シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(次なるステップは……・その3)
日本のオーディオマニアは、低音に臆病な人が少なくない、と書いたけれど、
以前からそうだったわけではないことは、
モノーラルの時代からコンクリートホーンに挑戦する人が、
ラジオ技術や無線と実験に、あたりまえのように登場していた。
それからスピーカー自作のムックにも、
コンクリートホーンの人は登場していた。
コンクリートホーンが、低音再生の理想の方法とは思っていないが、
それでもコンクリートホーンは、低音再生の、一つの行き着いた形態であることは確かだ。
コンクリートホーンをハンマーで敲き毀された五味先生ですら、
コンクリートホーンの低音について、こんなことを書かれている。
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どちらかといえばオルガン曲のレコードを私はあまり好まない。レシ鍵盤の音はうまく鳴ってくれるが、グラントルグ鍵盤のあの低域の音量を再生するには、それこそコンクリート・ホーンを俟たねばならずコンクリート・ホーンに今や私は憤りをおぼえる人間だからである。自分でコンクリート・ホーンを造った上で怒るのである。オルガンは、ついにコンクリート・ホーンのよさにかなわない、というそのことに。
とはいえ、これは事実なので、コンクリート・ホーンから響いてくるオルガンのたっぷりした、風の吹きぬけるような抵抗感や共振のまったくない、澄みとおった音色は、こたえられんものである。私の聴いていたのは無論モノーラル時代だが、ヘンデルのオルガン協奏曲全集をくり返し聴き、伸びやかなその低音にうっとりする快感は格別なものだった。
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いまの若い世代の人に、コンクリートホーンといっても、どれだけ伝わるのだろうか。
いまコンクリートホーンに挑戦する人は、どれだけいるのだろうか。
もう二十年ほど前になるが、輸入住宅メーカー、スウェーデンハウスのショールームに、
コンクリートホーンの写真が飾られていたことがある。
コンクリートホーンに憧れ、果敢に挑戦する人たちがいた。
いまもきっといるはずだし、
日本のオーディオマニアの多くが、低音に臆病なわけではない。
なのに、いつのころからか、低音に臆病になってきた人たちが増えてきたのだろうか。