Date: 3月 31st, 2020
Cate: audio wednesday

第111回audio wednesdayのお知らせ(延期)

明日(4月1日)のaudio wednesdayは、やるつもりでいた。
テーマは「218+α」。楽しみにしている、という人がいたのは知っている。

私自身も、実際の音の変化・違いを聴いてほしい、と思っていたから、
楽しみにしていた。

それに4月1日、五味先生の命日でもある。

来られる人はかなり少ないだろう、
といってもいつも小人数の集まりだから、
そんなふうに思っていたが、今夕のテレビから流れるニュース速報をみて、
それに家族の強い反対で、明日行けなくなりました、という連絡も、
今朝あったから、少し迷っていたが、今回は止めにする。

今回のテーマは、5月6日のaudio wednesdayに延期の予定。
とはいっても、5月がどういう状況になっているのかはなんともいえない。
あくまでも5月に延期の予定ということになる。

Date: 3月 30th, 2020
Cate:

ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その6)

(その3)で《LS5/1Aまでは期待しないものの、LS5/5は復刻されないものか》と書いたところ、
その一年後、イギリスのグラハムオーディオがLS5/5の復刻を発表した。
2019年のことである。

こうなると、LS5/1の復刻を期待したくなる。
まぁ、でも無理だろうな……、と思っていた。

先ほどグラハムオーディオのfacebbokに、
LS5/1用のエンクロージュアが届いた、という写真が公開されていた。

バスレフポートの形状と数は違うが、
ウーファーは15インチ口径を、ストロットを採用している。
トゥイーターは、二つ取り付けられるようになっている。

ユニットの写真は、まだない。
どんなユニットが搭載されるのかを含めて、非常に楽しみである。

Date: 3月 30th, 2020
Cate: Glenn Gould, 録音

録音は未来/recoding = studio product(「コンサートは死んだ」のか・その2)

(その1)へのコメントがfacebookにあった。
録り直しを気が済むまでできる演奏と、
やり直しがきかない演奏とでは、
そこにマイクロフォンがたてられていても違うのではないか……、
という趣旨のことだった。

録音は確かに何度でも録れる。
グレン・グールドは、“non-take-two-ness”(テイク2がない)と言っている。
それにテープ編集での新たな創造についても、具体例を語っている。

録音の歴史をふりかえってみれば、
録音も、そう簡単に何度もやり直せるわけではなかった。

エジソンの時代、
いわゆるダイレクトカッティングで録音れさていた。
ちょっとでもミスがあったら、最初からやり直すしかない。

蝋管の時代から円盤の時代に移行しても、変らない。
ドイツがテープ録音を発明し、
アメリカで第二次大戦以降に実用化されて、録り直しが当り前のとこになってきたし、
テープ編集も生れてきた。

それでも1970年代には、音を追求してのダイレクトカッティングが、
いくつかのレコード会社で行われてきた。

最近では、2014年に、ドイツ・グラモフォンが、
サイモン・ラトル/ベルリン・フィルハーモニーによるブラームス交響曲全集を、
ダイレクトカッティングで録音している。

いまはテープ録音からハードディスクへの記録に変っている。
編集は、テープよりもより簡単に、正確に行える時代になってきているのは確かだ。

だからといって、演奏家はいいかげんな気持で録音に臨んでいるわけではないはずだ。

Date: 3月 29th, 2020
Cate: 電源

モバイルバッテリーという電源(その7)

DC 5Vの出力のモバイルバッテリーが手元に三つあるわけだが、
低電流モードに対応しているのは一つだけだから、そればかり使っている。

残り二つのうち一つは、auの長期利用者ということで、
十年ほど前に貰ったものだ。

もう一つが、低電流モード対応の製品の二日前に買っている。
これを無駄にしておくのはもったいない、と考えていたら、思いついたことがある。

モバイルバッテリーは充電しなければならない。
これまではiPhone用のアダプターを使って充電していた。
つまりAC電源をスイッチング電源でDC 5Vにしての充電である。

バッテリーとは化学反応だ。
充電する電源の質(ノイズの多い少ない)によって、なんらかの影響を受けるのか。

なので試してみた。
低電流モード非対応のバッテリーから低電流モード対応のバッテリーに充電した。
モバイルバッテリーからモバイルバッテリーへの充電である。

非対応のバッテリーのほうが容量が小さいため、
低電流モード対応のバッテリーをフル充電するには、
非対応のバッテリーを、ACアダプターで二回充電しなければならなかった。

それにせっかくだから、低電流モード対応機バッテリーも、
できるかぎり使い切って充電にしたかったので、試すにもけっこうな時間がかかる。

試みようと思って実際に音が聴けるようになるまで、一日半ほどかかった。
そういう事情があってのことだから、
比較試聴というには、あいだが開きすぎている。

厳密な比較試聴とはとうていいえないのだが、
音は変ったように聴こえたのかといえば、けっこう変ったように感じた。

追試をするにも、また時間がかかる。
バッテリーへの充電はバッテリーから、と断言はしないが、
モバイルバッテリーを複数持っている人ならば、試してみてもいいのではないだろうか。

Date: 3月 29th, 2020
Cate: audio wednesday

第111回audio wednesdayのお知らせ(218+α)

2015年4月のaudio wednesdayは1日だった。
2020年4月のaudio wednesdayも1日になる。

いうまでもなく4月1日は、五味先生の命日である。
1980年4月1日に亡くなられている。
まる四十年経つ。

だから、4月1日のaudio wednesdayの最後の曲は、
五味先生にちなんだ選曲にしたい。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

19時開始です。

Date: 3月 28th, 2020
Cate: フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(次なるステップは……・その3)

よくできたフルレンジユニット、
それも小口径のフルレンジユニットで、
ヴォーカルものを鳴らすと、いわゆる口の小さな再生が得られやすい。

ヴォーカルの再生において、その口が小さいことは、
よい音への絶対条件のように、昔からいわれ続けてきている。

カバの口みたいに大きさ──、
こういわれたら、ひどい音ということでもある。

高校生のころ、瀬川先生が鳴らしてくれたKEFの105の音は、
見事に口が小さかった。

女性ヴォーカルを、とにかくいい音で聴きたい──、
ということを瀬川先生にいったところ、
そのオーディオ店にあった105を、手際よく調整され「ここで聴いてごらん」といわれた。

バルバラのレコードだった。
バルバラの口が、左右のスピーカーの中央に、ぴたっと定位していた。
薄気味悪いほどで、唇の動きまでわかる、といいたくなるほどだった。

口の小さな再生は、確かに魅力的である。
この105の話は、これまでも何度か書いてきているが、
あえて書かなかったことがある。

それはバルバラの口が、そこに浮んでいた、ということである。
表現をかえれば、バルバラの肉体は、そこには感じられなかった。

おそろしくリアルな口だけが、何もない空間にあらわれて歌っている。
これは、オーディオ再生のひとつの快感ともいえよう。

このことにあえて触れなかったのは、
オーディオ店での、わずか数分の調整での音であるからだ。

「ヴォーカルの口が大きくなるくらいなら、低音はいらない」、
こう言った人がいる。

その人の気持はわからないわけではない。
それでも、低音がすぱっとあきらめてしまったら、
歌手の肉体は再現され難い。

Date: 3月 27th, 2020
Cate: audio wednesday

第111回audio wednesdayのお知らせ(218+α)

つい先ほど、4月1日のaudio wednesdayで使う部品が届いた。

ルンダールのLL1658である。
Mains Isolation Transformerで、
一次側、二次側ともに230Vと115Vに対応できる。

このLL1658を使って、AC100Vを200Vに昇圧して、
メリディアンの218を動作させようという試みが、
4月1日のaudio wednesdayのメインとなる予定だ。

別項「スイッチング電源のこと」で書いているように、
メリディアンの218のリアパネルには、100-240V ACとある。

自動スイッチング方式のスイッチング電源なだけに、
100Vよりも200Vで動作させた方が、理屈からいっても有利である。

100Vを200Vに昇圧するためのトランスは、数えきれないほどある。
どのトランスを使うのか。

200Vにすることのメリットもあれば、
昇圧トランスを介在させることのデメリットも、当然ある。

いいかげんなトランスを使って200Vを試していい結果が得られなかった──、
なんてことだけは避けたい。

とはいっても、あまりにも高価なトランスを用意しても……、という気持もある。
メリディアンの218と価格的にも大きさ的にもぴったりくるようなトランスを、
今年になって探していた。

いくつか候補はあったが、ルンダールのLL1658に決めた。
ほんとうに届いたばかりで、まだ試していない。

ルンダールのトランスの輸入元は、アムトランスである。
アムトランスのサイトをみても、LL1658はない。
なので、アムトランスに問い合せてみた。
LL1658を輸入してほしい、と。

すぐに返事は来て、手配してもらえることになった。
価格は23,400円(税込み)だった。

一個だけの注文で、輸入品なので、
常にこの価格とは限らないが、大きくは変動しないはずだ。

とにかく、218がどんなふうに変化するのか、楽しみだ。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

19時開始です。

Date: 3月 27th, 2020
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(シルバーのヤマハ C2・その2)

シルバーのヤマハのC2は、どうやら海外輸出用モデルのようだ。
パワーアンプのB2もシルバーモデルがあることが、Googleで検索してくれた人が教えてくれた。

海外向けはシルバー(もしくはブラック)で、
国内向けはブラック(もしくはシルバー)という例は過去にも現在でもある。

けれど吉祥寺のハードオフのサイトで公開されている写真をみると、
国内向けのモデルだということがわかる。

リアパネルは通常のC2同様ブラックで、
おそらく底板もブラックであろう。

ということは、外装だけを海外向けのシルバーに換装したのだろうか。
個人でもやれるだろうが、そういうモデルなのだろうか。

ヤマハが、特別に海外向けモデルの外装を使ったシルバーモデルのような気がしてならない。
もしかするとシルバーモデルも併売するつもりだったのかもしれない。

一台作ってみて、オーディオ評論家のところをまわって、
感想、意見を聞いて、いけるという判断をしたのならば、シルバーモデルが出ていたのかもしれない。

けれど、あまり芳しくなかったのか。
日本向けにはシルバーモデルは販売されなかった。

Date: 3月 26th, 2020
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(シルバーのヤマハ C2・その1)

吉祥寺のハードオフに、いまヤマハのC2がある。
ヤマハのC2は、C2a、C2xと続いたロングセラーモデルであるし、
ベストセラーモデルともいっていいくらい、
昔から中古を扱うオーディオ店でみかける。

C2はあきらかにマークレビンソンのJC2に刺戟を受けている。
それでもJC2がトーンコントロールやフィルターを省略したのに対し、
C2はトーンコントロールを備えているところが、
ヤマハというメーカーの良心のようなものが顕れている、とも思う。

中学生のころ、
マークレビンソンのアンプは遠い憧れのモデルだっただけに、
「いつかはマークレビンソン」の前の段階として、いつかはヤマハのC2というおもいがあった。

ヤマハの、このころのプリメインアンプはシルバーパネルで、
セパレートアンプはブラックパネルだった。

ところが、吉祥寺のハードオフにあるC2はシルバーモデルである。
facebookを見ていて、初めて、こういうモデルが存在していたことを知った。

C2のシルバーモデルが存在していたなんてことは、いままでまったく聞いたことがない。

なにかの記念でつくられたモデルなのだろうか。
この時期のヤマハのセパレートアンプにシルバーモデルがあったということは、
ヤマハのデザインについて書いていく上で無視できない存在となってくる。

Date: 3月 26th, 2020
Cate: フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(次なるステップは……・その3)

日本のオーディオマニアは、低音に臆病な人が少なくない、と書いたけれど、
以前からそうだったわけではないことは、
モノーラルの時代からコンクリートホーンに挑戦する人が、
ラジオ技術や無線と実験に、あたりまえのように登場していた。

それからスピーカー自作のムックにも、
コンクリートホーンの人は登場していた。

コンクリートホーンが、低音再生の理想の方法とは思っていないが、
それでもコンクリートホーンは、低音再生の、一つの行き着いた形態であることは確かだ。

コンクリートホーンをハンマーで敲き毀された五味先生ですら、
コンクリートホーンの低音について、こんなことを書かれている。
     *
 どちらかといえばオルガン曲のレコードを私はあまり好まない。レシ鍵盤の音はうまく鳴ってくれるが、グラントルグ鍵盤のあの低域の音量を再生するには、それこそコンクリート・ホーンを俟たねばならずコンクリート・ホーンに今や私は憤りをおぼえる人間だからである。自分でコンクリート・ホーンを造った上で怒るのである。オルガンは、ついにコンクリート・ホーンのよさにかなわない、というそのことに。
 とはいえ、これは事実なので、コンクリート・ホーンから響いてくるオルガンのたっぷりした、風の吹きぬけるような抵抗感や共振のまったくない、澄みとおった音色は、こたえられんものである。私の聴いていたのは無論モノーラル時代だが、ヘンデルのオルガン協奏曲全集をくり返し聴き、伸びやかなその低音にうっとりする快感は格別なものだった。
     *
いまの若い世代の人に、コンクリートホーンといっても、どれだけ伝わるのだろうか。
いまコンクリートホーンに挑戦する人は、どれだけいるのだろうか。

もう二十年ほど前になるが、輸入住宅メーカー、スウェーデンハウスのショールームに、
コンクリートホーンの写真が飾られていたことがある。

コンクリートホーンに憧れ、果敢に挑戦する人たちがいた。
いまもきっといるはずだし、
日本のオーディオマニアの多くが、低音に臆病なわけではない。

なのに、いつのころからか、低音に臆病になってきた人たちが増えてきたのだろうか。

Date: 3月 25th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(老害、独断と分断・その3)

にも関らず、私のこのツイートに反論めいたことを返信してきた人は、
そういう私の意図とはまったく違うように読んでしまっている。

そして、老害が、そこにはある、といわんばかりでもあった。

老害が、オーディオの世界にない、とはいわないが、
ほんとうに若い世代の人たちがいうところの老害とは、
いったいどういうことなのだろうか、という疑問も同時にわく。

私のツイートに反論めいたことをしてきた人の考える老害とは、
その人が勝手につくり出していることの可能性だって考えられる。

つまりその人の独断がつくり出している、ともいえるのではないか。
そして独断は老害をつくり出すだけでなく、上の世代との分断をもつくり出してしまうのではないのか。

さらにいえば、そんな人たちが年寄りになったときにこそ、
老害になってしまうのではないのか。

老害だ、老害だ、と批判している人のどれだけが、
ずっと上の世代と会話をしているのか。

Date: 3月 25th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(老害、独断と分断・その2)

《年寄りの話をきちんと聞けない、年寄りと会話できない人はオーディオに向いてない、と断言できる。》
そうツイートしただけで、
どこにも年寄りの話をありがたがれ、とか、
若者の意見に耳を貸すな、とは書いていないし、そういう意図はまったくない。

私の、このツイートに反論めいた返信をしてきた人は、
おそらく年寄りの方ときちんと会話したことがないのだと思う。

話したことはある、といわれるかもしれないが、
それは、ただ単に聞き流していただけではないのか。

早く終らないかなぁ……、そんなことも思って聞き流していただけで、
きちんと会話しよう、きちんと話を聞こうということをしたことがないのだろう。

ウォーミングアップというのは、どんなことにでもある。
話す、ということに関してもそうである。

特に高齢になってくるほど、話すということにおけるウォーミングアップは必要となってくる。
すべての高齢の方がそうなのだ、というつもりはないが、
私が接してきた人は、話し始めはゆっくりと、すこしたどたどしいと感じられたりするが、
しばらく話し続けているとウォーミングアップが終ったかのように、
話が淀みなく続いていく。

高齢の方のウォーミングアップにつきあえない人は、
最初の数分、もしくは十分(それ以上の場合もある)くらいで、
聴き手であることを放棄してしまうのではないのか。

ウォーミングアップとも関係してくることなのだが、
聴き手のペースで話をしてくれるわけでもない。

それから、同じ話が何度も出てくる、ということもある。
同じ人から何度も話をきいていくと、
それは以前きいた、ということがけっこさうある。

それでも続けてきいていけば、
前回とは違う話の展開になってきたりするのだから、
また同じ話か……、と思うことはそれほどない。

同世代の、似たような人たちとばかり会話している人は、
つきあってられないや、と思ってしまうだろう。
そういう意味あいをふくめて、
《年寄りの話をきちんと聞けない、年寄りと会話できない人はオーディオに向いてない、と断言できる。》
とツイートしたのである。

Date: 3月 25th, 2020
Cate: オーディオ評論, ジャーナリズム

青雲の志

あまり目にすることも耳にすることもなくなってきている「青雲の志」。

オーディオ評論家(職能家)とオーディオ評論家(商売屋)をわけるのは、
青雲の志をもっているかどうかだろうし、
オーディオ評論家(商売屋)にしかみえない人も、
以前は青雲の志をもっていたのかもしれない。

Date: 3月 25th, 2020
Cate: フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(次なるステップは……・その2)

このあいだの日曜日、写真家の野上眞宏さんの写真展「ON THE ROAD」に行ってきた。
ギャラリーに着いたとき、入口のところに男性二人が雑談をしていた。

スピーカーについてのことだった。
「ON THE ROAD」には、野上さんのシステムが持ち込まれていた。
SICAのフルレンジユニットの自作スピーカー、メリディアンの218などである。

雑談の二人は、フルレンジユニットの次のステップについて話していた。
「トゥイーターをつけるのはいいけれどね……」
「そうそう、ウーファーをつけたら泥沼だよね」
「ほんとそうだね」

そんな会話だった。

この人たちのオーディオのキャリアがどのくらいなのかは知らない。
でも、そんなことは関係なく、
日本では低音に関して、こういう認識の人たちが、やはりいるということを再確認できた。

ずっと以前から「質の悪い低音ならないほうがいい」とか
「低音を出して苦労するよりも……」とかいう人はいたし、知っている。

日本ではスーパーウーファーがあまり売れない、と聞いている。
スーパートゥイーターはそこそこ売れるのに、
オーディオの醍醐味といえる低音再生のためのスーパーウーファーは芳しくないようで、
あるオーディオ店ではスーパーウーファーの買い取りは行っていない、らしい。

なぜか日本のオーディオマニアは、低音再生に臆病なところがあるようだ。
もちろん日本のオーディオマニアのすべてがそうなのではないことはわかっているが、
それにしても……、といいたくなるのは、
低音に臆病な人が少なくないからだ。

ちなみに野上さんは自宅ではエンテックのウーファーを使われている。

Date: 3月 24th, 2020
Cate: 使いこなし

喫茶茶会記のスピーカーのこと(その20)

3月のaudio wednesdayでいっしょに聴いていたHさんも、
この日のカラスの「カルメン」の鳴り方はよかった、と感じられていたようだった。

Hさんは、ULTRA DACでのマリア・カラスも聴かれている。

まだまだだ、と思うところはけっこうある。
それでもULTRA DACと218の価格、
2,500,000円と125,000円、
ULTRA DACは218の二十台分である。

これだけの違いがあるのだから、
ULTRA DACでは通常のCD、218ではMQA Studioというハンディキャップをつけている。

それでも……、というところがあるのも事実だ。
けれど、別の意味で、それでも! といいたくなる音が、この日は聴けた。

218といっても、手を加えた218なのだから、
その自慢をしたいのではなく、ここでいいたいのは、
何もしないで、ただひたすら鳴らして聴くことの重要さである。

ひどい音が鳴ってきたからといって、
それをその場しのぎでごまかすようなことをしていたら、
もしくは、そのひどい音でなんとか聴けるようなソースばかりを鳴らしていたら、
この日のように、短時間での大きな変化は無理であろう。

とはいっても、いいかげんなセッティングではダメである。
きちんとしたセッティングがなされていれば、
鳴らすことの大切さがわかるはずである。

何かをすることだけが使いこなしではない。