Archive for 7月, 2019

Date: 7月 16th, 2019
Cate: ロングラン(ロングライフ)

定番(その5のその後)

その5)で書いている友人Aさんの友人のCさんのこと。

奥さんに黙ってCL1000を購入。
奥さんが旅行で留守にしている隙に、
それまで使ってきたC1000をCL1000へと置き換える。

Cさんの計画通りに事は運んだ。
けれど数日後、奥さんが「どこか変えた?」と言ってきたそうである。

音がずいぶん良くなっているから、どこか変えたでしょう、とCさんに問いつめた。
そのくらい音が良くなって、Cさんも一瞬どきっとしたものの、なんとか切り抜けたそうである。

交換したことは一部認めたそうである。
計画は成功したとはいえ、こんなにも早くバレるくらいに、
音が良くなったことこそ、嬉しい誤算といえることなのだろう。

Date: 7月 16th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、カセットテープのこと(その1)

テクニクスのSB-F01というスピーカーが、ずっと以前にあった。
手のひらにのるサイズの、
ヘッドフォンのドライバーをアルミ製エンクロージュアに取り付けた、ともいえるスピーカーである。
それゆえヘッドフォン端子に接続して鳴らすこともできるようになっている。

高校生のとき、私も買った。
買った、という人はけっこういる、と思う。

私が買ったSB-F01は、いまでも実家にある、と思う。
いま私の手元にあるSB-F01は瀬川先生の遺品である。

とはいえ毎日鳴らしているわけでもなく、
ここ数年はまったく鳴らしていなかった。

ふと思いついた。
カセットデッキに、SB-F01を接いで鳴らしてみよう、と。

まずカセットデッキのライン出力をSB-F01に入れてみた。
SB-F01は入力を二つもち、ヘッドフォン端子からの信号を受ける場合用に、
インピーダンスを20Ωとした端子も用意されている。

どのくらいの音量が出るのかな、と試してみたら、
やっぱりダメだった。

CDプレーヤーならば2Vの出力をもつが、
カセットデッキは340mVで、インピーダンスもさほと低くない。

蚊の鳴くなような音量しかとれない。
部品箱を探したら、フォーンプラグが見つかったので、
今度はヘッドフォン端子に接続する。

今度は大丈夫である。

Date: 7月 15th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その7)

(その6)へのコメントが、facebookであった。
そこには、80年代末に、憧れのナカミチを手に入れることができた、とあった。

1980年代末、そのころカセットデッキが販売店でどういう扱いをされていたのか、
自分の目で確かめているわけではないが、
おそらく定価からかなり割引いて売られていたのであろう。

だからこそ、(その6)へのコメントであったはずだ。

コメントを読んでいて、私にとっての憧れのカセットデッキは? としばらく考えていた。
なかったなぁ、というのが正直なところである。

アナログプレーヤーであれば、EMTの930st、927Dst、トーレンスのReferenceがそうだった。
アンプにも、同じくらい憧れていたモノがいくつかあった。

学生だったころ、いつかはEMT、いつかはマークレビンソン、
そんなふうに憧れていた時代だった。

けれどカセットデッキとなると、
そういう強い憧れを持たずに、ここまできてしまった。

ルボックスのB710はいいなぁ、と思ったけれど、
930stに感じていた憧れと同じとはいえない。

カセットデッキに夢中になれなかったことを、改めて感じている。

ナカミチのデッキといえば、友人のAさんは、
ハタチ前後のころ、秋葉原にあった光陽電気でアルバイトをしていた。

彼は、ナカミチのDragonを、店でいちばん売った男である。
光陽電気内だけというよりも、全国的にみても、そうとうな数を売っていたみたいだ。

Aさんが商売上手だったからなわけではない、と思っている。
Aさん自身が、ナカミチのDragonに強い憧れを抱いていたからこその売上げだ、と思っている。

Date: 7月 14th, 2019
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド

編集者の悪意とは(その16)

ステレオサウンド 74号掲載の記事は、
Celloを興したばかりのマーク・レヴィンソンへのインタヴューである。

ここには筆者名がない。
ほんとうは筆者名(オーディオ評論家)が入るはずだった。

マーク・レヴィンソンにインタヴューしたのは、その人であった。
記事をまとめて原稿を書いたのは、その人である。
けれど、記事には筆者名がないのは、
これも〆切りをすぎてあがってきたうえに、ひどい内容だったからだ。

書き直してもらう──、
その選択肢は時間的余裕がすでになくて無理だったし、
ここでも書き直してもらったからといって、よくなる可能性は低かった。

結局、どうしたかというと、私が書くこと、まとめなおすことになった。
筆者に渡していたテープ起しのワープロ原稿と録音したカセットテープとがある。

このテープ起しは、編集部で行ったのではなく、テープ起し専門の会社に依頼したものだった。
以前から、この会社に依頼していて、
担当もその都度かわるのではなく、専門用語が出てくることもあって、
同じ人がやってくれていたようだったが、それでもオーディオに関心のない人には、
荷が重い作業のはすだ。

テープを、今度は私が聞いてワープロで文字にしていった。
そのうえで新たに記事としてまとめたのが、74号に載っているものである。

この記事も私が担当ではない。
けれど時間が迫っていればそんなことはいってられない。

それに私が新たに書いたもののほうが、ずっと濃い内容になっている。
というか、なぜ、あそこまで薄い内容にまとめられたのかが、不思議なほどである。

ここまで読まれた人のなかには、
沢村とおる氏の名前は出していて、
74号の記事では、誰なのか書かないのか、と疑問に思われるかもしれない。

沢村とおる氏の場合は、不本意ながらそのまま原稿が記事になっているから、
記事に沢村とおる、とある。

けれどCelloの記事は、私の原稿だから、
編集部原稿となってしまったから、筆者名はない。
だから、ここでの誰なのかは書かないだけである。

Date: 7月 14th, 2019
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド

編集者の悪意とは(その15)

いまになって、三十年も前のことを、
具体的に書く必要があるのか、と疑問に思う人もいていい。

沢村とおる氏をダメな書き手と思われる人もいるだろうし、
私に批判的な人もいよう。

この項を読まれて、どう思われるのか。それは読み手の自由であって、
私は、編集者の悪意とは何か、について考えてもらいたいだけである。

沢村とおる氏の原稿を、担当者から「なんとかしてくれ」と渡されるまで、
こんな記事があったのを知らなかった。

アンケートの項目についても、どうも沢村とおる氏にまかせっきりだったようだ。
ステレオサウンドは70号の管球式アンプの特集でも、
国内外の管球アンプのメーカーにアンケートを送っている。

そこでの質問は、すべて編集部で話しあいながら決めたものだった。
私が出した質問も、二、三採用された。

こんな原稿になったのは、沢村とおる氏だけの責任ではない、とも思う。
それでも〆切りをすぎて、この程度の原稿である。
書き直してもらう時間も、書き直してならったからといって、よくなる保証はない。

せめてメーカーからアンケートへの回答が手元にあれば、まだどうにかできた可能性はあったが、
それすらない。
あるのは〆切りをすぎた程度の低い原稿のみである。

同じことは別の筆者でも、以前にあった。
74号(1985年春号)掲載の、
「Cello by Mark Levinson ミュージックレストアラー〝オーディオパレット〟登場」
がそうである。

Date: 7月 14th, 2019
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド

編集者の悪意とは(その14)

ステレオサウンド 88号で、
沢村とおる氏は、
《ユニットとエンクロージュアを相互に考えながら、一体化して考えていく》のが、
スピーカーの専門家(いわばメーカー)の考え方であって、
《ユニット構成に基づいて、それに一番適合したエンクロージュアを考える》のは、
アマチュアの考え方として書かれているが、
それはあくまでも沢村とおる氏の目にうつっている範囲内でしかない。

海外のスピーカーメーカーに目を向ければ、そうでないことは誰の目にも明らかなのに、である。
ここでのテーマは、
海外のスピーカーメーカーと日本のメーカーの、
スピーカー開発における考え方・手法の違いについて述べることではないので、
これ以上詳しくは書かないが、
JBLにしてもタンノイにしても、それからKEFもそうなのだが、
日本のメーカーが、新しいスピーカーを開発するにあたって、
新しいユニット、さらには新しい素材による振動板から開発するのに対して、
海外のメーカーは、既存のユニットをベースに、システムを組み立てていく。

もちろん、そこには既存のユニットであっても、
《ユニットとエンクロージュアを相互に考えながら、一体化して考えて》いっているはずであり、
アマチュアであっても、それは同じである。

もちろんアマチュアにはユニットを開発していくことは無理ではあるが、
既存のユニットを選び使い、
《ユニットとエンクロージュアを相互に考えながら、一体化して考えていく》ことは可能である。
なかには、そうでないアマチュアも少ないないとは思うが、
だからといって、沢村とおる氏の捉え方は、狭すぎる。

何かについて書くにあたって、
すべてのことを書くことは、まず無理である。
どこかで情報の取捨選択を迫られる。

それに書き手が、書くテーマについてすべてを知っていることなんて、
まずありえない。

意図的な取捨選択、そうでない取捨選択が常にあるのが原稿といえよう。

Date: 7月 14th, 2019
Cate: 冗長性

redundancy in digital(その7)

ステレオサウンド編集部にいたからといって、
当時登場したオーディオ機器のすべてに接することができたわけではない。

関心をもっていても、実物をみたことすらない製品もある。
私にとって、そして、この項のテーマに関係しているモノで真っ先に浮ぶのは、
dbxのdbx 700である。

dbx 700のフロントパネルには、“DIGITAL AUDIO PROCESSOR”とある。
とはいえ、PCMプロセッサーではない。

当時の広告には、
《サンプリングレイト640kHzを持つ世界で初めてCPDM(Companded Predictive Delta Modulation)──圧縮予測型Δ・モジュレーション──方式》
とある。

16ビットPCMではない、とも広告にはある。
いまでこそ700kHzを超えるサンプリング周波数のPCMは実現しているが、
dbx 700が登場したのは1984年である。

ほとんどのCDプレーヤーが、四倍オーバーサンプリングを謳っていた時代である。

dbx 700は、受註生産だった。
価格は1,650,000円で、
外形寸法/重量はW48.2×H13.3×D29.2cm/10.5kgで、消費電力は60Wである。

dbx 700については、Wikipedia(英語版)を参照してほしい。

ソニーのPCM-F1の登場から約三年が経っている。
当時の広告には、《2年のR/Dを経た今》とある。

dbx 700の開発が始まったのは、PCM-F1の登場後である。

Date: 7月 14th, 2019
Cate: ケーブル

ケーブル考(銀線のこと・その18)

オーディオというシステムのなかには、いくつものコイルが存在する。
テープデッキのヘッドにも、コイルは存在する。

銀線採用が謳い文句のようになってきたころ、
ヤマハのカセットデッキのK1も、
メタルテープ対応以外にも、ヘッドの巻線を銀線に変更して、K1aへとモデルチェンジした。

さらにヤマハK1aをベースに、dbx対応としたK1dを出してきた。
K1もK1aもK1dも、ヤマハ独自のセンダストヘッド採用なだが、
K1dのヘッドの巻線が銀線なのかどうかは、いまのところはっきりしない。

K1dの内部は、K1aの内部とほぼ同じである。
dbxのエンコード/デコード用の基板が、
メイン基板の上に増設されているくらいの違いである。

もっともこれは目に見える範囲内だけの違いであって、
ヘッドにも変更が加えられているのかもしれない。

K1dのヘッドは銀線の可能性はある。

Date: 7月 14th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その6)

井上先生が、ステレオサウンド 73号のベストバイにおいて、
カセットデッキの現状について、こんなことを書かれている。
     *
 カセットデッキの高性能化、機能の多様化は、すでに完成期を迎え、オーディオ製品というよりは、プログラムソースのベースとしての必需品的な性格が強くなり、ステレオサウンド的オーディオとは関係のない商品へと進んでいる様子である。
 価格的にも、すでに10万円前半が高級機の上限的な傾向が定着し、カセットテープの高性能化によるクォリティアップという好材料もあって、最下限の音質が向上したため、一段とオートリバース、Wカセットへの方向が促進されるだろう。
     *
73号は1984年冬号である。
ナカミチの1000ZXLは、この時点でも現行製品だったが、
カセットデッキのベストバイではなくなっている。
二十万円以上のカセットデッキのベストバイとして、
B&OのBeocord 9000には岡先生が二点をいれられているが、
これのみ、岡先生だけである。

1000ZXLが登場したころとは、ずいぶんな様変りである。
こういうふうになることは、メーカーならばある程度は予測できたことなのか──、
とも思う。

予測していたメーカー、そうでないメーカー、どちらもあったと思う。
井上先生は、77号のベストバイでは、
《あれほどまでに、全盛を誇っていたカセットデッキが、急激に衰退を示したことは、日の出の勢いを謳歌するCDプレーヤーにとっても、何れは己れの身かな、という一種の警鐘であるのかもしれない》
と書かれている。

77号は1985年、三十四年前のステレオサウンドである。

Date: 7月 14th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その5)

アキュフェーズが、カセットデッキを出していたら、
どんなモノになっていただろうか、と想像するのはけっこう楽しいし、
その音についても、勝手に想像するのもさらに楽しい。

けれどアキュフェーズからはカセットデッキは出なかった。
ナカミチのカセットデッキと肩を並べるモノを出してきたかもしれない。
なぜ、アキュフェーズはカセットデッキを出さなかったのか。

結局は、アンプと同じレベルのアフターサービスの維持が困難だったからではないのか。
アキュフェーズのアフターサービスについては、
ユーザーであればご存知のはず。

ユーザーでなくてとも、アキュフェーズのアフターサービスについて、
悪い話は聞いたことがない。
アキュフェーズはしっかりしている、という話ばかりを聞く。

カセットデッキで、これだけのアフターサービスは無理ではないだろうが、
その分会社への負担は大きくなるだろう。

オーディオの業界では、修理を専門とするところ(人たち)がいる。
そういう人でも、カセットデッキの修理だけはやりたくない、という。
そうでない人もいるだろうが、
カセットデッキの修理はやりたくない、という人の気持はよくわかる。

修理というのは、モノにもよるが大変な作業である。
自分で作ったモノを修理するのではない、
誰かが作ったモノを修理するのは、
修理の対象となる製品を理解していなければ、できないことである。

カセットデッキの修理は、故障の程度にもよるが、
アンプの修理よりも手間も時間も神経も使う作業である。

アキュフェーズがカセットデッキを開発しなかった理由はわからないが、
アフターサービスのことを抜きにしての理由はないはずだ。

Date: 7月 14th, 2019
Cate: 情景

「春宵十話」と「数学する人生」

情報・情景・情操」というタイトルの別項で書いていることがある。
そこで書こうとしていることを、
7月のaudio wednesdayで、ひさしぶりにカセットテープ(デッキ)の音で音楽を聴いて、
あらためて考えているところである。

情操について考えている。
昨日、駅からの帰り道にある書店に寄ったところ、
文庫本のところに岡潔氏の文庫本が二冊平積みされていた。

春宵十話」(光文社文庫)と「数学する人生」(新潮文庫)である。

岡潔氏について、多くを知っているわけではない、というか、
ほとんど知らない、といっていいかもしれない。
もちろん数学者ということぐらいは知っている。

そのぐらいでしかなかった。
昨晩、書店に寄らなければ、ふだんあまり見ない文庫本のコーナーに寄らなければ、
この二冊を買わないまま、読まないままだったろう。

どちらにも情緒、情操が、ページをめくると、どこかにある。

Date: 7月 13th, 2019
Cate: 電源

スイッチング電源のこと(その4)

スイッチング電源がオーディオ機器に使われはじめた1970年代後半、
そのころの製品で、スイッチング電源について考えるのに、
対照的なところをもつのがソニーのパワーアンプである。

ソニーはTA-N86、TA-N88でスイッチング電源を採用した。
ソニーは、PLPS(パルスロック電源)と呼んでいた。

TA-N86、TA-N88は、シャーシーの高さ8.0cmの薄型パワーアンプである。
これら二機種の約一年後に登場したTA-N9もスイッチング電源搭載のパワーアンプである。

TA-N9は18.5cmと、TA-N88の二倍以上の厚みになっている。
内部はアンプ部よりも、電源部の占める割合が大きい。
ほぼ三分の二の電源といえるほどである。

しかもTA-N9はモノーラルパワーアンプにも関らず、
ヒートパイプ方式のヒートシンクを二基もつ。
アンプ用とスイッチング電源用である。

TA-N86、N88のスイッチング電源の動作周波数は20kHzである。
ビクターのM7070が35kHzである。
TA-N9は、TA-N86、88と同じ20kHzである。

高校生のころ、TA-N9の内部写真を見て、
スイッチング電源の動作周波数が高くなったのかも……、と最初思った。
動作周波数を高く設定することで、発熱も増えていったのかもしれない。
そのためのヒートシンクなのだろう、と考えたわけだ。

でも動作周波数は変らず、である。
スイッチング電源は、そのころから効率がいい、といわれていた。
効率がいいということは発熱も少ないはずだ。

にも関らずTA-N9のスイッチング電源のヒートシンクは、
450Wの出力をもつアンプ部のヒートシンクと同サイズである。

しかもスイッチング電源部はシールドされているが、
平滑コンデンサーはシールドケース外にあり、
スイッチング電源とは思えないサイズのコンデンサーである。

このことは、スイッチング電源を本気で設計し作るとなると、
同時代の、同じ会社のパワーアンプにおいても、これだけの違いが生じてくる、ということである。

Date: 7月 12th, 2019
Cate: オーディオマニア

平成をふり返って(その6)

とにかく平成という時代に、インターネットがおそろしいスピードで普及した。
さらにスマートフォンが登場し、
四十年前にウォークマンが登場し、音楽を外へと持ち出せるようになったのと同じに、
インターネットも家でパソコンの前に座って、という接し方から、
手のひらにおさまる一枚のプレート状のモノで、ほぼどこでもいつでも、
しかも高速で接続できるようになった。

このことと関連しているのかどうか、まだなんともいえないが、
東京でもかなり大きな病院の病棟をたずねた。

そこで驚いたのは、皆、ベッドとベッドのあいだのカーテンを、
昼間でも閉めきっていることだった。

私が入院したのも、平成だった。
平成になって二年目だった。

六床部屋だった。
もちろんベッドとベッドのあいだにはナイロン製と思われるカーテンがあった。
けれど、カーテンを閉めるのは、夜だけだった。
私だけでなく、同室の他の人たちもそうだった。

私が入院していた部屋だけではなく、ほかの部屋のそうだった。

だから部屋は昼間は、とうぜんながら明るい。
なのに今回行った病院の入院病棟の部屋は、昼間でも暗い。

六床部屋で皆がカーテンを閉めているのだから、暗くなる。

この病院だけなのだろうか、
それとも、いまでは他の病院でもそうなのか。

Date: 7月 11th, 2019
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(UREI Model 813・その10)

1979年秋のステレオサウンド別冊、
「SOUND SPACE 音のある住空間をめぐる52の提案」のひとつ、
瀬川先生による「空間拡大のアイデア〝マッシュルーム・サウンド〟」は、
面白い提案だと高校生だった私は、まずそう思ったけれど、
現実には、この提案を実現するには、四畳半とはいえ、
家を建てることが前提のものであるだけに、
どちらかといえば、興味をおぼえたのは、
狭い空間に平面バッフルを収める方法についてだった。

賃貸住宅に住んでいるかぎりは、マッシュルーム・サウンドは無理、と思っていた。
でも、その考えが変ったのは十年ほど経ってからだった。

そのころからだったと思うが、ロフトと呼ばれるアパートが出てきはじめた。
屋根裏を居住空間としたもので、一時期流行っていた。

とはいえ、ロフト部分は屋根裏にあたるだけに冬は暖かいが、夏は暑い。
それにメインの居住空間は、暖かい空気がロフト部分に逃げるため、冬は寒い、ともいわれている。

結局、ロフト部分はふだん使わないものの物置き的使い方になってしまう、ともいわれていた。

けれど、このロフト形式のアパートこそ、瀬川先生のマッシュルーム・サウンドに近い。
ロフト分だけ空間拡大されているし、
それになんといっても天井高が意外にも確保できる。

建物にもよるが、一番高いところでは4mほどにもなる。
それに天井が傾斜しているわけだから、
床と天井という大きな平行面が一つなくなる、という利点もある。

もっともロフト部分へは梯子での昇り降りであり、
たいていのロフト付きのアパートでは、梯子の位置が、
スピーカーの配置の邪魔になる場合も少なくない。

それでもロフト部分は、空間拡大のためだけと割り切ってしまえば、
梯子を外してしまうことだって可能だ。

Date: 7月 11th, 2019
Cate: 使いこなし

使いこなしのこと(ステレオゆえの難しさ・その4)

左右のスピーカーから等距離の位置で音を聴くわけだが、
あえて大きく左右どちらかに大きく動く。

どのくらいかというと、スピーカーの外側まで移動して音を聴く。
つまりスピーカー・エンクロージュアの側面が正面にみえるくらいに移動する。

スピーカーシステムによるのだが、意外にいい雰囲気の音を聴かせてくれることがある。
そういうスピーカーはエンクロージュアの側面を叩いてみると、いい響きのするモノが多い。
スピーカーユニットからの音とエンクロージュアからの輻射、
その比率が正面で聴くのと、ここまで大きくずれるのとでは、大きく変化する。

こんなことをやる理由は、エンクロージュアから輻射されている音(場合によっては響き)を、
意識的に確認してほしいからである。

特にフロントバッフルの面積があまりなく、
奥行きの長いエンクロージュアの場合、
スピーカーの振りによる音の変化(響きのまざりぐあいの変化)は、けっこう大きい傾向にある。

エンクロージュアからの輻射音は、極力聴きたくない、という考えの人もいる。
エンクロージュアの側面が聴取位置からほとんど見えないようにセッティングしたとしても、
側面からの輻射がなくなっているわけではないし、
側面からの輻射は、側壁との距離次第では、そういう設置であっても無視できるわけではない。

左右のスピーカーの中央寄りの側面同士の干渉も起っていると考えるべきである。
スピーカーの振りの角度を調整していくということは、
そういう要素を変えていることでもある。

いま行っている調整は、何を変化させているのかを少しでも明確にするためにも、
二本のスピーカーの中央から外れた位置で、
しかも大きく外れた位置での音、というより響きに注目して聴くことは、
意外なヒントに気づくことだってある。