Archive for 6月, 2016

Date: 6月 14th, 2016
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その11)

その10)を、もし当の本人、
つまり片チャンネルが逆相で鳴っていた音で試聴したまま気づかなかった人が読んだとしても、
本人が、ここでも気づかないであろう。
こんなヤツが同業者なのか、と思うのかもしれない。

誰かに、「これ先生のことでは?」と指摘されても、
もともと逆相で鳴っていたことに気づいていないのだから、本人には心当たりがないわけだから、
「ぼくじゃないよ。それにしてもひどいヤツがいるものだね」と答えても不思議ではない。

本人には嘘をついているという自覚はまったくないのだから。
気づかないのは本人である。

同じことは、別項「オーディオにおけるジャーナリズム(余談・編集者の存在とは)」にも書いている。

ここに登場するオーディオ評論家と呼ばれている人は、
あるオーディオ雑誌の特集記事で、シェーンベルクに触れながらオーディオのことを書いている。

シェーンベルクだから、12音技法のことが、その文章にも出てくる。
そしてシェーンベルクのある作品のことについて言及している。

ところが、その作品が12音技法以前のものだったのである。
これは致命的なミスである。

実は編集者も気づいていた。
けれど作品名だけを訂正するというわけにはいかなかった。
構成からいって、すべてを書き直してもらうしかない。
しかも特集記事なので、かなりの文章。
時間的な余裕がまったくないという状況で、編集者はそのまま掲載することを決めた。

この時の編集者の心境を考えてほしい。
発売日がずらせるものならば、そうしたいところであったはずだ。

結局、そのオーディオ雑誌はそのまま掲載している。
読んだ人の中には、クラシックに関心のない人もいるだろうから、
この致命的なミスに気づかない人もいる。

その一方でクラシックの聴き手でありながら、このミスに気づかない人もいる。
その文章を書いた本人も、実はここにいる、といえる。
おそらく彼もまた、そういうミスをおかした文章を読んでも、何も思わないであろう。

わかったつもりの人だからである。
わかったつもりの人は彼だけではない。
片チャンネルが逆相で鳴っていたのに気づかなかった人も、わかったつもりの人である。

Date: 6月 13th, 2016
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ステレオサウンド 61号・その1)

昨日の「ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その10)」。
こういうことを書くと、どうしても瀬川先生のことを書きたくなる。
一種の反動のようなものかもしれない。

思いついたことを、だから書いておく。
ステレオサウンド 61号。
この号は「特別」な号になってしまった。

248ページから252ページまでの五ページ。
この五ページを、何度読み返したことか。

61号から瀬川先生は、もうステレオサウンドに登場しなくなった。
もう瀬川先生の文章が読めなくなったことを、
61号でもう一度知らされた。

菅野先生が書かれている。
     *
 彼の死のあまりの孤独さと、どうしょうもない世間馬鹿のこの才能豊かな一人の人間の生き様は、多くの人達には解るまい。もし解っていたら、世の中、もっとよくなっているはずだ。彼の中に、自分との共通性を見出すことが出来ない人間なら、彼の死も、その孤独さも、もっと単純な寂しさと悲しさ、そして残念さとして受けきめることが出来るのだろうけれど、僕の気持はもう少し複雑なのである。彼は、ほんとうに、ずば抜けて素晴らしく、また駄目な人間でもあった。彼のような人間は、まず多くの理解者に恵まれることはなかろう。
     *
できれば何度も読み返してほしい。

瀬川先生の生き様は《多くの人達には解るまい》と書かれている。
《もし解っていたら、世の中、もっとよくなっているはずだ。》とも書かれている。

結局、そうなのだ、と思う。
1981年の冬よりも、いまのほうがより強く、そう思ってしまう。
だから悲しいのだ。

《もし解っていたら、世の中、もっとよくなっているはず》ではなかったから、
ああいうことが起っている。
何も、ああいうことは、あの一例だけではない。

そして、ああいう人が、いまでは「先生」なのだ。
世の中(オーディオの世界)が、よくなっていくはずがない……のかもしれない。

Date: 6月 12th, 2016
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その10)

船木文宏氏のブログ「もういちどオーディオ」。
更新は数年前で終ってしまっているが、現在も公開されている。

その中に「オーディオは奥が深い~“純粋オーディオ音”志向(2)」がある。
この文章の終りに近いところに「●耳の感度」という中見出しがつけられている。

ここのところに登場する「あるオーディオのライター」、
いわゆるオーディオ評論家と呼ばれている人のことが書かれている。

詳細はリンク先を読んでほしいが、
この「あるオーディオのライター」は、
片チャンネルのスピーカーが逆相になっていることに最後まで気づかずに試聴していた。
にも関わらず試聴が終って、編集者に向って
「このスピーカー、なかなかいいよ。値段の割りにいい音をしてる。」と言う。

船木さんはこの「あるオーディオのライター」が誰なのかは書かれていない。
いまも現役のオーディオ評論家と呼ばれている人だからだ。

それでもヒントは書かれている。
     *
この方はもうかなり年配で、若いときからなぜか威張った態度と物言いで知られています。先生と呼ばなくては叱られそうですが、親しくなると○○さん、と呼ぶとにっこりする無邪気さもあります。
     *
私は、この話を船木さんの「知り合いの若いライター」から直接聞いていた。
仮に聞いていなくとも、ヒントを読めば、すぐに誰なのかはわかる。

スピーカーが片チャンネル逆相で鳴っていることに気がつかなかった人は、
いまもオーディオ評論家と呼ばれて仕事をしているし、
オーディオ業界関係者は「先生」と呼ぶ。
読者も先生とつけて呼ぶ人の方が多いかもしれない。

スピーカーが片チャンネル逆相で鳴っていることに気づかなくとも、
この業界では仕事をやっていけることに疑問を感じない人が多い、ということなのかもしれない。

Date: 6月 12th, 2016
Cate: 訃報

宇野功芳氏のこと

音楽評論家の宇野功芳氏が亡くなられたことを、
朝、インターネットを見ていて知った。

20代のころは、宇野功芳氏の書かれたものをけっこう読んでいた。
著書も何冊か買って読んでいた。

けれどしばらくすると、ぱたっと読まなくなってしまった。
だから、宇野功芳氏の音楽評論について何か書けるわけではない。

宇野功芳氏は、音に頓着しない人が多い音楽評論の世界にいて、
オーディオにこだわりを持っていた人である。

いつだったか、宇野功芳氏のシステムが何かの雑誌に載っていた。
レコード芸術だったと思う。
そこにはマランツのModel 7が写っていた。

アナログプレーヤー、スピーカー、パワーアンプも写っていたはずだが、
いまは記憶に残っていない。
ただマランツのModel 7だけがはっきりと記憶に残っているのは、
宇野功芳氏のレコード(録音物)による音楽の聴き方と、
マランツModel 7の音の描写とが、私の中では合致していたからだ。

もちろんコントロールアンプだけで、そこで鳴っている音がすべて決ってしまうわけではない。
それでも、この人の音楽の聴き方にぴったりと合うコントロールアンプといえば、
マランツのModel 7しかないだろう、と思っている。

宇野功芳氏がいつごろからModel 7を使われているのかも知らない。
どうやってModel 7と出合われたのかも知らない。
そういうことを知ろうとは思っていない。

ただ宇野功芳氏がマランツ Model 7で聴かれていた、ということが、
私にとっては記憶に残ることであった、というだけである。

Date: 6月 11th, 2016
Cate: 世代

世代とオーディオ(続・赤坂工芸のこと)

赤坂工芸のホーンが、ステレオサウンドで取り上げられたことはなかった。
1980年ごろからステレオサウンドでユニット研究が始まった。
JBL篇とアルテック篇があった。

JBL篇で赤坂工芸のホーンが登場してほしい、とひそかに期待していた。
けれどアルテック篇にしてもJBL篇にしても、そこに登場するユニット、ホーン、エンクロージュアは、
すべてアルテック、JBLのモノで統一されていた。

当然といえばそうなのだが、一読者としては少し寂しい気もしていた。
実際のユーザーは、JBLのドライバーに赤坂工芸のホーンを組み合わせることを考えていたとも思う。
JBLの、それぞれのホーンの特色はユニット研究の連載記事を読めば,ある程度掴めるけれど、
JBLのドライバーと他社製のホーンとの組合せでは、どういう音が得られるのか。

オーディオ店に行っても、アンプやスピーカーの比較試聴はできても、
こういう試聴はまずできない。
だからこそ、赤坂工芸のホーンが、ユニット研究の中で取り上げられるのを期待していた。

ステレオサウンド別冊のHIGH-TECHNIC SERIESが四冊で終ることなく、
もう少し続いていたら……、赤坂工芸のホーンも取り上げられていた、と思う。
読んでみたかった。

2441と2397の組合せに大きな不満があるわけではないが、
2397はいかにもアメリカのホーンという感じが細部に残っている。
写真で見るのとは違い、けっこう雑なつくりなのだ。

ドライバーのつくりに比較すると、
どうしてもこの時代のJBLのホーンは、やや雑な印象がつきまとう。
ホーンがもっと精度の高いつくりであるならば、同じドライバーでももっといい音が出せる、
そう思うし、それと2397に2441を取り付けて感じることに、
重量のアンバランスさもある。
あまりにもドライバーが重過ぎる、というか、ホーンが軽過ぎる。

重けれど重いほどいいとは決して考えないが、
重量バランスをとるためにの重量は必要と考える。

精度の高さと重量バランスの点からも、
いまこそ赤坂工芸のホーンで2441を聴いてみたい気持が強くなってくる。

Date: 6月 11th, 2016
Cate: 世代

世代とオーディオ(赤坂工芸のこと)

赤坂工芸ときいても、いまでは知らない世代の方が多くなったのかもしれない。
私と同世代、上の世代でも、
ホーン型スピーカーに関心のなかった人にとっても、あまり記憶に残っていないようだ。

私がオーディオの世界に関心を持ち始めたころには、すでに赤坂工芸はあった。
木製のディフラクションホーンの専門メーカーとして、はじめのうちは認識していた。

1978年秋のステレオサウンド別冊HI-FI STEREO GUIDEには、
赤坂工芸のホーンは四種類載っている。

PH8008T1、PH5005MKIIT1、PH8005MKIIT2、PH9005MKIIT2である。
型番末尾のT1とT2はホーンのふちの断面の形状の違いをあらわしており、
T1は角形、T2は丸型であり、T1使用時にはJBLのスロートアダプター2328が必要となる。
T2には専用のスロートアダプターが付属していた。

赤坂工芸のホーンは、JBLの2397と基本的には同じだが、
同じ木製ホーンでも2397が4.4kgに対して、ほぼ同寸法のPH8008T1は8.0kgと倍近い。
PH8005MKIIT2とPH9005MKIIT2はさらに重く、14.0kgとなっている。

赤坂工芸のホーンに、当時は憧れていた。
JBLのホーンで使いたかったのは、いわゆる蜂の巣の537-500(HL88)と2397だったのだが、
2397よりも精度が高そうに感じられた赤坂工芸のホーンは、なんとも魅力的だった。

けれど高かった。
1978年当時で、PH8008T1は98000円、PH9005MKIIT2は173000円していた。
2397は38000円だった。

1980損にはPH8008MKIIT1は138000円に、PH9005MKIIT2は216000円になっている。
2397も少し値上がりして48000円である。

余談だが当時赤坂工芸のホーンとほぼ同価格だったのが、
アコルトのディフラクションホーンMD501だった。
2397とほぼ同寸法のこのホーンは大理石でできていた。
価格は1978年の時点で200000円していた。重量は20.0kgである。

聴く機会はなかった。
いまでも聴いてみたいホーンであることは、当時から変らぬままである。

いまも赤坂工芸はある。
残念ながらというへきか、当然というべきか、
スピーカー作りはやめてしまわれている。
現在はCD制作をされていることがわかる。

ウェストレックスのRA1775は赤坂工芸のPHG5000の型番で市場に出ていたようだ。
ステレオサウンド 60号の写真とはレベルコントロールのパネルとフロントバッフルの色が違うが、
基本的には同一仕様である。

Date: 6月 11th, 2016
Cate: 世代

世代とオーディオ(ガウスのこと・余談)

ガウスのユニットがウェストレックスのスピーカーシステムに採用されたことは、
すでに書いている。

このニュースを知ったのは無線と実験だったが、
ステレオサウンドにも、ガウス搭載のウェストレックスのスピーカーシステムが載ったことがある。

ここまでは憶えていたけれど、
その記事が何だったのか、どの号だったのかを正確に思い出せずにいた。

ステレオサウンド 60号の「サウンド・スペースへの招待」に、
ガウス搭載のウェストレックスのスピーカーシステム、RA1775が出ている。

写真をみればすぐに気づかれると思うが、赤坂工芸のホーンが使われている。
隣に置かれている4343よりも少し背が低く、横幅は広い。
少しずんぐりしたプロポーションのエンクロージュアをもつシステムについて、
記事中では、次のように説明されている。
     *
 ところで、4343の隣に置いてある見慣れないスピーカーは、ウェストレックス(オリエント)の試作品でRA1775というものです。小泉さんの子供の時から親友が近所に居られ、現在ウェストレックスの取締役をされていて、しょっちゅう一緒に音楽を聴いているのですが、今度ガウスのユニットを使って新しいスピーカーを試作したから聴いてみようということで、タンノイを一時2階に片付けて、数日前からここに置いて試聴しているのだそうです。
 エンクロージュアは赤坂工芸の製作によるものですが、ガウスの4583Aウーファーを鳴らすための大型のしっかりした箱とHF4000ドライバーのための木製ホーンが特色です。一番上に1502トゥイーターが乗って、800Hz、8kHzのクロスオーバーによる3ウェイ構成となっています。まだ試作品ですし、この部屋に擱いたばかりで、部屋との調整ができていない段階ではありますが、人の声などがとても自然で、今後の鳴らしこみが期待されるということでした。ガウスといえば、ロックコンサートなどのPA用のスピーカーだと思いこんでいたのですが、ここで聴くとなかなか渋いちょっとドイツ的な音がするようですとの小泉さんの感想です。
     *
RA1775。
型番は完全にウェストレックスである。
あまり鮮明でない写真をみると、ネットワークも赤坂工芸製のようである。

赤坂工芸はガウスのユニットを採用した3ウェイのスピーカーシステムを出している。
RA1775よりも大容積のエンクロージュアをもつモノだった。

RA1775がその後どうなったのか詳細はわからない。
でも、RA1775が完成し、少量でも市販されていたら……、と考えてしまう。
ガウスの評価はもう少し変っていただろうし、もう少し広く認知されていたのではないだろうか。

Date: 6月 10th, 2016
Cate: Noise Control/Noise Design

聴感上のS/N比と聴感上のfレンジ(その6)

聴感上のS/N比と聴感上のfレンジについて語る上で見過してはならなのは、
JBLの2441というコンプレッションドライバーは、
基本的にS/N比の良いユニットである、ということ。

この金属の塊といえるユニットは、どこを叩いても雜共振などしない。
しっかりとどっしりと、かっちりとしている。
こういうユニットこそ、S/N比の良いユニットである。

往年の高能率のスピーカーユニットを、
S/N比が悪いと思っている人が少なからずいるようだが、むしろ逆だといいたい。

往年の高能率のスピーカーユニットすべてがS/N比が良いとはいえないけれど、
総じてS/N比の良いモノが多い。

ただ高能率であるがためにアンプの残留ノイズは目立つことになるし、
エンクロージュア、ホーン、ネットワークを含めたユニット周辺のつくりによって、
スピーカーシステムとして仕上がった場合のS/N比は左右されるのだから、
誤解が生れるのもやむなし、とは思う。

JBLのコンプレッションドライバーはS/N比の良いユニットである。
2441だけでなく、375(376)もそうだし、LE175、2420(2421)などもそうだ。
S/N比に関しては、アルテックのコンプレッションドライバーよりもJBLの方が少しばかり上だともいえる。

2441は高能率で高S/N比なユニットである。
このユニットで、しかもトゥイーターをつけずに鳴らしたからこそ、
聴感上のS/N比と聴感上のfレンジの関係がはっきりと浮びあがってきた、ともいえよう。

Date: 6月 10th, 2016
Cate: audio wednesday

LNP2になぜこだわるのか(参加された方の感想を読んで)

先週行なったaudio sharing例会(LNP2になぜこだわるのか)に参加して下さった方が、
自身のブログに感想を書かれている。

名古屋から参加されている。
audio sharing例会が終るのはいつも23時過ぎだから、
名古屋へ戻る便はもう終っている。
東京に一泊されて翌日戻られる。

前々回も来て下さった。
つまんないと、その時感じられたのならば、今回は来られなかったはず。

とはいえ、そうやって来てくれた方に、
どれだけのことを提供できているのだろうか、とは思ってしまう。

東京の方と遠距離の方とを区別しているわけではないけれど、
それでも東京や神奈川からと、名古屋からとでは大きく違う。

しかも今回はマークレビンソンのLNP2の比較試聴であり、
ただひたすら聴いていた、ともいえる進行だった。

細かな解説はしなかった。
二台のLNP2を聴き較べしながら、いくつか調整しただけである。

二台のLNP2の音ははっきりと違うし、
音を出しはじめたときの音と、最後に鳴っていた音も違う。

そこから何を得るのかは、人によって違う。
私も得るところはいくつかあった。

名古屋から来られたHさんのブログを読むと、
何かを得て帰られたことがわかる。
今回の企画はやってよかった、と思っている。

ブログの終りに、こう書かれている。
     *
自分自身の立ち位置、音の輪郭、ギリギリのライン、声に対する
楽器の音の位置、大きさなどを感じて、それぞれを考えている
ときにグールドのピアノでしたので、その音はとても美しく、
一つひとつの音が円形に広がっていくようにも感じられました。

今回の体験で感じたこと、考えたことはもう一度しっかりと考え、
美しいかたちづくりにつなげていきたいと考えています。
     *
今回のaudio sharing例会での一曲目は、
チャック・マンジョーネの「サンチェスの子供たち」をかけた。
最後にかけたのがグレン・グールドのブラームスの間奏曲集である。

グールドのブラームスがうまく鳴ってくれる予感はあった。
ピアノの音が聴こえてきた瞬間、Hさんが「きれいだぁ」ともらされた。
この「きれいだぁ」は「美しい」と、私は受けとっていた。

ブログを読んで、やはりそうだったとわかった。
最後にグールドのブラームスをもってきて、よかったと思っている。

Date: 6月 9th, 2016
Cate: Noise Control/Noise Design

聴感上のS/N比と聴感上のfレンジ(その5)

聴感上のS/N比を良くしていくと、聴感上のダイナミックレンジは広くなる。
フォルテシモでの大きさは物理的には同じであっても、
ピアニシモがより小さな音まで聴こえてくるようになってくるために、
聴感上のダイナミックレンジは広くなる。

と同時にピアニシモの音が基準となるため、相対的にフォルテシモの音がより大きく聴こえてくる。
つまりボリュウムはまったく同じままであっても、
聴感上のS/N比の良くなれば、聴感上の音量は増して聴こえるようになる。

これは聴感上のS/N比を判断する上でのひとつの目安となる。

このことは以前からわかっていたことである。
このことと同時に、聴感上のfレンジものびて聴こえるようになるのではないか。
そんなふうに感じたことがなかったわけではない。

でも確信が持てなかった。
それまで聴いてきたスピーカーシステムは、
今回のaudio sharing例会で使ったような構成ではなかった。
トゥイーターと呼べるユニットがついていて、
少なくともカタログスペック上では20kHzまで出ている。

いわゆるワイドレンジ志向のスピーカーで聴いている分には、
聴感上のS/N比が良くなると聴感上のfレンジがのびて聴こえることに確信が持てなかったのだ。

今回のスピーカー、お世辞にもワイドレンジとは呼べないスピーカーで聴いて、
あれこれやってみて、ようやく確信が持てた。
聴感上のS/N比の良し悪しによって聴感上のfレンジははっきりと影響を受ける。

聴感上のS/N比を良くしていくと聴感上のfレンジがのびて聴こえる、と書いているが、
正確には聴感上のS/N比が劣化すると聴感上のfレンジが狭く聴こえる、だ。

Date: 6月 8th, 2016
Cate: Noise Control/Noise Design

聴感上のS/N比と聴感上のfレンジ(その4)

CR方法によるパーツを取り付けた後の音は、聴感上のS/N比が良くなっていることは、
誰の耳にも明らかだった。

抵抗とコンデンサーを直列に接続したものを、2441の入力端子に取り付けただけである。
パーツ代は片チャンネルあたり千円もかかっていない。
ハンダ付けが確実にできる人ならば、パーツを揃えればすぐに出来る。

ユニットによるが、2441への取り付けにはハンダはいらない。
改善されない、音が悪くなったと感じた人は、取り外せばすぐに元の状態の戻せる。

そんな手軽なことで、聴感上のS/N比は良くなる。
良くなったことで、山口百恵の声量が増したサビのところでも、
音像の不明瞭さが、完全になくなった、とまではいかないものの、相当に改善されている。
それに音像の膨らみにも同じことがいえる。

ウーファーの416-8Cにも取り付けていれば、と思うほど、音は変った。
参加されていた人からも、ウーファーにも取り付けましょう、との声があった。

この状態で聴き続けていった。
誰からも、外しましょう、の声は挙らなかった。

CDを変える。
変えたことでよりはっきとしたのは、聴感上のS/N比が良くなったとともに、
聴感上のfレンジが上に延びているように感じられたことだ。

JBLの2441はエッジに、日本の折り紙から発想を得たといわれる形状になっている。
それ以外の変更はないにも関わらず、カタログスペックでは、
2440の500Hz〜12kHzから、500Hz〜18kHzへと変更になっている。

この周波数特性の変化は数値で見るよりも、グラフで比較したほうが、より顕著である。
2441は2440より素直に高域が延びているドライバーではあるが、
ワイドレンジ志向の私は、やはりトゥイーターの必要性を感じてしまうことが多い。

それがCR方法のパーツを取り付けると、トゥイーターの必要性を感じることが減っている。
完全に必要としない、とまではいかないけれど、レンジの不足感をさほど意識しなくなっている自分に気づく。

同時に大口径(2441のダイアフラムは4インチ口径)トゥイーターの良さを感じるようにもなっていた。

Date: 6月 8th, 2016
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(本のこと)

先日、facebookで教えてもらったのが、佐貫亦男氏の「発想のモザイク」である。
すでに絶版だが、検索すればいまでも入手は容易だ。

教えてくださったA氏(元ステレオサウンド編集者)は、瀬川先生に「読んでみろ」と奨められた、とのこと。

この項の(その18)にも書いているが、菅野先生から、以前教えてもらった本がある。
「オーム(瀬川先生のこと)は、佐藤(信夫)さんのレトリックの本を読んでいたし、影響を受けていたはず」と。

こういう本はまだ、きっとあるはず。

Date: 6月 8th, 2016
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その3)

知人は私より十近く年上である。友人は私と同じ年。
自身の掲示板で知人を叩いていた人たち(実際は一人のようなのだが)は、
私よりも十近く年下のようだった。

つまり知人と知人を叩いていた人は二十近く年の差がある。

人を傷つけたのであれば年齢差は関係ない。
謝罪すべきだが、この場合はそうなのだろうか。

一方的な嫉み・僻みだけを匿名をいいことに書き連ねる。
しかも架空の人物をつくってまで、そういうことをする。

もっとも架空の人物を掲示板に登場させる人だから、
嫉み・僻みを書きながらも自身を正当化したかったのかもしれない。

私が知人と同じことになったら、無視するか、
その掲示板に何か書き込むとしても、絶対に謝罪を書いたりはしない。

だから知人に問うた。
返ってきたのは、なんであれ不愉快にしたのは事実だから……、というものだった。
知人は謝罪するのが当たり前、と考えていた。

知人は謝るべきだったのか。
これが「物分りのいい人」のとる態度なのか、と思い、
そのことも知人に問おうとしたけれど、やらなかった。

知人と私の年齢差、このことが起ったのが約十年ほど前だから、
その時の知人と今の私はほぼ同じ年ということになる。

だから、このことを「今」書いている。

Date: 6月 7th, 2016
Cate: audio wednesday, LNP2, Mark Levinson

LNP2になぜこだわるのか(その8)

LNP2のゲインを20dBにしたとき、
スーパーギタートリオの”Friday Night In San Francisco”はどんなふうに鳴ったのか。

10dBにすると、演奏者との距離が近くに感じられる、と書いた。
20dBにすると、演奏会場の広さが感じられるようになってくる。
天井の低い、そして狭いライヴハウスの空間から広い空間へとかわる。
そのことによって演奏者との距離が遠くに感じられるようになるのか。

ある意味、そういえるところはある。
けれど20dBにしたLNP2の音には、
《ディテールのどこまでも明晰に聴こえることの快さ》がある。

だから、同じ音量レベルであっても、20dBのLNP2の音の方が、
こまかな音まではっきりと再現される。
その意味では、20dBのLNP2の音の方が、演奏者との距離が近い、ともいえるし、
10dBのLNP2の音の方が、実は遠い、といえることになる。

ステレオ再生のつくり出す音像は、いわば虚像であり、
その虚像に対しての距離感の感じ方は、けっしてひとつではないようだ。
10dBの音と20dBの音、どちらを近くに感じ、遠くに感じるか。

私は20dBの音が、ほんとうの意味で「近い」と感じる。
それに20dBの音は、会場のざわめきも心地よい。

私が”Friday Night In San Francisco”を聴いた最初のスピーカーは、
アクースタットのModel 3だった。コンデンサー型のフルレンジスピーカーである。

1982年、ステレオサウンド別冊Sound Connoisseurでの取材だった。
”Friday Night In San Francisco”は試聴レコードにはなかった。
けれど、アクースタットの音に何かを感じとられた黒田先生が、
このレコードを、といわれたのがスーパーギタートリオの”Friday Night In San Francisco”だった。

そうやって聴いたレコードだけに、二重の意味で衝撃だった。

Date: 6月 7th, 2016
Cate: オーディオマニア

オーディオは男の趣味であるからこそ(おとこだから)

音の子(音子)、と書いて、おとこ。
だから男はオーディオマニア!!