Archive for 1月, 2020

Date: 1月 24th, 2020
Cate: 井上卓也

marantz Model 7K, Model 9K(その2)

吉祥寺のハードオフマランツにある未開封のマランツのキット、
Model 7K、Model 8BK、Model 9Kは、私のなかでは井上先生のモノと確信している。

とはいってもなんら確証はない。
それでも吉祥寺のハードオフには、これも井上先生が使われていたモノのはず、
そう思えるモノが複数ある。

単なる偶然の可能性もあるのはわかっていても、
これとあれ、それにあれもある。他にもある。

そのうちの一つは、めったに中古が出てこない機種である。
それがある。

私がそう思い込もうとして、ハードオフの店内を見てこじつけているだけかもしれない。
傍からみれば、きっとそうであろう。

それでも私には、これは絶対井上先生のモノ!、
そう確信できるモノが並んでいる。

店員に訊いたところで教えてくれるわけではない。
訊くつもりも毛頭ない。

ここを読まれている方のなかで、井上先生のモノという確証があれば買う、という人がいるかもしれない。
でも確証なんて、何もない。
確信があるだけだ。

それも私だけの確信があるだけだ。

Date: 1月 24th, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴きたい“Charlin Disques”

2010年だったか、シャルラン レコードのCDがまとめて復刻された。
といってもマスターテープは破棄されているので、
サブマスターからの復刻であった。

この時は輸入盤であったが、2016年にエリック・ハイドシェックのCDが新たに発売になった。
この時は国内盤のみで、輸入盤の発売はない、とのことだった。

ハイドシェックのベートーヴェン(二枚)とブラームスは、
いまでも入手できる。

2010年に発売になったCDは、廃盤ではないようだが、いまのところ入手は難しいようだ。
2010年復刻のCDは、五枚ほど買った。

正直、幻の録音には感じなかった。
2010年の復刻は、シャルランの遺族によるレーベルからだった。
はっきりと確認したわけではないが、どうもLPからの復刻だったようだ。

マスターテープがこの世に存在していないのだから、
本来の音を聴くのは、難しいことなのだろう。

オリジナルのLPを探して出して聴くしかないのだろう。

遺族によるレーベルは、いまもある。
ウェブサイトもあり、CDだけでなくLPでも復刻されている。
さらにFLACの配信も始めている。

もっと丁寧な復刻であれば、LPからの復刻でもいい。
ハイドシェックのCD復刻のように、
良質のサブマスターを探し出しての復刻でもいい。

シャルランの録音を、MQAで聴きたい、と思う。

Date: 1月 23rd, 2020
Cate: audio wednesday

第109回audio wednesdayのお知らせ(iPhone+218)

昨晩の“Biko[Live At Blossom Music Centre, Cleveland]”は、
メリディアンの218(version 8)で聴いていた。

別項「Biko[Live At Blossom Music Centre, Cleveland]」で書いているように、
12インチ・シングルを思わせるような音で聴きたい──、
だからこそ218に何度も手を加えている。

昨晩は、やっぱり、こういう音が出せるんだ、という確信を得た。

2月5日のaudio wednesdayの最後に鳴らすのは、
だからBiko[Live At Blossom Music Centre, Cleveland]に決めた。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 1月 23rd, 2020
Cate: ディスク/ブック

Biko [Live At Blossom Music Centre, Cleveland](その1)

2019年11月に、
ピーター・ガブリエルの全アルバムがMQAでの配信が始まったことは、すでに書いている。

そのなかに「Flotsam And Jetsam」がある。
LPもCDも発売されていないアルバムだ。

CDシングル、サウンドトラックに収録されていた曲を集めている。
「Biko」が二曲おさめられている。
Remix版とLive At Blossom Music Centre, Cleveland版である。

「Biko」はピーター・ガブリエルの三枚目のアルバムの最後の曲である。
そこでの「Biko」は静かに歌われていた。
だからこそ聴き手の胸に響く、ともいえる。

ライヴでの「Biko」は、違う。
ライヴでの「Biko」は、CDシングルで、ずいぶん前に聴いている。

私は基本的にはライヴ録音よりもスタジオ録音、という男だ。
それでも「Biko」は、圧倒的にライヴだ。

武道館での「Biko」は、その場で聴いている。
Live At Blossom Music Centre, Cleveland版は、もっと熱い。そして重い。
もっと顕になっているものが、ここにははっきりとある。

Bikoとは、スティーヴン・ビコだ。
映画「遠い夜明け」では、デンゼル・ワシントンがビコを演じている。

ライヴでの「Biko」を聴いたとき、12インチ・シングルで聴きたい、とも思った。
1980年代、12インチ・シングルの音に夢中になっていた。
ケイト・ブッシュの12インチ・シングルの大半は買って聴いた。

ケイト・ブッシュほどではないが、ピーター・ガブリエルの12インチ・シングルも集めていた。
でも「Biko」は持っていなかった。

CDシングルで聴いたとき、すでにアナログプレーヤーを手離していた。
その日から三十年以上。

昨晩、“Biko[Live At Blossom Music Centre, Cleveland]”を聴いた。
e-onkyoからダウンロードしたMQAで、聴いた。

ハイレゾといっても、サンプリング周波数は48kHzである。

「Flotsam And Jetsam」というアルバムの性格上、
こういうサンプリング周波数に統一されたのだろう。

でも、48kHzというサンプリング周波数は、もうどうでもいい。
12インチ・シングルでは、きっとこんなふうに鳴ったんだろうな、と思える音がしたからだ。

Date: 1月 22nd, 2020
Cate: 欲する

何を欲しているのか(サンダーバード秘密基地・その1)

デアゴスティーニから、週刊サンダーバード秘密基地が発売になった。

おーっ、と声をあげそうになった。
小学校にあがるかあがらないころだったはずだ、
サンダーバード秘密基地のプラモデルが出ていた。

五十年ほど前のことだ。
値段は記憶していなかったが、Googleで検索してみると、二千円だった、そうだ。
そのころの二千円は、小学生になるかならないかぐらいの子供には大金だった。

欲しくてたまらなかったけど、まったく手が届かない、と最初から諦めていた。
親に欲しい、とねだったこともなかった。

小学生になったころ、同級生に一人、持っている子がいた。
そこで初めて完成したサンダーバード秘密基地を見た。
それまではプラモデルの外箱を眺めての、完成した状態を想像していただけだった。

欲しい、と思っていたからこそなのか、
もっと精密なプラモデルだ、と期待は膨らみすぎていたようだった。
だから、実物を見てがっかりしたことを憶えている。

もっともっと精密なサンダーバード秘密基地のモデルが出たらいいのに──、
そんなことも思っていた。

デアゴスティーニのサンダーバード秘密基地は、
五十年前のプラモデルとは、そうとうに違う。
これが、当時発売になっていたら、なんとかして手に入れたい、と思っただろう。

でも、その分、そうとうに価格は高くなっている。
いつものデアゴスティーニのやり方で、創刊号は安い。
499円(税込み)だ。二号は1,099円(税込み)。
三号以降は1,890円(税抜き)で、予定では110号まで、である。

トータルで220,000円ほどになる。
ほぼ二年かかるわけだから、それほどの出費とは感じないだろうが、
計算すると、やっぱり高いな、と感じてしまう。

欲しいか、と問われれば、欲しい、と答える。
110号までの二年間は楽しいだろう。

完成して、すべてのギミックを試してみるまでは、ほんとうに楽しめるだろう。
でも、その後は……、とつい考えてしまう。

Date: 1月 21st, 2020
Cate: 「本」

Net Audioの休刊

音元出版のNet Audioが、いま書店に並んでいるvol.37で休刊になる。
表紙に、感謝! 定期刊最終号とあるし、
音元出版のウェブサイトにも「定期刊終了のご挨拶ならびに今後の展開についてのご案内」がある。

季刊誌で37号で休刊、十年足らずということになる。
少し意外な感じもしたし、むべなるかな、というおもいと半々でもあった。

Net Audioは、昨年ぐらいから書店で手にとるようになった。
昨年は一冊だけは買った。

今年も特集次第、内容次第では買うこともあるだろうな、と、
期待していたところもある。

とはいえ、あいかわらず音元出版的記事ばかりだな、とも感じていた。
音元出版の編集(営業)方針について書く気はない。

かなり否定的なことを書くことになりそうだから、ということもあるが、
一方で、そういう編集(営業)方針ゆえに、フットワークの軽さのようなものがあるとも感じていた。

それにNet Audioが取り組んでいることに関して、
ステレオサウンドはいまのところ、さほど積極的ではない。
やりようによって……、そんなことも思っていたけれど、突然の休刊の発表だった。

休刊の理由はいくつかあるのだろう。
勝手な想像でしかないが、Net Audioがやろうとしていたことは、
これからのびていくことが期待されている(はずだ)。

なのに休刊。
それは、日本ゆえ……、なのか。

Date: 1月 21st, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、オーディオのこと(その2)

「比較ではなく没頭を」──フルトヴェングラーの言葉である。

同じ書き出しで、しかも「比較ではなく没頭を」をタイトルにしたものを、
2008年9月に書いている。

オーディオには比較する楽しみが、はっきりとある。
いろんなモノを比較する。

スピーカーの比較もあれば、ほんのわずかな長さのケーブルの比較もある。
それからセッティングの違いの比較もある。

何かをかえれば音はかわるのだから、そこでどうしても比較という行為がいやおうなしにはいってくる。
それを面倒だ、と思うのか、楽しめるのかが、オーディオマニアかどうかなのかもしれない。

それでも「比較ではなく没頭を」を忘れてはならない。
比較することに没頭するのではなく、
没頭できるようになるための比較である。

MQAを、あいかわらず否定する人がいる。
MQAで音楽を聴いていて感じていることが、「比較ではなく没頭を」である。

いまでは、あるアルバムを複数のフォーマットで聴ける。
以前もそうだったけれど、いまの方が数は多くなってきている。

こっちがいい、あっちがいい。
そんなことが、いろんなところで書かれたり、いわれたりしている。

世評が高いのがどれでもいいじゃないか、となれないのだろうか。
自分で聴ける範囲で、もっとも没頭できるのを見つければいいだけである。

Date: 1月 20th, 2020
Cate: 井上卓也

marantz Model 7K, Model 9K(その1)

ステレオサウンド 49号の巻末に近いページに、
「マランツ♯7K/9Kキットの意味あいをこう考える」という記事が載っていた。

マランツから、Model 7とModel 9のキットが発売になった。
1978年のことだ。
好評だったようで、しばらくしてからModel 8Kも発売になった。

キットといっても、ダイナコやラックスキットとは難易度が違う。
ラックスキットも真空管アンプは初心者にはちょっと無理なモノもあったが、
マランツのこれらのキットはさらに難しい、
おそらくこれまで発売されたオーディオのキットのなかで、最も大変なキットといえる。

高校生だったけれど、欲しい、と思った。
とはいえ手が出ない価格だった。
仮に買えたとしても、きちんと完成させられるかといえば、まず無理だった。

それでも欲しい、と思ったのは、
いいかげんなメインテナンスがなされた中古のマランツを買うよりも、
じっくりと時間をかけて組み立て技術を磨いていけば、
いいコンディションのマランツのModel 7を自分のモノとすることができる──、
そう思ったからだ。

今日、吉祥寺のハードオフをのぞいてみたら、
なんとマランツのこれらのキット、それも未開封のモノがあった。

Model 7K、Model 8BK、Model 9K、
すべて揃っていた。
未開封なので、箱のままの展示である。

四十年ほど保管されていたモノだ。
中がどんな状態なのかは、買った人でなければ確かめられない。
ついていた価格は、ほぼ発売時の価格と同じだった。
お買い得ともいえるし、そうでない可能性もないわけではない。

こんなことをなぜ書いているか、というと、
このマランツのキットは、もしかすると井上先生が所有されていたモノかもしれない──、
そう思えたからだ。

ステレオサウンドにいたころ、何度かマランツの話を井上先生からきいている。
キットのこともきいている。

すべて持っている、と話されていた。
でも買ったままだ、ともきいている。

いつか暇になったら作ろう、と思っている──、
そんなこともきいている。

結局作られなかったのだろう。
そういえば昨年、井上先生所有のオーディオ機器が売りに出された、というウワサを耳にした。
ほんとうかどうかはわからない。

そんなことがあったから、ハードオフにあったマランツのキットを見て、
私がまず思ったのは、そういうことだった。

Date: 1月 20th, 2020
Cate: アクセサリー

仮想アース(こういう方法も……・その5)

オーディオ機器のアース電位を測っていると、いろいろ気づくことがある。
手持ちのオーディオ機器だけでなく、
ステレオサウンドの試聴室で数多くのオーディオ機器のアース電位を測っていた。

それから、いまでは同じ機器のアース電位を、場所をかえて測ったこともある。

ACの極性をかえると、アース電位が大きく変るオーディオ機器がある。
ほとんど変らないオーディオ機器もある。

それからアース電位がなかなか安定しないオーディオ機器もあった。
ほとんど変動しないオーディオ機器もある。

それから同じオーディオ機器であっても、
場所が大きくかわると、アース電位も変ってくる。

ここ数ヵ月、メリディアンの218をもってaudio wednesdayの音出しを行っている。
喫茶茶会記にも218は導入されているけれど、
ほぼ毎月218に手を加えているから、結局、218を持ち運ぶことになる。

喫茶茶会記で218のアース電位は、これまで三回測っている。
多少の誤差はあるものの、毎回ほぼ同じ値を示す。

同じ個体の218を持ち帰って測ってみると、1Vほど低い値であり、
しかも喫茶茶会記では、ややアース電位がふらつきがちなのだが、
私のところではほぼ安定している。

もちろん同じテスターで測っているし、同じ端子での測定である。
条件は常に揃えていて、こういう違いが生じている。

喫茶茶会記は四谷三丁目、山手線の内側にある。
私のところはそこから西に20数km離れている。

電波環境やノイズ環境は、喫茶茶会記よりもいいといえるだろう。
そのことが影響してのアース電位の違いのように思われる。

喫茶茶会記では218だけでなく、マッキントッシュの製品もアース電位はふらつきがちになる。

Date: 1月 19th, 2020
Cate: 録音

80年の隔たり(その8)

その1)は、2008年9月に書いている。
10年以上前に書いているわけで、
1929年録音のティボーとコルトーによるフランクのヴァイオリン・ソナタは、
あと9年も経てば、録音から100年を迎えることになる。

あと9年くらいは、私もまだ生きているだろうから、
100年前の録音(演奏)を、その時、聴くことになる──、
そのことに数日前に気づいた。

私がオーディオに興味をもったころ、
100年前の録音といえば、エジソンが「メリーさんの羊」を録音・再生したものぐらいだった。

ティボーとコルトーのフランクよりも古い録音はあるが、
くり返し聴く録音として、私にとって最も古いのはティボーとコルトーの演奏である。

2029年までに、
どれだけのフランクのヴァイオリン・ソナタの録音がなされていくのかは予想がつかない。

これから先、2029年までに録音されるフランクのヴァイオリン・ソナタは、
ティボーとコルトーの演奏から90年から100年の隔たりをあることになる。

100年の隔たりを、その時、どう感じるのであろうか。

Date: 1月 19th, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、MQA-CDのこと(その7)

ユニバーサルミュージックのMQA-CDのサンプリング周波数が、
帯に記載してある176.4kHzではなく、出荷されたMQA-CDは352.8kHzだったこと、
変更理由は、音質的優位が認められたから、らしい、と(その6)に書いた。

192kHzと352.8kHzとでは、後者のほうが音がよくて当然と受け止められがちだ。
私もそう思う。

けれど、このユニバーサルミュージックのMQA-CDで考えたいことは、
マスターには2.8MHzのDSDが使われている、ということだ。

2.8MHzと表記されることが一般的だが、
正確には2.8224MHzである。
CDのサンプリング周波数の44.1kHzの64倍である。

196kHzは48kHzの4倍であって、44.1kHzの4.444…倍である。
48kHzの整数倍であっても、44.1kHzの整数倍ではない。

352.8kHzは、44.1kHzの8倍(整数倍)である。
2.8224MHzは352.8kHzの8倍だから整数倍の関係でもある。

なので私が聴いてみたいのは、
DSDマスターからつくられた176.4kHzのMQA-CDと192kHzのMQA-CDの比較試聴である。

数値的には後者のほうが上だが、音は前者のほうが上かもしれない。
ここにも、別項「Hi-Resについて(その14)」で引用したジョン・デイヴィスの、
《時々オーディエンスは数字が大きいほど良い音だと誤解している》があらわれている、
といえそうだ。

Date: 1月 18th, 2020
Cate: ディスク/ブック

倍賞千恵子 全曲集2020

今日、東京は雪だった。
でかける用事がない日の雪は眺めているだけでいいから、好きである。

雪が降っている情景をうたった曲はいくつもある。
ここでも私はグラシェラ・スサーナの「雪が降る」を真っ先に思い浮べるのだけれど、
「雪の降る街を」も、こんな日は、ひとりでいると口ずさむ。

「雪の降る街を」は四十二年前、中学三年の音楽の教科書に載っていた。
ちょうどいまごろの季節、音楽の授業で歌っていた。
音楽の実技の試験も「雪の降る街を」だった。

小学校、中学校の音楽の授業でいろんな歌を習ってきたけれど、
いまも口ずさむことがあるのは、「雪の降る街を」ぐらいである。

いい曲だから、ということもあるけれど、ほかの人にはどうでもいい他愛ないことが、
「雪の降る街を」と絡んでの個人的感傷のようなものからである。

降る雪を眺めながら、「雪の降る街を」を検索してみた。
いろんな人が歌っているのが、いまでは簡単に聴ける。

インターネットがなかったなら、
レコード店に足を運び、自力で探すしかない。
しかも誰が歌っているのかも見当がつかない場合は、手当たりしだいか、
店員に尋ねるか。

それでも小さなレコード店では見つからないこともある。
そうなると何軒ものレコード店をまわる。
それで見つけた「雪の降る街を」が、
求めていた「雪の降る街を」に添うかどうかは聴くまでわからない。

求める「雪の降る街を」にであえない可能性もある。
いまは、ほんとうに便利になった。

倍賞千恵子の「雪の降る街を」を聴いていた。
収録されているCDを探した。注文した。
一歩も外に出ることなく済む。

Date: 1月 18th, 2020
Cate: High Resolution

Hi-Resについて(その14)

ジョン・デイヴィス特別インタビュー 英メトロポリスのエンジニアが語ったマスタリングのトレンド。スマホやインスタ対応が必須に」という記事が、
PHILE WEBで公開されている。

おもしろい記事だ。
たとえば、次のようなことが語られている。
《スタジオに要求されるいろんな工程があるけれど、今一番重要なのはインスタグラム向けのマスタリングだ。つまりスマホ向けのマスタリング。かつてはCDとヴァイナル(アナログ・レコード)の二つだけだったけど、今はそれに加えSpotify、Apple Music、TIDAL、そしてInstagramがある。》

スマートフォン向けのマスタリングは《流行りというよりトレンド》ということだ。
さらに《ターゲットが18歳以下と18歳以上の場合とで、マスタリングのEQ(イコライズ)を変えている。18歳以下はダイナミックス(音の強弱)を忘れて音量を大きく、ブライトネス(高域)を上げる。18歳以上はダイナミックスとブライトネスは普通に。ま、50歳以上はどちらも必要ないかもしれないがね(笑)。》

マスタリングは、いまではこんなふうにたいへんなことになっているのか、と驚く。

《ちなみに近頃のレーベルのA&Rは、スマホを使ってサウンドチェックをしているって話だ》、
ずっと以前、ヤマハのNS10Mを使ってサウンドチェックしている、とうい話はよくきいた。
その十年後ぐらいには、ラジカセでチェックしている、という話があたりまえになってきたように感じた。

そういえば少し前のテレビで、若い世代を対象に死語を調査したところ、
一位はLD(レーザーディスク)だったのを、SNSで見た。
LDといっても、まったく通用しない、らしい。

二位は、コンポだった。コンポーネント、つまりオーディオ・コンポーネントのことだ。
そういう時代だから、スマートフォンでのサウンドチェックもあたりまえになっていくのか。

この記事がさらにおもしろいのは、2ページ目である。
     *
ーーメトロポリスはDA/ADにプリズム・サウンドを使っていますが、192kHzで収録したアーカイブと異なり、96kHzでマスターを作ったのは何故ですか。

ジョン・デイヴィス アーカイブはジミー・ペイジに何かあっても困らないように192kHzで細心の注意を払って作り上げた。これはビートルズのジャイルズ・マーティンのケースでも全く同じ。しかし、ツェッペリンのリマスタリング・プロジェクトのマスター・テープは96kHzにしている。DA/ADに使ったプリズム・サウンドの真価は96kHzで発揮されるからだ。聴き比べても96kHzの方がずっと良い音がする。

ーーレッド・ツェッペリンのリマスタリング・プロジェクトの場合、96kHzがベストのソリューションというわけですね。

ジョン・デイヴィス 時々オーディエンスは数字が大きいほど良い音だと誤解しているようだが、ツェッペリンのアルバムが集中的に録音された60年代末から70年代前半の録音機材に192kHzは明らかにオーバースペック。ファイルは倍以上に大きくなるし、DAWの負荷も半端ない。192kHzは不要だ。
     *
ここのところを読んで、首を傾げる人、頷く人、どちらもいるはずだ。

Date: 1月 17th, 2020
Cate: アクセサリー

仮想アース(こういう方法も……・その4)

その3)へのコメントに「もはやアンテナですね?」とあった。

そのとおりであって、まさにアンテナでもある。
アンテナは、電波を発信するし受信もする。

いまFMチューナーをもっている人は、ある世代よりも上であろうし、
いまの20代、10代の若い世代は、FMチューナーをもっていない人のほうが多い、と思う。

FMチューナーの簡易的なアンテナとしてフィーダーアンテナがある。
二本の金属線をT字に広げただけの簡単なものである。
ただしT字に広げた水平部分の長さが180cmになる必要がある。

家電量販店でも、いまでは置いてないところもあるようだ。
在庫がなくても、あまっている金属線があればすぐに自作できるので困ることはない。
もっとも、それ以前に使うことがほとんどないだろうけど。

ようするに、そんな簡単なものでもすぐにアンテナになるわけだ。
仮想アースでも、必ずアース線がある。
このアース線がアンテナになっていないといえるだろうか。

ACの極性によって、アンプ、CDプレーヤー、チューナー、テープデッキ、
それからアナログプレーヤーも音が変る。

AC極性をあわせるには音を聴いて判断するのがいちばんだが、
テスターでもあわせることはできる。

AC電圧のモードにして、アンプやCDプレーヤーのアース電位を測定する。
もちろん電源をいれて、しかも他の機器と接続されていない状態にしておいての測定である。
この時、同じ端子のアース電位を測ること、
そして測る人の体が接触していないことに注意しておかなくてはならない。

原則としてアース電位の低い方があっている、ということになる。
ただし、国産メーカーのなかには一部例外があって、
電源プラグに極性の印がついていても、
あえてアース電位が高くなる方をメーカー指定とする製品も存在していた。

つまり最終的には音を聴いて判断、ということである。
このアース電位は、何かを接ぐと変化する。

Date: 1月 17th, 2020
Cate: ジャーナリズム, 広告

「タイアップ記事なんて、なくなればいい」という記事(その11)

(その8)へのfacebookへのコメントには、後日、補足があった。
崩壊についての補足だった。

そのコメントについてはこれからふれる予定だが、
読んでいて、これまで思っていたことをふりかえって浮んできたのは、
「陽だまりの樹」である。

「陽だまりの樹」については、
別項「オーディオにおけるジャーナリズム」の(その25)と(その26)で書いている。

「陽だまりの樹」とは手塚治虫自身のルーツをさぐる作品のタイトルであり、
徳川幕府のことを比喩する言葉でもある。

「陽だまりの樹」は、陽だまりという、恵まれた環境でぬくぬくと大きく茂っていくうちに、
幹は白蟻によって蝕まれ、堂々とした見た目とは対照的に、中は、すでにぼろぼろの木のことである。

オーディオの世界において、なにが「陽だまりの樹」なのか、
その幹を蝕んだ白蟻とはなんなのか。