シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(次なるステップは……・その3)
よくできたフルレンジユニット、
それも小口径のフルレンジユニットで、
ヴォーカルものを鳴らすと、いわゆる口の小さな再生が得られやすい。
ヴォーカルの再生において、その口が小さいことは、
よい音への絶対条件のように、昔からいわれ続けてきている。
カバの口みたいに大きさ──、
こういわれたら、ひどい音ということでもある。
高校生のころ、瀬川先生が鳴らしてくれたKEFの105の音は、
見事に口が小さかった。
女性ヴォーカルを、とにかくいい音で聴きたい──、
ということを瀬川先生にいったところ、
そのオーディオ店にあった105を、手際よく調整され「ここで聴いてごらん」といわれた。
バルバラのレコードだった。
バルバラの口が、左右のスピーカーの中央に、ぴたっと定位していた。
薄気味悪いほどで、唇の動きまでわかる、といいたくなるほどだった。
口の小さな再生は、確かに魅力的である。
この105の話は、これまでも何度か書いてきているが、
あえて書かなかったことがある。
それはバルバラの口が、そこに浮んでいた、ということである。
表現をかえれば、バルバラの肉体は、そこには感じられなかった。
おそろしくリアルな口だけが、何もない空間にあらわれて歌っている。
これは、オーディオ再生のひとつの快感ともいえよう。
このことにあえて触れなかったのは、
オーディオ店での、わずか数分の調整での音であるからだ。
「ヴォーカルの口が大きくなるくらいなら、低音はいらない」、
こう言った人がいる。
その人の気持はわからないわけではない。
それでも、低音がすぱっとあきらめてしまったら、
歌手の肉体は再現され難い。