世代とオーディオ(老害、独断と分断・その2)
《年寄りの話をきちんと聞けない、年寄りと会話できない人はオーディオに向いてない、と断言できる。》
そうツイートしただけで、
どこにも年寄りの話をありがたがれ、とか、
若者の意見に耳を貸すな、とは書いていないし、そういう意図はまったくない。
私の、このツイートに反論めいた返信をしてきた人は、
おそらく年寄りの方ときちんと会話したことがないのだと思う。
話したことはある、といわれるかもしれないが、
それは、ただ単に聞き流していただけではないのか。
早く終らないかなぁ……、そんなことも思って聞き流していただけで、
きちんと会話しよう、きちんと話を聞こうということをしたことがないのだろう。
ウォーミングアップというのは、どんなことにでもある。
話す、ということに関してもそうである。
特に高齢になってくるほど、話すということにおけるウォーミングアップは必要となってくる。
すべての高齢の方がそうなのだ、というつもりはないが、
私が接してきた人は、話し始めはゆっくりと、すこしたどたどしいと感じられたりするが、
しばらく話し続けているとウォーミングアップが終ったかのように、
話が淀みなく続いていく。
高齢の方のウォーミングアップにつきあえない人は、
最初の数分、もしくは十分(それ以上の場合もある)くらいで、
聴き手であることを放棄してしまうのではないのか。
ウォーミングアップとも関係してくることなのだが、
聴き手のペースで話をしてくれるわけでもない。
それから、同じ話が何度も出てくる、ということもある。
同じ人から何度も話をきいていくと、
それは以前きいた、ということがけっこさうある。
それでも続けてきいていけば、
前回とは違う話の展開になってきたりするのだから、
また同じ話か……、と思うことはそれほどない。
同世代の、似たような人たちとばかり会話している人は、
つきあってられないや、と思ってしまうだろう。
そういう意味あいをふくめて、
《年寄りの話をきちんと聞けない、年寄りと会話できない人はオーディオに向いてない、と断言できる。》
とツイートしたのである。