スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(その21)
(その20)は、2017年11月に書いているから、ずいぶんあいだがあいてしまったが、
書きたいことが変ってしまったということはない。
スペンドールのBCIIIは、生真面目なスピーカーである。
このことは何度も書いてきている。
その生真面目なBCIIIから、どうやって中野英男氏のいわれるところの、
「狂気の如く」、「狂気の再現」といえる音が鳴ってくるのか──、といえば、
それはとことん、その生真面目を追求していった先にある。
それは別項「Mark Levinsonというブランドの特異性」で書いていること、
別冊FM fanに瀬川先生が、マーク・レヴィンソンは、このまま、どこまでも音の純度を追求していくと、
狂ってしまうのではないか──、性質的に同じことのように捉えている。
生真面目ゆえの狂気。
生真面目さの行き着いたさきの狂気。
それが中野英男氏が聴かれた「狂気の如く」、「狂気の再現」といえる音なのだろう。
蛇足だとわかっているが、
生真面目なだけでは、どんなにそのことを突き詰めたところで狂気は鳴ってこないだろう。
スピーカーシステムとしての確とした実力があってこそだ。