Archive for 5月, 2015

Date: 5月 20th, 2015
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(JBL 2397+2441・その4)

岩崎先生はHarknessの上に2397ホーンを置かれていた。
ドライバーは2440か375。

この、ドライバーとホーンの組合せを設置してみるとわかるのだが、
2440(375)とホーンとの重量バランスが極端に悪い。
2397の下に、なにかスペーサーをいれなければホーンが前下りになる。

かといって適当なスペーサーをいれてホーンが水平になるようにすると、
2397とHarknessの天板とのスキマが広くなりすぎて、
見た目の印象が、やや不安定にも感じてしまう。

ステレオサウンド 38号の写真を見ているだけでは、
このスキマがそれほどないように感じる。
けれど写真が小さすぎて詳細がわからなかった。

岩崎先生はスペーサーをどうされていたのだろうか。

「コンポーネントステレオの世界 ’76」をぴっぱり出してきて、ナゾがとけた。
101ページに、その写真がある。
2397の下にスペーサーしらきものは見当たらない。
それに2397と天板との間隔も、わずかに狭いように感じる。

おそらく岩崎先生はドライバーを天板の上には設置されていなかったのではないか。
Harknessの後側にドライバーははみ出た恰好になっているはずだ。
つまりホーンとドライバーを支えているのは、
スロートアダプターとホーンの根元の接合部だけとなる。

他の人にとってはどうでもいいことだろうが、私にとっては小さな発見である。

Date: 5月 20th, 2015
Cate: audio wednesday

第53回audio sharing例会のお知らせ(井上卓也氏を語る)

6月のaudio sharing例会は、3日(水曜日)です。

「コンポーネントステレオの世界 ’76」にある岩崎先生の「オーディオの醍醐味はスピーカーにあり」。
ここにボザークのことが出てくる。
     *
 JBLとの結びつきは、こうして単なる思い出以上につながりの深さを感ずるわけですが、そのあとオーディオファンのみなさんの誰もがスピーカーに対して迷うのとまったく同じように、D130以外の他のスピーカーに気をとられたり、あこがれたりしたものです。
 たとえば、クラシックのコンサートに行ったときに、そこで聴く音というのはD130とまったくちがう音であり、そうした逆の音もどうしても欲しくなって、それを出せるスピーカーとして、ボザークがあると感じる、そうするとむしょうにボザークが欲しくなってしまう。そんなことを常に繰返しているわけです。
     *
同じアメリカのスピーカーメーカーでも、JBLとボザークは西と東である。
同じ国のスピーカーシステムとは思えぬほど、JBLとボザークは違うところをもつ。

JBLは岩崎先生だけでなく、菅野先生、瀬川先生も愛用されていた。
ボザークは井上先生だけだった。
3月に出た井上卓也 著作集の表紙も、だからボザークである。

とはいえ井上先生は、あれだけオーディオ機器を買いこまれていた人。
菅野先生が鳴らされていたJBLの4320は井上先生のところへいっている。
井上先生のオーディオの楽しみ方からすれば、
JBLが、もうひとつのメインスピーカーとして存在していても不思議ではない。

井上先生は低音再生を本格的にやろうとすれば、片チャンネルあたり15インチ口径ならば二本、
12インチ口径なら四本必要と発言されていた。
となるとJBLでは4350ということになる。

井上先生が慣らされていたボザークのB310Bは12インチ口径ウーファー四本であるのだから。

数年前にきいて知ったことがある。
井上先生は、別のリスニングルームには4350を鳴らされていた、ということだ。

時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 5月 20th, 2015
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(余談・KT120のこと・その2)

UL接続でもなく五極管接続を、私はKT120を使うのであれば選ぶ。
UL接続を嫌っているわけではなくて、
KT120という球の形からの印象として、なんとなく五極管接続が合いそうな気がする。
その程度の理由である。

五極管接続でポイントとなるのは、スクリーングリッドの給電である。
20年かもっと以前のことになるが、
無線と実験かラジオ技術で、
スクリーングリッドの給電を専用の電源トランスを設けて、という製作記事があった。

五極管の理屈からいっても、スクリーングリッドにかかる電圧は重要といえるから、
スクリーングリッド専用電源トランスという手法は、非常に有効であると考えられる。

これをやると電源トランスが最低でもふたつ必要になる。
でもスクリーングリッドに必要な電流はわずかである。
電源トランスの容量も大きなものは必要ではない。
もちろん整流回路、平滑回路がまた必要になるけれど、この手法は、ぜひ試してみたい。

専用電源トランスを用意しなくとも、
これまでのような安易な方法ではなく、充分な配慮のうえでスクリーングリッドに給電すべきである。

Date: 5月 20th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その1)

つきあいの長い音を持つ人と持たない人がいる。

Date: 5月 20th, 2015
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(アナログディスクの扱い・その3)

 レコードジャケットに、適合カートリッジや最適針圧をメモしていて、一枚ごとにカートリッジを変え、針圧を再調整して聴くというマニアも知っている。その人はそういう作業がめんどうなのでなく逆にとても楽しいらしい。
 一枚かけるごとに、針先のゴミをていねいに除き、レコードのホコリを拭きとりまるで宝ものを扱うようにレコードをかける愛好家もおおぜい知っている。だが私はおよそ逆だ。もしもそういう丁寧な人たちが私のレコードをかけるところをみていたら、びっくりするかもしれない。
 レコードをジャケットからとり出す。ターンテーブルに乗せ、すぐに針を降ろす。レコードのホコリも、針先のゴミも拭きはしない。聴きたいと思ってジャケットを探し出したとき、心はもうその音楽を聴きはじめている。そういう人間にとっては、ホコリを丁寧に拭くという仕事自体、音楽を聴く気持の流れを中断させるような気がする。
     *
上に引用した文章を読んで、岩崎先生が書かれたものと思われたかたもいるだろう。
だが、これは瀬川先生の書かれたものである。
1979年にステレオサウンドから出た「続コンポーネントステレオのすすめ」の中、
「良いカートリッジ条件」の最後に書かれている。

Date: 5月 20th, 2015
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その6)

新聞広告に載った自分の名前が、彼よりも若い評論家の名前よりも小さかったというだけで、
編集部に怒鳴り込む。
この人のことを正気の沙汰ではない、とか、バカな人だ、とか、
そんなふうにいうのは簡単である。

この人を擁護する気はないが、私は別の人のことを思い出している。
今度はオーディオ評論家と呼ばれている人のことだ。
その人は編集部に怒鳴り込んだりはしない。
そういう人ではない。

けれど彼は、オーディオメーカー、輸入元からの食事に呼ばれた際、
帰り際に、メーカー、輸入元がいくら払ったのかを領収書を見せてくれ、といって確認する。

ある金額よりも高ければ、満足そうにうむっ、と頷き、
そうでないときは、不満げな表情をする──、
そんな話を聞いている。誰なのかも知っているけど、名前は書かない。
その人のことを批判したいわけではないからだ。

音楽評論家は新聞広告での、自分の名前の大きさ、
オーディオ評論家は、いわば接待の金額の多寡を気にする。

なんと小さな人間なんだろう……、
そう思う人もいるだろうが、評論家という、いわば自由業で虚業ともいえる仕事をしていると、
自分の立場と評価に対して敏感であることは、仕事をしていく上で必要なことのはず。

Date: 5月 19th, 2015
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その5)

菅野先生がステレオサウンドにほとんど書かれなくなってから、
ステレオサウンドに何かを書いている人の誰かを、先生と呼ぶことはない。
今後、先生と呼びたくなる人がステレオサウンドに書いてくれるのだろうか、とも思ったりする。

けれど実際には、ほとんどの筆者が、オーディオ業界では先生と呼ばれている。
オーディオショウやフェアに行けば、
メーカー、輸入元のスタッフが、オーディオ評論家と呼ばれている人たちを、先生と呼んでいるのがわかる。

ずっと以前から、オーディオ評論家と呼ばれている人たち、という書き方をしている。
オーディオ評論家と呼びたくないからだ。

業界の人たちだけではなく、
販売店の人たちも先生と呼んでいようである。
そして読者にも、先生と呼ぶ人がいる。

人が誰かを、さん付けで呼ぼうと先生と呼ぼうと自由である。
他人の私が口出しすることではない。
それはわかったうえで、あの人も先生と呼んで、この人も先生なの? と思ってしまうこともある。

誰かを先生と呼べば、別の人も先生と呼ばなければならないような気がしてのことだろう。
そうした方が角が立たないのもわかっている。

そういえば、と思い出した話がある。
オーディオ評論家ではなく音楽評論家のことだ。

ある大手新聞に、音楽雑誌の広告が載った。
特集記事の紹介があり筆者名があり、連載記事のタイトルと筆者名などが載っている。

そこで編集部に怒鳴り込んできた大御所の評論家がいた。
自分の名前が、若手評論家よりも小さかったのが、その理由だった。

なにも大御所評論家をないがしろにしたからそうなったのではなく、
若手評論家は特集記事、大御所評論家は連載記事であったら、そうなったまでである。
にも関わらず怒りだす人がいる。

Date: 5月 19th, 2015
Cate: the Reviewの入力

the Review (in the past)を入力していて……(続×十四・作業しながら思っていること)

オーディオアンプは、金属のかたまりといえる。
鉄であったりアルミであったりする。
そこに木が加わることがある。
ウッドケースやサイドのウッドパネルである。

なぜ木を使うのか。
金属からなるアンプの質感を少しでもやわらげるためなのか。
部屋とのインテリアを考慮してのことなのか。
それにしては少々安易すぎる気が、ずっと以前からしていた。

そういえば昔のエアコンは木目のモノが多かった。
もちろん木を使っていたわけではなく、いわゆる木目シートだった。

まだエアコンではなくクーラーと呼ばれていた時代のことだ。
この時代は暖房機能はなく冷房機能だけだったように記憶している。

なぜ、あの頃のクーラーは木目にしていたのだろうか。
たとえば、それがラックスのアナログプレーヤーのPD121のように、
木目の美しさを活かしながらも、実際に使われたのは天然木ではなくプリントであった例のように、
天然木を使わずとも木目の美しさを活かす外観にはできたはずである。

けれど実際のクーラーは、木目にしておけばいいでしょう的なところが、
誰の目にも明らかだった。

オーディオ機器の場合、クーラーほどひどくはないと思っているが、
それでも安易だな、と感じる例の方が残念ながら多い。

そんな私だったけれど、当時、いいな、と思ったモノのひとつに、
ダイナコのパワーアンプMark VIがある。

Date: 5月 19th, 2015
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(NIRO Nakamichiの復活・その3)

NIROのデビュー作、NIRO 1000 Power Engineを、ステレオサウンドの記事で知ったときの衝撃は、
私にとってはナカミチのどんなカセットデッキの登場よりも大きかった。

よくこんなモノを作ったな、と写真を見て思っていた。
そして、この会社が長続きするのだろうか……、とも思っていた。

いまもNIROというブランドは残っている。
会社名はniro1.com(ニロウワンドットコム)で、社長はもう中道仁郎氏ではない。
なぜかNIRO 1000シリーズのページは残ったままになっている。

中道仁郎氏がいつNIROから離れられたのか正確には知らない。
そして2013年、NIRO Nakamichiを興されたことは、なにかのニュースで知っていた。
けれど新製品として発表されたのは、カセットデッキでもなく、NIRO時代のようなアンプでもなく、
カーオーディオだった。

自身の名前をブランドとする例は、日本にも外国にもいくつもある。
オーディオだけでなくさまざまな業種にある。
けれどたいていは苗字だけである。
フルネームを会社名、ブランド名にするのは、そう多くない。

マーク・レヴィンソンがMark Levinsonとしたのが、オーディオでは最初だろう。
NIROのあとにNIRO Nakamichi。
フルネームの会社名でありブランド名である。

これが最後であるという覚悟なのだろう、と私は受けとめている。
だから最初の製品がカーオーディオで少しがっかりしていた。
そして、いつの間にかNIRO Nakamichiのことは忘れてしまっていた。

そこに今回のスピーカーシステムの発表である。

Date: 5月 19th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(あるキャンペーンを知って・その4)

32、65、29、46、49、45、37、29、43、22、36、20、40、38、24。
28、32、25、26、28、46、29、41、29、37、35。

上はコンポーネントステレオの世界 ’77に登場した架空の読者の年齢、
下は’78に登場した架空の読者の年齢設定である(記事の順番通りに並べている)。

若い設定だと、いまは感じる。
当時は当り前のように感じていたのに、である。

いまもしステレオサウンド編集部が、架空の読者の手紙から始まる組合せの別冊をつくったとししよう。
どんな年齢設定になるのかを考えてみると面白い。

Date: 5月 19th, 2015
Cate: pure audio

ピュアオーディオという表現(その1)

いまではホームシアターというようになっているが、
以前はAV(エーブイ)、オーディオ・ヴィジュアルと呼んでいた。

VHD、レーザーディスクといったビデオディスクの登場、テレビの大型化、
その他のもろもろのことにより盛り上ってきて、
オーディオ(音だけの世界)に、映像(ヴィジュアル)が加わり、
新しい趣味としてとりあげられるようになっていった1980年代。

ちょうどそのころ私はステレオサウンドにいた。
私が働きはじめたころ、まだサウンドボーイがあった。
これが休刊になり、1983年秋、ステレオサウンド/テープサウンド別冊として、AV ’83が出た。
そして1983年12月号を創刊号とするHiViが登場する。

ピュアオーディオ(pure audio)といわれるようになってきたのは、そのころからである。

これまで音だけのオーディオに親しんできた・取り組んできたオーディオマニアの中には、
AVに対して、ある種の拒否に近い反応を示す人もいた。
AVに熱心な人たちは、そういう人たちに対して、こんなことをいっていた。

本来音楽は音と映像がいっしょであった。
それが技術的な問題で音だけになってしまったわけで、
コンサートに行けば視覚的・聴覚的、その両方で音楽を楽しむ。
だからAVこそが、本来の音楽の楽しみ方であり、
音だけのオーディオは、いわば片輪の楽しみ方でしかない、と。

大輪ねそんなことがいわれていた。

ピュアオーディオは、これに対する反論として生れてきたように、私は認識している。

Date: 5月 19th, 2015
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(余談・KT120のこと・その1)

「五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか」について書いていると、
いま五極管シングルアンプを作るとなったら、どんなアンプにするかも考えている。

いわゆるラジオ球を使って小さくまとめるのもいいけれど、
もし作るのでなあれば、しっかりと使えるアンプとしたい、という気持もある。

となると出力もある程度は欲しい。
300Bシングルアンプが約8Wだから、それよりも大きな出力としたい。
20W程度あれば、私の場合、十分である。

それからいくつかの条件がある。
あまり高価な球、入手がめんどうなモノは避ける。
それから出力管の寿命は長い方がいい。

他にも細かな条件はいくつかあるが、それらを勘案して選ぶとなると、Tung-SolのKT120となる。
マッキントッシュのMC275、マイケルソン&オースチンのTVA1、ジャディスのJA80などに使われたKT88、
それでもいいじゃないかと思うけれど、
あくまでも私個人の印象で裏付けは特にないのだが、どうもKT88という球は寿命が短いような気がする。

いま入手できるKT88はそうではないのかもしれないが、
以前のKT88に対する印象は、私の場合、そうである。

KT120という型番からもわかるように、KT88のプレート損失43Wをこえる60Wのビーム管である。
最大定格での動作時にはA級シングルで25Wの出力が得られる。
KT120の上にKT150という球もあるけれど、こちらは形が気にくわないので、
私にとってはKT120ということになる。

このKT120という球を、私は五極管接続で使う。

Date: 5月 19th, 2015
Cate: audio wednesday

第53回audio sharing例会のお知らせ(井上卓也氏を語る)

6月のaudio sharing例会は、3日(水曜日)です。

2003年にステレオサウンドから「マランツのすべて」が出た。
このムックに「私とマランツ」というページがあり、細谷信二さんが書かれている。
ここに井上先生のことが出てくる。
     *
マランツのアンプに対する憧憬は、より身近なものになり、同時にすぐにでも手に入れたい、と思うようになった。だが、当時でも、マランツ#7とModel 2の組合せは高価で、パワーアンプをModel 8Bにしても手が出ない。
「マランツ#7の本当の良さは、弦楽器の艶やかさと声の潤いにあるんだ。ただね、中古だからコンディションによっては音像がボケていたり、甘すぎる音の#7もあるよ。低音の締まりの良さや量感、パワーの噴け上がりだったら、#7Tの方が良いだろう」と言ってくれたのは井上さんだ。ぼくは、この言葉を信じた。
(中略)
ジャズともポップスともいえるヴォーカルをよく菊陽になり、マランツのソリッドステートアンプModel 15の中高域の硬さが気になってきた。そんな時に、また先輩の声が聞こえてきた。
「JBLのC34って、C40よりもきちんと低域のホーンロードが掛かっているシステムだろう。だから、プリアンプはソリッドステートでいいけど、パワーアンプは出力トランスをもっている管球式の方が、きっと制動の効いた良い中低音になるよ」と井上さん。
     *
細谷さんは、ダイナコのMarkIIIを入手されている。
まだまだマランツのModel 8BもModel 2も高価だったからだ。

私は、この細谷さんの文章を読んで、井上先生らしい、と思っていた。

時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 5月 19th, 2015
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(その4)

五極管シングルアンプをステレオ仕様で作ることを考えてみよう。
出力管は、いわゆるラジオ球と呼ばれるモノから、
もう少し出力が欲しければ6L6系列の球でもいい。
入手簡単だし、価格も真空管のブランドにこだわらなければ安価である。

だからインターネットでみかけた6L6のシングルアンプを初心者にすすめるのはわからないわけではない。
けれど6L6を出力段に使ったとして、どうするのか。

三極管ならば三極管として使う以外の方法はないが、
五極管は五極管接続の他に、UL接続、三極管接続がある。

私の勝手な想像だが、おそらく6L6系列の球でシングルアンプは、
三極管接続のような気がする。
五極管をわざわざ三極管接続にすることによるメリットは、
オーバーオールのNFBなしでも問題が特に生じない、ということだろう。
五極管接続のまま、出力トランスを含めたオーバーオールでのNFBをかけないと、
一般的にダンピングのきかいな低音になりがちである。
伊藤先生もいわれているが、五極管の場合、適切なNFBをかけることが必要となる。

三極管接続であれば、NFBなしでもいける。
同じ球であっても、五極管接続、UL接続、三極管接続では音が違ってくる。
どの接続の音をとるのかは人によって違ってくる。

ただ私は、五極管の三極管接続はやらない。
お好きな人はやればいいし、そのことを否定はしないが、
私自身は五極管を使っているのだから、五極管接続かUL接続ということになる。

初心者だったころから三極管接続に対して、なぜこんなことをするのだろうかという疑問があった。
なにかすっきりしないものを感じていた。
それから数年後、伊藤先生にいわれたことがある。
「三極管接続にはするな」と。

伊藤先生もそうなのか、とすっきりした。

Date: 5月 19th, 2015
Cate: 4343, JBL, 組合せ

4343の組合せ(その2)

「コンポーネントステレオの世界 ’77」の取材は1976年10月ごろ行われていることが、
岩崎先生によるエレクトロボイスSentryVの組合せの記事(222ページ)でわかる。

4343はステレオサウンド 41号の新製品紹介のページに登場しているから
黒田先生はまだ4343を購入されていない。
同じJBLの4320を鳴らされていた時期である。

架空の読者である金井さんがよく聴くレコードとして挙げられている三枚は、
ベーム指揮のコシ・ファン・トゥッテ、カラヤン指揮のオテロとボエームで、
レーベルはドイツ・グラモフォン、EMI、デッカとあえて違うようにしてある。

ベームのコシ・ファン・トゥッテは三種のレコードが出ている。
ここではドイツ・グラモフォン盤なので、ウィーンフィルハーモニーとのライヴ録音である。

カラヤンのとオテロは、再録音をよく行っていたカラヤンではあるが、
旧録音(デッカ)から10年ほどでの再録音である。
交響曲や管弦楽ならばこのくらいのスパンでの再録音はあっても、
オテロはいうまでもなくオペラである。
オペラで、このスパンの短さはほとんど例がない。

カラヤンの旧録音のオテロについて、
黒田先生は「録音のあとでカラヤンはしくじったと思ったのではないのか」と推測されている。
(ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’76」より)

これらのレコードを用意しての、組合せの取材である。
しかもスピーカーは最初から4343に固定してある。

これは井上先生とレポーターの坂清也氏、ふたりによるある種のワナのようにも思えてくる。
もちろん、いま読む、とである。
黒田先生への用意周到なワナである。

黒田先生は前年の「コンポーネントステレオの世界 ’76」巻頭の、
シンポジウム「オーディオシステムにおける音の音楽的意味あいをさぐる」で、
岡先生、瀬川先生とともに4343の前身である4341を聴かれている。