抽象×抽象=(その5)
福岡伸一氏が「動的平衡」について語られているのを読んでから、十五年が経った。
別項では、「ベートーヴェン(動的平衡)」というタイトルをつけている。
この項のタイトル、抽象×抽象=。
イコールの後にくるのは、何か。
動的平衡もくる。
確かにくると思いつつも、
抽象×抽象=ならば平衡よりも均衡かもしれない。
動的均衡か。
福岡伸一氏が「動的平衡」について語られているのを読んでから、十五年が経った。
別項では、「ベートーヴェン(動的平衡)」というタイトルをつけている。
この項のタイトル、抽象×抽象=。
イコールの後にくるのは、何か。
動的平衡もくる。
確かにくると思いつつも、
抽象×抽象=ならば平衡よりも均衡かもしれない。
動的均衡か。
数日前、ヤフオク!で落札した。
今年になってLPは数枚落札していたけれど、オーディオ機器の落札は、これが初めて。
落札したのは、EMTのトーンアーム、929だ。
930st、928、950に搭載されているモデル。
いまさら、なぜ929? と思われるだろう。
929を取り付けるプレーヤーを、いまは持っているわけではない。
私が使うためではなく、あるところの930stのための落札だ。
写真で見ても状態は良さそうだった。必要なパーツの欠品も特にない。
高くなりそうかな、と思っていたけれど、予想していた落札価格よりも低かった。
その929が今日届いた。
アームパイプの仕上げも昔のまま。状態はいい。
いい買い物をした、と実感がわく。
アナログプレーヤー関係のモノは、時には意外なほど高値がつく。
それだけ出しても欲しい人がいるからなのだろうが、
それでも……、とおもうところは、やはり残る。
今年になって私のところにやって来たトーンアームは、929が最初ではなく、
SMEの3012 S/IIがやって来た。
こちらはいくつか欠品のパーツがあるから、ebayで揃えていく。
といっても、パーツが揃って整備しても、使う予定はない。
それでも、いま手元に二本のトーンアームがある。
929は近日中に、行くべきところに行ってしまうけど、
こうやって二本のトーンアームを眺めているだけで、オーディオっていいな、と思える。
2月のaudio wednesdayから続けてフランコ・セルブリンのKtêmaを鳴らしている。
5月7日も、Ktêmaを鳴らす。
今回は来られた方のリクエストに応える予定でいる。
今回もアキュフェーズのDP100とメリディアンのUltra DACの組合せを使う。
CD、MQA-CDのリクエストとなる。
SACDは、この組合せでは再生できないので応じられない。
前回、前々回はMQA-CDに限っての再生だった。
MQAの再生においてUltra DACは真価を発揮するではない。
通常のCDにおいても、Ultra DACならではのフィルターを操作することで、発揮される。
以前、別項で触れているので詳しいことは省くが、
三つのフィルターから最適なポジションにすることは、
それを面倒と感じるかもしれないが、実際の音の変化を聴けば、そうは思わなくなる。
なので今回は、リクエストされた方の判断でフィルターを選んでもらう。
三つのフィルターで、曲の冒頭を一分間ほど聴いてもらった上で、
どのポジションにするかを決めてもらい、一曲聴いてもらう。
人によって、どのフィルターを選ぶかは違ってくるかもしれないが、
そういうところを含めて、今回は楽しんでもらいたい。
今年のOTOTENにも、
ジャーマン・フィジックスの輸入元のタクトシュトックが出展しないようだ。
去年のOTOTENにも、タクトシュトックの名はなかった。
その代わりなのか、6月に開催された京都オーディオフェスティバルには出展していた。
今年もそうなのか、と思ったら、やっぱりそうだった。
いまのところ、タクトシュトックは、東京で開催されるOTOTENにも、インターナショナルオーディオショウにも出展しないようだ。
そして6月開催の京都オーディオフェスティバルには出展する。
オーディオ雑誌に登場するオーディオ評論家。
瀬川冬樹、岩崎千明、
この二人よりも、今時の評論家はずっと長くオーディオ評論家として、書いてきている。
けれど、そんな彼らがどんな音楽が好きなのか、
演奏家は誰が好きなのかが、なかなか見えてこない。
あの頃の好きと、今時の好きとでは、温度が違うのか。
ステレオサウンド 130号、勝見洋一氏の連載「硝子の視た音」の最後に、こうある。
*
そしてフェリーニ氏は最後に言った。
「記憶のような物語、記憶のような光景、記憶のような音しか映画は必要としていないんだよ。本当だぜ、信じろよ」
*
これまでに三度引用している。
また引用したのは、心に近い音、耳に近い音についてこれまで書いてきているが、
このフェリーニのことばも、心に近い音をあらわしていると思ったからだ。
耳に近い音は、記録のような音、
心に近い音は、記憶のような音。
音も音楽も所有できないからこそ、オーディオは素晴らしい、と、
以前よりも強くそう思うようになってきたのは、残り時間が少なくなってきたからなのだろうか。
私が死んだら、所有しているディスクやダウンロードした音源、オーディオ機器は残る。
それは所有できたものが残るだけのことであって、
私が追い求めてきた音、音楽は残らないからだ。
私とともに、それらは消失する。痕跡は微かに、短い期間は残るかもしれないが、
その僅かさえ、いつかは消えてしまう。
だから、素晴らしい。
自作スピーカーのトゥイーターを別のモノに交換したり、
既製品のスピーカーシステムにスーパートゥイーターを足さなくても、
同じ音の変化、つまり高音域が変ると、低音域の鳴り方も変ってくるを体験できる。
グラフィックイコライザーを積極的に使っている人ならば、確かにそうだ、と頷かれるだろう。
グラフィックイコライザーの使い始めの頃は、
操作している周波数あたりの音の変化に意識が集中しがちになるだろうが、
使いこなしていくうちに、そしてグラフィックイコライザーによる補整がうまくいくにつれて、
高い周波数をいじることで、低音域の鳴り方が変化していることに気がつくようになる。
こういうことを書いていると、
CDプレーヤーとパワーアンプ直結の音が冴えなかったのは、
マッキントッシュのMC2500のレベルコントロールに使われているポテンショメータのクォリティが良くなかったからだろう──、
そういうことを思う人、言う人もいる。
例えばMC2500の部品として、スペクトロールやP&Gのポテンショメータが使われていたら、
そんな結果にはならなかったはず、とまで言う人がいてもおかしくない。
それらのポテンショメータが使われていたとしても、
多少は音の変化はあったとしても、
大きな結果としては、やはり変らなかったと考えている。
パッシヴ型フェーダーを介した時はMC2500のレベルコントロールは、
時計方向いっぱいにしている。つまり減衰量は0の位置である。
CDプレーヤーと直結にすれば、このレベルコントロールのツマミを操作するわけで、減衰量はある一定量ある。
この場合、何が違うのか。
ポテンショメータを介していることには変りはない。
レベルコントロールのツマミを反時計方向に回すということは、
信号経路に直列に抵抗が入ることになる。
ポテンショメータは、その抵抗体が分割されることで、信号を減衰させる。
つまり信号経路に直列に入る抵抗分をR1、並列に入る抵抗分をR2とすると、
この二つの抵抗分、R1とR2の比で、減衰量が決まる。
つまりポテンショメータのR2を通じて、信号の一部、
絞り切ってしまえば、信号のすべてが信号源に還っていく。
残りがパワーアンプへと渡って行く。
このR2を通じて信号源に還って行く信号の経路が、どこに位置するのかによって、
その長さが大きく変化する。
パワーアンプの中には入力レベルを可変できるモノがある。
ポテンショメータで可変するもの、切り替えスイッチによるモノなどがある。
パッシヴ型フェーダーの接続による音の違いを確認していた時に使っていたのは、マッキントッシュのMC2500だった。
MC2500は左右独立の連続可変のレベルコントロールを持つ。
なのでCDプレーヤーの出力をパッシヴ型フェーダーも通さずに直接MC2500に接ぐ。
パッシヴ型フェーダー使用時では、
CDプレーヤーとパッシヴ型フェーダー間、パッシヴ型フェーダーとパワーアンプ間に、それぞれラインケーブルが必要になる。
CDプレーヤーとパワーアンプを直結すれば、ラインケーブルも一組で済む。
この時は、ラインケーブルは同じモノで揃えた。既製品のケーブルなので、
パッシヴ型フェーダーを介した時よりもラインケーブルの全長は少し短くなる。
それから接点も少なくなる。
短絡的に捉えるならば、パッシヴ型フェーダーを介するよりも音は良くなるはずだった。
けれど、こちらの期待に反して、全体的に冴えない。
この時、一緒に聴いていたO君も首を傾げるほどに、冴えない音へと変化した。
なので、またパッシヴ型フェーダーを介する。
やはり、こちらの方がいい。
介さない方がいいはず、という先入観は、私にもO君にもあった。にも関わらず、の結果である。
ここで試したのは三つの音。
CDプレーヤーとパッシヴ型フェーダー間のケーブルを短くした音、
パッシヴ型フェーダーとパワーアンプ間のケーブルを短くした音、
パッシヴ型フェーダーを介さずにパワーアンプと直結した音。
ここでの結果から推測できることがある。
真空管全盛期の真空管アンプには使われていなかったが、
トランジスターアンプになってからは、プリント基板が当たり前として使われているし、
真空管アンプにも使われるようになってずいぶん経つ。
古いアンプを修理した、という記事や投稿を見ても、
プリント基板については、ほとんど書かれていない。
悪くなった部品を交換した、とはあっても、プリント基板に関しては、まず記述はない。
けれどプリント基板にも寿命はある。
以前から気になっていたことで、インターネットで検索しても、
プリント基板の寿命についてはっきりしたことは見つけられなかった。
プリント基板の材質、品質によっても当然、寿命は違ってくるし、
使用条件によっても影響を受ける。
この使用条件は、筐体設計に関係してくることと、
ユーザーの使い方に関係してくるとがある。
筐体内温度がかなり高温になり、
しかも温度変化の大きい部屋に置いていたり、
埃が多く湿気も高い部屋で使用してたりすれば、
寿命は、高信頼性のプリント基板であっても短くなるのは容易に想像できる。
実際に、プリント基板のパターン(銅箔)が剥れることはある。
プリント基板の寿命は、何年とは言えない。
それでもプリント基板の劣化はいつかは起こる。
CDプレーヤーが登場し、ある程度普及したころから、
パッシヴ型フェーダーについて語られるようになり、製品もいくつか出てきた。
当時、パッシヴ型フェーダーに対しての否定的なこととしてよく言われていた(書かれていた)のは、出力インピーダンスが高いので、
パッシヴ型フェーダーとパワーアンプ間のケーブルをあまり長くできないが、あった。
当時製品化されたモノのインピーダンスは、たいていが10kΩだった。
けれど10kΩのフェーダーを使ったからといって、
そのパッシヴ型フェーダーの出力インピーダンスが10kΩになるわけではないことは、
少しばかり考えればわかること(はっきりすること)だ。
減衰量によって変動するとはいえ、パッシヴ型フェーダーの出力インピーダンスは、
前段のCDプレーヤーの出力インピーダンスとの兼ね合いで決まるものだ。
それにフェーダー(ポテンショメーターを含めて)は、
プリメインアンプ、コントロールアンプにも使われていて、
ライン入力からの信号は、まず入力セレクターを通り、
レベルコントロール(フェーダー、ポテンショメータ)へと行く。
そしてラインアンプへと接続されているわけで、
ここでもパッシヴ型フェーダーで指摘されていることは当然起こっている。
こう書くと、いや、アンプ内のケーブルは短いから、という人がいる。
確かにアンプ内でのレベルコントロールからラインアンプの入力まではそう長くはない。
そのくらいの長さならば問題は無視できる、とのことだ。
本当にそうなのだろうか。
パッシヴ型フェーダーは、ステレオサウンドの試聴室であれこれ試したことがある。
使い勝手は悪くなるが、パッシヴ型フェーダーをパワーアンプの近くに置き、
パッシヴ型フェーダーとパワーアンプ間のケーブルをかなり短くして聴いたこともある。
この場合、CDプレーヤーとパッシヴ型フェーダー間のケーブルは長くなる。
使い勝手は無視するとして、どちらが好結果が得られたかというと、
私が試した範囲では、CDプレーヤーとパッシヴ型フェーダー間のケーブルを短くした方だった。
二年前、別項「Noise Control/Noise Design(Silent Design)」で、
Silent Designという言葉を使った。
使っただけで、それについて説明したわけではないが、
Silent Designは、私にとっては大切なテーマである。
二年経って、何か書けるようになったかと言えば、まだだ。
それでも、Silent Designとは、天衣無縫な音へとつながっていると、いまは確信しているし、
天衣無縫な音よりも、天衣無縫の音とした方が、どうしてだかしっくりとくる。
五年前の(その16)で、
イェーツの“In Dreams Begin Responsibilities”を引用している。
いくつかの訳がある。
どれが、いまの自分にとってしっくりくるのか、
ずしっとしたものを感じるとか、
それは人によって違ってきて当然である。
“In Dreams Begin Responsibilities”、
これ自体に何も感じない人もいても不思議ではない。
そのくらい、人はさまざまである。
それでも、再び“In Dreams Begin Responsibilities”を引用しておきたい。
audio wednesdayを毎月第一水曜日にやる度に思うことがある。
オーディオ業界から離れている私だってやれることを、
どうしてステレオサウンドをはじめとするオーディオ雑誌はやらないのか、だ。
機材も人もそろっているわけだから、
私がやっているよりも、ずっと多くのことができるわけだし、協力してくれるメーカーや輸入元は、ほぼすべてと言ってもいいはず。
ステレオサウンド編集部が、こういうことを定期的にやりたいと、
メーカーや輸入元に声をかければ、断るところはないと思う。
特に準備期間はなくとも、すぐに始められるはずだけ。
けれど、やらない。
もったいないな、とも思う。
こんなことを、audio wednesdayをやりながら毎回思うし、
瀬川先生だったら、どんなふうにやられただろうか、も考えてしまう。
JBLの4343を鳴らしてから思い始めたことがある。
ロジャースのPM510を鳴らしてみたい、と。