Archive for 7月, 2019

Date: 7月 11th, 2019
Cate: ショウ雑感

2019年ショウ雑感(その11)

オーディオショウに出展するメーカー、輸入元が、
スピーカーを必ずしも取り扱っているとは限らない。

スピーカーを開発していないメーカー、
輸入しているブランドにスピーカーがない輸入元がある。

そういう出展社は、他社製、もくしは他社が輸入しているスピーカーを借りてくることになる。

ずっと以前だと、JBLのスタジオモニターが、
いくつかの出展社のブースで鳴っていた。

いつのころからかJBLから、それはB&Wの800シリーズへとうつり変っていった。
数年前まで、ここもB&W、あそこもB&Wのスピーカーという感じだった。

今年のOTOTENでは、また流れが変りつつあるのか、と思った。
フォーカルのスピーカーが、ここのブース、あそこのブースでも鳴っていたからだ。

全ブースに入ったわけでもないし、
それぞれのブースのスピーカーが何だったかの目もしていたわけでもない、
フォーカルのスピーカーが、どことどこのブースで鳴っていたのかも数えていない。

それでもフォーカルのスピーカーをよく見たな、という印象が残っている。
今秋のインターナショナルオーディオショウでは、どうなのか、
ちょっと関心がある。

Date: 7月 11th, 2019
Cate: Wilhelm Backhaus, 五味康祐

ケンプだったのかバックハウスだったのか(補足・7)

今年2月に、バックハウスのベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集がSACDで発売になった。
9月には、ケンプによる全集が、CD八枚組+Blu-Ray Audio(一枚)で出る。

バックハウスはDSDで、ケンプは96kHz/24ビットで、それぞれのベートーヴェンが聴ける。
ケンプはさらにe-onkyoでMQAでも配信されている。

いい時代、面白い時代になってきた。

Date: 7月 10th, 2019
Cate: 五味康祐

続「神を視ている。」(その2)

ひとつ前の「人工知能が聴く音とは……(NTTの発表より)」でふれた
「音認識のために訓練された深層ニューラルネットワーク(DNN)」は、
進歩していくことで「神を視ている」といえるようになるのか。

その1)を書いて五年が過ぎ、そんなことを考えている。

Date: 7月 10th, 2019
Cate: オーディオの「美」

人工知能が聴く音とは……(NTTの発表より)

NTTが、今日(7月10日)、報道資料として、
音を認識するために訓練された深層ニューラルネットワークが脳における音の表現と類似した表現を獲得することを発見」というタイトルのPDFを公開している。

読んだからといって、100%理解しているわけではないが、
「音認識のために訓練された深層ニューラルネットワーク(DNN)」は、ひじょうに興味深い。

これから先、どんなふうに発展していくのか。
その発展次第では、なにかが大きく変化していく可能性だってある。

どれだけ進歩し、進化していくのか予想できないけれど、
私が生きているうちに、なにか大きな変化が生れても、まったく不思議ではない。

オーディオ雑誌は、どこも取材しないのか。

Date: 7月 10th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その4)

ラックスは、アンプ専門メーカーと、当時はそういえた。
PD121、131といった魅力的なターンテーブルも出していたし、
ブックシェルフ型のスピーカーも出していたけれど、
ラックスはアンプ専門メーカーの色合いが濃かった。

アキュフェーズも、同じくアンプ専門メーカーである。
アキュフェーズはMC型カートリッジAC1を出していたけれど、
CDプレーヤーのDP80+DC81を出すまでは、
チューナー以外の音の入口にあたる機器をてがけていない。

こんなふうにカセットデッキのことを考えたり書いてたりすると、
アキュフェーズは、なぜカセットデッキに手を出さなかったのか、と思う。

ラックスは出した。
アキュフェーズは出していない。

アキュフェーズにも、カセットデッキを開発する技術力はあった、と思う。
アキュフェーズは、ラックスと同じころにカセットデッキを手がけていたら──、
とつい夢想してしまう。

アキュフェーズのアンプを使っていた人の何割かは、
チューナーもアキュフェーズだったのではないだろうか。

メタルテープが登場したころは、FM放送はブームだったし、
エアチェックも流行っていた。

ライヴ放送も、いまよりも多かったように記憶している。
オープンリールデッキで録音する人もいれば、
カセットデッキで、という人もいるわけで、
1970年代後半はカセットデッキで、という人のほうが多かったのではないのか。

この時代、アキュフェーズに、
ユーザーからカセットデッキを出してほしい、という要望は届かなかったのか。

アキュフェーズのチューナーで受信して、アキュフェーズのカセットデッキで録音し、
アキュフェーズのカセットデッキで再生し、
アキュフェーズのアンプで増幅して鳴らす(聴く)──、
そういうことを望んでいたアキュフェーズの使い手は、きっといたはずだ。

Date: 7月 10th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その3)

高校生のころ欲しかったカセットデッキの一つに、
ラックスのK12、5K50がある。

K12が、ラックスにとって最初のカセットデッキだったか。
メタルテープの登場にあわせるかのように、K12が出てきた。

他社のカセットデッキとはちょっと違う趣のアピアランスに、
高校生の私はなんとなく惹かれた。

K12は、128,000円だった。1978年ごろである。
ラックスのカセットデッキのラインナップは、その後充実していく。
5K50は280,000円という、当時としては最高級機といえるモデルだった。

ここまでの製品を開発して出してくるということは、
ラックスのカセットデッキは売れていたんだろうな、と思う。

同時期にナカミチは680ZXを出した。
自動アジマス調整、半速録音・再生機能をもったモデルは、
高校生の私には、フラッグシップモデルの1000IIよりも魅力的にうつった。

1000IIはメタルテープに対応していなかった。
680ZXは当然対応していた。

比較試聴したことはないけれど、メタルテープと680ZXの音は、
1000IIを肩を並べるか、部分的には上廻っていたのではないだろうか。

680ZXは238,000円だった。
ラックスの5K50が高いとはいえ、同価格帯のカセットデッキであり、
どちらも、当時欲しかったカセットデッキだったが、
どちらか一台となると、5K50に魅力を感じた。

音は680ZXのほうが優れていたであろう。
でも、680ZXのイジェクト用のレバーと、
全体的な武骨な感じが、あと一歩、欲しいという気持にまで達していなかった。

でも音を聴いたら680ZXがいい、といっていたかもしれない。

Date: 7月 9th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その2)

実をいうと、二十数年前、カセットデッキを買おう、と思ったことがある。
フィリップスのDCC900が投売りといえる状態で店頭に並んでいたからだった。

DCCとはデジタルコンパクトカセット(Digital Compact Cassette)のことである。
DCCの特徴は、アナログのコンパクトカセットもデジタルのコンパクトカセットも使えたことにあった。

しかもアナログのカセットの再生のクォリティが高い、ということも話題になっていた。
といっても実際に聴いたわけではないので、どのレベルなのかはわからない。

それでもあまりの安さに、この値段だったら、
デジタルもアナログも使えて、一台あると便利かもしれない、と思い手を出しそうになった。

なのに買わなかったのは、DCC900のアピアランスがあまりにも安っぽいというか、
品がないというか、
なぜ、このアピアランスで、フィリップス・ブランドで出すのだろうか──、
と思うほど、目の前に置きたいとは絶対に思わせないモノだった。

DCCそのものも普及しなかったように記憶している。
けれどフィリップスということもあって、
ミュージックテープは意外にも充実していた。
フィリップスだけでなく、ドイツグラモフォンやデッカからも出ていた。

DCC900もヤフオク!に出ている。
とはいえ、DCC900に手を出そうとはまったく思わない。

いくら安くても、DCC900を修理できるところはあるのだろうか、と考えるからだ。
でも、DCC900を、新品で買わなかったことは後悔ではない。

いま新品に近いコンディションのDCC900が、安価で購入できたとしても、
そしてアナログのカセットテープの音がなかなか良くても、
やっぱりの、あのアピアランスだけは我慢できないからだ。

Date: 7月 9th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その1)

カセットテープをテーマとした今回のaudio wednesdayでの音、
そして、それについて書いていると、
カセットテープ再生にどこか冷淡なところのある私でも、
カセットデッキが一台、欲しいなぁ、という気持になってくる。

現行製品のカセットデッキとなると、ティアックぐらいしかないのか。
悪い製品ではないと思うのだが、
全盛時代のカセットデッキを見てきた目には、どうしてもものたりなさがつきまとう。

価格帯も違うのだから、しかたないことだとわかっていても、
これならば中古のカセットデッキから選ぼうかな、と思うわけだが、
実際にヤフオク!で、カセットデッキの出品をながめてみると、
予想できていたこととはいえ、厳しい状況ではある。

ジャンクとして出品されているモノが少なくない。
ジャンクとことわっていながらも、スタート価格が意外にも強気なモノもある。

そうでない出品も多いが、
動作品と書かれていても、いったいどの程度の動作品なのかまだははっきりしない。
完動品といえるモノはどれだけあるのだろうか。

落札して現品が手元に届いてからでないと、はっきりしたことはわからない。
それに出品者のところでは動作していても、
輸送途中でダメになってしまうことだって十分考えられる。
丁半ばくちにちかいといえば、そうかもしれない。

メーカーに修理に出せればいいが、
ほぼすべてのカセットデッキは、メーカーも修理を受け付けてくれないだろう。
中古のカセットデッキを、この時代に買うというのは、そういうことなのだろう。

それでも、一台、欲しい、という気持は消えない。
新品同様と思えるコンディションのカセットデッキを、
高い値段で落札しようとはまったく思っていない。

当時中級クラスだったカセットデッキで、
とりあえず動作していて、こんな値段で落札できるの? と思えるくらいでいい。

自分で録音して何かを聴くためのモノではない。
いまのところ六本あるグラシェラ・スサーナのミュージックテープを、
思い出した時に聴きたいだけなのだから。

Date: 7月 8th, 2019
Cate: 価値・付加価値

オーディオ機器の付加価値(買い方によって……・その4)

「このアンプはデザインで損している」とか「このスピーカーはデザインで得している」とか、
そういった評価にもならないことを聞くことがままある。

こんなことをいう人は、デザインを理解していない、と言えるし、
デザインを付加価値としてしか捉えていない。

「付加価値が……」男も、そう捉えている。
だから、損している、得している、といったことをいうのだろう。

つまり「付加価値が……」男は、得している、損しているといった次元で、
付加価値を捉えている(考えている)ともいえる。

そう考えると、秋葉原のヘッドフォン、イヤフォン専門店で、
二時間も試聴して、気に入ったモデルを見つけたにもかかわらず、
より安く買えるamazonでの購入を選んだ男も、
得した、損した、という次元でのものの考え方の範疇から抜け出せないのかもしれない。

損とか得とか、付加価値とは本来そういうものではないはずだ。
今回のイヤフォン購入の件で思うのは、この人はおそらく若い人であろう。

twitterは匿名だし、年齢がわかるわけでもないけれど、
いくつかのこの人のツイートを読めば、若い人だと思う。

若者は経済的余裕がない、
だから少しでも安いところから買う──、
そのことがわからないわけではないが、
それにしても……、と思うわけだ。

店で二時間も試聴しても、気に入ったモデルが見つからなかったのであれば、
買わずに店を出てもいい。

けれどそうではない。
目先の損得で、買わずに店を出ている。
しかもamazonで買ったことを、ツイートする。

イヤフォン、ヘッドフォンの専門店の店員が、そのツイートを偶然見つけたら、
あぁ、あの人か……、ということになろう。

Date: 7月 7th, 2019
Cate:

「音楽への礼状」より

 誰もが、あなたのようにゴーイング・マイ・ウェイでやっていけたらいいな、と思っています。ところが、願望は願望のままでとどまることが多く、なかなか思いどおりにはいきません。
 思ってはいても、なかなか思いどおりにいかない理由は、周囲の事情とかあれこれ、おそらく、いろいろあるでしょう。しかし、思いどおりにいかないもっとも大きな理由は、自分自身のなかで凛とした気性が欠如しているためのようです。あれやこれや、思いきってスパッと捨てられさえすれば、おのずとフットワークは軽くなる。にもかかわらず、望んでも、それがなかなかできない。そうとわかってはいても、実行がともなわないからです。
 仕事をすれば、その仕事を、一応はまわりのひとたちにも評価されたい、と思ったりします。他人に、たとえ表面的にであっても、うやまわれたりすれば、それなりに悪い気持はしません。多くのひとたちは、ともかく課長になりたいとか、あるいは、庭のある家に住みたいとか、さまざまな願望を胸にたたんで、毎日を生きることになります。そのようなことをあれこれ思いはかりながら人生をやっていれば、まるでバーゲンセールで不必要なものを買いこみすぎたときのように、階段をおりる足もともふらつきがちで、行動の自由をうばわれます。
 生活臭などというものには、不精髭ほどの愛矯もありません。しかし、そのことに無頓着なためでしょうか、髭は毎日しっかり剃るにもかかわらず、住宅ローンにやつれた顔を恥じようともしないひとがいます。ほんとうに大切なものはなんなのか、そのみきわめを怠れば、思いきりよくなにかを捨てられるはずもありません。あれもこれもと欲張るから、生活臭などという悪臭を周囲にふりまくことになります。生活臭という悪臭は、困ったことに、口臭に似て、当人はその臭いに気づかない。
(中略)
 あなたの、こだわりといったものがまったく感じられない仕事ぶりは、世俗の名声とか名誉とか、あるいは財産とかあれこれ、いずれにしても一服するときに飲むコーヒーほどの意味もないものを、いさぎよく無視したところでなされているように思われます。そのようにあなたによってうたわれた歌であるがゆえに、どの歌も、静かにほんとうのことをうたいます。
 残念なことに、ぼくらは、日々の生活をしていくうえで、小さな頭で姑息な計算をしつづけるウジウジした男やイジイジした女に会うことが多く、その結果、気分も、さっぱりせず、萎えがちです。そういうとき、北ヨーロッパのひとたちが輝く太陽をみたくて南に旅するときのような気持で、ぼくは、あなたのディスクをプレイヤーにセツトします。あなたのうたう、さらりと歌でありつづけている歌がスピーカーからきこえてくると、それをきくぼくは、自分のなかにも巣くっているウジウジやイジイジに気づき、これはいかん、と大いに反省したりします。
 過度に男を主張することもなく、楽しみつつさらりと男をやっているあなたの歌は、ぼくにとって、いつでもすがすがしく感じられます。
     *
黒田先生の「音楽への礼状」からの書き写してある。
ここでの「あなた」とは、ジョアン・ジルベルトである。

Date: 7月 7th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(菅野沖彦氏のこと)

ステレオサウンドでの試聴のあいまに、菅野先生が話されたことを思い出している。

それがいつなのか正確には話されなかったが、
音というものがよくわからなくなった時期が、菅野先生にもあった、とのこと。

その時、菅野先生はラジカセを買いに行かれたそうである。
さすがにオーディオ店、電器店だと、
オーディオ評論家がラジカセを買いに来た──、
そんなウワサが流れることもあろうから、わざわざデパートで購入された、とのこと。

ラジカセで音楽を聴かれたはずだ。
どんなふうに聴かれたのか、
そこで何を感じられたのか、何を学ばれたのか、
いまになって強く知りたい。

あの時、きちんときいておけばよかった、と後悔している。

Date: 7月 7th, 2019
Cate: 価値・付加価値

オーディオ機器の付加価値(買い方によって……・その3)

二言目には「付加価値が……」というオーディオマニアを知っている。
この「付加価値が……」男は、
差別化のためには「付加価値が……」というし、
デザインも付加価値だ、という。

こんな男と付加価値について話し合う気はまったくなくて、
「付加価値が……」男の考える付加価値とは、いったいどういうものなのか、
私は理解していないし、理解する気はまったくない。

それでも思うのは、「付加価値が……」男は、
おそらく付加価値とは、多くの人に共通するものだと考えているのではないか、である。

けれど付加価値とは、一人ひとり違う、と私は考える。
付加(附加)とは、読んで字の通りである。
つけ加えることである。

何を、誰がつけ加えるのか。
「付加価値が……」男は、メーカーがつけ加えるものとして考えているのではないか。

そうではない。
付加価値とは、一人ひとり違うものと考える私には、
それを手にした人によって、手にした状況によって、
そこにつけ加わるものである。

その2)で書いている買い方をした人にとっては、
付加価値よりも、少しでも安く買えることが優先されることなのだろう。

二時間もの試聴につきあってくれた店員は、
客(?)の顔を憶えていることだろう。

amazonで買わずに、この店で購入していれば、
その店員との関係が、なんらかの形で生れてきたはずだ。

このことが付加価値につながっていくはずだ。

Date: 7月 7th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(その7)

この項の(その4)に、
audio wednesday常連のHさん(愛知のHさんと違う)から、facebookにコメントがあった。

グッドマンのAXIOM 150でのモノーラル再生は、
これまで経験のない音楽表現を聴くことができた、とあった。

これだけ、当日の音を聴いていない人の中には、
ノスタルジーに浸った音は思う人もいよう。

でもHさんは、決してノスタルジアといったことではなく、
一つの音楽表現(ピリオド奏法と同じようなもの?)としての経験、とされていた。

ピリオド奏法と同じ、とはいえないにしても、
確かにHさんがいわれるように、
ピリオド奏法と同じようなもの? と感じるのにつながっていく性質の音とはいえる。

ステレオ録音をモノーラルで聴いているわけだから、
録音されている情報量すべてが再生されている──、
そういう感じの音からは遠い鳴り方である。

しかも今回は歌ばかりを聴いていた。
聴く音楽がかわれば、印象もまた違ってこようが、
どの歌も、ここでの表現を逸脱するような表現を求めてくるわけではなかった。

そのこともHさんの印象に、いい方向に働いていたのかもしれない。

それでも(その5)の最後に書いた細工による音の変化は、
しなやかできっちりと表現してくれた。

それまではどこかナロウな感じがどこかしらつきまっていたが、
もうほとんど気にならなくなった。

この部分は、やっぱり、これだけの悪さをしていたのか──、
そのことを実感していた。

Date: 7月 7th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(その6)

カセットテープの音に、どこかふわふわしたところを感じ、
それが安定感のなさにつながっているように感じもする私は、
熱心にカセットテープの音に取り組んできたとはいえない。

メタルテープが出れば、関心をもった。
もったけれど、メタルテープ対応のカセットデッキを買うにはいたらなかった。

ナカミチが1000ZXL、さらに1000ZXL Limitedを出したときも、
すごいモノだなぁ、と思いながらも、そのおもいに憧れは含まれていなかった。

なので1000ZXLを持っている人をうらやましく思うことはなかったし、
1000ZXLを買えるだけの余裕があるのならば、
ルボックスかスチューダーのカセットデッキが欲しい、と思っていた。

カセットデッキの性能として、1000ZXL以上は求められないであろう。
1000ZXLの音をきいたことがないわけではない。
700ZXLの音も聴いているし、
そのころNHK-FMで放送されたシルヴィア・シャシュのライヴを録音したとき、
ステレオサウンド試聴室にあったケンウッドのL02Tと700ZXLを使った。

カセットテープでも、これだけの音で録れるのか、と感心もした。
それでも、その録音したテープを聴くのには、ソニーのウォークマンWM2だった。

カセットテープと私とのつきあいは、その程度だった。
夢中になることはなかった。

7月のaudio wednesdayのテーマをカセットテープにしてからも、
だからといって、準備になにかやっていたわけでもない。

そんな私でも、いざ、ひさしぶりにカセットテープでの音楽をまじめに聴いていると、
こういう聴き方を忘れていたような感覚があった。

Date: 7月 6th, 2019
Cate: 「オーディオ」考

豊かになっているのか(その10)

今年のOTOTENに出展していたESD ACOUSTICは、中国の若いメーカーである。

中国は、衣食住足りて、いま文化的なことに目を向けている──、
そういう意見を目にした。
ESD ACOUSTICは、そういう背景から生れたメーカーなのかもしれない。

日本の、1970年代のオーディオブームも、そうだったのかもしれない。
高度成長期を経て、文化的なことに目を向けるようになってのオーディオブームだったのか。

そうともいえるし、
そうだとしたら、衣食住足りて、いま文化的なことに目を向けている」ということでは、
日本と中国も同じなのか、という気もする。

けれど違う背景がある、とも思っている。
決して衣食住足りている、とはいえない時代に、
オーディオに真剣に取り組んでいた人たちが日本にはいた。

五味先生がそうだった。
芥川賞を受賞されるまでのこと、
受賞されてからも、それ以前の生活とたいしてかわらなかったこと、
剣豪小説を書く決心をされるまでのことは、
五味先生の書かれたものを読んできている人ならば知っている。

そうであっても、五味先生は、いい音を求めて続けられていたからこそ、
「オーディオ愛好家の五条件」の一つに、
「金のない口惜しさを痛感していること」を挙げられている。

五味先生だけではない、瀬川先生もそうだ。
ステレオサウンド 62号、63号の記事を読んで、瀬川先生の少年時代の家庭事情を知った。
瀬川先生も「金のない口惜しさを痛感している」人であった(はず)。

衣食住足りなくとも、オーディオに、音に情熱を注いできた人たちがいる。
衣食住足りている時代以前の背景が、
日本と中国とでは違うのではないだろうか。

中国に、五味先生、瀬川先生のような人はいなかったのではないか。
中国だけではない、他の国でもそうなのではないだろうか。