宿題としての一枚(その14)
(その12)と(その13)で触れた二枚。
キリル・コンドラシンの「シェエラザード」とコリン・デイヴィスのストラヴィンスキー。
どちらもフィリップス・レーベルで、コンセルトヘボウ管弦楽団である。
このころのフィリップスの録音は、瀬川先生が書かれていたように、音が良かった。
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けれど、ここ一〜二年来、その状況が少しばかり変化しかけていた。その原因はレコードの録音の変化である。独グラモフォンの録音が、妙に固いクセのある、レンジの狭い音に堕落しはじめてから、もう数年あまり。ひと頃はグラモフォンばかりがテストレコードだったのに、いつのまにかオランダ・フィリップス盤が主力の座を占めはじめて、最近では、私がテストに使うレコードの大半がフィリップスで占められている。フィリップスの録音が急速に良くなりはじめて、はっきりしてきたことは、周波数レンジおよびダイナミックレンジが素晴らしく拡大されたこと、耳に感じる歪がきわめて少なくなったこと、そしてS/N比の極度の向上、であった。とくにコリン・デイヴィスの「春の祭典」あたりからあとのフィリップス録音。
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ステレオサウンド 56号のトーレンスのリファレンスの紹介記事で、そう書かれていたのを、
また引用しておく。
この文章を読んでからというもの、フィリップスの録音こそ、と思い込もうとしていた。
熊本のオーディオ店にも、もちろんフィリップスのレコードをもってこられていた。
4月3日のaudio wednesdayでは、どちらかをかけるつもりでいる。
宿題としての、私にとって一枚。
それがどう響くのか。
私にとっては宿題としての一枚であっても、
他の人にとっては、そんなことは関係ない。
それでも、聴いた人の裡にどう響くのか。