録音は未来/recoding = studio product(「コンサートは死んだ」のか・その2)
(その1)へのコメントがfacebookにあった。
録り直しを気が済むまでできる演奏と、
やり直しがきかない演奏とでは、
そこにマイクロフォンがたてられていても違うのではないか……、
という趣旨のことだった。
録音は確かに何度でも録れる。
グレン・グールドは、“non-take-two-ness”(テイク2がない)と言っている。
それにテープ編集での新たな創造についても、具体例を語っている。
録音の歴史をふりかえってみれば、
録音も、そう簡単に何度もやり直せるわけではなかった。
エジソンの時代、
いわゆるダイレクトカッティングで録音れさていた。
ちょっとでもミスがあったら、最初からやり直すしかない。
蝋管の時代から円盤の時代に移行しても、変らない。
ドイツがテープ録音を発明し、
アメリカで第二次大戦以降に実用化されて、録り直しが当り前のとこになってきたし、
テープ編集も生れてきた。
それでも1970年代には、音を追求してのダイレクトカッティングが、
いくつかのレコード会社で行われてきた。
最近では、2014年に、ドイツ・グラモフォンが、
サイモン・ラトル/ベルリン・フィルハーモニーによるブラームス交響曲全集を、
ダイレクトカッティングで録音している。
いまはテープ録音からハードディスクへの記録に変っている。
編集は、テープよりもより簡単に、正確に行える時代になってきているのは確かだ。
だからといって、演奏家はいいかげんな気持で録音に臨んでいるわけではないはずだ。