Date: 4月 13th, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その10)

6月のOTOTENの中止が発表になった。
中止になる可能性は高くなりつつあると思っていたから、特に驚きはない。

それでも先は見通せない状況だから、
11月のインターナショナルオーディオショウは大丈夫、と安心はできない。

OTOTENの前身であるオーディオフェアは、一度だけ公開中止になったことがある。
1979年10月19日、この日東京に台風20号が来襲。
14時に公開中止が決定になった、そうだ。

当時は晴海の見本市会場だったが、
窓ガラスが割れ、電燈が落ちる事故が続発し、主催者側に二人のけが人が出ている。

来場者の避難も大変だったそうだ。
いまのOTOTENとは違い、当時のオーディオフェアには多くの人が訪れていた。
1979年は、10月17日から24日までの開催(一般公開は19日から)。

オーディオ協会発表によれば、
17日:10,900人
18日:11,200人
19日:9,200人
20日:49,300人
21日:71,400人
22日:31,900人
23日:34,800人
24日:32,400人

一週間の期間中で251,100人である。
台風の日の19日でも一万人ちかい。

当時の規模の大きさがわかる。

オーディオは、いわゆる生活必需品ではない。
だからブームが去れば……、という見方もできなくはないが、
こういう状況下において、オーディオは好適な趣味でもある。

けれど、オーディオ業界は苦しい、ともきいている。
ウワサなのだが、オーディオ販売店がかなり厳しい、らしい。

Date: 4月 12th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・番外)

二十年前のいまごろも、いまと同じだった。
部屋にひきこもっていた。

誰とも会わない日が続いていたし、
誰とも話さない日も続いていた。

なにをやっていたかというと、1999年末に仕事をやめて、
それからずっとaudio sharingにとりかかっていた。

はじめてつくるウェブサイト。
そのためにはじめて使うアプリケーション。

最初はアドビのGoLiveを使っていた。
けれど、こんなふうにしたい、と思うことが、どうやってもできなかった。
ヴァージョンアップされた。期待した。
けれど、やはりダメだった。

どうやったら、できるのか。
いろんな本を買っては読んでいたけれど、どうも無理なようだ。

ちょうど3月ごろ、マクロメディアのDreamweaverとFireworksが、
バンドル版として、かなり安価で発売になった。

なれないウェブサイトづくり。
ここで、またアプリケーションを変えて、どうにかなるのか。
よけいに大変になるんじゃないか、と思いつつも、試しに、と買ってみた。

そんなことをやっていた時期だから、こもりっきりだった。
今年の8月で、audio sharingを公開して二十年になる。

audio sharingもハタチか、ということは、
それだけ私も同じだけ歳をとっている。

Date: 4月 12th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その15)

惚れた、でも、惚れ込んだ、でもない。
惚れ抜くことができた──。

自信をもって、そんなふうにいえるだろうか……、
と最近考える。

Date: 4月 12th, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、否定する人のこと(その2)

MQAには、いくつかの特長がある。
その一つが、ファイルサイズが小さい、ということである。

MQAを否定する人のなかには、ファイルサイズが小さいことは、
メリットでもなんでもない、と主張する人がいる。

インターネットは高速化されていくし、5Gも始まっている。
そういう時代にあって、ファイルサイズの小ささは……、ということである。

こんなことをいっていた人は、いまどう思っているのだろうか。
いま明らかにインターネットの速度は遅くなっている。

私のところでも、先月までといまとでは十分の一から二十分の一ぐらいにまで速度が低下している。
新型コロナのせいで、多くの人が自宅にいてインターネットに接続しているからであろう。

国によっては、YouTubeやNetflixの画質を、意図的に落している、というニュースもあったぐらいだ。
インターネットのインフラは整備されているし、
高速化されているとしても、すべての人が制限なしに使ったら、速度の低下を招くことになる。

そんなのは一時的なことであって、コロナ禍がおさまれば元に戻る、
結局、MQAのファイルサイズの小さいことによるメリットは、その程度である──、
MQAを否定する人はそういいそうだが、ほんとうにそうだろうか。

Date: 4月 11th, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、MQA-CDのこと(その9)

ジョニ・ミッチェルの「BLUE」のような例は他にもある。
クイーンがそうだ。

クイーンの「Greatest Hits」
私がもっているクイーンはこれだけである。

e-onkyoからダウンロードした。
96kHz、24ビットのMQAである。

MQA-CDも出ている。
こちらは持っていないが、確か88.2kHzのはずだ。

MQA-CDは、CDのサンプリング周波数の44.1kHzの整数倍になっている。
容量の関係で、192kHzを176.4kHzにコンバートしているわけではない。

ユニバーサルミュージックから出ているMQA-CDは、
多くが352.8kHzであることからもわかる。

e-onkyoから購入できるクイーンのアルバムは、96kHzであり、
アナログマスターからのリマスタリングも96kHzで行われている。

となると、クイーンに関しても、
ジョニ・ミッチェルの「BLUE」のように、
同条件で比較試聴すれば、96kHzのほうがいいということになろう。

こんなことを書いていると、MQA-CDの存在意義は? と疑問に思われる人もいよう。
ここがややこしいというか、ごちゃまぜというか、
必ずしもMQA-CDのほうがサンプリング周波数が低いわけではない。

フルトヴェングラーのバイロイトの「第九」。
e-onkyoでダウンロードできるのは、96kHz、24ビットである。
MQA-CDは、176.4kHzである。

ジャクリーヌ・デュ=プレのエルガーのチェロ協奏曲だともっと顕著で、
e-onkyoでは、44.1kHzである。

Date: 4月 11th, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、MQA-CDのこと(その8)

ジョニ・ミッチェルの「BLUE」
MQA-CDで出ている。

176.4kHzの24ビットである。
この「BLUE」は、マスターテープ(アナログ)を192kHz、24ビットに変換したものを、
さらに176.4kHzにコンバートしている。

e-onkyoにも、ジョニ・ミッチェルの「BLUE」はある。
こちらは192kHzである。

ということは、176.4kHzのMQA-CDの「BLUE」をリッピングして、
同条件で比較試聴すれば、おそらくe-onkyoの192kHzの方が音がいいはずだ。

「BLUE」は買っている。
e-onkyoのは、まだ買っていない。

買うことになりそうだ。

Date: 4月 11th, 2020
Cate: 五味康祐

続・無題(その12)

「西方の音」と「天の聲」。
これまでは、そのままの意味で受け止めていた。

けれど、ここにきて、
五味先生は、「西方の音」へと向っての旅をされていたように感じてきた。
そして「天の聲」へと向っての旅である。

Date: 4月 11th, 2020
Cate: ディスク/ブック

THE DREAMING(青春の一枚・その2)

人と会って話すのも好きだけれど、
人と会わずに独りきりでいるのも、また好きであるから、
誰とも会わず誰とも話さずに一日を過ごしていても、まったく苦にならない。

時間だけはあるから、ケイト・ブッシュを、ずっと聴いていた。
MQAで聴いていた。

すべてiPhoneに入れてある。
メリディアンの218に接いで、
一枚目の“THE KICK INSIDE”から順に聴いていた。

高校生のころ、FMから流れてきたケイト・ブッシュの“THE KICK INSIDE”に、
背筋に、文字通り電気が走ったような衝撃は、もうない。
もう四十年経っているのだから。

二枚目、三枚目と続けて聴いていく。
四枚目の“THE DREAMING”を聴く。

やっぱり、“THE DREAMING”は私にとって青春の一枚だ、と実感する。

“THE DREAMING”を、最初に聴いた時は、困惑した。
どう受け止めていいのか、わからなかった。
それでも何度も聴いた。

とまどいは減っていく。
少しずつ見えてきた(聴こえてきた)ように感じ始めた。

そういう“THE DREAMING”だから、“THE KICK INSIDE”とは第一印象からして違う。
違うからこそ、いま「青春の一枚」と感じているのかもしれない。

Date: 4月 11th, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その9)

その8)は、3月23日に書いている。
状況は悪くなっている。
もっと悪くなりそうな気さえする。

そうなると、6月のOTOTENの開催が心配になってくる。
今年は中止という可能性は強まってきている、といえる。

そうなると秋のインターナショナルオーディオショウも、どうなるのかわからなくなる。
新型コロナが、あと一ヵ月程度で収束に向っていったとしても、
その余波はしばらく残っていくだろうし、来年のいまごろは、
ふたたびコロナ禍にみまわれているかもしれない。

インフルエンザのように、
今年のウイルスは○○A型とか、○○B型とかいってそうな気もしなくはない。

とにかくオーディオ業界に与える影響は、小さくないとは誰もが思っていることだろう。
影響とは悪いことだけをいいたいのではない。

いい影響も悪い影響も、どちらもあることだろう。
私がいい影響として、一つ期待しているのは、
非常に高額なオーディオ機器が減ってくれる(無くなってくれる)ことである。

のど元過ぎれば熱さ忘れるではないが、収束してしまったとたんに、
ころっとすべて忘れてしまう人もいるけれど、そうでない人もまたいる。

オーディオに対する考え、取り組みも、
がらっと変るのではなく、静かに変っていくのではないのか。

Date: 4月 10th, 2020
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(購入後という視点・その14)

「てばなす」ということ──、
瀬川先生の場合はどうだったのか、とどうしても考えてしまう。

瀬川先生もいくつかのオーディオ機器をてばなされている。
EMTの927Dst、930st、
マランツのModel 7、JBLのSG520などである。

そのへんの事情もきいて知っている。
手放されたのか、手離されたのか。

でも、ここで考えたいのは、それらのオーディオ機器のことではない。
グッドマンのAXIOM 80のことである。

AXIOM 80を、瀬川先生は手放されていない。
きくところによると八本、ずっと所有されていた。
しかもそのうちの四本(と記憶している)は、初期の木箱入りのAXIOM 80である。

瀬川先生は、AXIOM 80をいつの日か鳴らしたい、と思われていたのか。
ステレオサウンド 創刊号に、
《そして現在、わたしのAXIOM80はもとの段ボール箱にしまい込まれ、しばらく陽の目をみていない。けれどこのスピーカーこそわたしが最も惚れた、いや、いまでも惚れ続けたスピーカーのひとつである。いま身辺に余裕ができたら、もう一度、エンクロージュアとアンプにモノーラル時代の体験を生かして、再びあの頃の音を再現したいと考えてもいる》
と書かれていた。

おそらく、それはずっと変らぬままだったはずだ。

だから、考える。
瀬川先生にとって、AXIOM 80は物理的に手放されていたわけではない。
けれど、その音は手離されてきたのか……、と。

Date: 4月 10th, 2020
Cate: ディスク/ブック

Walls

バーブラ・ストライサンドの「Walls」。
2018年12月に出ている。

発売から数ヵ月してから買った。
この一年、何度か聴いてきている。
audio wednesdayでもかけている。

今日、ひさしぶりに聴いた。
初めて聴いた時よりも、
audio wednesdayでかけた時よりも、
ずっとずっと美しくきこえてきた。

他に表現の語意を持たないのかといわれようと、
美しいものは、美しいとしかいいようがない。

タイトル曲の「Walls」は、四曲目である。
三曲目は「Imagine / What a Wonderful World」である。

続けて聴くからこそ、さらに美しく感じる。

Date: 4月 10th, 2020
Cate: 「オーディオ」考

「音は人なり」を、いまいちど考える(その19)

「音は人なり」の容赦なさに耐えられなければならない──、
私はそう思っている。

容赦なさに耐える、ということは、じっとがまんすることではない。
しっかりと自己分析する、ということである。

Date: 4月 10th, 2020
Cate: ディスク/ブック

CALLAS IN CONCERT THE HOLOGRAM TOUR(その4)

5月16日、17日に行われる予定だった“CALLAS IN CONCERT THE HOLOGRAM TOUR”。
中止もしくは延期になりそうだなと危惧していたら、中止が正式に発表になった。

延期ではなく中止である。
マリア・カラスのホログラムが歌うところをみたかったが、
おそらく日本では行われないのだろう。

コンサートは死んでいくのか。

Date: 4月 9th, 2020
Cate: High Resolution,

MQAで聴けるエリザベート・シュヴァルツコップ(その2)

MQAで配信されたのが、2019年10月。
今日まで、そうたびたび聴いてきたわけではなかった。
大事な愛聴盤なのだから、むしろそういうものだろう。

MQAで聴くシュヴァルツコップの、
Strauss: Seven Songs – Mozart: Concert Arias”の一曲目、
モーツァルトの“Ch’io mi scordi di te?… Non temer, amato bene, K. 505”は、
美しい、というほかない。

シュヴァルツコップのK.505にであったときのことは、
1997年のサウンドステージに書いている。
純粋性ということを、シュヴァルツコップのK.505を聴いた後では考えてしまう。

私にとって、そういう存在だからなのか、MQAで聴いて満足しながらも、
もっともっと美しく鳴るはずだ、というおもいがつきまとう。

いわば欲だ。
美しい、といっておきながら、
純粋性などといっておきながら、
もっともっと、と求める欲があるわけだ。

ほんとうにシュヴァルツコップによるK.505の美しさを理解しているのか──、
そんなことも頭に浮かぶ。

ルンダールの絶縁トランスLL1658で200Vに昇圧してのメリディアンの218で聴いた。
求めていた音は、これだ! とそう素直におもえる音で鳴ってくれたからこそ、
こんなことを考えてしまう。

Date: 4月 8th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(ケンウッド TS990・その3)

アマチュア無線の世界に踏み入ろうとする手前で興味を失ってしまった私は、
アマチュア無線機のその後について、まったく知らない。

アマチュア無線機の世界において、ケンウッドがどういうポジションにいるのかすら知らない。

(その1)にコメントがfacebookであった。
F1のマクラーレンのチームは、ケンウッドの無線システムをずっと使っている、とのこと。
その記事へのリンクもあった。

ケンウッドの無線の技術は本物といっていいのだろう。
TS990は、暗にそう語っているようにも見える。

TS990は、オーディオ機器でいえば、
ヤマハのコントロールアンプ CI、もしくはテクニクスのコントロールアンプ SU-A2、
相当するように、まず感じた。

無線機だから、チューナーを思い浮べるよりも、
この二つのコントロールアンプのことが浮んだ。

オーディオのケンウッド・ブランドを代表するといえるチューナーのL02Tでもなく、
チューナーの最高峰といわれていたセクエラのModel 1、
マランツの Model 10Bでもなく、
ヤマハのCIとテクニクスのSU-A2であり、どちらかといえばSU-A2的である。

ST990の機能のすべてを理解しているわけではない。
アマチュア無線機にまったくうとい私には、
なぜ、これだけのファンクションが必要なのかもわかっていない。

それでも、それらが飾りではないことは察しがつく。
TS990は堂々としている。

ケンウッド・ブランドは健在だと主張している。
L01A、L01T、L02A、L02Tにわくわくしていたころを思い出すだけでなく、
TS990をつくれる会社なのだから、という期待もわいてくる。