Archive for 3月, 2023

Date: 3月 17th, 2023
Cate: きく

聴けなかったからこそのたのしみ

ステレオサウンド 46号の特集は「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質を探る」、
この試聴テストには、ドイツのK+HのOL10というモデルが登場している。

OL10の試聴記の最後に、瀬川先生はこう書かれている。
《私がもしいま急に録音をとるはめになったら、このOL10を、信頼のおけるモニターとして選ぶかもしれない。》

これを読んで、無性にOL10が聴きたくなった。
といっても、46号は1977年に出ている。
まだ熊本に住んでいるころで、
熊本のオーディオ店でK+Hのスピーカーを扱っているところはなかった。

1981年に東京に出て来たからでも、オーディオ店でK+Hを見かけたことはなかった。
1982年からステレオサウンドで働くようになっても、K+Hのスピーカーを聴く機会は訪れなかった。

もう聴く機会はない、となかばあきらめているけれど、
それでもいいじゃないか、とおもう気持も持っている。

聴けなかったからこそ、
その音の良さを想像する楽しみがあるからだ。

OL10は、瀬川先生が、録音の仕事をするようになったら──、と書かれている。
ここだけで、OL10の音を想像する楽しみは、一段と増したからだ。

こういうひとことが書ける人こそがオーディオ評論家(職能家)である。

Date: 3月 17th, 2023
Cate: ディスク/ブック

本を書く

アニー・ディラードの「本を書く」
昨日、ソーシャルメディアで知ったばかりの一冊だ。

ながらく絶版で古書もかなりの高値がついていたのが、ようやく復刊されたとのこと。
といっても一年前に出ている。

今日、最寄りの書店に行ったけれど、そこにはなかった。
明日にでも、大型書店で購入するつもりなのだが、

本を書く。
このことを改めて意識させられた。

こうやってブログを書いていると、文章を書くということであって、
本を書く、という意識はなかった。

ステレオサウンドにいたころも本をつくるという意識はあったけれど、
そこに載る文章を書いていても、本を書くということを意識していたかといえば、
ほぼなかった。

だから、いま「本を書く」ということを考える。

Date: 3月 14th, 2023
Cate: 映画

オットーという男

オットーという男(A Man Called Otto)」を昨日、観てきた。

回想シーンがときおり挿まれながら物語は進行する。
半ばほどでの回想シーン。

このシーンで流れてきたのが、ケイト・ブッシュの“THIS WOMAN’S WORK”だった。
不意打ちだった。

このシーンで、“THIS WOMAN’S WORK”を使うのか──、
そんなふうにも感じながらも、胸にずしんと響いてきた。

ケイト・ブッシュの“THIS WOMAN’S WORK”が使われていることを事前に知っていたならば、
そのシーンがきたところで、ここで使われるんだろうな、と予測できたことだろう。

でも知らなかった。
それゆえの不意打ちでもあった。

Date: 3月 14th, 2023
Cate: ディスク/ブック

ルドルフ・フィルクシュニーのこと

ルドルフ・フィルクシュニーというピアニストがいることは知ってはいた。
けれど聴いてはいなかった。

きいたのは、菅野先生が1983年に録音されたディスクが初めてだった。
レーベルは、オーディオ・ラボではなく、スガノ・ディスクだった。
もちろん買って聴いた。

菅野先生がフィルクシュニーについて書かれてたこと、
話されたことは読んでいるし、聞いているけれど、
それでもフィルクシュニーのディスクを聴いて、ピンときたかといえば、そうでもなかった。

なので、このディスクをきっかけにフィルクシュニーの他の録音を聴くということもやらなかった。
TIDALに、フィルクシュニーの録音はある。
それでも、他に聴きたいものが数え切れないほどあるため、
ついそちらを優先して聴いてきたため、TIDALでもフィルクシュニーは聴かずのままだった。

つい先日、エリカ・モリーニの十三枚組CDボックスが発売になった。
それにあわせてTIDALで聴けるエリカ・モリーニのアルバムの数も増えた。

フランクのヴァイオリン・ソナタがある。
フィルクシュニーといっしょに写っているジャケットだ。

新たに聴けるようになったモリーニのアルバムは他にもあるが、
フィルクシュニーの姿が目に留ったということ、
フランクのヴァイオリン・ソナタということで、まず、このアルバムから聴いた。

期待したのはモリーニのヴァイオリンだったのだが、
印象に残ったのはフィルクシュニーのピアノだった。

なんと雄弁な演奏なのだろう、と思いながら聴いてきた。
フランクのヴァイオリン・ソナタは好きな曲だから、これまでもいろんな演奏(録音)を聴いてきた。
どれが一番なのか、そういうことではなしに、ピアノがこれほど印象に残るのは、
モリーニとフィルクシュニーによる演奏だけだ。

いまごろになって、もっともっと早くに、この演奏を聴いていたら、
菅野先生とフィルクシュニーについてなにかを話せただろうに……、と後悔している。

Date: 3月 12th, 2023
Cate: ディスク/ブック

宿題としての一枚(その9)

“THE DIALOGUE”。
ならば自分のシステムで、
あの時の瀬川先生が鳴らされた4343での再現をめざせばいいことなのだが、
いちばんの難関は、やはり音量である。

喫茶茶会記でのaudio wednesdayでは、かなりの音量でかけていた。
あれだけの音量で、いまのところで鳴らしたら、即苦情が来るはず。

ちまちました音量でかけたいとは、まったく思っていない。
このへんは人それぞれだから、そうい音量でも“THE DIALOGUE”を聴きたい、という人もいるし、
そうではない、もっともっとと求める人もいる。

以前触れているが、
オーディオショウで“THE DIALOGUE”をかけているところに出会したことが何度かある。
けれど、びっくりするほど小音量なのだ。

“THE DIALOGUE”にとっての小音量という意味なのだが、
こういう音量で“THE DIALOGUE”を聴くの? そう言いたくなるほどの小ささでしかなかった。

4343での“THE DIALOGUE”の音量も、はっきりと憶えている。
それに熊本のオーディオ店には、菅野先生も一度だけ来られた。
その時、4350で、菅野先生は“THE DIALOGUE”をかけられた。
その音量も憶えている。

小音量、もしくは音量をあげないことを知的なことだけ思っている人もいる。
けれど“THE DIALOGUE”を、小音量でかけることは、ほんとうに知的なことなのだろうか。

そういう問いかけも、“THE DIALOGUE”にはある。

Date: 3月 12th, 2023
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(その17)

耳に近い音は、自分自身を進化させてくれるかもしれないが、
己を純化させるのは心に近い音のはずだ。

Date: 3月 10th, 2023
Cate: 会うこと・話すこと

店で買うと云うこと(その2)

買物は、ほんとうに便利で手軽な時代になった。
iPhoneを操作して、翌日にはたいていモノが届く。

電子部品に関しても同じといっていい。
昔は、秋葉原に行っていた。
いまから四十年ほど前のことである。

そのころといまとでは秋葉原は大きく変ってしまっている。
電子部品を扱っている店は少なくなっている。
それに、こちらもインターネットの通信販売のほうが便利で、
取扱い品目も多かったりする。

iPhoneで検索する。
けれど、それではひっかかってこないモノがある。

今日がそうだった。
かなり前に製造中止になっていて、
しかも製造した会社はすでにない──、そんな部品がある。

数年前に、偶然売れ残っているのを見つけて、即購入した。
けれどそれ以降は、見つからず。

インターネットの検索では見つからない。
なのに、今日、時間のあいまに、しかも秋葉原から近くにいたので、
ふらっと寄ってみた。

特に何かを探して、という目的はなかった。
ただ秋葉原を歩きたかっただけだったのだが、
ある店に、探していた部品が二つ吊り下げてあった。

前回来た時にはなかったのに、なぜか今回はある。
お店の人に在庫を訊いた。
倉庫を探してみます、ということで少し待った。

結果、その部品を四つ手に入れることができた。
この店は通信販売をやっている。
インターネットで在庫をチェックできるけれど、この部品に関しては出ていない。

そこまで行かなければ気づかずに機会を逃してしまうところだった。
探しモノは、インターネットだけではまだまだである。

Date: 3月 10th, 2023
Cate: ディスク/ブック

宿題としての一枚(その8)

これまで書いてきた児玉麻里/ケント・ナガノのベートーヴェンのピアノ協奏曲は、
菅野先生からの宿題としての一枚である。

では瀬川先生からの宿題としての一枚は、なんだろうか。
瀬川先生とは、熊本のオーディオ店でだけの接点しかない。

瀬川先生の音を聴いているわけではない。
その意味では、菅野先生からの宿題と同じ意味では語れないのだけれど、
熊本のオーディオ店で、瀬川先生が鳴らされた一枚ということでは、もちろんある。

菅野先生録音の“THE DIALOGUE”も、そうである。
熊本のオーディオ店で、瀬川先生が鳴らされたのを聴いたのが最初だった。

すごい音だ、と驚いたし、そのころ高校生だったから、
すぐに“THE DIALOGUE”を買えたわけではなかった。
小遣いがたまり、やっと買えた。

けれど瀬川先生が鳴らされたときはJBLの4343だった。
そのころ鳴らしていたのは国産の3ウェイのブックシェルフ型だから、
4343のような音では、まったく鳴ってくれない。

それは鳴らす前からわかっていたことでもあるが、
それでもなんとか、あの時の音を少しでも再現したい、というおもいはつねにあった。

喫茶茶会記でのaudio wednesdayで“THE DIALOGUE”を毎回かけていたのは、
こういうことも関係して、である。

けれど4343と喫茶茶会記のアルテックとでは、低音の鳴り方がかなり違う。
どちらがいい低音かということではなく、
あの時4343で聴いた“THE DIALOGUE”のドラムスの音が、
つねに耳の底で鳴っているのだから、あと少し、あと少し──、というおもいがつねに残っていた。

Date: 3月 10th, 2023
Cate: High Resolution, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(MQAのこと・その9)

ステレオサウンド 226号をすでに読んだ友人によると、
今号もステレオサウンドはMQAを無視なのだそうだ。

特集のハイレゾオーディオ2023に登場する機種のなかにはMQA対応モデルがある。
にも関わらずMQAを無視するということは、
ステレオサウンドの試聴テストの方針として、
そのモデルの機能をチェックするということは優先度としては低い、ということになる。

MQA対応モデルを取り上げておきながら、MQAの音について何も触れないということは、
そういうことである。

そこまでしてMQAを無視するというのは、
現編集長の染谷 一氏の意向なのか、
それともステレオサウンドの執筆者の何人かが、そうなのか。
もしくは両者なのか、そのへんのところはわからないが、
MQAは無視するということだけははっきりしたといえる。

それはそれでもいいのだが、ならば、なぜ、その理由を述べないのだろうか。
何も触れずに無視するだけ。
悪手でしかないような気がする。

Date: 3月 7th, 2023
Cate: ディスク/ブック

Heartbeat Drummers of Japan(その4)

“Heartbeat Drummers of Japan”は、
優秀録音なのかといえば、そうなのだろう、とこたえる。
けれど、個人的にすごく楽しめたディスク(録音)かというと、そうでもなかった。

だから“Heartbeat Drummers of Japan”を買うことはしなかった。
パワーアンプのある一面をあからさまにするという点では、興味深く感じていた。

けれど当時はステレオサウンドで働いていたし、試聴室で聴ける。
そのこともあって買わなかった、ともいえる。

そんなCDをここにきて思い出して、それがたまたま手に入り、
しかもTIDALで聴けることもわかった。

とはいっても、いまの環境ではそこでの音量で、このCDを鳴らすことができるわけではなく、
パワーアンプの比較試聴もする機会があるわけでもない。

なので、これから先くり返し聴くのかといえば、たぶんないであろう。
それに、どうなのだろうか。

“Heartbeat Drummers of Japan”で、
いま市販されているパワーアンプをチェックしてみたら──、そういうおもいはある。

難なくすんなりと鳴ってくれるのか、
それとも64号当時と同じような状況なのか。

Date: 3月 7th, 2023
Cate: ディスク/ブック

Heartbeat Drummers of Japan(その3)

ステレオサウンド 64号のパワーアンプの総テストで、
50万円未満のパワーアンプ26機種と50万円以上100万円未満56機種を、
井上先生は試聴されている。

それぞれの試聴記のすべてで“Heartbeat Drummers of Japan”について、
どういうふうに鳴ったのかを触れられているわけではないが、
ここのところに注目して読めば、なかなか興味深かったりする。

例えばQUADの405-2では、
《小型ながら基本は抑えてあり、太鼓連打でも、小出力ながら予想以上の音が聴かれた》、
ナカミチのPA50は、
《太鼓の連打での立ち上がりの甘さは、電源部に起因するもののようで、問題がクリアーされれば、中域以上の質が高いだけに、かなり優れたアンプになりそうな印象が強い》、
マランツのMA7は、
《太鼓連打でチェックすると電源は水準のレベルにあるが、スケールが小さく、力感がない》、
テクニクスのSE-A100は、
《太鼓連打では、電源の安定度、応答性が高く、不安は皆無で正確に作られたアンプという印象が強い》、
マッキントッシュのMC7270は、
《太鼓の連打では,予想よりも軟調な表現となり、瞬発力よりはジワッとした力感であるのが判る》、
新藤ラボのF2aは、
《太鼓の連打でも左右の太鼓の違いを明瞭に聴かせ、低域の安定度、質感はかなりのものだ》、
ヤマハのMX10000は、
《太鼓連打での反応は、電源部の強力さが感じられ、並の250Wクラスとは異なった力強さが聴き取れるが、なせかアタックの瞬発力は標準プラス程度に留まった》、
こんな感じである。

製品の規模としてはMX10000がもっとも物量投入されている機種で、
価格的にも405-2の約四倍ほどである。
F2aは型番が示すように真空管アンプであり、出力は40WとMX10000(250W)の六分の一ほど。

“Heartbeat Drummers of Japan”の太鼓の連打がうまく鳴ったからといって、
すべての点において音質的に優れたパワーアンプということではないが、
それでもここで挙げた機種の価格、規模を思い浮べながら比較してみることの面白さを感じてほしい。

Date: 3月 6th, 2023
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その44)

ヘンデルのメサイアを聴いている人がいる。
何度も聴く人生がある

メサイアを一度も聴かない人もいる。
音楽好きであっても、メサイアを一度も聴かずの人生がある。

メサイアでなくてもいい。
マタイ受難曲でもいい、ベートーヴェンの第九であってもいい。
クラシックにかぎらない。

昔から聴きつがれている曲、そしてこれから先もずっと聴かれていくであろう音楽に、
まったく触れない人生がある。
いい悪いではなく、そういう人生がある、というだけのこと。

スピーカーも、また同じだ。
メサイアを何度も鳴らすスピーカーもあれば、一度も鳴らさずのスピーカーもある。

Date: 3月 4th, 2023
Cate: ディスク/ブック

Heartbeat Drummers of Japan(その2)

いまごろ、“Heartbeat Drummers of Japan”について書いているのは、
先日、このCDを手に入れたからということ、
そしてTIDALでも聴けるからである。

シェフィールド・ラボのCDだから、それほど数は売れていなかったと思う。
中古市場でも、これまで見かけたことはなかった(熱心に探していたわけでもなかったけれど)。

鼓動の録音は、TIDALでは“Heartbeat Drummers of Japan”以外もある。
MQAで聴けるアルバムもある。

“Heartbeat Drummers of Japan”は、井上先生が書かれているように、
パワーアンプにとって、かなりしんどいといえる録音だった。

《誰にでも容易に判るチェックポイントである》とあるように、ほんとうにそうである。
一発目の音はうまく鳴っても、太鼓の連打であるから、続く太鼓の音がダメになってしまう。

あくまでも感覚的なことでしかないのだが、
最初の一発目か二発目ぐらいで、電源部のコンデンサーがカラになってしまうような、
そんな感じすら受ける音のアンプもあった。

カラになってしまったコンデンサーからは、どうやっても絞り出すことはできない──、
そんな感じで、太鼓の音は鳴ってはいても、力がなくなっていく。

そして《モノーラル的にグシャグシャになり、ステレオフォニックなプレゼンスとは程遠いもの》、
ほんとうに、そういう音になってしまうアンプも、いくつかあった。

大型のパワーアンプで、いかにも電源部に物量を投入している、
そんな印象を与えるアンプでも、必ずしも満足のいく太鼓の連打を再現してくれるとはいえなかった。

Date: 3月 4th, 2023
Cate: ディスク/ブック

Heartbeat Drummers of Japan(その1)

シェフィールド・ラボから鼓動(KODO)の“Heartbeat Drummers of Japan”が、
以前発売されていた。

1985年3月17日、20世紀フォックスでのスタジオ録音で、
同年、CD・とカセットテープで発売されていた。

ステレオサウンド 84号(1987年秋発売)の特集、最新パワーアンプ総テストで、
井上先生が試聴ディスクとして使われていたので、記憶にある方もいるだろう。

この試聴テストで、“Heartbeat Drummers of Japan”を知ったし、初めて聴いただけで、
かなりの回数聴いている。

“Heartbeat Drummers of Japan”は、この時、井上先生の試聴ディスクのなかでも、
かなり再生の難度の高い、といえた。

84号の139ページに、このディスクのチェックポイントが載っている。
そちらを参照してください、と書きたいところだが、
もう四十年近く前の号なので、引用しておこう。
     *
①は、約2分10秒あたりから始まる太鼓の連打を使いアンプの電源の能力をチェックしようというものである。②の大太鼓に比べれば、太鼓としてのスケールは小さいが、小さいだけに早い周期に鋭いアタックが繰り出されるために、電源が弱い場合にはすぐにピークが抑えられ、飽和し、クリップが始まり、明瞭に音が汚れる。特に、やや左側に位置する太鼓の音像が乱れ、モノーラル的にグシャグシャになり、ステレオフォニックなプレゼンスとは程遠いものになりやすいあたりは、誰にでも容易に判るチェックポイントである。この録音のピークレベルはかなり高いようで、声を基準に音量を決めると、予想以上に簡単にアンプは飽和し、クリップするようである。
     *
①、②とは、このディスクのトラックである。
①は三宅(Miyake)、②は大太鼓(O-Daiko)である。

64号では、②、③のチェックポイントについても書かれている。

Date: 3月 2nd, 2023
Cate: スピーカーとのつきあい

スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(その21)

その20)は、2017年11月に書いているから、ずいぶんあいだがあいてしまったが、
書きたいことが変ってしまったということはない。

スペンドールのBCIIIは、生真面目なスピーカーである。
このことは何度も書いてきている。

その生真面目なBCIIIから、どうやって中野英男氏のいわれるところの、
「狂気の如く」、「狂気の再現」といえる音が鳴ってくるのか──、といえば、
それはとことん、その生真面目を追求していった先にある。

それは別項「Mark Levinsonというブランドの特異性」で書いていること、
別冊FM fanに瀬川先生が、マーク・レヴィンソンは、このまま、どこまでも音の純度を追求していくと、
狂ってしまうのではないか──、性質的に同じことのように捉えている。

生真面目ゆえの狂気。
生真面目さの行き着いたさきの狂気。
それが中野英男氏が聴かれた「狂気の如く」、「狂気の再現」といえる音なのだろう。

蛇足だとわかっているが、
生真面目なだけでは、どんなにそのことを突き詰めたところで狂気は鳴ってこないだろう。
スピーカーシステムとしての確とした実力があってこそだ。