Archive for 3月, 2019

Date: 3月 10th, 2019
Cate: High Resolution

High Resolution to Higher Resolution(複雑化?・その1)

「MQAのこと、リファレンスのこと」に、facebookでコメントに、
プログラムソースの多様性はいいけれど、現実にはお金がかかる、というのがあった。

確かにそう感じるところはある。
それに複雑化といっていいのか、少し迷うところもあるが、
そうなりつつあるとも思う。

MQAの登場を、メリディアンのULTRA DACでその音を聴いて私は歓迎しているけれど、
新たなフォーマットが一つ増えたことは確かだし、
しかも世の中に登場したCDプレーヤーで、すべてのディスクフォーマットが再生できる機種は、
一つもない(はずだ)。

通常のCD、SACD、DVD-Audio、Blu-Ray Audio、MQA-CD、
これらすべてを再生できる機種は、私の知る限りない。

オーディオマニアからすれば、そんなことは当り前のように受けとってしまいがちだが、
オーディオにあまり関心のない人たちからすれば、不思議なことのようにうつるのではないだろうか。

CDプレーヤー単体で、高価なものならば500万円を超えている。
でも、この非常に高価なCDプレーヤーは、すべてのディスクフォーマットを再生できない。

別に、できないことを批判しているのではない。
それが現実であり、すべてのディスクフォーマットを満足のいく音で聴こうとしたら、
数台のCDプレーヤー(CDプレーヤーという呼称は便宜的に使っている)が必要となる。

私はメリディアンのULTRA DACにぞっこんだが、
ULTRA DACでSACDを聴こうとしたら、リッピングしたファイルを再生するか、
ダウンロードで購入できるのであれば、そういう方法しかない。

以前別項「オーディオがオーディオでなくなるとき(その5)」で、
ハイレゾ(High Resolution)は、
ハイアーレゾ(Higher Resolution)、さらにはハイエストレゾ(Highest Resolution)、
ハイレゾに留まらないのかもしれない、と書いた。

DSDも2.8MHzから始まって、5.6MHz、11.2MHzとなり、
このあたりで落ち着くのかなぁ、と思っていたら、22.4MHzも出てきた。

PCMも同じである。
どこまで周波数は高くなるのだろうか。
ビット数も同じだ。

まさしくハイアーレゾ(Higher Resolution)になっている。
それでもハイエストレゾ(Highest Resolution)とはいえないのが現状なのだろう。

Date: 3月 9th, 2019
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンド 210号(その1)

別項「MQAのこと、ステレオサウンドのこと」で、
第一特集は小野寺弘滋/傅 信幸/三浦孝仁/柳沢功力/和田博巳と五十音順なのに、
第二特集は山之内正/土方久明/逆木 一と五十音順ではないことを指摘した。

210号を手にして、既視感もあった。
どこかで見た記憶がある、と。

なので書店に行き、音元出版のNet Audio Vol.33をパラパラめくった。
山之内正、土方久明、逆木 一の三氏は、私のなかでは音元出版の筆者というイメージがあるからだ。
特に山之内正氏は、音元出版の編集者だったことも強く関係している。

Net Audio Vol.33には、ライターズセレクションという記事がある。
山之内 正、土方久明、逆木 一、鈴木 裕、岩井 喬、角田郁雄の六氏が登場されている。
この名前順にである。

そう、最初の三人の登場順とステレオサウンド 210号の第二特集の登場順は一致している。

Date: 3月 9th, 2019
Cate: 情景

情報・情景・情操(音場→おんじょう→音情・その2)

七年前に「情報・情景・情操(音場→おんじょう→音情)」を書いている。

ステレオサウンド 210号の「オーディオファイル訪問記」を読んでいたら、
そこに「音情」とあった(212ページに載っている)。

それを見て、そういえば以前書いていたなぁ、と思い出した。
自分で書いておきながら、もう七年前なのか……、と思っていた。

210号の「オーディオファイル訪問記」に登場されている桑原光孝氏は、
おそらく私と同世代の方だろう。
あと数年で定年とあるし、
大学に入って初めて買ったステレオサウンドが63号ともあるからだ。

そして歌謡曲をよく聴かれる、とある。
そうかそうか、と思う。

私が先に「音情」を使ったと主張したいわけではなく、
瀬川先生の文章を読み感銘し、歌謡曲をよく聴いて、という人だから、
音情が思い浮ぶのだろう、と思ったからだ。

Date: 3月 9th, 2019
Cate: ディスク/ブック

Cinema Songs(その3)

黒田先生は、
《薬師丸ひろ子の決して押しつけがましくもならない、楚々とした声と楚々としたうたいぶり》
と以前、ステレオサウンド 80号にそう書かれていた。

先日のaudio wednesdayで最初に鳴ってきた音は、
とうてい楚々とした声とはいい難かった。

こういう時は、きちんとセッティングをやっていき、
そのあいだ「Cinema Songs」を鳴らしつづけていた。

18時くらいに鳴らしはじめ、
なんとか19時くらいには、薬師丸ひろ子らしい特徴が聴きとれる程度にはなっていた。

今回は「Cinema Songs」だった。
毎回、そういうわけではない。
前回はクルレンツィスのマーラーの交響曲第六番だったり、
「THE DIALOGUE」だったりする。

そんなわけでCDプレーヤーのなかに「Cinema Songs」が入っていたから、
19時からの開始にも、そのまま鳴らしつづけた。

毎回こんなことをやっているけれど、その度に思っているのは、
18時から19時までの音の変化は、けっして小さくない。
この一時間の音の変化を聴いていれば──、ということだ。

仕事の関係で19時すぎにならないと来れない人は仕方ないけれど、
早く来られるのであれば、この時間帯の音の変化を聴かないのはもったいない。

鳴り始めの音は、それほどいいわけではない。
そんな音は聴きたくない──、のであれば、仕方ない。
それはそれでいい。

けれど、私がaudio wednesdayで聴き取ってほしい、と思っているのは、
約四時間のなかでの音の変化である。

19時以前に、すべてのセッティングをすませておくことはできる。
けれど毎回、いくつかを残して、四時間のうちに何度か音を変えていっている。
それは音の変化を聴き取ってほしいからである。

Date: 3月 9th, 2019
Cate: ディスク/ブック

Cinema Songs(その2)

薬師丸ひろ子の「Cinema Songs」を、6日のaudio wednesdayでもかけた。

愛聴盤かととわれれば、言葉をちょっと濁すけれど、
薬師丸ひろ子の声を歌を、無性に聴きたくなる時期が私には、これまでにも何度かある。

いまも、聴きたい時期かも、と思っている。

先日のaudio wednesdayでは、「Cinema Songs」から始めた。

喫茶茶会記のアルテックを中心としたシステムを、
私が鳴らすのは毎月第一水曜日の約四時間だけである。

あとは店主の福地さん、
それからイベントで鳴らす(使う)人たちである。

けっこういろんな鳴らされ方をされている、ようだ。
それから音を鳴らすイベントばかりでなく、スピーカーをジャマモノとする人たちもいるから、
毎回、スピーカーの状態は違っている。

ひどい鳴らされ方をされたなぁ、と感じることもある。
結線をして音を出した瞬間に、なんなとなくそれはわかるものだ。

今回は、結線が終ってからの最初の一枚を「Cinema Songs」にした。
特に理由があってのことではなく、なんとなく手が伸びたくらいが理由である。

鳴ってきた薬師丸ひろ子の歌を聴いて、今回もかぁ……、と思っていた。
このときはまだセッティングの作業が残っているから、
椅子に座って聴いているわけではない。

それにアンプもCDプレーヤーも電源を入れたばかりだから、
鳴らしながらセッティングをきちんとしていく。

スピーカーの位置も、それにあわせて少しずつ変えている。
大きく動かすわけではないが、実のところ、毎回スピーカーの置き場所は数cmずつ変えている。

Date: 3月 8th, 2019
Cate: Kate Bush, ディスク/ブック

THE DREAMING(その1)

ケイト・ブッシュのアルバムで、強い印象をうけたのは、
やはりデビューアルバムの“THE KICK INSIDE”、
そして“THE DREAMING”である。

“THE KICK INSIDE”を初めて聴いたのは、FMだった。
衝撃だった。

背中に電気が走った、という表現があるが、
“THE KICK INSIDE”を聴いたときが、まさしくそうだった。

ケイト・ブッシュの四枚目の“THE DREAMING”が出た時、東京で暮していた。
同じころ、バルバラの“Seule”で出ていた。

“THE DREAMING”は、“THE KICK INSIDE”以上に、
“THE KICK INSIDE”とは違った衝撃を受けた。

バルバラの“Seule”とケイト・ブッシュの“THE DREAMING”。
どちらも重く、聴き手のこちらにのしかかってくるような感じも受けた。

ひたひたと何かが迫ってくる、とも感じた。
この二枚が、これから先、愛聴盤になっていくのだろうか、とも思っていた。

東京では独り暮しの始まりでもあった。
そのことも、そう感じたことと無関係ではない、といまでは思う。

“THE DREAMING”は、72トラック録音だといわれた。
36トラックのマルチトラックレコーダーを二台シンクロさせての録音である。
当時としては最大数のトラックだったはずだ。
厳密には同期用にトラックが使われているので、
72トラックすべてに録音されているわけではない。

にしても、すごい録音だと感じた。
“THE DREAMING”が発売になって、どのくらい経っただろうか、
ケイト・ブッシュが精神病院に通っている(入院している)というウワサが出た。

そもありなん、と思える録音であった。
事実は、セラピーに通っていた、ということだった。

これだけの録音を仕上げるのは、そうとうにしんどい作業であったはずだ。
“THE DREAMING”はアナログ録音である。

トラックダウン作業の実際を知りたい、とそのころ思っていた。
“THE DREAMING”は、すごく凝った録音なのは聴けばすぐにわかる。

けれど、これだけのものを作り上げるために、どれだけの作業工程が必要だったのか。
“THE DREAMING”は、どう鳴らしてもスタティックな印象がついてまわる。

もっと躍動的に鳴らないのか──、そう感じてもいた。

Date: 3月 8th, 2019
Cate: ディスク/ブック

知識人とは何か(その1)

買っただけで、ロクに読んでいない本がある。
そんな一冊がエドワード・W・サイードの「知識人とは何か」だ。

「知識人とは何か」を思い出したように読み出した。
理由は、最近のインターネット上でのMQAをめぐる論争(とはいえないけれど)である。

facebookにあった、MQAをほぼ全否定している人がいる、という投稿、
この投稿にはいくつかコメントがついていた。

そのなかに、ある人のコメントがあった。
その人の名前と写真を見た瞬間、またこの人か、と少々うんざりした。
きっと荒れるな、コメント欄が……、そうも思った。

その人とは面識はないし、facebookでもつながっていない。
けれどオーディオの、特にデジタル関係のことが話題になっていると、
この人が登場(私にいわせれば出しゃばってくる)する率が高くなる。

この人がコメントに登場すると、その場で読むのをやめることも少なくない。
今回はMQAのことが話題だったから、最後まで読んだ。

読んでいて、いつものパターンのくり返しだ、と思っていた。
どういう人なのか、詳しく書くのは控えたい。
書けば書くほど、こちらがイヤな気持になるからだ。

それでも、こんなことを書いているのは、
この人は専門家なのか、という疑問が、いつも湧くからだ。

本人はオーディオの、さらにはデジタルの専門家だと自負しているように感じる。
そんな自負が、この人のコメントの端々にあらわれているし、
この人特有の言い方になっている。

私には、逆木 一氏のMQAのほぼ全否定の文章よりも、
この人のコメントのありようのほうが、より根深いものを感じてしまった。

しかも、この人に同調・同意する人も少なくない(この人もMQAほぼ全否定側の人だ)。
もちろん、さまざまな意見があってしかるべきであるのはわかっている。

それでも、この人たちは、自分たちだけは真実がわかっている──、
そう思い込んでいるところが節々に感じられる。

だからこそ、この人とその周辺の人たちは、
論争・議論に勝ち負けを持ち込む。

この人も、逆木 一氏も、専門家なのか、と思う。
そう思うとともに、そういえばと思い出したのが、
サイードの「知識人とは何か」に「専門家とアマチュア」という章があったことだ。

Date: 3月 7th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、MQAをめぐるインターネット上のこと

逆木 一氏が、MQAをほぼ全否定されていることを知ったのもfacebookならば、
LINNが、MQA批判をしていることを知ったのも、facebook(コメント)によってだった。

オーディオ関係のサイト、ブログは、ここ数年ほとんど見なくなっている。
以前は定期的に見ていた個人ブログも、いまはまったく見なくなっている。
つまらないから、とかが理由ではなく、なんとなく遠のいてしまって、そのままになっている。

なのでLINNがMQAを批判していることすら知らなかった。
「LINN MQA」でGoogleで検索すると、読みたいものが表示された。
確かに批判している。

その関連で見つけた個人ブログがある。
Float A Flow」である。

そこに「MQA技術解説についての私的メモ・ロスレスかロッシーか?」という記事がある。
さらに「MQAコーデックをなぜ選ぶのか?」もある。

LINNのMQA批判についての「LINNのMQA批判について」もある。
他にもMQAについて書かれている。

「Float A Flow」を公開されている方が、どういう人なのかまったくわからない。
けれど読んでいて、納得できる内容であり勉強になる。

ぜひ読んでほしい、と思いながらも、
できることならULTRA DACでのMQAの音を聴いた上で、とつけ加えたい。

Date: 3月 7th, 2019
Cate: audio wednesday

第99回audio wednesdayのお知らせ(三度ULTRA DAC)

昨晩はaudio wednesdayだった。
毎回のことだが、終了後、後片づけ(セッティングをすべてバラす)すると、
喫茶茶会記を出るのは午前0時近い。

それから電車で帰宅。
最寄り駅に着くのは1時近い。
たいてい夕食をとっていないから、そんな時間に食事となる。
といっても、駅近くの店はほぼ閉まっていて、
結局はコンビニエンスストアで、売れ残っている弁当かサンドイッチか。

帰宅したらサッと食事をすませて入浴。
それでも寝るのは2時近くになる。

毎月第一水曜日はこんな感じだ。
慣れたといえばそうなのだが、
帰宅後にブログを書こうとは思わない。

翌日書けばいい、と思う。
けれど昨晩は、短いとはいえ、一本書いた。

4月のaudio wednesdayで、またメリディアンのULTRA DACが聴けるからだ。
夜中に更新したところで、そんな時間にブログにアクセスしている人はわずかだ。
それでも少しでも早く、読んでくださっている人たちに伝えたい、と思ってだ。

コメントがあるとは思っていなかった。
なのにコメントがあった。
森 孝光さんという方からだった。

北海道にお住まいで、4月のaudio wednesdayに来られる、とのこと。
森さんのULTRA DACへの興味が、そうさせるのだろう。

嬉しいことだ。
同時に、北海道ではULTRA DACを聴く機会がないのか……、とも思った。

そうなのかどうかはわからないが、
仮にそうだとして(そうでなければわざわざ東京まで来られないだろう)、
北海道だけのことではないはずだ、とも思う。

別項で書いているが、MQAをほぼ全否定する人がいるの知った。
その人一人だけでなく、MQAに非可逆圧縮が使われている──、
そのことだけでMQAを、音も聴かずに認めないという人たちがいることも知った。

残念なことに、そういう人たちの方が声が大きいし、多かったりする。
さも、自分たちは真実を知っている──、
そんなふるまいをする人たちだ。

そういう人たちはどうでもいい、と正直思っている。
でも、そういう人たちの声に惑わされてほしくない、と強く思う。

瀬川先生は辻説法をしたい、
「ぼくはいま辻説法をしたいような、なんかすごいそういう気持でいっぱいなんです。」
そう語られている。

瀬川先生の気持がわかる。
ULTRA DACを携えて辻説法したい、そういう気持が芽生えてきた。

実際には無理なことはわかっているだけに、
ULTRA DACを聴きに来られる方がいるということの嬉しさがある。

Date: 3月 7th, 2019
Cate: 広告

ホーン今昔物語(It’s JBL・その2)

ステレオサウンド 210号の第一特集は「いま心惹かれる10のスピーカーで、
小野寺弘滋氏は、JBLのDD6700を鳴らされている。

そこにこんなことを書かれている。
     *
 私はホーン型ユニットが好きである。(中略)
 だが、ホーン型ユニットは一部の、というより、多くの、いわゆるハイエンドスピーカーの設計者から時代遅れだとみなされている形式だ。その理由を詳述するスペースはないが、現在のオーディオ市場に、ホーン型ユニットを搭載したスピーカーシステムがほとんどないのが現状である。
     *
ここで、ちらっとハーマンインターナショナルのサイトで「It’s JBL」を書いていること、
そこでホーン型について書いていることを触れることくらいしてもよかったのでは──、と思う。

読んでほしいと思っている人たちに届かなければ、あまり意味はない。
少なくとも私はそう考える。

(その1)で、「It’s JBL」を読んでいる人たちは、
すでにJBL、ホーン型スピーカーを鳴らしている、もしくは関心のある人たちではないのか、と書いた。

そうでない人もいようが、おそらく少数だ。
ならば小野寺弘滋氏の文章を冊子にまとめてオーディオ販売店に置く、という手もあるが、
コストがかかるし、ここでもまた、その冊子を手にするのは、
すでにJBL、ホーン型スピーカーを鳴らしている、もしくは関心のある人たちが大半になるだろう。

オーディオがブームだったころは、そういうやり方も効果があっただろうが、いまはどうだろうか。

小野寺弘滋氏が、ステレオサウンドの特集の文章のなかで、「It’s JBL」のことを触れたとしよう。
そんなことはけしからん、という人はいる。
多いのか少ないのかはなんともいえないが。

でも、それでもいいではないか。
「It’s JBL」を書いている小野寺弘滋氏が、
「It’s JBL」をほんとうに多くの人、
特にJBL、ホーン型スピーカーに関心のない人たちにこそ読んでほしい、と思っているのなら、
ちょっとぐらいの批判は覚悟のうえで、「It’s JBL」について触れてもいいではないか。

Date: 3月 7th, 2019
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(ステレオサウンド 210号・その2)

ステレオサウンド 210号、
黛健司氏の「菅野沖彦先生 オーディオの本質を極める心の旅 その1」。

ステレオサウンドのウェブサイトの告知で、その1とあったから、
短期連載になることはわかったし、
だからそれほどページ数を割いているわけではないだろうなぁ──、
そんなふうに勝手に思っていた。

そう思ったのは、209号掲載の柳沢功力氏の追悼文にもある。
209号には、原田勲氏の弔辞も掲載されていた。

けれど追悼文は柳沢功力氏だけだった。
柳沢功力氏の追悼文を読んで、これで終りなの?……、とおもっていた。

私と同じように感じていた人は、周りに少なからずいる。
210号以降で、菅野先生のなんらかの形で掲載されるだろうことは、予想できていた。

それでも追悼文があのくらいだったから……、
そう感じていたから、さほど期待していなかったところもある。

なので、黛健司氏の
「ベストオーディオファイル賞からレコード演奏家論へ」には驚いた。

「ベストオーディオファイル賞からレコード演奏家論へ」はサブタイトルである。
おそらく「菅野沖彦先生 オーディオの本質を極める心の旅 その2」では、
黛健司氏ではなく、他の方が書かれるのだろうか。

私個人としては、その2も黛健司氏に書いてほしい、と思っている。
どちらになるのかはわからない。

その2以降、書き手が変っていくのであれば、
誰であろうと、大変だろうな、と思う。

Date: 3月 7th, 2019
Cate: audio wednesday
1 msg

第99回audio wednesdayのお知らせ(三度ULTRA DAC)

平成最後のaudio wednesdayは、4月3日。
平成最後のaudio wednesdayで聴くのは、メリディアンのULTRA DACだ。

三度(みたび)ULTRA DACだ。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時からです。

Date: 3月 6th, 2019
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その13)

シモーヌ・ヴェイユの「純粋さとは、汚れをじっとみつめる力」と、
中原中也の「汚れつちまつた悲しみに」とが、この歳になって結びつくようになった。

「汚れつちまつた悲しみに」を知ったのは、高校生だったか。
こんな表現は私にはできないな、と衝撃にちかいものを受けたが、
だからといって「汚れつちまつた悲しみに」が表現しようとしている何かを感じとっていたわけではなかった。

それでも「汚れつちまつた悲しみに」は、心に残る。

白状すれば、私は詩が苦手だ。
読むのも書くのも苦手だ。

思い出したように、なんらかの詩集を買ってきても、最後まで読み通すのがしんどい。
詩でも、それが歌詞であり、素敵なメロディがついて、情感込められた歌を聴けば、
しみじみいいなぁ、と感じても、
活字での詩を読んでも、そうはなかなかならない。

詩には苦手意識がずっとある。
いまもある。

そんな私でも「汚れつちまつた悲しみに」は、心にひっかかってきた。
何かの拍子に思いだし、言葉にすることがある。

先月も、そんな機会があった。
「汚れつちまつた悲しみに」と話していて、
そういうことなのか、と少しわかったような気がした。

わかったような気がして、中原中也はやはり天才なんだなぁ、と感心していた。

Date: 3月 5th, 2019
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(ステレオサウンド 210号・その1)

ステレオサウンド 210号で、ひとつだけ読みたいと思う記事がある。
黛健司氏の「菅野沖彦先生 オーディオの本質を極める心の旅 その1」である。

まだ読んでいない。
書店にも寄っていない。

にも関らず、この記事は210号で、ただひとつ読むべき記事だと思っている。
いい記事のはずだ。

ここにだけは、まだ残っているはずだ。

Date: 3月 5th, 2019
Cate: 映画

Alita: Battle Angel(その3)

「アリータ: バトル・エンジェル」を公開三日後に観に行ったのは、
IMAX 3Dで観たかったからにほかならない。

もちろんいまもIMAX 3Dで上映している。
けれど上映回数は先週よりもかなり減っている。

私が観たTOHOシネマズ日比谷では、9時10分の回だけになってしまっている。
そう、IMAX 3Dで観たいと思った映画は、早めにいったほうが確実である。

これまでIMAX 3DはTOHOシネマズ新宿で観ていた。
今回TOHOシネマズ日比谷で観て、新宿より日比谷のほうがいいのでは? と感じた。

同じ映画を観ての比較ではない。
なのでいいかげんな印象といわれればそうである。
それでも映画本編の前に流れるIMAXのデモ(短い時間のもの)が、
これまで以上に鮮明で、すぐ目の前まで迫ってくる。

TOHOシネマズ日比谷で観て、こんなにすごかったかな、と感じていた。
TOHOシネマズ新宿よりもTOHOシネマズ日比谷のほうが新しい。

設備がどの程度違うのか詳細は知らない。
まったく同じではないと思う。

とにかくTOHOシネマズ日比谷で「アリータ: バトル・エンジェル」を観てよかった、と思っている。