Date: 3月 6th, 2019
Cate: 老い
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老いとオーディオ(齢を実感するとき・その13)

シモーヌ・ヴェイユの「純粋さとは、汚れをじっとみつめる力」と、
中原中也の「汚れつちまつた悲しみに」とが、この歳になって結びつくようになった。

「汚れつちまつた悲しみに」を知ったのは、高校生だったか。
こんな表現は私にはできないな、と衝撃にちかいものを受けたが、
だからといって「汚れつちまつた悲しみに」が表現しようとしている何かを感じとっていたわけではなかった。

それでも「汚れつちまつた悲しみに」は、心に残る。

白状すれば、私は詩が苦手だ。
読むのも書くのも苦手だ。

思い出したように、なんらかの詩集を買ってきても、最後まで読み通すのがしんどい。
詩でも、それが歌詞であり、素敵なメロディがついて、情感込められた歌を聴けば、
しみじみいいなぁ、と感じても、
活字での詩を読んでも、そうはなかなかならない。

詩には苦手意識がずっとある。
いまもある。

そんな私でも「汚れつちまつた悲しみに」は、心にひっかかってきた。
何かの拍子に思いだし、言葉にすることがある。

先月も、そんな機会があった。
「汚れつちまつた悲しみに」と話していて、
そういうことなのか、と少しわかったような気がした。

わかったような気がして、中原中也はやはり天才なんだなぁ、と感心していた。

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