが、
ライヴ録音を聴いたのは、今回が初めてだった。
聴いていて、五味先生の「オーディオ巡礼」を思い出していた。
*
森氏は次にもう一枚、クナッパーツブッシュのバイロイト録音の〝パルシファル〟をかけてくれたが、もう私は陶然と聴き惚れるばかりだった。クナッパーツブッシュのワグナーは、フルトヴェングラーとともにワグネリアンには最高のものというのが定説だが、クナッパーツブッシュ最晩年の録音によるこのフィリップス盤はまことに厄介なレコードで、じつのところ拙宅でも余りうまく鳴ってくれない。空前絶後の演奏なのはわかるが、時々、マイクセッティングがわるいとしか思えぬ鳴り方をする個所がある。
しかるに森家の〝オイロダイン〟は、実況録音盤の人の咳払いや衣ずれの音などがバッフルの手前から奥にさざ波のようにひろがり、ひめやかなそんなざわめきの彼方に〝聖餐の動機〟が湧いてくる。好むと否とに関わりなくワグナー畢生の楽劇——バイロイトの舞台が、仄暗い照明で眼前に彷彿する。
*
クナッパーツブッシュがかけられたわけではないが、数枚のライヴ録音がかけられた。
ライヴ録音ならではのざわめきが、その盤におさめられている音楽を引き立てていたように感じられた。
このことは、小さいけれどひとつの発見のようにも感じていた。
それがたまたまだったのか、ほんとうにそうなのか。
それは自分で鳴らしてみないことには断言できないことでもあるが、
そう遠くないうちに、確かめられる日も来よう。
コンデンサー型スピーカーに、いちどは憧れるものだろう。
私はそうだった。
オーディオに興味を持ち始めたころ、
コンデンサー型スピーカーといえばQUADのESLとスタックスの製品ぐらいだった。
その少しあとに、アメリカからアクースタットが登場した。
コンデンサー型スピーカーの動作原理以上に、
コンデンサー型スピーカーに惹かれたのは、その音だった。
とはいえ当時、すぐにコンデンサー型スピーカーの音を聴けたわけではない。
あくまでもオーディオ雑誌に載るコンデンサー型スピーカーの評価を読んでのものだった。
ステレオサウンド 43号で、瀬川先生はこう書かれていた。
*
いまのところは置き場所がないから考えないが、もしも製造中止になるというような噂をチラとでも耳にしたら、すぐにでもひと組購入するぞ、と宣言してある。部屋や置き方や組み合わせなど条件を整えて聴くときのQUAD・ESLのみずみずしい音質は実にチャーミングだ。最適位置にぴたりと坐ったが最後、眼前に展開する一種独特のクリアーな音像の魅力から抜け出すことが難しくなる。このデザインの似合う部屋が欲しい!
*
当時読んだESL評のすべてを引用はしないが、他にもいくつもあって、
そのどれもがESLならではの魅力を伝えてくれていた。
いったいどんな音なのか。その音を想像するだけで楽しかった。
けれど、なかなか聴く機会は得られなかった。
2月7日のaudio wednesday (next decade) – 第一夜では、
サウンドラボのコンデンサー型スピーカーを鳴らす予定だ。
まだ確定ではないため、直前になって変更(別のスピーカー)になる場合もあるが、
いまのところMajesticシリーズの645か745のどちらかだ。
野口晴哉氏のリスニングルームには、いまもスタックスのESS6Aが置いてある。
1976年に出た「世界のステレオ」に掲載された写真には、QUADのESLも写っている。
それにスタックスのヘッドフォンもある。
コンデンサー型スピーカーの音に、惹かれるものを感じておられたのだろうから、
audio wednesdayで、一度はコンデンサー型スピーカーを鳴らしてみたい、と考えていた。
意外にもその機会は早く訪れそうだ。
詳細は確定してからになるが、今回はストリーミングではなく、SACDを中心に鳴らすつもりだ。
メリディアンのDSP3200のサランネットは、
トゥイーター、ウーファーぞれぞれについていることもあって、円の形をしている。
この状態のDSP3200を、何も知らずに見れば、
小口径ウーファーとドーム型トゥイーターによる2ウェイだと思いがちである。
実際は16cm口径のウーファーと8cm口径のトゥイーターであり、
この口径からも推測できるように、どちらもコーン型ユニットとなっている。
同サイズの他のスピーカーシステムとは、この点が大きく違うところであり、
DSP3200の特徴ともいえる。
トゥイーターというよりも、小口径フルレンジにウーファーを足したかっこうである。
だから岩崎先生の文章を思い出したわけだ。
8cmのフルレンジユニットの振動板はアルミである。
といってもカチカチのアルミ振動板ではない。
メリディアンのウェブサイトをみても、クロスオーバー周波数は発表されていない。
同サイズのコーン型ウーファーとドーム型トゥイーターのスピーカーシステムでは、
数kHzあたりに設定されているが、DSP3200ではおそらくかなり低いクロスオーバー周波数のはずだ。
しかもDSP3200はアクティヴ型であり、
このユニット構成のメリットを最大限に活かしている、と私は捉えている。
1月10日のaudio wednesdayでの一曲目は、
“Biko [Live At Blossom Music Centre, Cleveland]”。
ピーター・ガブリエルの“Biko”は、いくつかの録音がある。
三枚目のアルバムに収められているスタジオ録音、そのドイツ語版、
リミックスもある。ライヴ録音もいくつかある。
今回かけたクリーヴランドでのライヴは、1987年7月27日のものだ。
この曲をにしたのかについて詳しくは書かないが、
ガザの惨状がなければ別の曲を選んでいた。
そんなふうに鳴らしてみたいスピーカーを頭のなかに挙げながら、
もうひとつ考えていたのは、瀬川先生の砧のリスニングルームの響きのことだ。
部屋のプロポーションは違うし、洋室と和室という違いもある。
私は、瀬川先生の自宅の音を聴くことは叶わなかった。
だから想像するしかないのだが、
おそらく余韻の美しさということでは共通するところがあったのではないのか。
部屋の印象としてのスペクトラムはおそらく違うのだろうが、
どちらも余韻は美しいはず、とおもっている。
1月10日は瀬川先生の誕生日でもあった。
なのでバルバラもかけた。
ヨッフムのモーツァルトのレクィエムもかけた。
モーツァルト生誕200年、1955年のライヴ録音である。
冒頭に鐘の音が入っている盤であり、これもTIDALで聴くことができる。
残念なことにMQAではないけれど。
聴いていると(鳴らしていると)、あれこれおもってしまう。
ここで、瀬川先生がお好きだったスピーカーを鳴らしてみたい。
実現するのはたいへんだし、もしかすると一つも実現できないかもしれないが、
とにかくこの空間で一年間(十二回)、鳴らしていけるのは大きな楽しみである。
1月10日の序夜の場となったのは、野口整体の稽古場である。
野口晴哉氏のリスニングルームの隣にあるこの空間は、
もともとはリビングルームで洋室だった、とのこと。
いまは畳を敷いて和室となっている。
昨年、何度か訪れていたので、この稽古場(和室)の響きの良さはなんとなく感じていた。
デッドではなくライヴなのだ。
このことはいいのだけれど、部屋のプロポーションとしては横に長い。
こういうプロポーションの部屋だと、多くの人が縦長に使うことだろう。
短辺側にスピーカーを配置すると思う。
けれど私は最初から横長で使う、と決めていた。
前列の人は、かなりスピーカーと近距離になるけれど、
左右のスピーカーの間隔は拡げたい。
このことに迷いはなかったけれど、
それでも実際に鳴らしてみないことには音だけはわからない。
どうしようもない音がしてきたら、縦長に使うことも考えてはいた。
あとひとつ。
音を鳴らしてみないとなんともいえないのが、畳である。
いい畳なのは歩いた感触でわかっていた。
それでも畳だ。がっしりした木の床ほどの期待はできないようにも思っていた。
それでも実際にメリディアンのDSP3200を持ち込んで鳴らしてみると、
そんな心配は微塵も感じなかった。
横長で正解だと思ったし、畳に関してもDSP3200を設置していて、
ほんとうにいい畳だと感じていた。
中身がぎっしりとしている、といったらいいのか。
中途半端なフローリングの床よりも安定して設置できた。
そうやって鳴ってきた音は、ほんとうに響きが美しかった。
特に余韻が美しい。音が鳴りやむ、とはこういうことなのだと実感していた。
これまでもリスニングルームとして設計され建てられた、いくつかの空間で音を聴いている。
それでも、余韻が美しいと感じたことは残念なことになかった。
だから、余韻の美しさに驚いていた。
その美しい余韻によって、聴いた音楽はよけいに耳に、心にのこる。
この空間ならば──、とおもっていた。
今回はメリディアンのDSP3200だった。
できればもう一度DSP3200を鳴らしてみたい、と思っているのは、
今回ネットワーク(インターネット)関係の小さなトラブルで、
安定するのに時間を費やしていて、開場時間ぎりぎりまでかかってしまった。
そのためチューニング的なことはいっさいやっていない。
ACの極性もまったくチェックしていないから、
もう一度鳴らせる機会があるのなら、もっとよく鳴らせるからだ。
DSP32000の他にも鳴らしてみたいスピーカーが、音を聴いていると浮んでくる。
やはりジャーマン・フィジックスのスピーカーは鳴らしたい。
BBCモニター系列のスピーカーも、響きの美しさによりいっそう磨きがかかることだろう。
それにJBLの4320、4343といったスタジオモニターも、
この部屋の響き、余韻の美しさに助けられて、かなりいい感じで鳴ってくれそうだ。
三年ぶりに再開したaudio wednesdayでの音出し。
1月10日の序夜では、メリディアンのDSP3200を鳴らした。
DSP3200を聴く(鳴らす)のは、今回で二回目。
9月に一度聴いている。
この時も、自分でセッティングして、その音を聴いている。
そして今回。
部屋は大きく違っている。
造りも大きさも、ずいぶん違う。
今回のほうが広い。天井もかなり高い。
容積的に、DSP3200で大丈夫だろうか……、とちょっと心配もしていた。
DSP3200は小型の2ウェイである。
小型スピーカーといっても、
LS3/5Aの時代とはずいぶん鳴り方が進歩している面があるのはわかっているといっても、
今回の部屋は、かなり大きい。
そこに十人以上の人が入ったら──、そんなふうにいくつかのことを心配していた。
2020年まで、喫茶茶会記でやっていたころは、
菅野先生録音の「THE DIALOGUE」をかけていた。
9月に聴いた印象では、「THE DIALOGUE」はちょっと無理かな、と思っていた。
なので鳴らすことはなかったのだが、これは鳴らせるな、と考えを改めた。
そのくらいDSP3200の鳴りが違っていた。
DSP3200のユニット構成は、いわゆる小型2ウェイのモデルとはちょっと違う。
そこで思い出すのは、岩崎先生がステレオサウンド 35号に書かれていることだ。
*
これをフルレンジとしてまず使い、次なるステップでウーファーを追加し、最後に高音用を加えて3ウェイとして完成、という道を拓いてくれるのが何よりも大きな魅力だ。
*
パイオニアのPM12Fについての文章である。
コーン型のスコーカーであり、いわば小口径フルレンジともいえるユニットである。
audio wednesday (next decade) – 第一夜は、2月7日である。
時間、場所は1月と同じ。
テーマはまだ決めていない。
来週末には決っている(はず)。
どこの国のアカウントをつくるか。
TIDALで契約する際に迷ったことのひとつだ。
私はアメリカのアカウントだけれど、料金は国によって違ってくる。
アメリカよりも安い国はいくつかあった。
けれどウワサではあったけれど、国によって料金も違えば、
配信されているアルバム、曲にも違いがある、となんどか目にしていた。
とはいえ事前にそのことを確かめることはできない。
クラシックを主に聴くからヨーロッパの国のどこかがいいのか、
それともやはりアメリカなのか。
アメリカでつくったわけだが、
それから三年、やはりウワサは、それからも目にすることがあった。
とはいえ、自分の目で確認していたわけではない。
ほんとうなのか。
昨晩のaudio wednesday (next decade)では、イギリスのアカウントだった。
じっくりと時間をかけて比較したわけではないが、短い時間でも、
私が好んで聴く音楽の範囲でも、はっきりと違いがあった。
どちらがいいとはいえない。
いえるのは、できれば違う国のアカウントを二つ持つことである。
「“盤鬼”西条卓夫随想録」のクラウドファンディング、残り一日で目標金額を達成している。
もしかすると……、と思ったこともあったけれど、来月には手元に届く。
いよいよ明日(1月10日)は、音を鳴らすaudio wednesdayである。
2020年12月の回で喫茶茶会記でのaudio wednesdayは終った。
2021年は、いまもaudio wednesdayをやっていたら、
今回のテーマはこれだな──、そんなことを思っていた。
思っていても、そういう場がなければなんともしようがない。
2022年9月に、とにかく再開しよう。
場所はなくても、集まりたい人だけでもいいから集まって食事でもしよう、
ということで始めたものの、ふたたび音を出せる環境に巡りあえるとは、ほとんど思っていなかった。
2022年の後半ごろから、今回のテーマは──、なんてことも次第に考えなくなっていた。
そこに「うちでやりませんか」という申し出があった。
三年と一ヵ月ぶりに、音を出すことができる。
いま、とてもわくわくしている。
前回の「選曲について」で書いているように、
カザルスのバッハの無伴奏を最後に鳴らす。
最初に鳴らす曲も、すでに決めている。
誰のどの曲なのかは明かさない。
鳴らすスピーカーシステムはメリディアンのアクティヴ型のDSP3200である。
TIDALでMQAを中心に鳴らしていく。
鳴らす場は、野口晴哉記念音楽室となりの和室である。
開始時間は19時。終了時間は22時。
開場は18時から。
野口晴哉記念音楽室の住所は、
東京都狛江市元和泉2-14-3。
最寄り駅は小田急線の狛江駅。
参加費として2500円いただく(ワンドリンク付き)。
1月10日の序夜。
どんな曲をかけるのか。
2016年から2020年までの五年間、
四谷三丁目にあった喫茶茶会記でのaudio wednesdayでの音出しとは、
同じではないことを、昨年末考えていた。
音楽を聴くこと。
それもオーディオを介して聴くという行為は、まず選曲から始まる、といっていい。
ラジオから流れてくる曲をただ何も考えずに聴くのもありなのだが、
オーディオマニアとしてオーディオを介して音楽を聴くということは、
ストリーミングにしても、CDにしてもアナログディスクにしても、
なにをかけるのかを、まず選ぶ必要がある。
音楽を選ぶということが、2023年の世界の状況が影響を与えてきている。
そのことを実感しないで、音楽を選ぶことができるのだろうか──。
そんなことを12月は考えていた。
1985年に、レナード・バーンスタインがイスラエル・フィルハーモニーと来日した。
その公演に私は行っている。
NHKホールに近づくと、いつものクラシックのコンサートとは雰囲気が違っていた。
NHKホールの周りに、抗議団体がいた。
イスラエル・フィルハーモニーに対しての、
つまりはイスラエルに対しての抗議だった。
その時は、なんと無粋な、と思っていたことを白状しよう。
パレスチナのことは、もちろん知識として知ってはいても、
バーンスタインの演奏を楽しみにしていた者としては、
何もこんなところで──、と思ってしまった。
それから四十年近くが経って、もうそんなふうにはおもえなくなってしまっている。
序夜で最後にかけるのは、カザルスのバッハの無伴奏だとすでに決めている。
では最初の曲は、何にするのか。